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Web評論誌「コーラ」
05号(2008/08/15)

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■はじめに

 意識して挑発的に言わせてもらえば、「性取引」に関する「倫理」の問答に私は苛立つ。
 それはこの問いと答えが、日本社会では青鞜社以来繰り返されてきた近代的人権概念で性差別を撃つ議論をなぞるに留まっているばかりでなく、いまだに言説上でのみ繰り返される傾向が強いからである。そして、この、当事者と彼女たちを取り巻く具体的な状況をさておく言説製造の傾向は、性取引については近年他で弱まってきていることに照らせば(注i)、 相対的に日本語圏でとくに強いと思われるからである。このこと自体が、性労働にたずさわる人びとを日本の言説製造界が、学術研究分野であれ社会運動分野であれ、とくに軽視している、あるいは観察対象(ときに救済対象)としてしか扱っていない現状を表わし続けていると思われるからである。性産業における労働者も雇用者も客もふくむいわゆる「現場」の人びとの生活実践と乖離したまま、学究的、政治的、あるいはイデオロギー的に、「性取引」の「倫理」への問いと答えが、これを問題にする非当事者の自問自答として続いている限り、それはそこで働く当事者にとっては良くて無益、悪くて有害にしかならないことが問題なのである(注ii)
 「生身のセックスワーカーにただの一度も会ったことがないフェミニストが、私たちのしていることを、実際に何をしているかも知らずに、仕事か犯罪か決めつけるのはもうやめて欲しい」という発言は、洋の東西を問わず当事者が繰り返してきた発言だが(注iii)、 「個人的なことは政治的なこと」と認めるフェミニストの立場からこそ、あまりにも正当な言い分と言わざるを得ない。
 しかし、非当事者としてグローバル化した性取引を「研究対象」とする私自身、この自問自答から出発しており、10年以上を費やしてやっと当事者の現状に少しでも関係し、そこから発する議論の質と場を創り出すことに貢献しようと踏み出したばかりだ。非当事者が発言することも、すべてを否定するものではもちろんない(そんなことをしたらますます失業してしまう!)。
 非当事者が発言する意味はふたつ。ひとつは、個人的な、性にまつわる問題だからこそ、性取引に自ら関与しないまでも「自分のこと」として倫理的に考え、自分の属する社会全体の問題につなげること自体の意味。ふたつめは、当事者がおかれている立場に立たず、同じさしせまった課題、感情的な困難、不可視化や差別に対処する必要がないからこそ、その立場が社会構造との関係でどう構築されているのか見え、評価を下すことができることの意味。ギデンズが言うところの、社会学をする者に不可欠な「二重の解釈」そのものである(注iv)。現在の課題は、これらをいかにして当事者にとっての無益に終わらせず、有害になることを防ぐか、である。
 そこで改めて注目しなければならないのは、1990年代後半には日本社会においても、みずからを「セックスワーカー」であると定義し、性産業で生計を立てる労働者としての発言を、活字によっても対話によってもする人びとが現れたこと。そしてその頃を境に、性産業で働いている人びとを抽象的な「対象」としての人格でなく、具体的な「誰か」として実際に知っており、何らかの共同作業をする論者たちも現れた(注v)。この主の論者たちは、大学などに所属する研究者であれ社会運動の担い手であれ、倫理の問いを尻目にプラグマティックな活動へと乗り出していることが特徴的だ。その活動は、性労働者が性感染症予防をふくむリプロダクティブ・ヘルス・ライツを獲得することへの挑戦であったり、日常の労働環境を改善するための経営者との交渉や客の教育であったり、当事者による当事者のおかれた状況に関する社会調査への参加であったりする(注vi)
 私もその末席に加えさせてもらっていることに勇気を得て、本稿では、抽象的な倫理の問答に参加するかわりに、当事者への聞き取りと参加行動調査に基づいて、現在のグローバル化した性取引を次のような問題としてとらえ、考察する――グローバル性取引は、多くを女性が担うケア労働・再生産労働が、「新しい金」(後述)としてグローバルに取り引きされていることの一環である。そして、それは「女性の労働」であるがゆえに、アンペイド・ワークの範疇に多い「ケア・再生産労働」であるがゆえに、「正規労働」として扱われず、労働者に対する極端な搾取を生んでいることの中にある(注vii)。したがって本稿では、性にかかわるサーヴィスを提供して代償に金品を得ることを「性労働」ととらえ、その労働者を「セックスワーカー」ととらえる。また、聞き取りと参加行動調査の延長として私が緒についたところである、各国(主に日本、ドイツ、スウェーデン)の「売買春」関連諸政策とそれぞれの当事者への影響も考察する。

