萬年筆
吉田篤弘『水晶萬年筆』(中公文庫/2010・7・25)の主人公・オビタダ(夥)が美術学校の生徒になったとき、水晶萬年筆を製造していた祖父が自分で作ったペンをプレゼントしてくれた。ペン先がガラス製でできていて、指で触れると痛いほど尖り、おまけに脆い。若いときに絵描きになりたかったが、挫折して筆をつくることになったとのエピソードを添えて。だが、孫のオビタダはペンを使ったことがなかったし、祖父が亡くなってからは和紙で包んで大切にしまい、彼のことも水晶萬年筆のことも思い出す機会がなかった。それが、ひょんなことから祖父の濁点でにごった声が頭のなかに響いた。
《紙を引っ掻くように書くペンの擦音にかえって夜が眼をさまし、また一息筆をおいたとき静寂さがいっそう強まるように思う》と書いた宇佐見英治『夢の口』(湯川書房/1980・4・15)だが、氏にもペン軸とペン先をやめて萬年筆を用いることを「発心」する日がきた。
使われなくなったモノにもモノの記憶がある。君は・もの書くひと・だから……プレゼントされたのは、MONT・BLANCの萬年筆だった。ネームを刻んでもらい、MIDNIGHT BLUEのインクも揃えて。愛用の萬年筆の受難がはじまったのは、ワープロが我が家にやってきたときからだろうか。次にウィンドウズ95が書斎に侵入してきて、手紙を書く頻度が減少しはじめた。言葉から影が消える気配を察して、萬年筆は机の抽斗の奥へ、するりと姿を隠した。パソコンを買い換える速度と使いがってのよいサインペンやボールペンの登場は同じだ。萬年筆復活のときはこなかった。下書きはしない主義だったから、原稿用紙の升目に一字目が下りてくるのを待つ。萬年筆を持つ手が動きだす。詩や批評文を書くのが、精神的な誇りと支えであったころの思い出。あの至福のときは二度とやってこないのだ。
写 本
バーナード・ハーミン『ケルズの書』(鶴岡真弓訳・創元社2002)は、「ダウロの書」「リンデイスファーン福音書」と並ぶケルト三大写本の一つを読み解いた美しいテキストだ。装飾文字をながめていると、美しさを越えた魔的な怖さを感じる。渦巻き、螺旋、組紐のうねり、連続、反復など文様へのこだわり。めまいを誘発する無限に変化していく装飾文字。渦巻きの流れを反転させ、次の渦につなぎこむことを「トランペット・パターン」と呼ぶそうだが、アルカイックな声が聞こえてきそうだ。この「ケルズの書」は、スコットランドの西に浮かぶアイオナ島の修道院で製作(807年ごろ)がはじめられたが、ヴァイキングの襲撃を受けたため、アイルランドのケルズに場所を移して完成させたとされている。
写本は、装飾表現と本文(テキスト)の組み合わせ(モノグラム)による総合芸術。例えば「マタイによる福音」の頭文字(イニシャル)のXPIの「P」に施されたく緻密な文様などと、視覚的に訴えるイメージが工夫されている。文字を読めなくてもルーペや顕微鏡を使って拡大してみたくなる。感覚のすべてを総動員して、装飾文字に潜むさまざまな「徴」を解読したいと欲望する。頭文字(飾り文字)と本文テキストの行間に、びっしりと埋め込まれた絵文字のテーマやメッセージをまさぐると、なにやら秘密めいてくる。
描き手は、装飾文字のむこうからみえてくる魔的なものの声をききとるだろう。呼びこまれる誘惑に、その身を投げ出したくなるだろう。完璧に写本するという緊張のあまり、筆が不正確になり、文字とばしもあっただろう。写本から写本へと書きつがれていくあいだに、文字抜けあるかも! と想像すると怖くなる。写本製作の現場では、頭文字、書体、行間装飾すべての製作をひとりでこなしていたページもあれば、装飾の描き手(金細工師=ゴールドスミス、肖像画家=ポートレイト・ぺインター、挿絵=イラストレーター)と、テキスト写字者との共同作業もあったようだ。
こうした写本工房の様子が鮮明に描かれているのが、 乾石智子『夜の写本師』(創元推理文庫/2014・4・11)だ。誰が本当の親であるか知らず、山羊の乳と犬のぬくもりと女魔導師の言葉で育った主人公・カリュドウが、魔道ではない魔法を操り「夜の写本師」として、敵に向かっていく冒険ファンタジー。
