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Web評論誌「コーラ」
25号(2015/04/15)

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消える仕掛け

 ボルヘス『砂の本』(集英社文庫/1995・11)は何度も読みたくなる短篇集。表題の「砂の本」は絶品だ。神聖な本をお目にかけられると男から声をかけられた。開いた1度目はページ数がでたらめに並び、ペン書きの稚拙な錨の絵が挿入されていた。2度目に開いたときは、どこをめくっても錨の絵がでてこない。3度目は、表紙と親指のあいだに何枚ものページがはさまり、湧きだす感じで、最初のページも最後のページもみつけられない。男は「この本のページは、まさしく無限です。どのページも最初でなく、また、最後でもない」と言った。高額で入手した主人公は、家にこもり本のとりこになるが、やがて本が怪物と気がつく。火も考えたが、退職する前に勤務していた国立図書館の棚のひとつにかくした。
 泡坂妻夫の『生者と死者/酩探偵ヨギ・ガンジーの透視術』(新潮文庫/平成6・11初版 平成26・1第5刷)赤い荷札に白文字の「取扱注意」に目が釘づけになる。《はじめに、袋とじ製本のまま、この本をお読みください。/短編小説を読むことができます。/次に、各ページを切り開いて、長編ミステリーをお楽しみください。/元の短編小説は消失してしまいます。/著者》と前口上がある。「消える短編小説」の仕掛け本だ。16ページごとの袋とじのまま読むと短編。パーパーナイフで切り開きながら読むと短編が消えて長編ミステリーに。驚いたのはこのことでない。短編の主人公里見は女性で、正体不明の男性は中村千秋。長編では里見は吾郎という男性で、中村千秋は女性、つまり性転換だ。袋とじP17では「中村千秋は美」で終わり、次P32では「青年だった」。長編では、P17~18で「中村千秋は美/しい女性には違いなかった」と変わる。読了してストーリーを思い出そうとしたのだが、殺人事件、超能力者と奇術師が入り乱れて……読み手の記憶を消すのが仕掛け?
 
 
 
 

凍った言葉

 言葉や書物に関わる本をみつけると、無意識に本棚に手がのびる。といっても批評本はにがてだ。純文学だろうが、冒険小説だろうが、ファンタジーだろうが、言葉はジャンルを超えて、サインを送ってくる。
《叔父は文字だ。文字通り。/だからわたしは、叔父を記すための道具を探さなければならない。普通の道具を用いる限り、文字は叔父とはならないから。彼は文字のくせに人間なのだ》と、なにやら冒頭から謎めくのは、円城塔『これはペンです』(新潮文庫/2014・3)だ。
文章自動生成プログラムを開発した叔父から姪に届く手紙の数々。肉筆、磁石を使った手紙、電子顕微鏡でしか見えない分子文字、パイ生地を細かく切って並べ冷凍で送られてきた手紙……文字が文字であることから、逸脱しようとしているのだろうか。
 吉田篤弘『パロール・ジュレと魔法の冒険』角川文庫/2014・2・25)は、言葉をめぐる長篇ファンタジー。どこへも届けられない言葉、人知れずつぶやかれた声、人が発した言葉が凍りついて結晶になるという〈パロール・ジュレ〉という奇怪な現象が北の国キノフの街で起きている。住人は気がついていないが、数人の〈解凍士〉は凍結してころがっている言葉を拾い集め、解凍し、再生する作業に従事している。国の極秘任務に連携している。この不思議な現象の秘密を探りだそうと、各国の秘密諜報員たちがキノフに入り込み暗躍する。
 〈パロール・ジュレ〉とは、フランス語では〈凍った言葉〉の意味で、古屋美登里の解説では、渡辺一夫の「凍った言葉の伝説」文章に由来するという。戦争中に凍りついてどこかに隠されていた「言葉」が、戦後に解凍されてあちこちから聞こえてくるという現象について書いた渡辺一夫の文に、吉田篤弘が感銘を受けたらしい。
 〈パロール・ジュレ〉の神秘の秘密と謎の解明に、某国から指令を受けてキノフへ遣わされた十一番目のフィッシュと呼ばれる諜報員。彼の正体は「紙魚」である。本のなかに湧く紙魚と考えただけで、虫嫌いなわたしはキャーと声をあげそうだが、これは物語の世界だ。古書の中に自由に潜入し、物語の主人公の身体と名前、職業、記憶を掠め取り、実在の人物に変貌して現実世界キノフに顕れる。例えば「烏口職人の冒険」という物語に入り込むと、主人公に変身して情報を収集してまわる。危なくなれば、別の物語の主人公に変貌して難を逃れる。つまりは、やどかりだ。他国からの侵入者フィッシュを追うのは辣腕刑事だ。
 人知れずつぶやかれた声が凍りついて地上に転がる。採集された言葉は拾った場所、時刻の採集記録とともに冷凍庫に保管される。持ち寄った言葉が解凍され、声はレコーダーに保存される。ひとつひとつジュレを解凍して声を聞きとる解凍士の魔法の時間。自由に発語することを禁じられた環境にあれば、ひとは飲みこんだ言葉、何処へも届けられない言葉を、独り言としてつぶやくだろう。秘密、弱音、本音、孤独、真実…孤立した言葉が行き所なくさまよい凍りつく言葉が落ちる。それらを解凍士たちが採集・解凍・声として保管する。 
 秘密裡のまま保管された言葉が、封印を解かれて自由を獲得したとき、外に向けて解凍される。あるいは、断片のまま音声化される。人々の自由な発語が戻ったときは……だがいつもそうとはかぎらない。解凍されたがために命が危険にさらされることだってあるのだ。
 声が物質になるパロール・ジュレは神秘的な現象だ。けれど何の変哲もない溜息まじりの言葉だって、翻訳者次第でなんとでも解釈される。解読は自由だから、受け手次第では断片とていかようにも変質させられる。密やかなつぶやきが世界をかけめぐり、大いなる耳と目にあらゆる言葉がさらされ、共有され、盗聴される。瞬時にして言葉が、肉声が、世界に配信されていく。怖い時代に生きているのが私たちの現在だ。声霊のさまよう世紀。声の結晶、言葉の結晶、言葉をめぐる寓話。
 
 
(個人誌「Poetry Edging」29―2014年11月1日発行―より転載)

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。2011年5月に『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)を出版。

Web評論誌「コーラ」25号(2015.04.15)
連載「新・玩物草紙」消える仕掛け/凍った言葉(寺田 操)
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