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Web評論誌「コーラ」
16号(2012/04/15)

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1 坂部恵による「オプティミズム」への着目
 前回の文章では、柄谷行人の論考「ライプニッツ症候群」を参照しながら、80年代以降の日本におけるいわゆる「現代思想」の重要な特徴を、ライプニッツ的な記号の論理の支配ということに見出そうとし、またその状況が同時代の世界的な思想の文脈においては構造主義的な思考の覇権という現象の一部として位置づけられるのではないか、と考えたのだった。
「ライプニッツ的な記号の論理の支配」ということを詳しく言うと、歴史性を消去された透明な項としての個物が、単一の全体の表出と考えられる諸記号(モナド)の体系のなかで関係しあう予定調和的な空間として、社会や事象を捉えるということである。
 そこでは記号は、たとえばデリダが語ったような「意味」の支配を惑乱する形式的な力として働くことはなく、逆に全体を表出する項であるかのように機能することで、その機能の場(市場、思考空間、公共空間)の同一性についての信憑を、言い換えれば、「全体」なるものが確固として存在しているというイデオロギーを、密かに支え強化するものとして働く。
 いや、「ライプニッツ的な論理」とは、「多様性」の名の下に、実際には思考や様々な実践の場から「全体」に統合されない真に多様なものの存在を消去し、社会的生存の可能性を同一性のなかに縮減して囲いこんでしまうようなものだと、ぼくには思われる。
 ぼくは柄谷にならって、当時の日本における(そして現在にも及ぶであろう)、このライプニッツ的な記号の論理の支配を、構造主義的な思考の支配という世界的な思想の文脈のなかに位置づけられると考えたわけだが、それに関して論じる前に、これより少し前の時代にライプニッツの思想の重要性に着目していた論者の優れた見解を参照しておきたい。
 というのも、偉そうなことを書いてきたが、ぼく自身はまだライプニッツの訳書すら読んだことがないので、例によって名だたる先人の文章の力を借りることで、ライプニッツの思想が持つ意味合いをより明確にし、自説をわずかでも中味と説得力のあるものにしたいと目論むからである。
 さてその論とは、1976年に出版された坂部恵による有名なカント論『理性の不安』のなかの「W 中間考察」と題された短い章である。
 そのなかで坂部は、カントが大きな思想的転換を体験する直前の時期、1750年代におけるライプニッツ哲学の影響の大きさに着目しているのだ。
ライプニッツ‐ヴォルフ哲学の根本の教説の一つが、現にみられる世界は、ありうべき諸世界中最善のものが神によって選びとられ、創造のはたらきによって現実化されたものにほかならぬ、とみなす「オプティミズム」にあることは、よく知られている。(注1)
 坂部は、この「オプティミズム」(宇宙の目的論的秩序への絶対的信頼)への傾倒こそが、1750年代におけるカントの自然研究を中核とする思想的営為の根底にあり、それを可能にしたものだと論じる。
人間の視点からは、欠如とも不完全性ともみえるものを、宇宙全体についてみれば、完全性と秩序の一環をなすにほかならないものと観ずるためには、ひとは、人間の視点を一旦はなれて、前節で触れた「全自然の中心点」、すなわち無限者としての神の視点にみずからを置いてみなければならない。この宇宙の完璧な展望の獲得が、反面、人間の身近な世界への関心の捨象を必然的にともなうゆえんである。右の引用で何気なくいわれた、自然の豊かさが「徳と不徳とを」生み出したという言葉は、このことをあきらかに示している。
 人間の有限な視点をはなれて、無限者としての神の立場に立ってみるならば、人間にとっては厭うべき、また克服されるべき不徳も、かえって、宇宙の示す無限の多様性の一環として、その完全性の一翼をになうものとしてながめられる。自然は、「徳と不徳とを」生み出したゆえに、ますます完全なものなのである。この視点に立って、神の立場から世界を観想するかぎり、「実践」や「道徳」や「人間」の問題が関心の中心を占めることは原理的にありえず、関心の中心は、当然、「理論的」「テオリア的」な自然観想、自然研究によって占められざるをえない。(注2)
 ここで坂部は、こうしたライプニッツの「オプティミズム」のこの時期のカントへの影響の大きさを、肯定的に論じているのだが、それは『理性の不安』が出版された1970年代や、この「中間考察」と題された章の文章が初出された1960年代終わり頃(昭和43年となっている)という時代性を、ある程度反映している姿勢なのかもしれない。
 「実践」や「道徳」や「人間」の次元から「一旦」距離を置く(いわば括弧にいれる)、「テオリア的」な思考の態度の重要さに何らかのリアリティーや必要性が感じられており、そうした態度を根拠づけるものとしての「目的論的秩序」(「全体」と言い換えてもいいだろう)への肯定的な関心が強まっていたのではないか、ということだ。
 そこには「実践」や「人間」の次元との結びつきが絶対的なものとされることによって見えなくなってしまうような思考の次元や領域を、再び見出そう、新たに光を当てていこう、というような切実な願望があったことが想像される。やや安易に「弁証法的」と呼ばれる思想のあり方に対する危惧が高まっていた時期なのかもしれない。
 この連載の前々回、ST氏の論文に寄せたコメントのなかで、ぼくは植草甚一をはじめとする70年代以降のクールな「記号」の使い手たち(糸井重里、村上春樹など)の根底にあったのは、「意味の支配」に対する戦いの意志のようなものではないかと書いたのだが、この坂部の立論にもそれに似た時代的なパトスや気分を読み取るべきなのかもしれない。