■ケア(ニーズ対応)労働としての「セックスワーク」

 私が特に課題としてきたのは、国境を越える移住を経て性労働にたずさわる女性のライフ・ストーリーの聞き取りと、この問題に関する社会運動に参加しながらこれを行うことである。
 いわゆる「移住の女性化」は、東アジア・東南アジアの文脈では1980年代後半にめだって指摘されるようになった。その背後には、国境を越える女性の実数が増加したことに加えて、国際移住労働をあつかう学術分野に批判的ジェンダー分析が採用され始めた事情がある。『感情労働』の概念を創設したアーリー・ホックシールドの表現を借りれば、この頃から、女性によって担われることの多い労働は、第三世界からかつての第一世界に輸出される「新しい金」として注目の交易対象となってきたのである(注viii)
 しかしこのことは、女性の移住労働が、公的な指標においてそれまで不可視化されていたことを示唆している。さらに、公的な労働統計に表れるのが正規の労働契約を結んだ労働者のみであることから、いわゆる非正規移住労働者の実態を把握する指標は今も存在しない。つまり、女性の非正規移住労働者は、かつて二重に不可視化されており、今でも不可視化されているといえる。
 ここで避けられないのが、女性の性サーヴィスを売ることは「労働」か、という根本的な問いだろう。これを労働ととらえるか何らかの不法/脱法行為または人権侵害ととらえるか(あるいは「場合による」ととらえるか)、さらに、性をサーヴィスとして他の労働の場合と同じように人格から切り離して売ることができるか否かの議論は、女性学、ジェンダー・スタディーズ、および関連社会運動の場を中心に、さまざまな国で、長く繰り広げられてきた。前述のとおり、その詳細を繰り返すのは本稿の目的ではないが、両論が指摘する国内外の性取引に共通する特徴を紹介しておこう。
 まず、女性の性サーヴィスを売ることが「労働」である(性をサーヴィスとして売ることが可能である)とする根拠を、他者へのケアと、公に(法制度的に)認知された性と再生産の現場である婚姻関係との対比で例示したい。

「伝統的」ケアをになう性労働
 その程度は文化によって違うだろうことが指摘されているものの、「伝統的」と呼ぶことができるような、すなわちそれが金品目的で行われたのでなければ、「世話をやく」、「めんどうを見る」などと表現できるような他者に対するケアを、性労働者は提供することがある(注ix)
 たとえば「セラピー」に類似する行為である。具体的には、客の性や性関係に関する悩みを聞き、必要ならば性行為を通じて彼に自信をつけ、慰め、ストレスを解消し、あるいは解決策を探る。東京でも「最近増えてきている」と聞く「添い寝サーヴィス」は(注x)、性サーヴィスにおける「セラピー」要素のもっとも端的な実現といえるだろう。つまり、「性や性関係に関する悩み相談を受け」「解決策を探り」「ストレスを解消する」だけなら、それに性行為が付随しなければ、臨床心理士の仕事にもなるが、臨床心理士はそのような一種の幼児期への退行がクライアントに必要であると理解しても、自ら添い寝を提供することはないだろう。商行為の範疇でその「一線を越える」ことができるのは現在のところ性労働者だけであり、しかも直接的な性行為はしないことがこれを「添い寝サーヴィス」として独立した「分野」にしているからには、このときの性労働者にはいわゆる性行為は求められていない。まさにセラピー様の、朝まで話す、じっと抱きしめている、などをふくむ「添い寝」が求められ提供されているのである(注xi)
 この心理的ケアの側面は、性労働者に「セックスそのもの」が求められている場合にも一定の割合を占めていることは想像に難くない。「性は性器的欲求に還元されるものではなく、他者との関係において形成される」ものだとしたら(注xii)、性的サーヴィスとして求められるものも提供されるものも、これを反映する幅の広いもののはずなのである。

婚姻関係内のケアとしての性関係の対
 性関係とともにあるケアと再生産を法制度によって担保するのが婚姻だが、婚姻から、または婚姻を結果する関係から外れ、あるいはこれら恒常的な、相手に対する義務や責任を発生させるような関係をもたない人びとの、同様の性的ニーズを担保するのが商業的性サーヴィスである。結婚(あるいはその類似と社会的に認知された関係)ができない人、しない人、そして結婚していてもいわゆる「外食」を楽しみたい人のニーズがそこには前提されている。言うまでもなく、このニーズには前項の「セラピー的ケア」のニーズと重なる部分も大きい。
 たとえば、オランダのアムステルダムでの「事件」として、1992年と2002年に一度づつ、身体障碍のある男性が、自治体または国を相手に、性サーヴィスを享受するための公的資金援助を訴えて裁判を起こし、勝訴したことが英語報道されている(注xiii)。 他者との性的な接触によって欲求を満たすことは人間のもっとも基本的ニーズのひとつであり、結婚が難しく、その他の性関係を結ぶことも「健常者」と比較して困難な障碍者には、他の福祉的援助を得ることと同様に性サーヴィスを受けるための援助を受ける権利がある、ということが認められたためだ。ちなみに、この場合、性サーヴィスを提供する人は「セックスワーカー」ではなく、第三者にも援助の側面を伝えるためか、「セクシュアル・エイド・ワーカー」と呼ばれている。