月の乙女、闇の魔女、海の女魔道を殺し、彼女たちがもつ魔法の力を奪い、世界を支配してきた大魔導士とカリュドウの対決。世界のすみずみに言の葉を浸透させようとするカリュドウの身体は、幾世代もの記憶を呼び覚まし、反復させる磁場となる。魔法を無効とさせる手書きの紙片が飛び交う場面や、謎を解く『月の書』。写本師の世界観が書物の不思議を解きあかし、写本というテキスト自体が生きもののようにうごめく世界には圧倒された。写本は原本から同じ文字を書き写すという単純な作業ではない。原本の一文字一文字を注意深く観察し、インクのにじみ方、微妙な曲がり具合、毛羽立ち方、濃淡、紙の縦線、横線、二度書き……技術や技能を集中させてもまだ不足だ。
赤城毅『書物迷宮』(講談社文庫/2011・10・14)の主人公は書物狩人(ル・シャスール)と呼ばれる男。一冊の書物が世に出れば、埋もれていた歴史の真実が白日のもとに晒されるだけでなく、一国の政治・経済を揺るがしかねない事態が起きる。つまり書物に潜む魔。いわくつきの書物をあらゆる手段をこうじて手に入れていくのが、彼の仕事だ。裏の世界のプロフェッショナルである彼の行くところ、謎にみちた書物があり事件が起こる。羊皮紙に書かれた先祖伝来の写本をめぐり、古代スラブ文字の使用年代の巧緻な仕掛けで本物を偽文書にするなど、敵の目を欺く書物を守る仕掛けを愉しめるのは、写本ならではの世界だ。
ウィスキーはお好きでしょう?
武部好伸『ウィスキー アンド シネマ』(淡交社/2014・1・24)は、「琥珀色の名脇役たち」というサブタイトルがついたお洒落な一冊だ。ウィスキーが登場する映画の名ショット47作品が読める(飲める)のだと思うとうきうきした。あいにく紹介されている映画を見たのは10本に足りないが、「駅馬車」と「秋刀魚の味」は覚えている。文の語り口と、イラストの「あいだ」から、ウィスキーがかすかに漂ってきた。カウンターバーでグラスを傾けてウィスキーを飲むのは、大人の男でなくちゃね。男の哀愁に満ちた背中がいとおしくみえたなんて思い起こすのは、ウィスキーの置かれている酒場に女性客が少なかったからかもしれない。
1970年代の初めのころの記憶にウィスキーは欠かせない。洋酒喫茶ではカクテル、数人での宴会はサントリー角瓶+コーラ(コークハイ)が団塊の世代である私(たち)の青春のお酒だった。サラリーマンはウィスキーを小瓶に移し替えて背広のポケットに忍びこませていた。ジョニ黒は海外土産、中元はオールドパー、手土産は手軽なお値段のシングルモルトが定番だった。お酒の飲まない人と結婚したので、ウィスキーは紅茶に数滴が唯一の優雅な時間だった。あのころは彼の両親と同居だったので、それなりのストレスはあったけど、キッチンドリンカーとは無縁に過ごした。家族の監視の目があったおかげ?
専業主婦からこぼれ落ちて大阪・淀屋橋界隈へ仕事にでたころ、事務所の応接室の棚には、たいてい値段の高いウィスキーが飾られていたのを覚えている。来訪者のお土産だ。仕事が終了すると、男性たちは待ってましたと、グラスに琥珀色をそそぎこむ。ドライマティーニは、職場の上司に連れていってもらったバーでの初体験だ。ところで、ウィスキーが我が家から消えたのはいつころだったか思い出せないのだ。
(個人誌「Poetry Edging」28―2014年7月1日発行―より転載)
★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。2011年5月に『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)を出版。
Web評論誌「コーラ」24号(2014.12.15)
「新・玩物草紙」萬年筆/ 写本/ウィスキーはお好きでしょう?(寺田 操)
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