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Web評論誌「コーラ」
14号(2011/08/15)

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椅 子

 江戸川乱歩「人間椅子」(『江戸川乱歩傑作集』新潮文庫/1996・10・44刷)は、タイトルこそ怖いが、読みはじめると、哀しい男の「孤族」ともいうべき物語だということに気づく。椅子職人が「丹精こめた美しい椅子を手放したくない、できることなら、その椅子と一緒に、どこまでもついて行きたい」と願望を抱くのは、職人としての素朴な感情だろう。だが、「やどかり」のように椅子に棲家を移そうと思いついたときから、奇怪な快楽が芽生えた。姿を消して、他者の身体のぬくもりを感応するスリリングな感覚。恋する女性がその椅子に座れば、まさしく「椅子の中の恋!」となるのだから。
 野元正『飴色の窓』(編集工房ノア/2010・11・14)は、人生の岐路に置かれた記憶のモノたちが無言で語る4篇からなる生と死と再生の物語。表題「飴色の窓」の原っぱの入口に棄てられた木製の椅子。主人公の心をとらえたその椅子は、単に持ち帰って使ってみたいと心動かされるだけでなく、人生の軌跡の同伴者のような光源を発していた。「ガレキに花を」の椅子は、阪神淡路大震災のときにガレキのなかから引っ張りだされた傷痕を残している。ここに私がいます。忘れないでください。と語りかけている椅子なのだ。
 居心地の悪い椅子もある。数年前の夏のこと。コンサートの招待券をいただき、仕事帰りの家人と現地集合。劇場設計のパンフレット広告もあり、評判のよいホールらしい。ところが座席に腰をおろしたとたんに違和を感じた。ホールの外へ出る扉が少なくトイレに行くのに難儀する。防災上も問題だ。さらに、人が歩くと、どんどんと座っているお尻にまで響くお粗末な床に驚いた。身体を少し動かしただけなのに隣の席まで響き、座り心地がなんとも悪い。これは私だけが感じる事なのかと家人にきくと、やはりお尻が痛いという。たかが椅子、されど椅子だ。2時間ほどのコンサート中、不快感がぬぐえなかったのが残念だった。
 「座ると願い事がかなう椅子」があるという。これは神戸異人館街へでかけた2010年6月6日のこと。北野天満宮から坂道を登り、うろこの家の前を東へ、塔状の屋根に白い壁の山手八番館へさしかかると、狭い路地に人が溢れかえり進めなくなっていた。「一体何が起きているの?」人垣をかきわけてオランダ坂に出ると、はるか下方から館の入口まで、ケータイ画面に見入る人々の列が続いていた。急勾配の細い石畳を下り坂道の途中で振り返って行列をながめると、並ぶのは薄羽蜉蝣のような若者たちで、濃い顔した中高年の姿は皆無だ。
 「座ると願い事がかなう椅子」があると、インターネット上で話題になっての来館者行列らしい。新しい都市伝説だ。椅子は、観光案内パンフで読んだ悪魔祓いの椅子らしい。ネット検索してみると、6月10日のMSN産経ニュースに、件の椅子(真紅の肘掛)が、人待ち顔で映っていた。山門の左右には、狛犬か仁王が置かれているのは神社仏閣だが、異人館の部屋の入口には中世の悪魔祓いの椅子が2脚。いつから置かれているのだろう。
 その椅子に座ると願い事がかなうという。消えたいと願うと失踪させてくれるのだろうか。椅子をめぐる架空のドラマを紡いでみたくなる。「ようこそ、恋愛成就の願い事なら、かなえてあげますが、この世では無理ですよ」と椅子が来館者に挨拶する。男は2時間待ちで、女は1時間待ちですって。後ろの列から「どうしてでしょう」と質問がとぶ。「あなた、男の悩みは、深いあばらの、闇にありということもご存じない?」とそっけない回答。それとも、サターンは若い男が嫌い?なのか。椅子に座って無事に出口へ歩いてきた少女はいない。別世界への扉が館にはあるようだ。
 すごすごと頭を垂れて出てきたかニキビ顔の少年は、館を見上げて溜息をついている。健脚の老人たちが蒼空をみあげて、カカカと笑いながら坂を下っていった。ふふふ、悪魔に追い返されたんだな。
 
 
 

草 枕

 神山睦美『夏目漱石は思想家である』(2007・5/思潮社)の冒頭「序 自己追放というモチーフ」から、夏目漱石『草枕』の書き出しを思い出し開いてみた。
 『草枕』は何度読んでも挫折する。途中で放り出してしまう私でさえも、おぼろに覚えている有名な文だ。
《山路を登りながら、こう考えた。/智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい。/住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、画が出来る》
 この作品は、一人の画工が、旅先で詩歌や画について思考をめぐらすことを中心に置かれている。今回はかろうじて完読した。明治38年(1905)の『我輩は猫である』、翌39年発表の『草枕』には、日露戦争(1904〜05)が見え隠れしている。ということを念頭に置けば、神山睦美の「自己追放というモチーフ」が漱石の主題としてリアルに迫ってくるのではないだろうか。
《兎角に人の世は住みにくい》といって、主人公の画工と共に山路を急いでみても(実際に、小説の舞台をたどる漱石『草枕』ハイキングコースが熊本市から小天温泉への道のりにあるようだ)、桃源郷などもはやどこにもないのが2011年の現実だ。画工のように、画材を求めて田舎の温泉場に行ったとて、美しく奔放な美女や美青年に出会える軌跡などないだろう。短詩形文学では、《山路を登りながら、こう考えた》などと、吟行、句会、連句などは盛況だ。桃源郷はみつかったであろうか。生活現実に戻れば、農家の婚活事情の哀しい現実あれば、カラフルなファッションで畑を耕すギャルあり。何が真実なのか分からなくなる。《一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。》と漱石が書きつけた文を知っただけで『草枕』を読んだかいがある。
 
(個人誌「Poetry Edging」18より転載)
 

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。2011年5月に『尾崎翠と野溝七生子』を出版。

Web評論誌「コーラ」14号(2011.08.15)
「新・玩物草紙」椅子/草枕(寺田 操)
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