労働者にとってのニーズ対応
 一方、労働する側にとっても、性労働は他のさまざまな労働と同じく、そのニーズに対応するものとしてとらえることができる。
 性労働はとくに女性に開かれている。このことは、女性が十分な生活賃金を得るだけの就業機会がいまだに限られていることの裏返しといえるが、それにしても、自分が必要なとき、現実に手に入る収入源があることは、それ自体経済的自律の第一歩である。たとえば、男性20%弱に対して50%以上の女性労働者がパート・アルバイト他不安定雇用・非正規雇用にあり、平均して女性が男性の7割弱の給与しか得ていない日本の場合(注xiv)、日払いかつ学歴に関係のない高給を可能にする性産業の求人が、必要とされる度合いが低まる理由は見あたらない。
 より明るい側面として当事者が口にする性労働への参入理由は、仕事がフレキシブルであり、自分のライフスタイルに合うということと、そのような仕事のなかで「割が良い」ということである。貧困度などをふくむもともとの社会資源へのアクセスにグローバルな格差がある以上、これによって、性産業の中で就くことのできる仕事の労働条件も左右される。しかし、比較的労働条件の良いところで働いている人びとは、客との関係もふくむ仕事場での人間関係の良さを、この仕事を続ける理由にあげる傾向がある。そのような好循環に恵まれれば、学費を払うため、留学資金や開業資金をためるため、社会運動につかう時間を確保するため、シングルマザーとして子育てと両立するため、仕送りのため、といった目標も達成感をもって語られる傾向がある(注xv)

■不法/脱法行為としての「売買春」

 では、性サーヴィスを売り買いすることは、どのような条件で不法行為、犯罪あるいは人権侵害としての性取引と考えられるのだろうか。

ジェンダー不平等 = 男性客と女性提供者アンバランス
 長年にわたってフェミニストとその支持者たちがもっとも問題にしてきたのは、性取引が客である男性が「売る側」である女性の性と身体へのアクセスを手にする契約であり、その契約の間、当の女性には客に「否」を言う選択肢が奪われており、それらの不平等契約が女性の男性への従属に基づいており翻ってこれを強化することであった。
 数で見ても、タイ公衆衛生省感染症局の見積もりでは男女の性労働従事者比は1対33(注xvi)。あるドイツでの見積もりでは、同男女およびトランス・ジェンダー比は3対93対4(注xvii)。女性が圧倒的に「売る側」におかれていることは間違えなさそうだ。そしておそらく、このほとんどが男性異性愛客を対象としていることだろう。

階級不平等 = 貧困・教育機会原因
 また、前述した社会資源のアクセスの良し悪しは、ジェンダーばかりでなく階級的要素に大きく依拠している。私が聞き取りをしたタイ人(元)セックスワーカー22人のうち18人が貧困層の出身だった。日本などいわゆる「先進」工業国の国内労働者ではこの傾向が減少すると思われるものの、その日本へ、より高額な賃金が手に入る可能性を求めて働きに来る移住労働がいることを見れば、「北西」に客が偏り「南東」にサーヴィス提供者が偏る、グローバルな経済格差の不平等性を問わないわけにはいかない(注xviii)
 そして経済格差は、国内外ともで教育機会の格差を生み、とくに急激な産業構造の転換を遂げつつある「新興工業国」で、この変化に適応する技術を身につける機会を逸することになれば、この人びとのグローバル経済化での立場はますます弱くなる。公的な学歴を問わない非正規セクター、ことに性産業には、この層の人びとがより参入しやすいといえる。

