Web評論誌「コーラ」54号/新・玩物草紙:廃屋の月は、/やがて空白は発光する

>

Web評論誌「コーラ」
54号(2024/12/15)

■創刊の辞

■本誌の表紙(目次)へ

■本誌のバックナンバー

■読者の頁/ご意見・感想

■投稿規定

■関係者のWebサイト

■プライバシーポリシー

<本誌の関連ページ>

■「カルチャー・レヴュー」のバックナンバー

■評論紙「La Vue」の総目次

Copyright (c)SOUGETUSYOBOU
2024 All Rights Reserved.

表紙(目次)へ

(キーボード:[Crt +]の操作でページを拡大してお読みいただけます。)

廃屋の月は、

 野木京子詩集『廃屋の月』(書肆 子午線/2024・3・5)から思い浮かべた風景がある。駅を降りて閑静な住宅街、小学校、洒落たレストラン、国道へと抜ける県道を渡る右端。信号機のない交差点を渡る手前に小さな医院らしき廃屋が建っている。車道を渡り振り返って廃屋を写したい衝動にかられるが、窓内から人影が見えるような気がしてレンズを閉じる。2023年の秋、駅に着くなりの激しい俄雨に遭遇した。小雨を待って歩きながら、廃屋がなくなり空き地になっていて茫然とした。車道を渡って、いつも必ず振り返って、廃屋を眺めてから、正面を向いて美術館への道へと歩きだす。振り向いてもその場所にはもはや廃屋がないのだ。一枚の絵のなかから廃屋が消えてその部分が「空白」になっている。
 野木さんの詩には、読み手を内側へ内側へと誘いこむ何かがあり、その触手のなまめいた感覚には、息を止めさせる怖さもある。それは「廃屋の月」の詩的時間に入ることでもあるのだと思いたい。扉詩「一緒にいてね/隣にいる幻獣の手を握ろうとする/でもその獣には手がないので/手を探す旅に出ましょうね」に誘導されて、消えた「手」を捜しにでかけると、「母の舟が時間の川霧を押し分けて現れた」(「汽水域」)。件の美術館・庭には空舟の彫刻が笹奥に無造作に乗り上げている。
 「空の河原かどこかで逢ったことのある/小さな子が部屋の隅から出てきて言った//ゆっくりと回転しながら/この世に現れ出たのだから/立ち去るときもきっと/見えない姿のまま/ゆるやかに回転して/戻っていくはず」(「空の河原」)からは、産声をあげることなく死産した私の末弟の未声が重なった。一週間後には弟が父を迎えにきて愛犬も消えた。「生きているとは/妙な入れ子構造のなかを/移動していることのような気もする」(「秋の庭」)と、私的な記憶が幻想世界で重なる。
 
黄色い滑り台
撮影:寺田 操(C)
 

やがて空白は発光する

「ようやく音はきえた/舟をひいて/このほそい川をのぼる/切花は箱につめた/うかぶ何本の白をかぞえのこし/水は岸をかたむけたか//のぼりながらしずんでゆく/青、/手元に紅(べに)をひいて/にじむ/ひとめぐり/空は水にあふれ/はるかに波を吸う/ようやくにこのほそい川で」(「舟をひいて」)
 菅谷規矩雄詩集『散文的予感』砂子屋書房/1984)を引き寄せてみる。時々の気持ちや感受性が変化していくため、好きな詩篇は次々と変化していく。戻り寒で震えるような朝には「舟をひいて」の詩行が呼びこまれた。「百本の花の名が/いっせいに水にとぶ/舟がもえあがる/おまえが生きはじめる/そういうことであった」。箱につめた切り花の、白、青、紅、箱には誰のたましいがつめられているのだろうか。 
「ごらんよ、紙のうらがわはいつも空の青。」「みせてくれ/青のうらがえしを/ねむっても眼はあけている/だからいまも/みずたまの青」(「青天」)と声がする。抒情の極北からの声にちがいない。
 坂井信夫評論集『〈ことば〉を壊す詩人たち』(花鳥社/2024・2)は、山本陽子、菅谷規矩雄、矢島輝夫、坂上弘、島尾敏雄などへの評論集(1970年代〜2014年まで)だ。ここには時代を映す鏡があり、坂井信夫自身の感受性のありかも透けてみえる。引用された菅谷規矩雄の「おれは、人のかたちをとおりぬけて/紙のうらにしずみこんだ//生きることをやめてから死ぬことをはじめるまでの/恥さらしな余白に/空気孔をこじあけて日々をつなぐ」(『神聖家族〈紙片と寓話〉』(あんかるわ別号?深夜版?5/1980・7・1)は読者にとり記憶に残る言葉であり、『死をめぐるトリロジイ』(思潮社/1990・10)へと向かわせる。詩篇と評論・手記・遺稿、北川透の詳細な「解説」の構成。表題「死をめぐるトリロジイ」の冒頭〈生きることをやめてから/死ぬことをはじめるまでの/わずかな余白に〉にまたもや足止めされる。〈自一九八九年三月/至       〉が置かれていた。菅谷規矩雄は一九八九年一二月三十日午後八時〇三分に五三歳で詩的時間を閉じた。現実的に死を意識し始めた日付が「自」とすれば、「至」の日付は「空白」だ。西行のように「ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」と記することはできない。詩人の死が「ゆるやかな自死」なのか、死に至るほどのアルコール中毒死によるものかは推測の域をでない。詩を書くことそのものが、死に至る病だったのかもしれない。詩に深く踏みこめば「生命を取られる」、詩のミューズは生と死を司るからでもある。
 時計を巻き戻して遺稿「手記」(80.11.10〜80.12.12)を読み直す。最初に読んだときには気がつかなかった「空白」という二文字の多用・言及に引き寄せられた。自殺者の手記というモティーフを引き寄せて、劇化していくように見えた。
 菅谷自身の置かれている現在地として、《生きることをやめてから死ぬことをはじめるまでのわずかな余白――そのようにもおのれを表象した》と語り、《何もいうことがない》《何も書くことがない》などと「白紙現象」がリフレインされる。「余白」への夥しい言及は、しだいに「空白」へとチェンジされていく。手記の日付を追いながら、「空白」の二文字が3Dプリンターで立体化され、コロンと読み手の目に前に凍りついて転がり落ちたが、掴もうとすれば消えるのだ。《毎日おなじことをくり返しながら、徐々に空白の密度(そう、密度である)をましてゆくこと、そのためのトレーニングである》と書きつける。《かくてひとつの仮説――文体とは、空白の空白を具現する行為の様式である》と述べる。《わたしが空白であり、空白がわたしであること。それを明証すること》は可能だろうか。そして《やがて空白は発光する》だろうか。
 
廃園の掲示板
撮影:寺田 操(C)
 
(個人誌「Poetry Edging」58ー2024年07月01日発行―より転載)

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』(風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房/ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より)、『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』(思潮社)、『尾崎翠を読む 講演編 2』(今井出版)、2018年8月に共著『宮崎駿が描いた少女たち』(新典社)を刊行。

Web評論誌「コーラ」54号(2024.12.15)
「新・玩物草紙」廃屋の月は、/やがて空白は発光する(寺田 操)
Copyright(c) SOUGETUSYOBOU 2024 All Rights Reserved.

表紙(目次)へ