 だが同時にそれはあたかも、実践的な次元による拘束を思考の空間から厄払いしようとするかのような姿勢にも思われ、そのこと自体の是非はともかくとして、それは来るべき80年代以後の「現代思想」の時代につながるものだったと考えられるのだ。
 ライプニッツの思想が、70年代から80年代以降にわたって(そしておそらく現在にも及んで)日本の思想の場に対して持った意味合いの大きさは、前回紹介した柄谷の論考や、上記の坂部の文章からうかがうことができるのではないかと思う。
 柄谷が批判したのは、それが「多様性」を単一な全体性のなかに回収してしまうような論理であるという点であり、またそれに先立って坂部は、その「オプティミズム」という要素を、知を実践的次元との拘束的な結びつきから解放してその未知の可能性を開くものとして注目したのだと思える。
 ところで柄谷は、こうしたライプニッツ的な思想の傾向を構造主義に通じるものと考えていたのであり、その捉え方は正しいものだと、ぼくには思えた。
 そこで、この構造主義に関してなのだが、ぼくの記憶ではフランスにおける構造主義の流行が日本で大きな関心を集めたのは70年代の話であって、80年代以後の「現代思想」の時代においては、むしろ構造主義に批判的な、それを乗り越えようとする論調が主流を占めていたのではないかと思う。
 その代表格のひとりが、今村仁司である。
 
2 今村仁司の「自然史観」(宿命論)
 たとえば今村は、82年に出版された『暴力のオントロギー』のなかで、次のように書いている。
レヴィ=ストロースにおいては、未開社会を見る視点は交換に力点があり、交換はレヴィ=ストロースの社会存在論の中枢を占める。戦争はそれ自体に「意味」はない。戦争に「意味」を与えるのは、交換(交易・取引き・商業・・・)である。私がまえにレヴィ=ストロースの交換主義的ないし交換論的地平とよんだ方法論的視座の意味とは、このようなものであった。レヴィ=ストロースにおいて、社会存在の動学のモーターは「交換」である。だが、より正確に言えば、「交換」は社会存在のモーターになりえない。交換論の地平で、変化を担いうるのは「変換」しかない。したがって、交換論と変換論、これがレヴィ=ストロースの社会理論の中枢概念となる。われわれの見地においては、社会関係を創成する原点も、社会関係を維持・運動させるモーターも、ともに同じ暴力ないし闘争である。(注3)
 社会関係を「交換」に還元して捉えようとするレヴィ=ストロースの構造主義的な考え方を上のように要約して批判する今村が、それを乗りこえる社会形成及び維持の根源的な動力として提示したものは、「暴力」ないし「闘争」という原理であった。
 つまり、社会関係の「構造」そのものを形成し、運動させ、また維持しもする根底的な動力は「暴力」という「力」(流動的なもの)なのであり、のみならず、その「力」という社会的な原理こそが逆に「構造」という知的・認識論的な枠組みを生み出し可能にしているものだ、という考え方が今村にはあったようだ。すべての根底は、流動的な「力」の具体的現われとしての「暴力」という社会的原理であり、「構造」もそこから生じるものであるということ。
 この、「暴力」や「闘争」が人間の社会的存在にとって絶対に脱することのできない基礎的な条件であり原理であるという考えは、今村にとって単なる認識という以上の強い(ある種政治的な?)パトスを帯びた主張だったようで、この本の後半では、暴力性が人間存在の「悲劇的原理」であることを承認しないような思想は、「ほとんど思想に値しない」ような思想である、とまで断言されている(p226)。
 その観点から、近世の高名な社会思想家たちも、たとえば次のように再評価されることになる。
ホッブスとルソーは、自然と文化の問題設定に立ちながら、互いに正反対の極から思索を深めつつ、しかし両者ともに社会形成の原点を戦争状態にみたことは、くりかえし強調するに値する。社会形成(社会契約)は、この戦争状態の処理如何にかかるという点で、ホッブスとルソーは事柄の要点にふれている。ホッブスは、戦争状態(自然)を禁止することで、社会形成を考える。同じくルソーも、社会状態に内在する戦争状態を禁止する原初契約論を構想することで、社会形成を考えた。どちらも、暴力・闘争・戦争状態という地獄の通過を社会思想の原点にすえたといえるのである。かれらの社会形成体が未来のユートピア空間を意味するのであったにせよ、かれらは社会体が暴力・闘争・戦争状態にとりつかれていること、それらを内在させていることを確実に見ぬいていた。(注4)
 このような思想的立場のもとに、「闘争」(と「労働」)に重点を置くコジェーブのヘーゲル読解にも影響を受け、また何よりマルクスによる資本制分析の精緻な読み込みを通して、現代資本制社会に対する批判的分析と、人類学や宗教学などの成果であるいわゆる「スケープゴート理論」との大胆で根底的な接合の試みともいうべき「第三項排除」の理論を作り上げて提示したのが、今村の次の著作『排除の構造』(85年)だったことはよく知られている。
 だがここでは、その今村の瞠目すべき業績に深入りはせず、『暴力のオントロギー』に話を戻そう。
 以下の文章には、人間の社会的存在の本質とされる「暴力」と、それをめぐる社会的構築についての、今村の基本的なスタンスがよく示されていると思う。
