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0.前口上
「どこにもない場所=無可有の里」「酔人の語らい」「荘子的世界」という設定、<現実>との距離を置くことで、逆説的に<情況>を照らし出すという手法によって本書は政治哲学を展開するSF( speculative fiction)とも言えると思うのだが、そのことによって本書の射程は現在まで届いているようだ。
それは本書の書かれた当時の情況や兆民の意図も超えて、さまざまな読まれ方の可能性を生み出す。それはまた読み手の立ち位置や読解の深度を映し出す効果もあるように思える。
高澤秀次は、酔人による夜を徹しての天下国家を論じるという作品の構成には構成以上の隠された意図がある。それは当時の民権と国権のイデオロギーを同時にパロディ化してみせること、つまり問答形式の採用は政治的二項対立の無効を告知するための仕掛けではなかったのかという見方をする(が、その視点はすでに竹内好が「日本のアジア主義」において示唆していた)。
そして折衷的で曖昧な「南海先生」の態度こそが、西欧の論理に同調でも反発でもない第三の道を、意見ではなく「態度」として示している。それはナショナリズムとインターナショナリズムを包摂した、第三の道の可能性=「風の抵抗」であった(剣に対する風=「我れ其れ風と為らん哉」を唱える西洋紳士君、p14・原文p122)。ここに兆民の可能性の中心が凝縮されている。そしてこの思想の流儀を継承したのが、竹内好であったとつないでいる(「その後の「三酔人」――中江兆民から竹内好へ」、井田進也編『兆民をひらく――明治近代の<夢>を求めて』所収)。
また米原謙は自著『近代日本のアイデンティティと政治』(ミネルバ書房)や井田進也編『兆民をひらく――明治近代の<夢>を求めて』(光芒社)の中で、『三酔人経綸問答』は徳富蘇峰の考え方(『将来之日本』1886年、社会進化論)をパロディ化した展開であると述べている。
「進化神」を信奉する「洋学紳士」=蘇峰の発言やその応答がパロディ化されており、三人の思想を兆民の分身あるいはモデルとする通説の読み方を否定している。
そして本書のテーマは、通説の国家独立論や防衛論ではなく(1887年の具体的政治状況と本書の接点があまりにも少ない)、蘇峰の自我(主体)を経ない社会進化論批判にこそあるとする。
……「武備主義」から「生産主義」への必然的転換というスペンサーの歴史観にのっとり、未来の原理たる「生産主義」に身を寄せた蘇峰のオプティミズムに、兆民は危なっかしいものを感じた(共感と批判)。それがこのパロディが書かれた理由だった。……(米原謙『近代日本のアイデンティティと政治』)
蘇峰の危うさとは、新旧の二元論的単純さとラディカリズムであり、そこに自我(主体)の葛藤がない。
山室信一説では、洋学博士=蘇峰、豪傑君=井上毅。
さて本書の執筆時、兆民40歳にして蘇峰24歳。
「先生のところには大勢人が集まって、酒を飲んだり議論したりしている、それを文章に書いてくれませんか」
蘇峰の求めに応じて寄稿掲載(雑誌「国民之友」第3号・蘇峰主宰、1887年4月)されたのが、「金斧」のブランデーを呑みながらの『三酔人経綸問答』の前半(原文p125の16行目まで)、「酔人之奇論」である。まさに文字通り「奇論」=パロディとして書かれたとするのが、米原説。
揶揄的な眉批の調子やユーモアのある文体は、その証左でもある。
蘇峰による書評(兆民分身説)
「独り怪む、南海先生の二客に向て説論するや平々凡々、……即ち二客は是れ先生の化身のみ、……二客の言ふ所、皆な先生の云わんとする所なり、乃ち後の先生たるものは屍肉のみ、後の先生の言たる是れ先生の糟粕のみ」
因みに、中江(1847〜1901)はこの本を出した二か月後から、「兆民」という号を使い始める。
「億兆の民」、つまり、民衆の側に身を置くという決意を表したもの。
1.『三酔人経綸問答』の構成
@洋学紳士君と豪傑君と南海先生という三人の登場人物によって構成される問答体の系譜に連なる。<問答体>といっても、『論語』のように先生と弟子と言う上下関係でもなく、プラトンの著作のように一問一答形式ともちがって、対等の関係のもとでの発題と討論によって構成されている。
末尾の象徴性――三酔人に表象される知的共同体の崩壊を予兆
(丸山真男「日本思想史における問答体の系譜―中江兆民『三酔人経綸問答』の位置づけ」、木下順次ほか編『中江兆民の世界―「三酔人経綸問答」を読む―』所収)
A『三酔人』は、西欧列強の強圧の下で、後進国で弱小国の日本はどのように立国・国防すべきかという三者三様の横軸の議論に対して、「進化の理」が縦軸として加わることで作品として重層的構造をもつ。
B本文86頁(岩波文庫版)、洋学博士121〜165頁(45頁)、豪傑君165〜191頁(27頁)、
南海先生191〜206頁(16頁)、眉批=21項目
C本文と眉批との関係を、如何に読むか。
2.洋学紳士・豪傑君・南海先生の立場
A:洋学紳士(進化神信奉・民権主義者・非武装民主立国論)
