杉山平一の推理小説
《十七億の人間の指紋が、いちいち違う、といつて、人は驚いているが、もし同じものがあつたなら、それこそ驚かねばならないのである。この世に、雲のたたずまい、汚点のかたち、道を行く一匹の犬、何ひとつ同じものはない。きよう、空に見る雲のかたちを同じものは、もう何千年たつても見ることはできない。》
書き出しから引き込まれたのは、まげものスリラー『三つの駕籠』(新関西新聞/1955・9・11)である。非番の侍が用人部屋で格子越しに月明りを楽しんでいた。そこへ「ほい」「ほい」「ほい」とかけ声とともに土塀に添って現われた一挺の駕籠。それから小半時も経たずに、「ほい」「ほい」「ほい」とまた一挺の駕籠。寸分たがわぬ情景に、また「ほい」「ほい」「ほい」のかけ声とともに現れた一挺の駕籠。いずれも前の駕籠かきの腰がへっぴり腰だから、三挺は同じ駕籠かきだ。何かある、追いかけていけば、ある邸のあたりで、ふっと消えた。
作者は映画評論、詩、童話とジャンルを横断する表現活動で知られていた杉山平一氏(1914〜2012)だ。杉山氏が推理小説を数多く発表されていたのを知ったのは、「杉山平一、花森安治展」――詩人探偵と暮らしの手帖探偵――」(帝塚山学院同窓会顕彰ホール/20173・3・22〜31)にでかけたことによる。杉山氏蔵書の探偵・推理小説の展示を観覧しながら、意外という気がしなかった。杉山氏の詩には、短詩にも散文詩にも、ミステリー的な要素や謎ときめいた作品が少なくなかったからだ。
頒売資料の「杉山平一 推理小説集」を帰りの車中で開き、略歴を見ると、「宝石」の第一回懸賞小説に応募、神戸に発足した関西探偵作家クラブに参加し、「星空」「赤いネクタイ」を「新探偵小説」に発表とあった。総合雑誌の編集の手伝いをしていたときには、小栗虫太郎や大下宇陀児のもとへ原稿依頼に行き、主婦之友社勤務もしている。作品群は昭和モダニズムの息吹「新青年」系統の探偵小説を読んでいるような錯覚を起こした。
阪神淡路大震災から時計の針を10ケ月前に戻した1994年早春の鮎川哲也によるインタビュー「冷徹な詩人のまなざし・杉山平一」(「新・幻の探偵小説を求めて」は)にも目をとめた。杉山氏は映画の「モンタージュというのが、カットとカットが掛け合わさってぶつかっていくのだという、組合せていく面白さ」だと、ソヴェートのエイゼンシュタインの映画論に注目。たとえば、歌舞伎で紙の雪が降ってくるシーン、しんしんとした雪の夜だから音がしないのだが、そこへ太鼓の音、どーんどーんどーんどん、などと「ありもしない音をぶっつける」、「ありもしない音のほうは表現」なのだということから、「詩というのは言葉と言葉のモンタージュの面白さだ」と考えついた。なんて素敵なミステリーだろう。
書物検索サイト
書斎の本を他人には見せないという友人。頭の中をのぞかれるような気がするのだとその人は言った。実際どんな蔵書があるのだという興味より、読んでいるその人の思考形態を、記憶の足跡を、履歴を、知りたくなるというのが他者の好奇心だ。どの時代にどんな本を読んでいたのか、所蔵者自身が書物に関する記憶や思い出を発信するのはともかく、プライベート空間に踏み入れられるのは、あまり気持ちのよいものではない。私自身も同じ思いがあるのだが、3LDKの狭いマンション住まいだ。ベランダに面した書斎(というより作業場)の書架から増殖した書物はリビングになだれ込み、家族からは、悪書のたぐいは自分の部屋に置くように申し渡されているが、なかなか別の場所に移し替えることができないのが悩みだ。ソファに来客が坐り、目線が書架に移されたとき、幻想怪奇ミステリー、古今東西の怪談集などがずらりと並んでいたら、この家の住人の脳内環境は一体どうなっているのだろうと思われるだろうということくらいは想像できるが、いったん配列した自分なりの分類を、いまさら配置転換するのは容易ではない。
読まなくなってしまったある本をひっこめて『初版 グリム童話』(全4巻 訳=吉原高志・吉原素子/白水社 1997)と、高橋吉文『グリム童話 冥府への旅』(白水社 1996)を置き換えてみたが、そうすると、グリム関係の関連書を置いてみたくなった。グリム兄弟の残した童話を皆川博子・木崎さと子・中沢けい・津島佑子・大庭みな子・阿川佐和子・松本侑子・高村薫の8名が再話した『グリムの森へ』(小学館文庫2015・3・11)、千早茜『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』(集英社文庫 2013・8・25)、モチーフが援用されていたいくつかの現代小説、グリムやアンデルセンではないが、野坂昭如『戦争童話集』(中公文庫 1980・8・10)……。並び変えて眺めた書架は、書物の検索サイトのようだ。グリム童話が俄かに注目を集めるようになったのはこの数年の事だと思う。本当は怖いとか、原作とは違うとか、童話をモチーフにした実写版やアニメの映画作品など。その中の何本かは、立て続けにTV鑑賞したが、やはり活字が好きだ。
宇佐美英治「泉窗書屋閑話」『夢の口』(湯川書房1980・4)から、《それぞれの本の持ちようはそれぞれの脳髄の機構にかかわりがあって、ひょっとすると私の脳髄の中は私の本の置き方、並べように整理されたり、されなかったり、闇雲になっている部分があるのかもしれない》という一文が目にとまった。パソコン作業の前には、連載中や、現在進行形で書いている原稿に関する書物(というより資料本)、書架には美術関係、詩歌関係、思想・哲学、小説と、おおまかな分類はしてあるのだが、時間の経過にともなって読みたい本、調べる必要がある本、興味を失った本と、私の読書傾向が絶えず変化していくので、書物の出入りと移動も激変することがある。
人に自慢できるほど多くの書物を読んできたわけではないし、書物蒐集家とはほど遠いので、稀覯本があるわけではないが、《書物がぎっしり並んだ書斎に電燈をつけたとき、私は自分の脳髄に電燈がついたように感じることがある》との宇佐美英治の言葉にはハッとさせられたのだが、そのページのこの文字を脳内に読みこむ(まるでスキャンするように)背後で、すばやく反応したのは書架の書物たちである。表側に並んでいる列から後ろに隠れようとするもの、裏側から前列の本を押しのけて出てきたもの、中身とカバーが違うもの(澁澤龍彦『華やかな食物誌』は中身が『記憶の遠近法』だった)、カバーが2枚あるもの(朝井リョウ『何者』は、映画化が決まり急遽新しい文庫カバーできた)……。眼にもとまらないスピードで本たちは、自らの意志(だろうか)で配置換えをした。
(個人誌「Poetry Edging」37―2017年07月01日発行―より転載)
★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』(風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房/ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より)、『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』(思潮社)、2016年3月に『尾崎翠を読む 講演編 2』(今井出版)。
Web評論誌「コーラ」33号(2017.12.15)
「新・玩物草紙」杉山平一の推理小説/書物検索サイト(寺田 操)
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