複合差別:暴力、支配、搾取の要因
 さらに、「知的」障碍をもつ人びとが、性産業で生計を立て、そのなかで「健常者」に搾取や虐待を受けるケース、出身家族関係における暴力や虐待から逃れた人びとが、性産業に身を寄せるケースが報告されることは珍しくない。総合的に見て、「女性差別」というよりも、複合的な差別を受けやすい立場にある人が、性産業の中での暴力、支配、搾取の危険により晒されやすいといえる。
 なお、「性売買」が他の感情労働等と違う契機として、性的行為自体がその特性として受身の相手への暴力になる可能性をはらんでいることと、貨幣が「相手の感覚に応じて行為を制御しあう」ような配慮を「省略する機能を有している」ことを根拠に、「性的行為が貨幣によって媒介されること自体に、性暴力の危険性が内包されている」と堀田義太郎は論じる。ここから、「買い手の能動性」と「売り手の受動性」という関係を「制御する方法」を探り、(1)「個々の具体的な諸行為に関して峻別して明示し、買い手の責任として遵守させる」ことや、(2)「『買い手』を『免許制』として定期的に講習を受けさせるべきだ、という瀬地山角の提案」を支持する点、私は堀田に共感する(注xix)。けれども堀田の論理は、第一に、(1)はすでに当のワーカーたちにとっては日常的な実践事項であることと、これを彼女たちが労働者の安全衛生問題として追求することを難しくしているのが、他でもない不法化状態と、「性産業に従事する女性は客の男性に対して必然的に受身である」という思い込みを含む社会的偏見であることを見逃している(注xx)。第二に、そしてより根本的な問題として、ではなぜ結婚なら商業的「性売買」に比べて暴力が起きにくいといえるのか、の疑問に堀田の論理は答えてはくれない。
 性的な関係が肉体的・精神的暴力に転化しやすいことは、貨幣の直接的媒介を待つまでもなく、ドメスティック・ヴァオレンスが(定義上)親密・不平等・金銭を介さない関係の中でこそ起こることからも明らかな問題である。さらに婚姻は、堀田の論理に倣えばこそ、上記のように男女間の経済格差、雇用機会の不均等が著しい日本他において、また、国境を越える形で経済的な上昇志向から結婚する女性が多いことが想像に難くないとすれば、金品のやり取りが一回一回の性行為自体に付随するものでなくても、より巧妙な形で、「愛」と「世間が認める」美名の下に、多数の異性愛者が疑問を持つこともないように、暴力が振るわれる契機を制度的に確立しているのではあるまいか。
 少なくとも一回一回の性行為でみずからの収入を得、特定の男から独立した生計を立てることができる分だけ、また、特定の男に感情的な束縛を感じることと経済的な保証を独立させることができる分だけ、セックスワーカーの方が暴力夫から逃れられない非セックスワーカーよりも、性関係に付随する暴力から逃れる可能性は高いように思われる――これも、ワーカーの発言としてすでに数多く記録されていることでもある(注xxi)
 性労働や産業全体に他より激しい搾取や暴力が起こりやすいとしても、これが犯罪化、不法化され、非正規化、地下化していることの原因ではなく結果であるという議論はつきない。不平等が仕事と賃金が必要な人びとを性産業へ促すとしたら、不法性、犯罪性、人権の侵害が性産業と密接に結びついている、ということは間違えではないが、前述したように、性労働はこのような現に不平等な世界において、差別される側におかれた者が経済的自律を確保するための数少ない道の一本でもありえるのだ。

■性「労働」の認知 = 現行諸不平等の固定化?

 金品と交換する性サーヴィスの提供を「労働」と認めることは、その経済と市場を安定化させ、結果として現存する複合的な差別と不平等を温存あるいは強化することにならないか、男性と女性のセクシュアリティを、ジェンダー不平等の前提のまま再生産し続けるのではないか、という懸念も、性取引を根絶させようとする運動や論理を支えてきた(注xxii)
 一方、これを労働と認め、当事者の「経済的自律を確保する道」として非犯罪化することは、いわば「当事者が参加する内部からの変革」をしやすくする意図をもった論であって、次世代の、具体的には今セックスワークをする人が育てる子どもたちの生活の質を高めるためにも必要だろう、という希望が、セックスワーカーの「労働権」を求める運動や論理に結びついてきた(注xxiii)。ここには、何人も(ジェンダー他)権力関係の外側に立てないという前提で、つまり当事者に必要なことは他の誰かが運び込むのでなく、当事者自身が今手に入る経済的文化的資源を利用しつつ、権力関係を徐々に変化させていく過程で得られれば良いという現実主義がある。

■取り締まり強化・合法化 動向

 考え方の枠組みをとらえたところで、ここからは、それが近年の国家レベルの政策にどう反映されているか、主に日本、ドイツ、スウェーデンの例から動向を見よう。概観では、「売買春」の取り締まりを強化する方向と、「売買春」をすでに「売買春」(prostitution)と呼ぶこともなく、性労働として合法化する方向があり、国際的に見てこのどちらがより優勢だということもできない現状である。
 前者には、日本、韓国、イギリス、スウェーデンなどの動向が入っている。日本については後に詳しく述べるが、2005年を境に、売春防止法に基づいて元来違法と解釈されている直接性交とその勧誘について、および風俗営業法に基づいて元来合法だった性産業の分野について、取り締まりを強化することになっている。韓国も、2004年に「性売買特別法」を制定し、日本同様、性産業全体に対する取り締まり強化がすすんでいると言われるが、これも日本同様、国境を越える人身取引への取り締まりの帰結である。韓国政府の努力が功を奏して、米国務省が毎年発行し、その評価がさまざまな国の政策に影響を与えている『人身取引報告書』2007年版は、韓国を「人身取引根絶のための努力規準を満たしている」第1ランクに位置づけている(注xxiv)
 ヨーロッパに目を転じると、イギリスでやはり人身取引の取り締まりを強化する目的から、そもそも他者に「売春」をさせるのでなく、公共の場でそのような行為を行うのでない限り、不法と規定していない金品を代償とする性行為自体を不法とする動きが始まった。2002年には、「売春従事者」の定義を明文化するなど、の法改正を行っている(注xxv)。これも後述するスウェーデンについては、やはり明確な性取引の犯罪規定がなかったところから、世界で初めて「買う側」のみを違法にしている。なお、スウェーデンの1999年版新政策は、国際的な人身取引禁止に向けた潮流に策定時点では影響を受けていない。