暴力論の視座から考察すれば、未開社会は暴力とその累積効果を別の方向にそらすメカニズムをもつ、というこの点に「冷たい社会」という結果をもたらす原因がある。一言でいえば、現実的暴力(これは自然史的必然性であって人間の業で除去することは永久に不可能である)を儀礼的・象徴的暴力に転化させるメカニズム、あるいは現実的な社会内権力を国家権力へと上昇させる道程を切断させるメカニズム、ここに総じて未開社会がステーショナリーにみえたり、反復的にみえたりする根拠がある。なるほど未開社会は平和的な社会である。だがその平和性は、未開人が高貴であるとか平和愛好的人種だとかいう性格学的原因によるのではなく、社会的人間にはさけることもなくすことも決してできない暴力と闘争あるいは戦争を、殺害的意味作用から象徴的・儀礼的意味作用の方向に転換させるという本質的に平和作成のオルガノンを事実上つくりあげていることにこそある。これに反してレヴィ=ストロースの言う「熱い社会」(エジプト、中国、ヨーロッパ、その他)は、右にみたごとき平和作成メカニズムをつくることに失敗した社会のことである。社会の進化とは、未開社会の叡智的現実を喪失し、階級社会をつくりあげて、たえず国家間、人種間の戦争をくりかえす方向へ針路を決定的にとることに他ならない。(注5)
 今村にとって、「暴力」は「自然史的必然性」であって、「除去することは永久に不可能」なものなのである。そして、この逃れられない人間の存在の条件に対して、社会がなしうる最も理想的な対応(「平和作成のオルガノン」)は、未開社会が行ってきたような「儀礼的・象徴的暴力」への転化のメカニズム、要するに第三項を排除し犠牲にすることによって暴力の方向を転換させるような仕組みだ、というのだ。
 ところで今村の理論によれば、近現代の社会における「第三項排除」の主要な形態とは、端的には貨幣の存在であり、その社会的全般化としての資本制経済の展開そのものである。したがって、暴力という絶対に逃れられない生存の条件から、われわれが少しでも自由になる道は、結局、資本制経済そのものの発展においてしか見出せない、という結論になる。
 バブル経済が全盛となり、消費資本主義が全面的に肯定される雰囲気であった80年代の日本で、今村の思想が大きな関心を集めたのも、当然だといえるだろう(注6)。
 上の今村の文章から感じられるものは、「暴力」という「自然史的必然性」に対する一種の諦念であり、その根底的な条件を克服もしくは改変しようとするところに社会形成の原理を見出そうとする構築的な姿勢、すなわちレヴィ=ストロースの用語でいえば、(最善の意味における)「熱い社会」が行ってきたような社会的構築への努力に対する否定的な気分である。ありていに言えば、そんなことが可能だという思い上がりが、スターリン主義をはじめとする近代のさまざまな失敗を生み出し、より大きな悲惨を生み出してきたのだと、今村は言いたいのかも知れない。
 だが、「自然史的必然性」の内実を「暴力」や「闘争」として名指しする態度は、すでにひとつのイデオロギー性を帯びた主張ではないか。言い換えれば、ここでは「暴力」なるものが、一個の実体として、現実の社会関係の外部にある原理のように語られているが、実際にはその「暴力」には政治的・時代的な刻印が押されているはずである。つまりそれは、他ならぬ現代資本制社会の「暴力」のはずであり、それが人間の逃れられない「自然史的必然性」であるという主張は、すなわち、眼前の資本制経済・社会の現実を無批判に容認(受忍)するイデオロギーに他ならないのではないか。
「暴力」や「闘争」が「自然史的必然性」であることに力点を置く今村の思想は、歴史のなかでの社会的構築の努力を否定する傾向を持つ。ここで「構築」と言っているのは、「暴力」が人間の基礎的な生の条件であると仮定しても、そこからの完全な解放を理想として掲げ続けるような思想的・実践的態度、ということである。それは、この理想の実現が可能であるかのように振舞うことではなく、常にあるべき姿としてその理想を掲げ続けて努力する姿勢のことだ。
 こうした歴史のなかでの構築に対して否定的であるという点で、暴力という「力」の、「構造」に対する優位を主張する今村の思想は、上に引いた文章にも示唆されているように実は構造主義と同質であり、構造主義的なものの圏内にあると言えるのではないかと思う。
 今村「暴力」論は、おそらくレヴィ=ストロースの理論と同様に、歴史のなかでの構築的実践に対して否定的な判断を含んでいるのである(注7)。
 一般的に言っても、「力」や「流れ」に重きを置くポスト構造主義的な議論は、歴史のなかでの構築という要素(「熱い社会」)を否定的に捉えるという点で、構造主義そのものに類似している、むしろその圏内にあると言える場合が多いのではないか。両者の根底にある情動的な要素を一言で言い表すなら、それは多分「ニヒリズム」だろう。
 ニヒリズムを根底に含んだこれらの思想的様態が、マルクス主義の「終焉」という数十年をかけた歴史的事態のなかで、またそれに相関した資本制経済の「グローバル化」と呼ばれる拡張に関して、それぞれの国や地域においてどのような役割を果たすことになったかについては、ここでは具体的に検討することはできない。
 ともかく今村の論から感じられるのは、「自然史」という概念と、「必然性」という概念との排他的な結びつきの強さであり、その連結は、「暴力」という、超歴史的とさえ呼べるような人間存在の「逃れられない条件」についての認識、むしろ諦念と呼べるような意識を内実としている。
 今村は、暴力が人間にとって逃れることのできない条件であるという思想的な立場を、認識するのではなく、選びとり、遂行的に言明しているのだと、ぼくには思える。つまり、「暴力が脱却不可能な生の条件であるという事実を承諾せよ」と、読者たちに呼びかけるようなイデオロギー的言説であるとしか思えないのである。
