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Web評論誌「コーラ」
12号(2010/12/15)

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「1Q84」の、月は。

 奇譚集が好きなので、村上春樹は気になる作家のひとりである。『1Q84』(新潮社)は昨年6月19日に阪急梅田の紀伊国屋書店で購入した。宣伝やメディアでの取り上げ方が異常だった。新型インフルエンザ騒ぎでマスクが店頭から消えたような現象が起き、どの書店も完売で入荷待ちらしい。買いたい、読みたいという飢餓感に追い込むうまい作戦だ。シンプルだがインパクトのある装幀は、遠目からもあれだとわかる。店内は混み合っていたが、店頭の平台の本を手にする人はいない。平台の前でしばらく躊躇したが、ここで買わなければ、たぶん読むことはないと思い、「BOOK 1・2」を購入、帰りに平台を見たが、中年のおじさんが立ち読みしているだけ。大阪はとても静かだった。
 高速道路の非常階段を下れば…なんてボルヘスの『アレフ』みたいね。この世の裂け目(ポイントが切り替わる場所)にすべり込み、1984年の現実から1Q84年の世界と遭遇する怖くて美しい小説だ。語り手は小説家をめざす塾の講師・川奈天吾と、同級生で思いをよせながら20年も別離状態にあるスポーツ・ジムのインストラクター・青豆雅美。彼女は女性を虐待する男たちを、あちらの世界に移す殺し屋の顔も持っている。彼と彼女の物語をつなぐ発端は、カルト集団から脱出してきた深田絵里子=ふかえりが17歳の高校生のときに書いた小説「空気さなぎ」だ。天吾にリライトされ、ベストセラーとして世に生み出された。少女の紡ぎ出した物語を軸に、ポイントが切り替わるというミステリアスな世界、それを象徴する現象が、大小(マザー/ドウタ)二つの月の存在だ。おまけに、小さい月は苔のような緑色でいびつな形。月は狂気を誘うとの言い伝えもあるから、二つの月が見える1Q84は、尋常ではない世界だ。
 世界がカオス化していると思った。カルト集団「さきがけ」の成り立ちと実態を物語る少女ふかえりと、リライトした天吾の周囲で起きる禍々しい事件。オウム真理教、エホバの会、自然共同体のヤマギシ会など、実在の団体が投影されているせいもあり、リアルな構成で否が応でも読者の耳目をひく。とりわけ、作中の小説「空気さなぎ」は、ファンタジー手法で描かれているため、読者をするりと世界の内側にひき込む。ベストセラー現象は、文中の「空気さなぎ」と実際の書店販売『1Q84』の相乗効果だ。村上は善悪の彼岸に踏みこむときは単純に二極分化せず、死んだ山羊の口を通路として顕われた「リトル・ピープル」も、神話的なアイコンの一つ。超越的視線と両義性を使うのがうまい村上だ。仮想現実のユートピアについても取り扱いには慎重だ。
 空気さなぎの作り方に注目した。両親とともにある共同体で暮らす少女は、年老いた眼の見えない山羊を死なせてしまった。罰として死んだ山羊と共に「反省のための部屋」と呼ばれた古い土蔵に十日間隔離された。三日目に山羊の口から七人のリトル・ピープルが出て来て「空気さなぎを作って遊ばないか」と少女を誘った。空気の中から糸をとりだして透明なすみかを作る遊びで、出来上がった「空気さなぎ」のなかには、マザ=実在の少女の分身である(ドウタ=心の影)が眠り、リトル・ピープルのメッセージを伝える受信装置・通路が出来た。古代からある巫女支配の構造だ。
 「BOOK 3」は4月24日に入院中の友達を見舞っての帰り、阪急西宮駅ナカのブックファーストで購入。脇役でしかなかった二人の男にスポットがあたる。「さきがけ」の使いはしりである元弁護士・牛河に月が二つ見える意外な展開。元NHK集金人で昏睡状態にある天吾の父は生霊となって、受信料請求でドアを叩き続ける。「さきがけ」リーダーの死、牛河と天吾の父の死。青豆の処女懐妊と天吾との再会。死と再生のドラマからは、記紀の古代神話を想起してしまった。物語のポイントが切り替わる高速道路の非常階段は、まるで黄泉比良坂?
 