合法化
 後者の、性労働合法化の方向の代表には、オランダ、ドイツがある。オランダは、昨年12月のロイター通信配信のインターネット報道によれば、アムステルダム政府が、無免許営業をしている店舗や個人営業を処罰することを明らかにした。しかしそれまでは、個人営業は非犯罪・勧誘や第三者を利用することは禁止されていた状況を2000年に改正後、地方政府から免許を受け労働法規を遵守する店舗を合法とするようになっていた(注xxvi)。先に見た、障碍者の人権保障の一環として、性サーヴィスを受けることを政府が援助することは、2002年には、6年の裁判を闘って月間100ユーロを得るようになった男性のケースでメディアに登場している。
 ドイツでは、2001年に、第二次大戦中から残っていた「売春婦」に対する登録と検診の義務が廃止される一方、モラルに反する「売買春」の助長を禁止する条項もなくなり、店舗と個人の免許登録制がより労働者に使いやすいものとなったともいわれる。しかし、やはり人身取引禁止の流れで、2007年の法改正で性産業全体に対して若干の取り締まり強化が行われるようになった(注xxvii)
 合法化の検討を国の政府が明らかにしているのはタイである。ちょうど私がフィールドワークをしていた2003年の12月には、フェミニスト研究者や性労働者支援団体、関係当局、当事者の間で、賛否両論が巻き起こっていた。政府の発案は、主に税収目的だったといわれているものの、主要な支援団体(たとえばEMPOWER)は、当事者の意見が少しでも反映されるよう、合法化の方向のテーブルについている(注xxviii)

■人身取引禁止との関係:日本

 日本では、2005年、「国連越境組織犯罪防止条約・人身取引禁止議定書」批准に向けた主要な法改正があり、これが結果として性産業全体の取り締まり強化に結びついている。
 改正の要点は刑法の中に「人身取引罪」を創設し、前述の通り、歴史業初めて海外から国内への移動をともなう人の売買を禁止し罰則を設けた。一方、人身取引の被害者保護の目的から、出入国管理及び難民認定法では、売春防止法や風俗営業法違反で逮捕された人でも、被害者と認定されれば強制送還されないこととなった。
 風俗営業法は新たに、雇用者に外国人就業者の査証検査を義務づけ、店舗は、法改正後改めて営業届出を必要とすることになったため、査証なしでいわゆる「不法就労」していた人びとの減少と店舗の閉鎖を呼んだ。警察の法運用面で、立ち入り捜査が拡大し、摘発も増加。客引きや広告の禁止条項によって性産業全体が表向き沈静化した(注xxix)

現場で働く人びとへの弊害
 しかし、移住者で、客観的にも主観的にも「人身取引の犠牲者」と規定する/されることなく、現場で「働く」人びとへの弊害が見られることが明らかになってきた。私も関係している、SWASH(Sex Work and Sexual Health)という性労働者と元性労働者および支援からなるアドボカシー団体による、2006年以来の対面アンケート調査などがその根拠である。
 特質として、「選択肢の下方限定」(あるいは平均的な労働条件の低下)と「当事者ネットワークの喪失」が起こりやすくなったことがあげられる(注xxx)
 従来、当事者の間で外国人労働者に理解があると評判でヴィザの種類などは「大目に見ていた」店は、営業できなくなるか、その前に、滞在や労働可能なヴィザをもった外国人以外は雇用しなくなった。たとえばSWASHメンバーが都内で聞き取りをした中国人ワーカー20人は、全員が配偶者ヴィザや学生ヴィザなどをもち、日本滞在自体は合法的にしていた。しかし、当事者で、性サーヴィスを提供する各種の場所やそこで働く人びとの数が実際に減ったと考える人はいなかった。「まともな店」がなくなるか引っ越すと、「船(船員相手)に回される」などの噂が立つというが、これも荒唐無稽な話ではなく、暴力被害にあった女性を援助するシェルターの職員に聞けば、そのような経験、しかも以前より長期にわたる虐待から逃げてきた人の証言が増えているという。
 店舗が必要ない、いわゆる「ネット系」や「デリバリー」が増え、勤めを決める前に広告で店の条件をある程度比較できることもなくなった。客の部屋でいきなり二人きりになる形態のサーヴィスは、当事者にも風俗ライターなどにも危険視されており、働き始めなければ条件が分からないことが働く側を不利にするのは誰の目にも明らかだ。
 一般的に、店も労働者も摘発を恐れて外部との接触をより避けるようになっており、店と人の入れ替わりも激しくなっている。つまり、一度築いた同僚や経営者、あるいはSWASHのような支援団体とのネットワークが失われてしまう可能性が高くなっている。
 そしてこのふたつの特質――「労働条件の低下」と「ネットワークの喪失」――は、私が、自発的で充実した「セックスワーク」を経験した人も管理者を殺害して逃げなければならないほどの「奴隷状態」を経験した人もふくむ、タイ人(元)性労働の聞き取りから導き出した、「奴隷状態へ向かう条件」と同じなのである(注xxxi)

