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Web評論誌「コーラ」
21号(2013/12/15)

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猫は美形を保ったまま

 
 中華そば屋の暖簾の下を猫がのんびり歩いていく表紙の文芸雑誌「猫町文庫」3集(2012・5)を開くと、和田ゆりえ『猫屋敷』に手招きされた。
 《古代エジプトでは飼い猫が死ぬと、人々は眉を剃り落として悲しみ、ミイラにしてバステト女神の神殿に奉納したといいます。》《彼らすべてに心優しい飼い主がおり、死後はふたたび彼らといっしょに暮らしたいという願いを込めて、丁重にミイラにしたのです。》
 古代エジプトでは死後の永遠が信じられているから、猫のミイラもあるのだろう。イギリスの探検隊がエジプトで30万体の猫のミイラを発見したというが、小説の主人公は古代エジプト人ではない。猫と共生している独身女性の暮らしを描いた作品だ。クレオパトラが黒猫を抱いて寝ている姿が目に浮かんだ。
 猫は犬と違い「老い」を飼い主に感じさせない生きものらしい。おまけに小説には《猫たちは信じがたいことに、死ぬまで美形を保ち続けます》と書かれている。神秘的すぎて怖いな。《年を取るにつれ、体躯はさらに立派にふくよかになり、動作はゆるやかさと優雅さを増して、むしろ若いときよりも美しくなるくらい》と言われると、よけい怖いな。猫と暮らし続けて老女になった主人公は、自分の生命がつきたあとに猫たちが生き延びれば、惨い目にあうかもしれないと、猫を増やすのをやめた。猫たちを見送ってからでないと死ねない彼女は、葬儀会社と契約を結び、猫たちと一緒にはいることができる棺を選び、支払いをすませて死後の旅立ちを準備した。
 3Dシアターが話題の『大英博物館 ミイラと古代エジプト展』(神戸市立博物館/2007)を見にでかけたことが思い出された。猫のミイラは展示されていただろうか? シアターでは3D眼鏡をかけてヴァーチャル映像が楽しめたのだが、包帯をとくことなくCTスキャンデータとCGの組み合わせで見せられた3千年前のミイラの謎の解明には興奮はなかった。包帯巻きのミイラや、彩色された木製人形棺のほうが、最先端テクノロジーよりリアルで人気があった。
 独立不羈の威厳と媚態を備えている猫だが、わたしは子ども時代に秋田犬と手乗り文鳥を飼っただけで、猫はながめたり、話しかけたりするが、育てたことがない。性格などよくわからないのだ。おまけに喘息持ちなので、ふんわりとした毛にアレルギーがある。
 猫を飼っている友人の家でソファに座ると、人には容易に寄り付かないはずの猫から、とんとんと肩をたたかれたので驚いたことがある。振り向くと、ひょいと肩のうえに飛び乗り、すとんと膝の上に降りて来て気持ちよさそうに坐った。同類かとおもわれたのだろうか?
 
 

人 魚 姫

 アンデルセンの童話のなかでどれが一番好きかと問われると、迷わず「人魚姫」と答える読者は少なくないだろう。文芸誌「アピエ」21号(2013・4・3)のテーマは「アンデルセン」だが、執筆者のうち3人が「人魚姫」をとりあげ、発行人・金城静穂さんも「人魚姫」が好きなことから21号のテーマを決めたことが編集後記に書かれていた。この世の者とは思えない美しい歌声で、船乗りたちを水界に引きずりこむ人魚伝説。人魚の一族が棲むといい伝えがある南欧の海への憧れと怖れは、世界各地に姿を変えて語り継がれ物語が紡がれてきた。
 子ども時代から世界の不思議に熱中していた私は、人魚伝説は大好きな物語のひとつ。大人になってもこころの裡に人魚伝説をすまわせているが、それなどは人間の男に恋して足を得たために、「声」を失い、歩くと激痛に襲われるという、罰が身にしみるからだ。至高の詩を書きたいと望むと、それと等価なものを、詩のミューズに供物として捧げねばならないのと、同質ではないかと感じた。言語のシステムの向う側へと踏みこんでしまった詩人や作家が、どのような悲劇を内に引き寄せてしまうのか知っている。怖くて美しいミステリーゾーンの中心には、眠り姫ではなく人魚姫が棲んでいる。
 自然と人間の生と死のエロスがおりなすテキストは、海に囲まれた日本列島にも点在する。海の彼方への憧れがあれば陸の世界への憧れもあり、人魚を食べると不老不死になる八百比丘尼の民話は全国に分布されている。魂や肉体が滅びないという憧憬には、死にたくても死ねないという痛ましさがつきまとい、人間と人魚の関係は、淡いロマンと悲恋をかきたてる物語だけではなかった。
 人魚伝説を小説化した代表的な作品として谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」(1917)をあげたい。この大正時代の初期作品は、2年後に水島爾保布の装画20数点入りで『人魚の嘆き・魔術師』として春陽堂から単行本化。
《昔から人間が人魚に恋をしかけられれば、一人として命を全うする者はなく、いつとはなしに怪しい罠に陥り、身も魂も吸い取られて、何処へ行ったか人の知らぬ間に、幽霊の如くこの世から姿を消してしまうのです》
 人魚を捕獲して半年ばかりアジアの国々の港を遍歴していたオランダ商人の口上をきけば、誰も命をかけてまで人魚を手に入れたいとは思わない。だから商人は誰にも相手にされず、人魚とともに旅から旅へとさまよってきた。ところが、歓楽のためには巨万の富と若い生命をなげうとうとしている南京の貴公子の噂をきいた。地上の美味と美色に飽きて現実を離れた奇怪な美を求めていた東洋の貴公子と、人魚を売りたいさまよえる異人とが対面した。中公文庫1978年の解説では、中井英夫が「若き日本のワイルド」「美の殉教者」と呼んでいる。なるほど谷崎は、たっぷりどっぷり、毒ある美をおしげもなくふりまいている。
 貴公子が手に入れた玻璃製の水甕の裡に幽閉された水中の妖魔は、東洋人とは異なる白ルの肌をもち、永遠をみつめているような眼を持っていた。それまで欧羅巴は、鬼か蛇が棲む蛮族と想像した貴公子は、魂の辣震を覚え、《人間よりも人魚の種族に堕落したい》と一瞬にして恋に落ちた。文体はいっけん古くさく感じるが、魔術的な美とフェティシズムは、アニメーションでみたくなる。
 人間と人魚の関係が逆転するのは、安部公房「人魚伝」(1962年作/『日本幻想小説傑作集T』白水Uブックス/1985)だ。沈没船のなかに閉じ込められていた緑色の人魚を発見した主人公。人魚を船から救出し、アパートを借りて風呂場に棲まわせ、毎日牛肉を与えて飼育した。これも恋だ。ところが人間の彼が分裂しはじめた。寝ているときに人魚に喰われて、残った足首から人間が再生し、全体を回復し増殖しはじめたのだ。彼が人魚を飼育していたのではなく、彼が人魚の食肉用家畜だった。再生機能をもつ彼女の左右の眼をナイフで刺して致命傷をおわせ、ロマネスクな夢から覚めた。
 
(個人誌「Poetry Edging」25―2013年07月01日発行―より転載)
 

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。2011年5月に『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)を出版。

Web評論誌「コーラ」21号(2013.12.15)
「新・玩物草紙」猫は美形を保ったまま/人形姫(寺田 操)
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