 

時  計

 わが家で一番古い時計といえば、40年近く愛用している砂時計だ。普段は本棚の置物として飾っているのだが、紅茶の葉を蒸らすときに使っている。温めたティ―ポットにスプーン2杯のカモミールを入れ、沸騰寸前のお湯をそそぐと、甘いリンゴの香りが食卓に広がるが、癖のあるティ―だ。砂時計を置いて葉を3分間蒸らし、温めたカップにティーを注ぎ入れ、蜂蜜かジャムを落とす。身体が冷えているときは、焼酎漬けにした生姜をしぼりジンジャーにする。
 この砂時計だが、ひとり紅茶を入れるとき以外には出番はない。もともと実家は全員紅茶党だったのだが、結婚すると、夫の家族の朝は牛乳(わたしは牛乳が苦手なので紅茶かホットジュース)で、昼夜はコーヒー。家人が不在のときは、一日に何杯ものおひとりさま紅茶タイムとなる。紅茶は緑茶よりカテキンが多く、「風邪予防には紅茶うがいが効果あるわよ」との妹のすすめもあり、夏風邪をひきやすいわたしの強い助っ人なのだ。
 今日は伊丹市荒牧バラ公園のショップで求めたローズティ―を飲むことにした。こちらはティ―バッグなので3分も蒸らす必要はない(渋くなる)のだが、湯を入れたポットにティ―バッグを入れて砂時計をテーブルに置く。ガラスの中の砂の音は、耳をすましても聞こえないのだが、サラサラと白い粒子がこぼれていくのをみつめていると、プルースト的な時間に誘われていく。口にするのはマドレーヌではなく、ときどき気分転換に焼くココアクッキーなのだが…。
 浅山泰美『京都 銀月アパートの桜』(コールサック社・二〇一〇・二)には、大きな温度計に栗原時計店と書かれた写真が挿入されている。壁掛時計、鳩時計、柱時計などが蛍光灯の下で時を刻んでいる。シャッターを切った時間は何時のことだろうかと時計の針を見ると、それぞれの時計の針は、バラバラに時間を刻んでいる。10時15分、10時10分、11時15分、12時45分、12時…と、これは面白い。この時計店で時計を買うとすれば、どの時計のどの時間に合わせてくれるのだろうかと、不思議な気持ちに襲われた。ネジを逆さに回してくれてもいいんだけど。さすれば、別の物語の扉が開くかもしれないと、写真を眺めながらどきどきした。
 それにしても、我が家の目覚まし時計は電池の消耗度が早いし、壊れるのも早い。ベル振動のせいだろうか。景品でもらった壁掛け時計は長持している。といっても、パソコン入れ替え購入時にもらった阪神タイガース時計は、ヘルメットを被った球形が愛らしいかたちだったが、寿命は長くはなかった。タイガース・ファンの家人はあきらめきれずに、電気量販店に修理してもらえないかと持ち込んだのだが、景品時計は使い捨てなのだ。
 目覚まし時計は、買い換えるたびに仕様もベルの音も微妙に違うので戸惑う。説明書を見てセットするのだが、なかなかなじめない。なれてきたころには、むずかりだすので始末が悪い。おまけに修理するより新商品を購入したほうが安い。結局、新しく買い換えるたびに、最初から使用説明書を読まねばならなくなる。
 思い返せば、台所仕事をするとき母はいつも童謡や歌曲を歌っていた。耳に残っているのが、西條八十『おくれ時計』で、父母が生まれた大正11年4月発表だ。
《お城の塔の古時計/日毎に二分ずつ遅れます/何にも知らない村の人/お城の時計を眺めては/朝夕 時計を合わせます/やがてお晝に月が出て/露の干ぬまに日が暮れる/けれども知らない村の人/変わらず時計を会わせます/知っているのは岩つばめ/知っていたとて鳥じゃもの/黙って空で宙返り/やがてお晝に月が出て/露の干ぬまに/日が暮れる》(本居長世・作曲)
 母に記憶障害がではじめた頃、歌詞を書きとめてもらったが、正確ではないかもしれない。母が死んだあとも、童謡の「おくれ時計」は2分ずつ遅れ続けている。
 
(個人誌「Poetry Edging」16より転載)
 

★プロフィール★ 寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。来春「尾崎翠と野溝七生子 21世紀を先取りした女性たち」(仮題)を出版予定。

Web評論誌「コーラ」12号(2010.12.15)
「新・玩物草紙」「1Q84」の、月は。/時  計(寺田 操)
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