@役に立たない軍備の撤廃=完全非武装の提唱。急な軍拡は経済を破綻させる。それよりも他国への侵略の意思が無いことを示す方がいい。
A弱小国=日本は、自由・平等・博愛の道義外交に徹する。(p14←眉批「国防はヤボの骨頂」)
B政治的進化の理法(p20)
君主宰相制度→立憲制度→民主制
立憲制度に入ってはじめて、人間は独立の人格をもつ(参政権・財産の私有権・事業を営む権利・信教の自由の権利・言論出版の権利・結社の権利=自由)(p39)←リベルテ・モラル(道徳的自由)
最高の政治形態である民主制→平等にして自由(p39)
Cヨーロッパの平和思想、とくにカントの『永遠平和のために』(1775)から多くを学び取っている。世界平和の実現と各国における民主共和制の採用、国際連盟の提唱(兆民は世界国家論)。民主制→平和主義への連動についてはカントを参照。
D日本への侵略に対しては、非暴力・無抵抗に徹する(絶対平和主義の立場)。国家の防衛は道義に適うか。「防衛中の攻撃」も悪である。正当防衛の権利を国家に当てはめるのは哲学の本旨にそむく。
E日本は世界に先駆けて実験国になろうと、国民にその覚悟を呼びかけている。世界市民主義の立場から日 本が国として滅びても、後世のための一つの先例となればよい。
←「9条護憲派は、ここまでの覚悟があるのか/覚悟をもつべきである」
F一院制の議会、普通選挙、行政官と裁判官の公選制、学校の授業料無料化、死刑廃止、保護関税を撤廃(自由貿易)(p46)
cf;蘇峰の『将来之日本』における三つの論点(=「洋学紳士」の論点)
腕力社会から平和世界へ、武備主義から生産主義へ、貴族社会から平民社会へ
1)アダム・スミスとその俗流化であるマンチェスター主義による、利己主義と自由貿易を根拠にして平和主義を導き出す。
2)福音としての利己主義→カルバニズム的エートスとの関連
B:豪傑君(封建的の自由主義者=士族民権→侵略主義の国権主義者)
@現実に戦争(悪徳)が存在する以上、軍事強化が大切。(p63)
戦争しない国は、弱国である。文明国は強国である。
現代の文明国は、みごとに戦う国である。戦うことは気概でもある。
しかし急激な軍事大国化は不可能。
A隣国の老大国=清(中国)を割き取れ。(p69)←眉批「豪傑君は少し時代おくれだ」
B大陸(清)引っ越し案と日本放棄論(元の小国は民権主義者に譲渡)(p70)
C恋旧新の二元素の特性(30歳の境界・地域特殊性)(p74)
自由民権論者にも恋旧新の二元素が存在する(p78)←蘇峰の批判点
士族民権は民権にして国権(ex,板垣退助は征韓論で敗北、下野して自由党創立)
D後進国=日本としては文明化に際して、外国制服によって大国化し先進国の文明を買い取る。次に国内制度を整備した後、恋旧元素を切除。→眉批「政治的外科手術出来れり」(p84)
恋旧元素の自己否定は何故起こるのか?
←蘇峰の恋旧元素否定への揶揄(米原謙説)
←兆民のパワー・ポリテックスの視点(桑原武夫説、p262)
cf;1887年に玄洋社が民権を捨てて国権に転向表明。
発生的には、明治維新革命後の膨張主義から後のアジア主義/大アジア主義が結実した。「傾向性としてのアジア主義」(竹内好「日本のアジア主義」参照)
因みに征韓論は幕末期に欧米列強からの脅威に対する民族危機意識から発生(吉田松陰・橋本左内)、西郷隆盛に至る。
「西郷は、ただ征服のためのみに戦争を始むるには、余りに道徳家であった。彼の東亜征服の目的は、当時の世界情勢に対する彼の見解から必然的に生じたものである。欧州は列強と比肩し得る者とならんがために、領土の大拡張と、国民精神を振起持続せしむるに足る積極策とを、必要とした。それゆえまた、我が国には東亜の指導者たるの大使命があるという観念が、彼には幾分とも有ったものと、余輩は信ずる。」(内村鑑三『代表的日本人』)
C:南海先生(「real politics=政治の本質とは何か」)
@紳士君の考えは未来のユートピア、豪傑君の考えは過去の戦略で、双方とも現実的でない。(p93)
A進化神の理法とは何か(進化神の憎むところのものを知ること=時と場所において、けっして行ない得な いこと行おうとすること)p96
政治の進化(専制→立憲制→民主制)を跳び越えてはならない。
「恩賜的民権」→「恢復的民権」へと進化発展(漸進的改革/段階革命)p98
→この時点で兆民は帝国憲法の恩寵的性格を予見していた。
cf;共和制に関するカントの評価(p28)
cf;本書刊行以後、兆民は急進派に接近、政治理論(理)から実践的政治活動(技)に入る。
B「もし新しい事業を建設しようと思うなら、その思想を人々の脳髄なかに入れて。一度過去の思想にしておかなければなりません。」(p100)
→「恋旧」元素の士族民権と付き合いながら、教化する以外に名案や「奇策」はないという、という蘇峰への教訓。(米原説)→蘇峰の恋旧元素切除評価との対比
C両者とも国際社会を弱肉強食の世界として固定化するが、国際社会の二面性(パワ―・ポリティックスと国際法の拡大)とその可変性への注目が大切。→柔軟な現実主義?