 ところでこの、暴力と、暴力によってもたらされる状況や被害を、逃れられないもの(宿命的な条件)として語り、それを受容せよと人々に迫ることは、また、近代日本の政治的言説の場における支配的な論調でもあるといえるのではないだろうか。
 たとえば、先の大戦に敗れて海外から引き上げてきた人たちの敗戦による財産の喪失や、あるいは大都市への米軍の空襲による被災に関して、日本の司法は、「戦争という国家存亡の危機に際しては、国民は被害を受忍すべきだった」という論理を語って、国家による謝罪や補償を求める人々の声を退けてきた。また、長崎への原爆の投下は戦争の早期終結のためには「仕方なかった」と述べた、政治家の発言も記憶に新しい。
 そうしたことばかりではなく、経済的な豊かさの維持とか、より餓死者の少ない社会を維持することとかのためには、新自由主義的な政策の採用や原発の稼動等による幾らかの「犠牲者」が出ることは「仕方がない」のだといったロジックは、今や日本の公共空間を覆うドミナントな論調だと言ってよいほどである。
「仕方がない」という言葉の底には、暴力的事態を正当化する企図とともに、構築への拒絶の意志が込められているが、その意志の主体はここでは他ならぬこの固有の国家であり、内外の人々に暴力を行使し続けているこの国家が、その自らの暴力への自覚的な抵抗を放棄せよと、暴力の「犠牲者」たちに諭し、強い続けていると、ぼくには思える。
 だが、今村がマルクスから、遡ればカントから学んだのであろう「自然史」という言葉、あるいは「自然史的必然性」なる概念は、そもそも、そうした「仕方がない」という暴力(宿命)への諦念と受容の態度を意味しているものなのだろうか(注8)。
 カントやマルクスがそのような語を用いたとき、そこには逆に、肯んじえない「宿命」なるものへの抵抗を勇気づけたり、暴力に対する構築の展望を広げるような狙いが込められていたのではないだろうか?
 とはいっても、ここで今村の向うを張って、カントやマルクス読解のまねごとを展開するような力量は、もちろんぼくにはない。 
 以下では「記号と埋葬」という拙論の表題に即して、また前回の文章でヘーゲルをめぐって書いたことに立ち戻りながら、「自然」との関係つまり構築をめぐる問題や、資本や(とりわけ固有の)国家に起因する暴力からの解放の可能性について、若干の考えを書き記しておくことにしたい。
 
3 ヘーゲルにおける「自然」と「偶然」
 前回の文章のなかでぼくは、デリダの論考「竪坑とピラミッド」(『哲学の余白』所収)の一節を引用したが、あそこでデリダの念頭にあったのは、ヘーゲルの『精神現象学』のなかの、やはり埋葬に関して書かれた次のようなくだりだったろうと思われる。
個々人そのものが到達するこの一般態は、純粋存在であり、死である。それは、直接的に自然的にそうなった存在であって、意識しての行為ではない。それゆえ家族の一員の義務は、それに意識的行為〔埋葬〕の側面を付け加えてやり、その結果、個々人の死という最後の存在、この一般的な存在を、ただ自然にだけ帰属させるのではなく、また非理性的なもののままに放っておくのでもなく、その行為が行われたものであり、そこに意識の権利が主張されるようにしてやることである。言いかえれば、自己自身を意識した存在者の平安と、一般態とは、ほんとうは、自然のものではないのだから、この行為の意味は、むしろ自然が僭称しているこの行為の影〔死〕をはらいおとし、〔人倫的〕真実を回復することである。(注9)
 
そこで、個別性の方は死というこの抽象的な否定性に移って行くことになる。この否定性は、それ自体自身では、慰めもなく和解もないものであるから、本質的には慰めや和解を、現実的な外からの行為を通じて、受けとるよりほかないのである。―― そういうわけで、血族は、意識した運動を付け加え、自然の仕事を中断させ、血のつながる死者を破壊から奪いかえし、もっとよく言えば、血のつながる家族の一員が、どうしても純粋存在となって破壊されてしまうので、破壊の結果を自分で引き受けるのである。―― そうすることによって血族〔アンティゴネ〕は、抽象的自然的な運動〔死〕を補うのである。その結果起ってくることは、死んだ存在、一般的な存在が、自己に帰ったもの、自分だけでの存在〔対自存在、自独存在〕となることである。つまり力もなくただの個別的であるだけの個別が、一般的個体性〔大地〕に高められることである。死者は、自分の存在を自分の行為から、つまり否定的な一から解放するゆえ、空しい個別であり、他者にとっての受動的な存在にすぎないし、理性をもたない、一層低い、あらゆる個別態と抽象的素材からなる諸々の力とに、さらされている。〔死者が自然の力によって腐敗し鳥獣の餌食になることをさしている。『アンティゴネ』参照。〕そのうち前者は、自分のもつ生命のゆえに、後者は、その否定的な自然のゆえに、いまでは死者よりも力をもっている。意識をもたぬ欲望〔『アンティゴネ』の鳥獣たちの〕や抽象的な存在が、死者を汚すこの行為を、家族は死者からとりのけてやり、その代りに自分の行為〔埋葬〕を置いて、血のつながる死者を大地の懐に入れてやり、原本的な不滅の個人態にかえしてやる。こうして家族は、死者を一共同体の仲間にしてやる。つまりこの共同体は、死者に対し自由となり、死者を破壊しようとする個々の素材の諸々の力や、一層低い生物たちに、むしろ打ち克ち、これらを拘束するのである。
 こうしてこの〔埋葬という〕最後の義務は、神々のおきての完結となり、個々人に対する積極的な人倫的行為となるのである。(後略) (注10)
 ここでは、埋葬という行為をめぐって、家族と国家との関係という重大なテーマが出てきているのだが、それには触れないことにする。
