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Web評論誌「コーラ」
47号(2022/08/15)

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反 復

 古井由吉『明けの赤馬』福武書店/1985)は、作者とおぼしき主人公の日々の暮らしぶりが描かれている。これを私小説(わたくし小説)とか、心境小説とか呼ぶのだろうが、購入時に読んだときはピンとこなかった。神経を病んだ女性との山中での出会い「杳子」とか、その延長上に描かれた若い夫婦の暮らしに影を落とす精神の失調「妻隠」、あるいは韻文がかった「眉雨」など、物語性の強い作品に惹かれたことが記憶の底からよみがえる。読み手である私が、精神的に不安定だった頃に求め好んで読んだ本たちは、いずれも現在では再読したいとは思わない。二度と引きずりこまれるのはごめんだといった気持ちが強いのだ。しかし中年になり老年を迎えたからといって、あっけらかんとした性格に変わっているわけではない。神経症的な状態を「反復」しないように自分を客観視する方法をみつけただけである。
 『明けの赤馬』のなかの短篇「しらぬおきなに」の主人公は散歩する男である。彼は、数年前までは壮健、男盛りで、昼飯の前にはかならず一時間あまり散歩をする。順路は決まっていて用賀の馬事公苑近くの自宅から、車の往来の少ない道を選んだ西へ。環八に出て歩道橋を渡り、砧緑地まで二キロ、緑地の外辺を一周して一キロ、林のなかで休んで、同じ道を戻る。雨の日には傘をさしてでかける。でかけないと気が済まない。それが日課だから。「同じことの反復に、砂を噛むような、歓びを覚えていた」男性は少なくないようだ。台風が近づいた土砂降りの中でも、雨で周囲が見えづらくても歩く。翌日には台風一過の満足感が味わえる。だが繰り返される日課は長くは続かない。「反復」をみている、見る、見られる関係の散歩者が他にもいる。依怙地になるのを諫めるのは、他者を通して自分の老いをみることかもしれない
 
宝塚市 手塚治虫記念館
撮影:寺田 操(C)
 
 

花 束

 森雄治作品集『花束』(ふらんす堂/2020・11)には、19歳から28歳にかけて書いた短編・掌編小説、散文、短歌、俳句が収められている。2018年に刊行された詩集『蒼い陰画』では、兄・森信夫による早世した弟・森雄治(1963〜1995・1/31歳)の詩集をまとめるについて付記が巻末にあったが、この『花束』では、さらに詳しい略歴が記されていた。そのなかで目をとめたのが、ユリイカに投稿した詩「指紋」(1981・9月号掲載・入沢康夫選)である。それによれば、――「作者は十七歳といふことだが(略)詩による模索、追及の姿勢をわがものにしてゐる。」――と評されていた。 詩集をふたたび開いてみることにした。
《指紋のうねり 流動する細胞のつらなり なやましそうにかきみだれてその線/に沿うてたちのぼりゆらぐ感情のさざなみ うねる 指紋の形態はいつもそうだ》《ぼくの指紋 それはぼくの心象にしたがって波立ついのちのうねりだ 砂/漠を無限に彩る風紋のようだ ふうっと息を吹きかけたら魔法のように形づく/られてしまう象形文字 この暗示をどう解読したらよいものかぼくは悩む》(「指紋」)
 指紋と向き合うことは自分自身と向き合うこと、それはとても怖いことなのだ。詩の最後は指紋を引きはがす行為に向かう。詩集『蒼い陰画』の巻頭詩には《ガラス玉の風景/そこに指紋をつけてはならない/なぜならつけるまでもなく/繊細にどよめき崩れてゆくだけだから/瞼におおわれてもいないので/それはごく自然な摂理なのだ》(「意識」)とある。ここでも「指紋が」強く意識されている。詩が掲載された2年後の1983年3月、父の退職を機に兄と京都に移り同居するも、6月には愛媛の実家に移り、創作は小説中心となる。詩から散文へと移行する過程に、どのような内的ドラマが生じたのだろう。心身を引きはがすように散文世界へと入っていく。詩と非詩の「あいだ」、「淵」が気になる。
 表題の「花束」は映画でいえばモンタージュの方法だろうか。貧寒な海辺の岸壁、数本の赤い花束を胸に抱き抱えて崖の上から霧の底へと倒れ込み海へと落ちていった女。高所から低所へのスローモーションな下降。胸に抱いているとき生彩を欠いていた花なのに飛び込む間際に燃え上がるように、「胸の中へぐっと突き刺さってくるような赤い花」。そこだけが大写しになる花の変貌。生と死のチェンジを鮮やかに描いた映像美。夢を見た後、会社に出て仕事をすませた青年は、仕事中も「赤い花」が気になり、帰りに花屋に立ち寄り、夢に近い濃い色の花を買い求めた。夢が現実に侵入しての結末は、花の裏の虫(大写しになる)に驚きの声をあげ、花束を取り落としてしまったという無残な破綻だ。夢の中の女が何故身を投げたかの分析モンタージュなど。どれも詩の生命線をぐっと掴んで、散文に放つという印象をもった。
 小川洋子『人質の朗読会』中公文庫/2014)も生と死に関わる「花束」の一話である。旅行者が企画したツアーの一行が遺跡観光を終えた帰路、反政府ゲリラの襲撃を受け、地球の裏側にある山岳地帯に拉致された事件が起きた。膠着状態にあるなかで、人質たちは過去のささやかな思い出を、それぞれひとつ書いて朗読し合うことで、長い待機の時間に耐えた。そのうちの一人の青年の記憶に残る思いは、アルバイト先の契約が切れた日、思いがけず、お得意先からお別れに「花束」をプレゼントされたこと。大きな花束を抱えていては電車にも乗れず、歩いて帰るはめになった。アパートまでもう少しの交差点で、ガードレールの下に置かれたアルミのバケツに差し込まれた枯れた花を発見。そのとき彼は思い出した。八歳のとき、鉄道会社の社宅の最上階の踊り場から四歳の妹の人形を投げ落としたこと、その同じ場所に隣町の主婦が投身自殺をした。青年はコンビニで買った水でバケツの中身を捨てて洗い、きれいな水を入れ花束のリボンを解いて活けた。
 
大阪・梅田 観覧車
撮影:寺田 操(C)
 
(個人誌「Poetry Edging」51―2022年03月01日発行―より転載)

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』(風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房/ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より)、『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』(思潮社)、『尾崎翠を読む 講演編 2』(今井出版)、2018年8月に共著『宮崎駿が描いた少女たち』(新典社)を刊行。

Web評論誌「コーラ」47号(2022.08.15)
「新・玩物草紙」反復/花束(寺田 操)
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