長田 弘の詩は
五月十日、夜のNHKニュースで長田 弘の訃報。本棚から 『記憶のつくり方』(朝日文庫/2012・3・30)を取り出して開いてみた。「鳥」「最初の友人」が印象に残っている。自分の思想や哲学を特定の領域だけで伝達・自足するのではなく、広範囲の読者へレベルを下げずに発信できる詩人であった。「肩車」冒頭から。
《肩車が好きだった。父によくせがんだ。背をむけて、/父が屈みこむ。わたしは父の頭に手をしっかりのせて、/両脚を肩に掛ける。気をつけなければならないのは立ち/あがるとき。わずかに父の両肩のバランスが崩れる。そ/のバランスの崩れをうまくしのがねばならない。立ちあ/がってしまえば、あとは大丈夫だ。わたしはもう誰より/も高いところにいる。わたしは巨人だ。ちっちゃな巨人/だ。わたしの見ているものはほかの誰にも見えないもの/だ。父さえ見ることのできないものだ。》
まだ20歳だった私が1968年に購入した 『探究としての詩』晶文社/1967) 『抒情の変革 戦後の詩と行為』晶文選書/1965)を机の上に積んで眺めた。懐かしい批評集だ。戦後詩の詩人たちがここにいた。岩田宏、堀川正美、鮎川信夫、田村隆一、黒田三郎、山本太郎、谷川雁、関根弘、吉本隆明、長谷川龍生から原民喜、峠三吉、ここから多くの詩人たちを知り、批評の書き方なども学ぶことになった。
長田 弘の詩との再会は1995年の阪神淡路大震災後である。 『深呼吸の必要』(晶文社/1984)や 『黙されたことば』(みすず書房/1997)に触れながら、私は自身の詩の変容を確認しながら読んだ。そのとき、長田 弘の言うところの「精神のトラヴァース」ともいうべき段階にいたのだ。『記憶のつくり方』は《書くとは言葉の器をつくるということだ。》(「自分の時間へ」)と、さらに身近な場所に詩を呼びこんでくれたと思う。
御伽草紙
「群像」2015・2月号のカラー保存版「絵本 御伽草紙」を枕元に置いたまま、なかなか読み進めることができないでいた。読めないのは、待機している山積の本が「こっちがさきですよ」と迫ってくるからだ。急ぐ本から読んでいるうちに季節は初夏となった。もうこのあたりで読まないと、読む機会を失くしてしまう。雨の午後、ダッシュして訪問してみた。
町田康「付喪神」のパンクな語り口には思わず引きこまれた。堀江敏幸「象の草子」は、前口上がゆったり進むので、眠ってしまいそうになったが、猫又和尚と老鼠法師のそれぞれの言い分を、訴陳状形式で論戦させた巧みな語り口に聴き入った。これは「猫のさうし」の変奏であろう。青山七重「鉢かづき」は、昔話の定番である継子いじめと追放、最後は宰相の君と契りを結び幸福な生活を送るのだが、青山は放浪していたときの自由さを知った後の女の気持ちの揺れを描いていた。学園ものに変奏された藤野可織「木幡狐」。帰ってこなくなった兄をさがして龍宮へ飛び込んだ妹。そこで出会った女の子のまなざしは父母に、兄に似ていた日和聡子「うらしま」。食えないからと、はまぐりを捨てていた親孝行で貧しい男がいた。目のまえで巨大化したはまぐりのなかから、なんと美しい女が出現した橋本治「はまぐり草子」。豪華なラインナップだ。作家たちの手で料理された御伽草紙と、洋物もまじった挿絵のあやかしに酔わされた。
御伽草子・草紙と呼ばれている短篇は、平安から南北朝時代の物語文学の後に作られ、室町から江戸初期までの約300年間に300以上とも500篇にも達するといわれている。執筆者は公家、僧侶、隠遁者、武家、町人と多岐に渡ると推察されているが、作者不明として広範な読者層に広がっていった。奈良絵本は有名な写本で、それを模した絵入り板本が版を重ね、書肆がそのなかから23篇集めて刊行した叢書が『御伽文庫』あるいは『御伽草紙/草子』と名づけられた。それを底本とした 市古貞次校注『御伽草子』上下(岩波文庫/1986・3・17)が古典として読まれている。
千早 茜『あやかし草子』(集英社文庫/2014・11・25)は、「あやかし」の者たちが跳梁する魅力的な再話に仕上がっている。冒頭の「鬼の笛」からは芥川龍之介の『羅生門』の映像を思い浮かべた。人知れず楼門で笛さえ吹いていれば幸福な男と、笛の音色にひきこまれて聴き入る鬼の出会い。笛は人の心を惑わす魔笛だったが男は笛を手放せない。鬼にゆだねてはと言われたが、俺が死んだらと断った。ある夜、無礼をいった詫びにと、鬼が作った美女を譲りわたされた。まだ魂魄が定まっていないから、人間としての完璧な生命を得るには百日かかる。その日がくるまでその白い肌を抱いてはならない、その後なら男の自由にしてよいと告げられた。
人語は解るが話すことも笑うことも眠ることもない。ひとつ屋根の下で暮らすうちに、女は家事もこなせるようになってきた。鬼に女を返そうと思ったこともあったが、男に反応するようになってくると、禍々しいと感じたこの世を超えた美しさにも愛着がでてくる。そんなある日、女は男が吹いていた曲を歌い、男と目をあわせるとゆっくりと笑った。男は耐えきれずに百日を待たずに、女の体を抱き寄せてしまった。すると女の体はかたちを失い、白い水となってと流れ、まとっていた着物すら消えたしまった。半狂乱になった男だが、やがて自分が自分でいるために、女の魂を鎮めるためにも笛を吹くしかないと悟った。
子女の読物とされてきた「御伽草紙」だが、作家たちの再話文学としての甦りにはワクワク、ドキドキする。単なる新訳では面白くなく、換骨奪胎した創作に近い作品がいい。芥川龍之介が『今昔物語』や『宇治拾遺物語』を素材として『羅生門』『藪の中』『鼻』『芋粥』などを大胆にアレンジしたように。太宰治が『お伽草紙』を独自の解釈で楽しませてくれたように。
(個人誌「Poetry Edging」31―2015年07月01日発行―より転載)
★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。2011年5月に『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)を出版。
Web評論誌「コーラ」27号(2015.12.15)
「新・玩物草紙」長田 弘の詩は/御伽草紙(寺田 操)
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