太陽帆走
鳥のように自由に大空を飛びたいという夢は、大量輸送の飛行機から小さなプロベラ機、気球、スカイダイビングと実現されてきた。それだけでは物足りない。空飛ぶ絨毯やスーパーマンのように人の身体が赤いマントをひるがえして空を泳ぐように、飛びたいと夢を追っているうちに空飛ぶ「ウイングスーツ」の登場だ。2016年1月4日の某新聞記事には富士山近くを飛行するウィングスーツが映っていた。両手両足を広げて飛ぶ姿は気持ちよさそうだ。垂直に落花するスカイダイビングと違って水平飛行。この空飛ぶスーツは1990年、フィンランドの企業が開発し、一着約20万円。小型飛行機に乗りこみ、タイミングを計り空へと飛びだす。鳥たちはお仲間が増えたと歓迎するだろうか、それとも奇怪な新種だと目をそらすだろうか。
八重洋一郎『太陽帆走』(詩人の遠征6)(2015・12・1/洪水企画)は、ツィオルコフスキー、ライプニッツ、臨済、マラルメ、メンデレーエフ、ポオ、玉城康四郎などの世界への潜入記。物理、哲学、量子電磁、詩、音楽…全感覚を総動員して宇宙が発する波動をキャッチして咀嚼した天才たち。凝縮・透視した思考のかたちを発語へと昇華させたテキスト・クリティーク。《ピタゴラスとともにもっともひらかれた人類の耳 この波と楽しくやさしく遊ぶには? 構想力が集中し音ひとつない宇宙の彼方 ひかりをとらえようとアルミニウムをはりつけた超薄型の巨大な帆がはなひらく 太陽帆走 日光の圧力と太陽の引力 ヨットが風と波を精密に計算するようになんという光と重力の美しいバランス》惑星間に太陽帆船をおもうままに巡回航行させるのは、幼い頃に猩紅熱で聴力を失ったコンスタンチン・ツィオルコフスキー。地球を離れ、太陽圏へと射程距離をのばしたのは、彼がみた夢のかたちなのであろう。
坂 道
急勾配の坂道を下りバス停へと急ぐ途中で、山麓の幼稚園に通う園児たちと出会う。「おはようございます」と声をかけると、「おはようございます」と声が返ってくる。数年前に幼稚園がひとつ消えた。その地域の子どもたちは、母たちを先頭にいくつものグループに分かれて急勾配の坂道を登ってくる。積雪の朝は山道が凍結して坂道を下る駅までのバスが来ないかもしれないとハラハラする。子どもたちは休園だ。「山麓の町は不便なところだけれど、ここに住むと他へ引っ越したくなくなるのよね」行きつけの美容院で耳にした声にうなずく。四季折々の自然を楽しめるし、銀行、郵便局、消防署、役所の分室、コーポなどへはお買い物バスが巡行しているので買い物難民にはならない。しかしニュータウン全体が老年期に入っている。危機はやがて現実になる。
堀江敏幸『未見坂』(新潮文庫/2011・5)は、老いの気配がじわじわとにじり寄る架空の町を舞台に、そこに住む人々の暮らしを丁寧に描いた九つの短篇だ。
《朱雀商事ビルのまえからつづく、未見坂と呼ばれるながい坂道のなかほど、やや上寄りに、数棟の市営住宅がある。築四十年は経っているだろうか、木々の残る自然の斜面をいかしたつくりで、ちいさな崖下からの湧き水もふさがず、すこし下の小川へ流し込んだりする環境への配慮もあった。》この住みやすく人気のあった新築住宅も、子どもたちが独立して出て行き、高齢者が増加。エレベーターのない五階建て構造は階段の上がり下りが億劫になり、住民の大半が未見坂からも出なくなる。わが町の近い将来の姿を見たような気がして怖くなった。
須賀敦子『トリエステの坂道』(新潮文庫/1998・9)は、ウンベルト・サバの詩につながる場所をさがしてトリエステの坂道を歩いた紀行文。《サバがいつも歩いていたように、私もただ歩いてみたい。幼いとき、母や若い叔母たちに連れられて歩いた神戸の町とおなじように、トリエステも背後にある山のつらなりが海近くまで迫っている地形》だからと、地図を片手に市の中心部をめざして坂道を降りる。夫が話してくれたサバの本屋は、急な坂の上の、道が二股に分かれる角にあるようと須賀はこころにえがいていた。だが、たどりついた書店は、細く古びたブティック街のどんづまりにあった。
サバが生涯の長い時間をすごした「彼の書店」があるサン・コロニー街のその場所にたどり着けば、たしか「ふたつの世界の書店」という名だったはずなのに、引き継いだ人たちにより観光客向けの「ウンベルト・サバ書店」に名称が変えられていた。サバが《不吉な洞窟》と呼んだ天井の高いさして大きくない店内。サバの直筆で書かれた詩集『トリエストとひとりの女』を机からとりだし開いて見せてくれる店主。須賀がサバにこだわるのは、二十年前に亡くなった夫といっしょに読んだのがこの詩人だったからなのか?彼の記憶に詩人を重ねようとしているのか?それともサバの詩の世界をもっと知りたい、明確に把握したいのか?いずれにしてもトリエステには須賀を呼びよせた何かがある。「閉じこもった悲しみの日々にわたしが/自分を映してみる一本の道がある」サバがうたった坂道をひたすら歩く須賀の背中を追う。
《昭和十七年の冬、私は単身、東京の何もかもから脱走した。そしてある日の夕方、神戸の坂道を下りていた。街の背後の山へ吹きあげて来る海風は寒かったが、私は私自身の東京の歴史から解放されたことで、胸ふくらむ思いであった。》と書きだされる小説は、
西東三鬼「神戸」『神戸 続神戸 俳愚伝』(講談社文芸文庫/2000・5)である。坂道とは、山から海へと一直線に下るトーアロード(東亜道路)で、中途に中山岩太の写真でも知られるトーア・アパート・ホテル(東亜ホテル)が建っていた。俳句を禁じられた西東はこのホテルに住み、軍需産業のブローカーをしながら、生業不明のエジプト人、ドイツ人水兵、台湾人、白系ロシア人などさまざまな国籍の人びとの交流や戦時下の暮らしを見聞きした。
(個人誌「Poetry Edging」33―2016年3月01日発行―より転載)
★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)、2016年3月に『尾崎翠を読む 講演編 2』(今井出版)。
Web評論誌「コーラ」29号(2016.08.15)
「新・玩物草紙」太陽帆走/坂道(寺田 操)
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