 すると、ここで述べられていることのもうひとつの大筋として浮かび上がるのは、ヘーゲルが「死」というものを、意識によって確立される人間精神の特権性が「自然」によって脅かされる出来事として捉え、この「自然」とそれに属する非理性的な力による人間社会(人倫共同体)への侵犯から、「埋葬」によって死者をいわば取り戻し、意識の完全な支配(統御)を回復することの重要性を語っていることである。
 つまり、この共同体の形成の論理においては、自然の力の否認・抑圧という意味を、埋葬という行為は持っているとされる。その意味において、埋葬は、人間の共同体を形成する重要な契機であり、同時に自然と文化との境界をなすような行為でもある。
 ここから発生してくるのが、記号を含む体系、つまり人間の文化の秩序・制度だろう。
 これが、ヘーゲルが捉えて古代ギリシャの人倫共同体に託しながら立ち上げた、近代的な記号の力の規定だったと考えられる。それは、死(埋葬)を通して、固有の共同体の論理のなかに人々の生の可能性を回収し、閉じ込めようとする欲望を内包している。
 ヘーゲル的な記号の問題とは、この排他的な共同体の問題なのであり、近代的な記号の威力は、近代の産物である(とりわけ固有の、この)国民国家の論理の威力と無縁であるはずはないのである。日本の「現代思想」に欠落していた大きなもののひとつが、こうした観点であることもたしかだろう。
 デリダの文章に示唆されながら前回に書いたことだが、ぼくたちは国家の制度による媒介の不可避性を引き受けながら、つまりみずからの言語や振る舞いに内在する暴力を常に自覚しながら、根源にある国家的な暴力の解除という目標を、制度の構築・改変という手段によって永続的に目指していく以外に道はないはずだ、ということである。
「自然史観」とも呼ぶべき、今村のような思想のあり方(注11)には、まさにこの「構築」ということ、暴力という宿命的なものとの対決の姿勢が欠けていた。それは、暴力をたんに(宿命的という意味での)自然的なものと見なすことによって、われわれが有する暴力性の国家的な性格、あるいは暴力の社会的な固有性(歴史性)というものを思考自身に対して隠蔽したのである。そのとき思考と記号は、人間や生命に対して吹き荒れる国家と資本との相補的な暴力に加担する、抑圧的な装置に変じてしまっているだろう。
***
 だがここでは、「埋葬」という行為においてなされる、自然と文化との分割、記号と共同体の形成の現場を語るヘーゲルの記述に、もっと注目してみたいと思う。
 デリダの上記の論文を読んでも、また『精神現象学』を読んでいても強く感じられるヘーゲルの姿のひとつは、精神を脅かす「自然」の影、論理の円環を破綻させかねないような「死」の威力にさらされながら、懸命にそれをふり払い、記号による秩序を構築しようと苦闘する思想家というものである。
 では、ヘーゲルにとりつき彼を脅かし続ける「自然」とは、いかなるものか?
 それは、意識や理性によって制御することの出来ない偶然的な力を意味していると思える。彼にとって「死」もまた、そうした自然(生)の偶然性を露呈させるものであるがゆえに、埋葬という行為をとおして秩序化(「聖別」)されねばならないものだと考えられているのだ。
 だとすると、ヘーゲルの思想のもつ真の可能性を捉えるヒントは、偶然という、意識によって統御できないもの(他者性)を考えつづけた思想家としてのヘーゲル像のなかにある、ということになるかに思われる。とりわけ『精神現象学』の前半、「観察する理性」というパートのなかで表面上は否定的に描かれている、概念化を目指す理性のはたらきによっては無視され切り捨てられてしまうような偶然的な事物の現われ、それを(概念化しようとせず)ただ記述しようとするだけの知性の働き、いわば非概念的な知にこそ、われわれは未来的な思考の可能性を見出しうるのではないか。そう考えてよさそうにも思えるのだ。
(前略)そのとき動くのは、むしろ記述することのなかでのことにすぎない。だから、記述されてしまえば、対象に対する関心は消えてしまっている。一つの対象が記されると、別の対象にとりかからねばならない、そして記述がとだえないように、引き続き対象が求められねばならない。(中略)つまり一般者が不定であるというこの領域では、観察と記述のために、つきることのない貯えが開かれている。とはいえ、ここでは、観察と記述には、見透すこともできないような分野が開かれているのだから、一般者の限界〔『エンチュクロぺディー』二五〇節〕には、計りがたい富ではなく、むしろ自然の限界が、観察や記述のはたらきの限界が見つけられえたにすぎない。観察と記述は、自体的に存在するように見えるものが、偶然ではないかどうかを、もはや知りえないのである。混乱した、未熟な、弱い形象、原始的な不定な姿からほとんど進んでいない形象そのもの、という刻印をもっているものは、記述されるというだけのことさえも要求しえない。〔『エンチュクロペディー』二五〇節〕 (注12)
 この行間から(ヘーゲルの意図に反して?)浮かび上がってくる「事物の偶然的な現われに即した知」とも呼ぶべきアイデアは、たしかに魅力的である。この「観察する理性」というパートを読むと、ヘーゲルにとっての「記号」(徴表)が、事象の概念化ということ、言い換えれば「偶然性の切捨て」ということを機能としているのが分ると思う(注13)のだが、それに反して「記述」という行為をとおして示唆されているようにもみえるこの知のあり方は、事物の偶然的な現われを、繊細に救い出してわれわれの元に届けてくれるものに思われるからだ。
 
4 「偶然」をめぐる問題