D日本への侵略に対しては、専守防衛・国民的総抵抗で対処(ナショナリズムの意識)、ゲリラ戦と民兵制(カント、p17)の採用(p104)
cf;兆民も民兵制支持(「土着兵論」「常備軍と土着兵」)
E世界各国との平和友好関係の樹立、とくにアジアとの同盟の可能性(→侵略的でない「アジア主義」)p105
3.眉批「南海先生胡麻化せり」について
@急迫している対外状況に対して、実際家の南海先生としては二人の戦略(非武装独立論・中国侵略策)は可能性としてはあっても現実に実行しえないから、そのジレンマを脱するために二人は過慮だと言うことによって、一応そう信じ、当面は恩賜的民権から恢復的民権へという方針での改革を実行しようとする。(植手通有「兆民における民権と国権」、『中江兆民の世界―「三酔人経綸問答」を読む―』所収(筑摩書房)
A『三酔人経綸問答』は徳富蘇峰の考え方=『将来之日本』1886年、社会進化論をパロディ化した展開である。「進化神」を信奉する「洋学紳士」が蘇峰のパロディ化であり「豪傑君」を旧自由党・改進党のパロディにすることで、蘇峰の社会進化論を批判。その後、奇人の世評高い「南海先生」に「奇論」を期待している二人/読者に対して「正論」を吐くことで、「南海先生」は見事に肩すかしを食らわす。そこで兆民「してやったり」と。(米原謙「『三酔人経綸問答』を読む――<奇人>伝説とエクリチュール」、井田進也編『兆民をひらく――明治近代の<夢>を求めて』所収、光芒社)
南海先生は「月並み」と批判されて、こう反論した。
「ふだん雑談の時の話題なら…もちろん結構だが、いやしくも国家100年の大計を論じるような場合には、奇抜を看板にし、新しさを売り物にして痛快がるというようなことが、どうしてできましょうか」(p109)
B誰をごまかしたのか。世間をか、彼自身をか、はたまた官憲をか。彼自身をごまかし、世の急進論と官憲をそれぞれ別の意味でからかったのである。何故彼自身をごまかすのか。彼はこの問答の中で、豪傑君の口をかりて、自由・改進両党を批判したが、そこには民権闘争の真の担い手を見いだせない革命家兆民の深い悲しみと悩みがあった。その悲しみと悩みから、彼は天下の事は理と術の別あり(豪傑君の主張、p87)とごまかした。そしていま、投げやりの言をはいたのである。しかも彼はついに、ごまかしのままで終わるのではない。すでに前年十月に前兆を示した「回復の民権」への彼のたたかいは、この数ヵ月後から再開される。(井上清「兆民と自由民権」、桑原武夫編『中江兆民の研究』)
■参考文献
木下順次ほか編『中江兆民の世界―「三酔人経綸問答」を読む―』(筑摩書房、1977年)
桑原武夫編『中江兆民の研究』(岩波書店、1966)
井田進也編『兆民をひらく――明治近代の<夢>を求めて』(光芒社、2001年)
米原謙『近代日本のアイデンティティと政治』(ミネルバ書房、2002年)
竹内好「日本のアジア主義」(『日本とアジア』所収、ちくま学芸文庫、1993年)
関川夏央・谷口ジロー『「坊ちゃん」の時代』全五巻、双葉社、1995年)
★引用は中江兆民『三酔人経綸問答』岩波文庫による。初稿は2004年12月に行われた読書会用に作成したレジュメ、それに今回加筆修正したものです。
★プロフィール★黒猫房主(くろねこぼうしゅ)。1950年代生まれ。「Web評論「コーラ」の編集・発行人、「哲学系読誦会(仮)」世話人。これまでにも幾つかの読書会の世話人をしてきた。10代の頃は詩人か作家を志していたらしいが、今は昔のことなり。ブログ: シャ ノワール カフェ別館、Twitter: 黒猫房主
Web評論誌「コーラ」46号(2022.04.15)
黒猫のノオト2:中江兆民『三酔人経綸問答』を読む(黒猫房主)
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