Web評論誌「コーラ」52/新・玩物草紙:

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Web評論誌「コーラ」
52号(2024/04/15)

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香りについて

 亡母から『香りの手帖』(松栄堂広報室編・福武文庫・1991)、香炉3つ、白檀(木片)、練香(梅の香)、匂い袋などをもらい受けた。お香文化についての知識も体験もない私には猫に小判。「香り」の起源は、推古3年(595)4月「沈水、淡路島に漂着」と『日本書紀』に記述があり、沈水(じんすい)とは、ジンチョウゲ科の香木。
 千早 茜 『透明な夜の香り』(集英社文庫/2023・4・25)は、客の望む「香り」を作りだすことができる調香師の元で、家事手伝いのアルバイトをする女性が主人公だ。「香は脳の海馬に直接届いて、永遠に記憶されるから」と言う調香師。香を調合するだけでなく、人間そのものが身につけている匂いからも人間観察できるのは怖いことだ。人並みはずれた感覚を持つ人は危うく辛い。人間存在の怪しさにまで踏み入ると事件も起きる。
 尾崎 翠「香りから呼ぶ幻覚」(1927年2月頃執筆)は、顔も知らない、名前も知らない「匂いだけの其の男を、恋する」ようになった女学生が、何年もかけて匂いの恋人を探した。逢うことができたとき男は妻連れでみごとに失恋。『大手拓次詩集』(岩波文庫/1991)には、短篇連作にしたいほど多くの薔薇と香水の詩があり、文字から香りが立ちあがってくる。「ことばは、空のなかをかけりゆく香料のひびきである」(「言葉の香気」)より。
 20数年も前、アロマテラピー・ブームがあった。植物から抽出される精油の香を使いストレスフリーの生活にするための芳香治療、アロマリラクゼーションだ。「香り」には実のところ弱い。ナチュラルなシャワーコロンでも気分が悪くなり、香料入りの化粧品には吐きそうになることもあるのだが、小説や詩のなかの「香り」は文から匂いたつ香料なので無害。私が生活に取り入れているのは、ローズマリーやカモミールをほうじ茶、紅茶に入れて飲むことぐらいなのだが。
 
西宮市大谷美術館/庭園の樹
撮影:寺田 操(C)
 

土地の記憶・ひとの記憶

 高木敏克『神撫(かんなで)』(澪標/2023・1・15)のタイトルを見た途端に、異界に誘いこまれた。表紙絵の倒木のあいだに足を踏みいれると、急勾配の坂道を歩いている私がいる。住宅街を抜けて、まっすぐ進めば登山道に入り茶店にたどりつく。子供のころから幾度かは登っている山だが、茶店から先の道が忽然と消える、記憶がとぎれるのだ。幼い私を連れて父は山頂まで登れたのだろうか? 山とは、「高取山」、標高328mの低山で、地元では「たかとりさん」と呼ばれていた。六甲山や摩耶山の西側に位置する独立峰だが、古くから高低差の激しい山岳信仰の山で「神撫山」とも呼ばれて、地名も残されている。海港都市を一望できて、六甲全山縦走のひとつとして、近年は低山ハイクとして人気だ。
 『神撫』は、「カフカ旅団」「アヴェ・マリア」など5つの短篇と、中篇「神無」で構成されている。著者による5葉のカフカのスケッチに誘導されて、「カフカ」「可不可」と迷宮的に惑わされてしまう。表題作「神撫」からは、森の、川の、谷の、池の記憶がせりあがってくる。人には人の記憶があるように、土地には土地の記憶がある。小さな丘、鉄陸橋、レンガ壁の切通し、水争いの絶えない土地、いく筋もの古い参道。深い森に迷い込むと子供や老人は出られなくなり、出られなくなれば「百年たっても出られない」怖い場所。戦後生まれの著者が目の当たりにした都市開発の波、三宮からバス道が通るようになると消えた森。父祖の時代の血で血を洗う堀田家と神月家の惨劇は、横溝正史の小説「鬼火」などの耽美で不気味な世界に通じている。横溝は神戸生まれ、大阪薬専に学び生家は薬種商。「神撫」の世界にも似た地勢・地誌的な背景が作品には隠されているのだろう。
 「カフカ的旅団」では、「記憶が何代にもわたって遺伝するのはこの家系の不幸だ。僕の祖父の記憶はそのまま僕の頭にも流れている」と語られる。稲垣足穂の描く三宮、元町、旧居留地、異人館街を中心とモダン都市「神戸」は、観光スポットの顔を持つが、西へと視線を伸ばしていくと、平清盛が築いたわずか半年の幻の都・福原京、大輪田の泊まり、兵庫大仏。さらに西へいくと神功皇后が創建したと伝わる長田神社。さらに西へと下れば、小説の舞台となった「神撫」と祖父の記憶に辿り着く。江戸時代の『摂津名所図会』には、いくつもの小さな峰が連なった左端に「神撫山」のこんもりした地形が描かれている。麓には、板宿邑、禅昌寺。別の図版では山の右下に渦を巻くような大きな蓮の池が二つ。「神撫山」は、「じんぶさん」、「高取山」は「鷹取山」と記されていた。
 「神撫」に連なる峰へ、地下の水脈をたどって物語の水源に足を踏みいれる。「ひかりさんはいつも蓮池の向こう側からやってきた。あの時も閉じてしまった蓮の花がつぼみに戻り強い日差しを耐えていた。白い日傘のひかりさんは私をみつけて大きく手を振り、足元に気を取られながら池の歩道を遠回りにやってきた」(「アヴェ・マリア」)からは、「蓮池」に注ぐ小川の淵にあった集落、少年時代の甘美な記憶が水紋となる。鏡花世界の映画のワンシーンをみているようだ。蓮池の向こうからやってきた、この世のものとは思われない女性には、秘密がありそうだ。家族が不在、少年が一人のときに、蓮池の向こうから姿をあらわすひかりさん。二人だけの世界。胸をわずらいサナトリュームに入るという美しいひとと、二人で食べたケーキ、アヴェ・マリアの歌声、お別れにもらった、それぞれの写真が入ったペンダント。
「お姉さんはね、自分が生きていることを確かめるためにここにくるのよ。お姉さんが蓮池にやってくるのはね、蓮の花が毎朝開くのを見るためだけど、それはね、お姉さんの中にも命が毎朝開くのを感じるためなのよ。としちゃんはかしこいから分かるでしょ」。
 彼女が消えたとき蓮池の命運も尽きる。「おねえさん、ぼくはかしこいから、おねえさんのことを一度もおかあさんとよんだことがないよ」と少年の追憶と思慕。
 
西宮市大谷記念美術館/池の浮石
撮影:寺田 操(C)
 
(個人誌「Poetry Edging」56―2023年11月01日発行―より転載)

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』(風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房/ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より)、『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』(思潮社)、『尾崎翠を読む 講演編 2』(今井出版)、2018年8月に共著『宮崎駿が描いた少女たち』(新典社)を刊行。

Web評論誌「コーラ」52号(2024.04.15)
「新・玩物草紙」香りについて/土地の記憶・ひとの記憶(寺田 操)
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