 ヘーゲルの思想を「偶然」に着目しつつ読みとろうとする試みは、確かに掛け値なしに魅力あるものだと思うのだが、しかし、実はこの偶然というものの中味が、いささか問題なのである。
 それというのも、結局のところヘーゲルは概念化を志向する理性のはたらきと、この事物の偶然的な現われという対置された二者を、弁証法的(流動的)な知の運動のなかへと統合させてしまっているようだからだ。
 実際、ここで引用している平凡社ライブラリー版『精神現象学』の翻訳者でもある樫山欽四郎は、すでに1950年代後半に、ヘーゲルがそこで語っている「偶然」には疑わしいところがあることを示唆していた。
そこで考えられることは、この偶然は始めから偶然ではなかったのではないかということである。つまり、承認によって先取りされた偶然ではないかということである。偶然でないことへの先取り的要請によって偶然とされていたにすぎないのではないかということである。すでにあの歴史への肯定の場に立っているものが、その自己確認を言ったまでのことではないかということである。(注14)
 概念化されるものと偶然的なもの、意識と無意識といった、対置される二項が、承認をとおして総合されるというのは、それがまさに弁証法というものなのだから当たり前ではないかと思う人もあるかもしれない。だが、今から半世紀以上も前にこの先学が提起していたこの疑問は、今のぼくにはとても重大なものに思える。
 それというのも、これがまさしくこの文章の前半部で論じてきた、現代における「宿命」や「自然史的必然性」にまつわる思想的態度の問題と関わっていると思われるからだ。
 つまりは、偶然的なものへの知が「予定調和」への、決定論への諦念に帰結しないような道筋はあるのかという問いに、それは関わる。言い換えれば、「宿命化された自然」、「宿命化された偶然」ではないような、自然や偶然や他者性というものを、われわれは見出せるのかという問いに。
 そしてこの問題は、「偶然」を重要な契機として展開される、ヘーゲル哲学や弁証法的な思想全体の行く末に関わるものでもある。というのも、偶然というものがある変質を施されることによって、弁証法的なロジックの全体がいわば換骨奪胎を被り、現存の資本制経済の体制や国家・国際秩序のあり方を是認し維持するための装置として働くようになるということが、とくに1990年代あたりから目立って起こりはじめたと思えるからだ(注15)。
 ところで、偶然をめぐるヘーゲルの考え方が「運命」という概念に結びついていることは、よく知られているだろう。それは、個々人の意識によっては予見したり制御できない「理性の狡智」によって歴史は発展していくという考え方である。
 これは一見、決定論的な考えのようにもみえる。
 だが、ここで大事な点は、「運命」という考え方においては、意識による自然の支配(秩序化)への欲望の暴走をセーブするものとして、偶然という要素が取り入れられているように思えるということである。つまり、偶然という、意識が捉えられない現実の力の存在は、「運命」概念においては、秩序化の欲望としても現れるような人間の暴力性に対する、抵抗や構築のよすがの意味を担っているはずなのだ。そこにこそ、弁証法的思想の積極的意義を見出すべきではないか(先述した坂部恵的な態度の積極的意義も、じつはここに関わっていると思える)。
 一方、「宿命」概念は、これとは実は逆の機能を演じるもの、いやはっきり言えば、「運命」概念から反暴力的・構築的な要素を消去することで変質させ、人々の実践的努力への意志を押さえつけるために作り上げられたイデオロギーだと思える。そこでは「偶然」は、人々に力を与えたり解放の可能性を知らせたりするものではなく、結果的に人々の実践への意欲を阻喪させるようなものとして現れている。
 この「運命」と「宿命」との微妙な差異が、ヘーゲルにおける「偶然」の働きの可能性を、また一般に弁証法的と呼ばれる思想や史観の影響と解釈のあり方を、大きく分かつものになるだろうと思われるのである。
***
 ここでやや唐突だが、補助線をひとつ引いておきたい。
 浅野裕一は、その著書『墨子』のなかで、古代中国の「命」についての思想を三種の基本型にわけて説明することを試みている(注16)。
 浅野によれば、多様で複雑な「命」についての考え方を、あえて強引に分類するなら、@ 受命型 A 宿命型 B 運命型 の三つに分かれるという。ここで大きな分かれ目のひとつとなるのは、天による「命」を必然的宿命と捉えるか、あるいはそこに人為的努力の余地を残すか、ということである。 
 人為的努力の余地を最も残すのは@であるようだが、いま注目したいのはAとBとの関係である。Bの運命型においては、隠されていた必然的宿命があるとき偶然的結果を装って顕現する、と浅野は書く。この顕現の瞬間を、「命」を知らされた者の立場でとらえれば、自分の宿命を自覚するのであるから、Aの宿命型と重複するといえる。 
 だが同時に、この運命型では、「命」の内容や期間などが限定的であることや、命の決定が間接的な形をとることも手伝って、人為的な努力によって禍を回避する余地が残されるという。つまり、人為的努力の余地が残されることが、宿命型との違いである。
 この浅野による解説を読むと、人為的努力、つまり構築や(宿命への)抵抗の可能性ということと、事物の現われに即した偶然的な知の到来ということとが重なるところに、「宿命」とは微妙に異なる「運命」という知のあり方の可能性が開けている、と考えられる。
 ここに、宿命化を逃れるような偶然性への知の可能性が、「運命」という定かならぬ形で提示されているようにも思えるのである。