■ドイツ

 ドイツの状況は、日本とまったく異なっている。
 「モラルに反する行為」から「労働」へ、関連政策の基盤である性労働をめぐる認識論が、2001年を境に転換したのである。具体的には、性サーヴィスの提供を職業として年金、保険といった国家社会保障制度に加入できるよう法改正が行われ、他方で、店舗の経営者が斡旋の罪などに問われなくなり、したがって、コンドームなどを店が経費で用意するようになった。そして当事者は、ワーカーを名乗るか、その範疇でも「自営」になるか「被雇用者」になるか、選ぶことができるようになった。「緑の党」のイニシアティブでこの法律は成立したのだが、成立後は、サーヴィス業労働組合連合団体Verdiが、性労働者の組織化を図っている。しかしながら、国法と州法で性労働の位置づけが違う、社会的スティグマが変わらない限り「労働者」としてカムアウトすればかえってレッテルが貼られるだけで、権利を享受することは難しい、キリスト教右派を中心に、つねに合法化を脅かす勢力があるなど、当事者にとって「普通の労働者」になるための障壁は高いという。
 また、これは日本と同様、人身取引禁止政策の一環で、2007年には合法のなかにも取り締まりの要素が強くなる法改正が行われた。その基本は、女性がSWを離れることに対する支援であり、そのためのプログラム等へ政府資金が準備された。スウェーデン・モデルを踏襲する「買春のみ違法化」をめざす政治勢力も、人身取引と一緒に性取引全体を禁止したい勢力もある。そのような状況下で、営業許可に対する警察の管理強化や、2001年にも変わらなかったEU外からの移住者規制はますます厳しくなっている。なお、支援団体の調べによれば、ドイツ国内のセックスワーカーのうち60%がEU外国籍という。当事者団体・支援団体が、国籍を超えた連帯を模索している(注xxxii)

■スウェーデン

 スウェーデンでは1999年の「買春のみ違法化」を受けて、すでにこの政策実践の評価が複数の母体によって実施されている。違法化された「買春」が成立する条件は、(1)対価をともなう、(2)セックスを得るため、(3)ゆきずりの関係である、(4)性関係をともなう、(5)他の刑罰にあたらない、であった。英語の要約版が、広く公開されている、2000年の「司法警察省・スウェーデンとオランダにおける性的サーヴィスの購入」 報告書を元に概観しよう。他にスウェーデン語で報告書を出しているのは、The National Council for Crime Prevention, The National Board of Health and WelfareおよびThe National Police Boardである。
 2003年までに大都市の街娼の逮捕数は微減、客の逮捕数は激減、そして人身取引関係の摘発は増加している。これらから、法改正直後には多く見られた客の逮捕はあまりなくなる一方、違法とされないはずのワーカーの側の逮捕は、公序良俗を乱すと考えられている街娼を中心に、あまり減っていないこと(確認された街娼の数は平均で法改正以前から41%減っている)(注xxxiii)

評 価
 (1)全体に「売買春」が減ったとは言えないこと、(2)隠れた「売買春」は増えているかもしれないことの指摘は、日本の取り締まり強化後と共通して興味深い。
 また「新しい問題」として、(1)客が減って競争が増加単価は低下、(2)危険な客の相対的増加という、主に街娼にとっての困難が大きくなっていること、(3)STDの心配増加、(4)非合法となり、たとえば雇用者との間で暴力がふるわれた場合、それまで得られていた客の証言が得られなくなっている。また、ワーカーの側にも、捜査、裁判過程におけるプライバシー侵害が起こる。

■おわりに――現場 vs 公の言説

 自ら肉体を使って財を生み出す、あるいは金を稼ぐ必要のあることが、ほとんどの「労働者」の定義である。性行為だけをそこから取り出し、特別視することにどれだけの意味があるだろう。あるいは、その性行為の「意味」が、その人、そのとき、その場の必要性とコンテクストに開かれている「普通の」人びとの日常と、公の規範に沿った言説や、これと真っ向対立する言説のなかにあるものとでは、おそらくまったく違っている。前者が、聞き取りやアウトリーチといった公的記録とはことなる「資料」に依拠するものであるのに対して、後者は、婚姻という契約を中心とした「正統な」性関係を主張したり、これとの対立を存在意義とする。そして後者は結局、社会構造によってその立場におかれた性労働当時者にも、まったく違う状況と立場にある自分たちを標準モデルとしてつくり出された公的規範をあてはめようとする。そして、意識せずとも、結果として、性取引に従事する女性を社会的に弱い立場にすえおく。
 そうではなく、彼女たち自身が中心になって現状を変える方向へ向かえるよう、移住労働の、同時に性労働の不法化、準犯罪化、地下化を防ぎ、公の性取引にかんする認識を、「公のケア労働の一部」とすることを、徐々に徐々に、実現していくことはできないだろうか。


