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Web評論誌「コーラ」
13号(2011/04/15)

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翻 訳

 2009〜10年発売の村上春樹『1Q84』。「北京の書店から」(朝日新聞「GLOBE」2010・8・16)によれば、中国では5月下旬「BOOK1」、6月末「BOOK2」が刊行され、7月にはベストセラーの上位を占める人気。いまや世界中で村上春樹本の人気はうなぎのぼり。版権取得と翻訳者選びにも論議を巻き起こしている。中国は村上春樹本の翻訳=林少華が定番だったが、今回の翻訳は公募となり、シー・シャオウェイに決定。中国語テイストが濃厚で美文調の林少華訳、一方、読みやくリズミカルなシー・シャオウェイ訳。両者による同一作品の翻訳はないから比較はできないが、翻訳は時代の文体を伝える「使命」が課されているのかもしれない。
 気になる翻訳は、連続射殺魔・永山則夫が死刑執行直前まで書き継いだノートや小説などを、丹念に解読した細見和之『永山則夫 ある表現者の使命』(河出書房新社/4・30)だ。例えば、小説『木橋』の末尾の詩。標準語の1連目。2連目はガラリと口調を変え、津軽言葉とおぼしきカタカナ表記に移行している。
《津軽のリンゴ野に冬がみえると/降る 降る 悲しみが降る/どんどんと 激しく降り 降り/悲しみの根雪となってくる――//我ノ十三歳ハ 津軽ノ根雪コノナガダべナ/十三歳ノ童子ダッタジャノ/ナモサ デキネ ワラシコダッダジャ》
 近代日本の発展から、父母から、土地から、放逐された永山則夫の「悲しみの根雪」に、困難な生活を強いられ、土地を、家族を捨てた父母の「悲しみの根雪」が重なる。永山が呻くようにして父母への思いにことばを与えるその詩に、細見はベンヤミンの言う意味での「翻訳」を引き寄せ、「純然たる標準語でも純然たる津軽言葉でもありえず、両者をぎこちなくつなぎ合わせた一種のクレオール語でしかありえなかった…」と語っていた。
 

人工光線の植物工場

 レストランの店内で栽培されている野菜たちをガラス越しに眺めながらのランチタイム。お皿の上のサラダもバーガーにはさまれた野菜も、採れたて、摘みたてのシャキシャキ。何度かTVで紹介されていた注目の野菜・新栽培情報だ。
 我が家では、日当たりのよい窓際にサイドテーブルを置いて、植物や野菜を育てている。といっても、野菜の残りくずばかりだ。人参や大根は根元を切り、水をはった浅目の器に。白葱は根を水につける。バジルなどのハーブもガラスのコップに挿す。育てば、スープやサラダや味噌汁の薬味に使う。実用的な残り野菜のなかでお気に入りはさつま芋だ。緑の葉を拡げて、なんとも愛らしいアート型。頑張れ、頑張れと、思わず声をかけたくなる。もっともこれは、太陽光線の恵みを受けた野菜たちだが、さすがに今夏の猛暑には、ヒト科同様にぐったりしていた。毎朝、水をかえていたのだが。
 農業ブーム。自家菜園からの野菜を使う割烹料理店、オーガニックレストランも珍しくはなくなってきた。しかし今、話題になっているのは、ビルの地下、レストランの店内など、太陽光線を使わずとも、人工照明だけで育てる栽培方法だ。天候に左右されず、狭く暗い場所でも、無農薬で新鮮野菜が作れる。朝日新聞(2010・8・17)では、赤、青、紫などのLEDに照らされた野菜が並ぶ千葉大学園芸研究家の植物工場が紹介されていた。今はまだ栽培できる野菜はリーフレタスやハーブ類、スプラウト(植物の若芽)などに限定されているようだが、品種改良しなくても、光、温度といった栽培環境調節だけで、栄養価を高める研究や、あらゆる野菜の栽培が可能となるのだろう。それ以上に現実的なのは、医薬品原料を野菜から作る、植物の遺伝子組み換えの取り組みがなされていることだ。大豆などの遺伝子組み換えがすでに行われている食品事情を考えても、太陽光線ではない、人工光線による野菜の栽培は進化していくのだろう。とはいえ、遺伝子組み換え食品には、人体に影響がないだろうかとの懸念もあり、まだまだ抵抗がある。豆腐などを買い求めるときには、やはり遺伝子組み換えがされていませんという食品表示を確認してからでないと、なんだか不安だ。
 完全人工型の植物工場は、環境を人工的にコントロールすることが目指されている。すでに札幌市の産業技術総合研究所北海道センターでは、世界初の「完全人工光であらゆる作物を作れる工場」を作ったと紙面は伝えていた。太陽光線を使わずとも、人工照明だけで育てる野菜の栽培方法は、今後もますます研究、応用の幅が拡がるのだろう。
 この人工光線のアイデアを、小説世界に持ち込んだ作家が尾崎翠。およそ80年前に発表されたシュールでユーモアあふれる小説『第七官界彷徨』(1931)だ。
 一軒の古びた家に、不思議な若者たちが暮していた。人間の「第七官」にひびく詩を書きたいと願う主人公の小野町子、分裂心理を研究する長兄・一助、試験菅でこやしを煮て蘚の恋情を研究する次兄・二助、音程の狂ったピアノをひき、コミックオペラをうたう音楽学校受験生の従兄・三五郎。なかでもユニークなのは、家中でいちばん広い部屋を「百姓部屋」にしてしまった二助だ。彼は、何と二十日大根を人工光線で育てていたのだ。
 臭気漂う部屋で、自ら調合したこやし(肥料処方箋)を試験菅で煮て、黄色い液体に二つ葉の二十日大根の根をおろさせる。まるで実験室だ。さまざまな器に栽培された苗は、次の工程では、半畳ほどの床の間の苗床に、発育の順に従って左から右へと並べられる。二助はその大根畑の上に、7つの豆電球が光線を送る仕掛けを作っていた。人工光線による野菜の栽培は、現代のミニアチュア植物工場。収穫され、おひたしにすれば、さてさて、人間の味覚に、どうひびくのだろう。
 
(個人誌「Poetry Edging」17より転載)
 

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。本年5月に『尾崎翠と野溝七生子』を出版予定。

Web評論誌「コーラ」13号(2011.04.15)
「新・玩物草紙」翻訳/人工光線の植物工場(寺田 操)
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