 結局、「偶然」概念をめぐる「運命」と「宿命」との差異は、前者においては、人間の生の基礎的な条件をなすと思える制度的な部分の可変性が信じられる余地があり、そこでは「偶然」概念はその信を保証するものとして働いていると考えられるが、後者にはその信への道は閉ざされている、というより、制度の可変性を隠蔽し人々の生から遠ざけておくための装置として「宿命」と「偶然」の概念が用いられているところにあると言えそうである。
 そうすると、「偶然」の積極的意義(元来、弁証法的思考がはらんでいるはずのもの)は、人々に人々自身の生の基礎的な条件である「制度」という物質性が可変的であることを示唆する、という点にあることが分る。つまり、「あなたの生は、あなた(たち)自身の手で、根本的には変えられるのだ」ということを現実的に示唆するものとしての偶然が、弁証法的思考が提示する元来の、また最善の偶然の姿である。
 だが、これを逆に言えば、偶然は、それが実践(制度=物質的条件の改変)と結びついたときにだけ、その真の力を人々に開示するものなのである。
 現実的な実践の可能性から切り離されて考えられているような偶然は、もはや本物の偶然ではなく、樫山の言い方を借りれば、「承認」によって先取りされた「偶然」(かぎ括弧付きの)にすぎないのだ。
 これは、決して忘れてはならないことだと思う。
 現在ある体制を維持するためには、人々を自らの生の条件の現実的な可変性への展望から遠ざけておくために、偶然からその本来の力を奪って別のものにすり替え、元来は偶然を構築へと接続させることを本旨とする弁証法的思考というものを、社会的構築の努力を人々に断念させるためのイデオロギー(決定論)に変えてしまうことが、有効な方法となる。
 そうした操作が可能になるのは、偶然と構築(実践)との分離をとおしてでもあるのである。
 
5 偶然の真の意義とは
 では、偶然というものが、弁証法的な思想のなかにおいて本来持っているはずの力、積極的意義、それをどのようなものと捉えたらいいだろうか。
 それを明示することはぼくの力にはあまるが、引き続き『精神現象学』の記述を導きの糸にしながら、いま少し考えてみる。
 やはり、「観察する理性」というパートのうち、有機体に対する認識について述べられた箇所のなかに、次のようなくだりがある。
(前略)そういうふうにつかまれた場合には、有機体の契機は解剖学や屍体のものであって、認識や生きた有機体のものではない。そういう部分とされるとき、契機は、過程であることを止めるから、むしろ存在するものではなくなってしまう。有機体の存在は本質的には一般性であり、自己自身への反照であるから、有機体という全体の存在はその諸々の契機と同じように、解剖学的な組織のなかにあるのではない。現実の表現と契機の外面態とはむしろ一つの運動としてのみ現存している。この運動は形態のいろいろな部分を貫いており、運動する場合には、個々の組織として取り出され、固定されるものは、もともとは流れる契機として現われる。そのため、解剖学が見つける現実性は、契機の実在性と考えられてはならないのである。むしろ過程としての現実性だけが実在性と考えられねばならない。そういう過程のうちに在るときだけ、解剖学上の部分も意味をもつのである。(注17)
 ここには、ヘーゲルの考える実在の位階秩序のようなものが、とくに有機体という対象に関して、よく示されていると思う。有機体の実在性の核心(一般性)をなすものは、「解剖学的な組織」というたんなる事物の現われにあるのではなく「過程」にあるのであり、それは「もともとは流れる契機として現れる」ようなものである。
 概念化(弁証法的な思考)を媒介することで見出されることになる、「過程」としての「流れる契機」、それこそが「解剖学的な組織」という事物に「意味」を与える。ヘーゲルの言っていることを、そのように解釈していいだろう。
 ここでは、弁証法的な過程を経て見出される「流動」という精神的価値が、事物(身体)の物質的な現われを支配し、それに「意味」を付与するものとして君臨している。
 生命における「意味」の核心を握っているのは「流動」としての精神性なのであり、それなしには有機体が真の実在性を獲得することはないであろう。
 これは、ヘーゲルにおける生命の形而上学的な位階秩序だともいえる。そこでは、「意味」を欠いたたんなる事物の物質的な現われ(「屍体」)は、周縁へと排除されていることになる。
 デリダは「竪坑とピラミッド」で、この位階秩序の転倒をヘーゲル自身の文章に沿って試みたということだろう。そして普通それが、ポストモダンとか脱構築という名で呼ばれる20世紀後半のひとつの思想の方向性だったと思うのだが、その中味をもう少し考えてみよう。
***
『精神現象学』では上の引用よりもう少し後の箇所、人相学・骨相学に関するパートにおいても、個人の身体の存在が有する二重性ということ、つまり個人の意識の運動の表現としての身体と、たんに「現象する現実」(p350)としての身体との二重性が語られ、その二つがことさらに対立して論じられることになる。
 そこでは、後者(たんなる事物としての身体)は、無論「意味」を欠き「概念化」からとりこぼされる「偶然」的な現われとして、「意識の運動」の下位に置かれる。もしくは、「意味」を欠く限り、それは概念化という精神的な場からは排除されている、ともいえる。
そして、人相学や骨相学の知は、ヘーゲルによって、この偶然的な現われを知の体系へと構成しようとする無理な試みとして、いちおうは否定されているのだと思う。
 だが、ここが肝心なところだが、ヘーゲルはこの偶然的な事象たちを、たんに弁証法的な思考の場(過程)から排除しているのではない。それは結局は、ある統合された空間のなかに、必然的であると見なされたものたちと共に置かれることになる、いや、樫山が示唆していたように、むしろ始めからそのようなものとして登場させられていると思われるのである。