★注★
i 北西南ヨーロッパとタイ、アメリカには当事者に対する聞き取りを中心としたセックスワークに関する実証研究と実証に基づいた論説の伝統がある。たとえばCampbell, Rosie and O'Neill, Maggie (2006) Sex Work Now, Willan Publications, Devon; Delacoste, Frederique and Alexander, Priscilla eds. (1987) Sex Work: Writings by Women in the Sex Industry, Virago, London; McKeganey, Neil and Barnard, Marina (1996) Sex Work on the Streets: Prostitution and Their Clients, Open University Press, Philadelphia; Sanders, Teela (2005) Sex Work: A Risky Business, Willan Publishing, Davon; Suporn Koetsawang and Ford , Nicolas (1997) A Self-Esteem and Personal Future: Focused Intervention Programme to Promote Condom Use by Female Sex Workers in Thailand, Institute for Population and Social Research, Mahidol University, Thailand; Weitzer, Ronald John ed. (1999) Sex for Sale: Prostitution, Pornography, and the Sex Industry, Routledge, London。

ii 松沢呉一編(2000)『売る売らないはワタシが決める』ポット出版、水島希(2005)「セックスワーカーの運動――それでも現場はまわっている」姫岡・池内・中川・岡野編『労働のジェンダー化――ゆらぐ労働とアイデンティティ』平凡社:129−153、桃川モモコ(1997)「セックスワーカーから見たピル」インパクション105号:53−61 参照。

iii たとえば、250人のセックスワーカーを集めたワーカー自身による連帯と権利獲得運動の国際集会、Forum XXX 2005: Celebrating a Decade of Action, Designing our Future, A Sex Worker Rendez-Vous, Montreal, Canada, May 18-22nd DVD記録参照(ウェブサイトはhttp://www.chezstella.org/stella/?q=en/buts)。

iv Giddens, Anthony (1984/2001) The Construction of Society: Outline of the Theory of Structuration, Polity Press, Cambridge: xxxv, 284

v 類似の倫理学上の論考として、中絶や尊厳死問題を具体的課題に、あらゆる生命を無条件に肯定するような「生命倫理」の抽象性を批判する加藤秀一(2007)『<個>からはじめる生命論』(NHKブックス)を挙げておきたい。「重要なのは、倫理を顧みずに生政治を求めることではなく(略)、対抗的な生政治のために武器としての倫理を鍛えることでしかありえない」(上記209)と、現状の権力関係のなかで「使える」生命倫理論を唱える加藤はさらに、「倫理にとって重要なのは『生命』でも『いのち』でもない。そうではなくて、私たちが互いに呼びかけあうとき、あるいは呼びかけようとするときに、その呼びかけが差し向けられるべき点としての<誰か>であ」る、とその権力関係が現実の人間関係との関係で考察されるべきと訴える(同29)。

vi 上記脚注iiのほか、要由紀子・水島希(2005)『風俗嬢意識調査――126人の職業意識』ポット出版、東優子主任研究(2007)『日本の性娯楽施設・産業に係わる人々への支援・予防対策の開発に関する学際的研究』厚生労働科学研究費補助金エイズ対策研究事業・平成18年度総括分担研究報告書、O'Neill, Maggie, and Scoular, Jane (2006) Living And Working in Areas of Street Sex Work: From Conflict to Coexistence, Policy Press, London 参照。

vii 青山薫(2007)『「セックスワーカー」とは誰か――移住・性労働・人身取引の経験と構造』大月書店、Aoyama, Kaoru (2009, forthcoming) 'Migrant Women in Japan's Sex Industry' in Fuji-mura-Fanslow, K ed. Japanese Women (2nd Edition), New York City University Press, New York 参照。

viii Hochschild, Arlie Russell (2002) 'Love and Gold' in Ehrenreich, B. and Hochschild, A. R. eds. Global Woman: Nannies, Maids and Sex Workers in the New Economy, Granta Books, London 参照。

ix 上記脚注i、ii、iii、vi参照。

x セックスワーカーと元セックスワーカーおよび支援者からなるセックスワーカーのためのアドヴォカシーグループSWASH(Sex Work and Sexual Health:http://swash.sakura.ne.jp/)のメンバー談。

xi Lever, Janet and Dolnick, Deanne (2002) 'Clients and Call Girls: Seeking Sex and Intimacy' in Weitzer, R. ed. にも同様の例。

xii 樫村愛子(2006)「ジェンダーと精神分析」江原・山崎編『ジェンダーと社会理論』有斐閣所収:112

xiii  Wijers-Hasegawa, Yumi, Sexual Needs of Disabled Draw Attention, The Japan Times, March 16, 2002: http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20020316b4.html; Stalk, Jeffrey, At Issue in the Netherlands: Is Sex for the Disabled a Right?, International Herald Tribune, August 4, 1992: http://www.iht.com/articles/1992/08/04/sex_.php

