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Web評論誌「コーラ」
20号(2013/08/15)

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ペンギン

 コカコーラの缶を投げるとペンギンに変身する。チェス盤から大きな泡がはじけるような音がしてコウモリが生まれる。シロナガスクジラのような銀色の生き物が川で泳ぐ。それらを作るマジックを起こす歯科医院につとめるお姉さんと、チェスの対戦相手である小学四年のアオヤマ君の物語が、森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』(角川文庫・2012・11・25)だ。こんな魅力的なコンビがいたらこの世は何と面白くなるだろう、降りつもる雪のなかに立つ幻のペンギンに挨拶してみた。
 発端は、駅から遠ざかるにつれて新しい街が拡がっていく郊外、どこにでもあるニュータウンでちょっとした事件が起きた。広々とした空き地のまんなかに、ペンギンがよちよちと歩きまわっているのを小学校へ通う子どもたちが発見した。遠い惑星から地球にやってきたばかりの宇宙生命体みたいなペンギンに、子どもたちは一列になって息を呑んでみつめた。住宅街のまんなかに出現したアデリー・ペンギンは、消えたかと思うとまた現われ、次々と街に異変がおこりはじめた。
 哲学者を目指す早熟な少年は、ペンギン出現仮説をノートに書いて研究するかたわら、不思議な能力を持つお姉さんも観察・研究している。世界の不思議に挑みかかるような少年の周囲には、海の研究をする同じクラスの少女はハマモトさん、アオヤマ君と街を探検して秘密地図を作ろうと行動をともにするウチダ君が集まり、秘密基地でそれぞれの独自の研究をしている。この3人組を追って出没するのが、いじめっ子コバヤシ君とその仲間。新しい街には、古い街とは違う隠された秘密や大人が気づかない未知の場所がある。少年たちがくりだす冒険譚そのものがペンギン・ハイウェイなのだ。
 ペンギンといえば、塚本邦雄《日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも》(『日本人霊歌』)の有名な一首が思いだされ、2012年の春に水族園から逃げ出してペンギンが捕獲された事件がよみがえる。ペンギンは、艶をなくした翼をたたみ、首をすくめたり伸ばしたりしながら檻のなかにいた。フラッシュをたくマスコミに向かって、ときどき鋭い眼光を向けて「せっかく自由を満喫していたのに、余計なことして」と怒っているようにも見えた。広い場所にでて自分で餌を探してきたペンギンが水族園に戻され、以前と同じ様に仲間と共に暮らしていけるのだろうかと心配するわたしに、ペンギンの独りごとが聞こえてきた。
《わたしは、体長60〜70センチの小さなフンボルト・ペンギン、あれは3月4日のことだった。ちょうど身長が伸び盛りで、葛西臨海水族園の人工岩を登ってみた。スムーズに登れたよ。次はフェンス超え、これも難なくクリアできた。一羽くらいペンギンが逃げても、しばらくは誰にもわからないはずだ。幸い誰もいなかったから、いつもより速度を速め、ひたすら本物の潮の匂いがする水辺へと向かって歩いた。海が見えたときは感激したよ、脱出成功だ。氷のある広い南極はここからどれくらいかかるのだろう。ヒト科の眼が動く昼間は草むらに身をひそめ、沿岸を走行する車の振動に耐え、夜になると野良犬がいないか確かめて水辺に降りて魚を捕った。夜景をみながらの豪華ディナーだ。水族園できまった時間に飼育係からもらう餌より、自分で獲った魚のほうがうまいにきまっているよね。気持ちのよい日は長くは続かなかった。捕獲された場所は、千葉県石川市の江戸川・行徳羽橋付近で、海沿いの隣県だ。ペンギン・ハイウェイは短かかったね。2ケ月半、魚食べ放題だったから栄養状態良好だし逃避行を続けたかったのに、どうしてみつかったのかというと、右翼に個体識別用の黄色の腕輪がはまっていたので、見つかってしまったんだ。》
 あれからフンボルト・ペンギンの噂をきかないが、きまった時間に我が家のベランダの下道を、お喋りしながら通園していく黄色い帽子をかぶったにぎやかなペンギンたち。もうすぐ卒園ですね。
 
 

ゴジラ

 「アレがやってくるまでの一週間、われわれ日本経済の中枢部に位置する大実業家が、目のまわるほど、いそがしかったのは言うまでもない」との書き出しから、これは経済界の動きか、それとも緊張極まる日本列島をとりまく諸問題かなどと、ついつい政情や経済の動きのことを「アレ」という抽象的な呼び名から想像してしまう。
 「アレ」とは、昭和34年7月『日本』発表の『「ゴジラ」の来る夜』(『ニセ札つかいの手記 武田泰淳異色短篇集』中公文庫所収/2012・8・25)だ。ゴジラの正体を見とどけた者はいない。目撃したはずの人々もいたはずだが、ゴジラを目にしたあと残らず死滅していた。目にみえないからアレは恐怖をあおり、上陸する前からブームや、パニックによる株の暴落をひきおこす。資本主義、社会主義、いずれの国家を問わず、自国以外の国へゴジラが早いこと上陸してくれればいいと切に願った。「ゴジラ如きモノは存在しない」と宣伝・教化すれば「存在するゾ」と思いたがるのが人の心理だ。それより他国にさきがけてゴジラ情報を発表したほうが、国内外に科学力を知らせることができると、所在も姿もつかめない「アレ」をめぐる神経戦術に拍車がかかった。経済界ではゴジラ対策が練られ、資本家と美人秘書・労組の指導者・天才的脱獄囚・戦闘的新興宗教の教祖・ゴジラ映画の有名女優などで、特攻隊が組織された。無人の国立病院に立てこもった彼らだが、恐怖に打ち勝つために服用した薬のため、眠っている間に互いに殺し合いはじめたサイエンス・フェクション。
 初代『ゴジラ』以後の特殊撮影の系譜を見直していると語るのは、渡辺玄英(「耳空・9」の後記/2012・10・25)だ。2012・12・28には「ゴジラがスパイクを置く」と、松井秀喜引退を伝えたニューヨーク・ポスト紙のニュースに驚いた。
 
 
(個人誌「Poetry Edging」24―2013年03月01日発行―より転載)
 

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。2011年5月に『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)を出版。

Web評論誌「コーラ」20号(2013.08.15)
「新・玩物草紙」ペンギン/ゴジラ(寺田 操)
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