xiv 閣府『平成20年版男女共同参画白書』:77-79, 83

xv 青山前掲書1章参照。

xvi Psuk Phongpaichit, et. al (1998/2002) Guns, Girls, Gambling, Ganja: Thailand's Illegal Economy and Public Policy, Silkworm books, Chiangmai: 197-202

xvii TAMPEP (European Network for HIV/STI Prevention and Health Promotion among Migrant Sex Workers) (2007) National Report on HIV and Sex Work: Germany, Amnesty for Women, Hamburg: 6

xviii 青山前掲書および要・水島前掲書(17)参照。

xix 堀田義太郎(2007)「性売買と性暴力――身体性の交換と自己決定の限界」『女性・戦争・人権』8号所収:120−121:http://www.arsvi.com/2000/0706hy.htm

xx 松沢編前掲書、要・水島前掲書参照。

xxi  上記脚注i、ii、iii、vi、xi参照。リチャード・ドレイファス監督の映画『ナッツ』(1988)(ワーナー)でも、バーブラ・ストライサンド演ずる「娼婦」が同様の台詞でみずからの「正常さ」を主張する。タイトルのNutsはスラングで「精神異常者」を意味し、この映画では、近親姦に晒された生育暦をもち殺人を犯した主役の「娼婦」に貼られたレッテルである。彼女は最終的にこの主張によって、責任能力を回避して罪を軽くする弁護戦略を拒否するのだ。

xxii 杉田聡(1999)『男権主義的セクシュアリティ――ポルノ・買売春擁護論批判』青木書店、キャサリン・A. マッキノン(2003)『キャサリン・マッキノンと語る――ポルノグラフィと売買春』不磨書房 参照。

xxiii 上記脚注iii参照。

xxiv Republic of Korea, Country Narrative in US Department of State (2007) Trafficking in Persons Report: http://www.state.gov/g/tip/rls/tiprpt/2007/82806.htm

xxv Hubbard, Phil (2006) 'Out of Touch and Out of Time? The Contemporary Policing of Sex Work' in Campbell and O’Neill参照。新聞報道では、Doward, Jamie, Prostitutes Face Jail under Tougher Law, The Observer, August 12, 2007: http://www.guardian.co.uk/uk/2007/aug/12/ukcrime.immigrationpolicy

xxvi Thomasson, Emma, Amsterdam to Clean up "Red Light" District, Reuters, Dec 17, 2007: http://www.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idUSEIC76462920071217

xxvii 上記脚注 xxvii 参照。

xxviii Virada Somswasdi (2004) 'Legalization of Prostitution in Thailand: A Challenge to Feminism and Societal Conscience' in Cornell Law School Cornell Law School Berger International Speaker Series: http://lsr.nellco.org/cgi/viewcontent.cgi?article=1002&context=cornell/bissおよび青山前掲書序章参照。

xxix Aoyama, Kaoru (2007) 'Beyond Fixed Identification of "Victim" or "Criminal": A New Look at the Debate on Sexual Slavery and Sex Work' in Tsujimura, M. and Yano E. eds. Gender and Law in Japan, Tohoku Uni-versity Press, Sendai: 99-118 参照。

xxx SWASH (2007) A Report presented at Sex Workers' Workshop, Organised by Ziteng and funded by TEMERP (European Network for HIV/STD Prevention and Health Promotion among Migrant Sex Workers), May 2007, Hong Kong

xxxi 青山前掲書1章参照。

xxxii 上記脚注 xxxii 参照。

xxxiii Working Group on the Legal Regulation of the Purchase of Sexual Services(2004)Purchasing Sexual Services in Sweden and the Netherlands: Legal Regulation and Experiences (an Abbreviated English Version), Ministry of Justice and the Police, Purchasing Sexual Services in Sweden and the Netherlands参照。セックスワーカー団体によるスウェーデンの買春取締り法に対する批判的資料集はhttp://www.bayswan.org/swed/swed_index.html


★プロフィール★
青山 薫(あおやま・かおる)1962年生まれ。ピープルズ・プラン研究所共同代表、国立女性教育会館客員研究員、東京外国語大ほか非常勤講師。ウォーリック大学ジェンダーと国際開発修士課程修了。エセックス大学社会学部博士課程修了。移住労働と性労働の分野で、実証的研究への構造化論の応用を追求。主著に、『「セックスワーカー」とは誰か――移住・性労働・人身取引の経験と構造』(大月書店、2007年)、Thai Migrant Sex Workers from Modernisation to Globalisation(仮題),Palgrave/Macmillan(近刊)。おもな論文として、「フェミニスト・プラグラマティズムで提案するセックスワーカーの権利運動と人身売買被害者保護運動の間の架橋」(『インパクション』2006年10月号)、など。

Web評論誌「コーラ」05号(2008.08.15)
〈倫理の現在形〉第5回<グローバル化した「性取引」にまつわる「倫理」と実証研究:誰がなぜ「それ」を「悪い」と言うのか>青山 薫
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