 つまり、「概念化されるもの」と「されざるもの」との、この明確な区分と排除とは、仕組まれたもの、総合を予定されたものである。両者は、じつは始めから同一性の場のなかに置かれているのだ。
 これがヘーゲルの哲学の、また弁証法的な思考の、「予定調和」的な側面ということになるだろう。この側面が支配的である限り、この思想のあり方は宿命論的な考えを人々に植え付けようとする現実社会の権力の一装置として働くしかないだろうということは、すでに述べた。
「概念化されるもの」と「されざるもの」との、この仕組まれた区分の働きについて、さらに考えてみよう。 
 それは一方では、概念化されるものたち(社会の中では、それは排除する側の者でもある)にとっては、意識による統御のもとで統合された場における交流(意味の交換)を保証するだろう。他方、偶然的と見なされてそこから排除されたものたちは、排除を被ると同時に、より広汎な統合・管理の場のなかに取り込まれてもいる。
 両者の共通性(同一性)をなすのは、じつはこの広汎な権力による、構築の実践からの「生」の切断(排除される側にとっては、二重の剥奪)ということなのである。ヘーゲルが構成したような「概念化されるもの」と「されざるもの」との明確な二項対立が可能にし、また隠しているのは、この非対称的な同型性の構造なのだ。
 問題は、ここで現実に働いている暴力の実相である。
「概念化されるもの」と「されざるもの」との対立の図式は、ぼくのこの論考の前半で批判した、今村の「第三項排除」の図式と同型だといえる。今村の理論は、社会的な排除の現象をかつてないほどに鋭く暴きだしたのだが、その宿命論的な記述の仕方自体によって、この暴力の真の実相をむしろ隠蔽してしまったと思える。
 つまり、「されざるもの」(「偶然」)を外部へと排除することによって、場(共同体)が形成され、その安定が保証されるという差別的な構造は、確かにまぎれもない事実なのであるが、そのことをもっと根源的なレベルで捉えると、「概念化されるもの」と「されざるもの」という二項対立の影に隠れるようにして、すべての個体にひとしなみに大きな暴力が働いていると言えると思う。
 この根源的なレベルで暴力を被っているものこそ、おそらく偶然の真の力に関わっているものだろう。
 それはあえて言葉にするなら、生の在り様の根本的な改変の可能性、ただしその物質的な条件そのものを変えていく可能性のことだと思う。
 ぼくには、ヘーゲルに代表される伝統的な思考の重圧に抗して、西洋の現代思想の代表的な思想家たち、たとえばデリダが「亡霊」という概念によって、またドゥルーズ=ガタリが「生成変化」という概念によって、さらにはまたレヴィナスが「顔」という言葉によって、それぞれ暴力から守り抜こうとしたのは、それであろうと思える。
 そう考えると、今村の「排除」をめぐる思想には、やはり弱い面がある。
「概念化されるもの」と「されざるもの」、排除によって形成される同一的な空間(公共空間)の内部に属する者と、その外部に排除される者といった二項対立的な図式だけを強調することは、この二項対立(排除のシステム)そのものを抗えない現実(宿命)のように考えさせて、人々の行為をその宿命の甘受へと向かわせるとともに、ほんとうはわれわれから何が奪われているのかということの自覚を希薄にさせる危険性があると思うのである。
 実際、今村の主張が当時の社会にもたらした効果の一面は、そういうものであったといえる。一言でいえば、それは真の偶然を肯定し構築への実践へと向かうことから、人を遠ざけてしまう面のある思想なのだ。
 真の偶然の力とは、すべての人間に、だがとりわけ公共空間に生きるわれわれ社会のメンバーに、自己とその特権を保証している制度との無根拠性をつきつけ、混交を求める情動と行為の渦のなかへと投げ込むようなもののはずである。ほんとうに肯定されるべき偶然とは、そういうものだ(注18)。
 
6 5への注記
 ただし、ここで非常に重要なことは、先にも述べたように、偶然というものは現実の実践と接続されて考えられたときにしか、その真の力を開示しないということだ。
 実践とは、自分たちの生を規定している物質的な条件を、より暴力性の少ないものへと不断に変えていこうとする意志と行為のことである。
 われわれが知る限り、これまでの人間の社会はたいてい力の不均衡、つまり権力による抑圧と搾取、差別といった暴力のもとで成立してきた。それゆえにこそ、常にそれに抵抗する構築が要請されているのである。また一般論でなく、とりわけわれわれのこの社会において、この不平等や暴力性が顕著であることこそ肝要だ。
 だとすれば、偶然の真の力の剥奪は根源的には総体(すべての人)に関わるとはいっても、その実際の現われは、排除される側の者と排除する側の者とで、同じではありえない。そして、剥奪が総体に関わるものであるからこそ、それを打破し解放しようとする力のベクトルは、常に「より強いもの」へと、内在的にも差し向けられるべきである。
 上で記述した「排除」の実相を実際の社会にあてはめると、まず公共空間のメンバーは、そこに包摂されることによって自己の生の変身や混交の可能性を剥奪される。一方、公共空間から(そのメンバー達によって、でもある)排除される者たちは、排除という暴力を現実に被りつつ、混交の力や生存そのものまでをも奪われようとすることで二重の剥奪を被っていることになる。
 ここで後者に関しても、混交の力が奪われようとすると書いたのは、悪しき統合の原理によって形成された現代の社会においては、公共空間の外部に排除された者たちの生もまた、さまざまな仕方で管理を受け、たとえばその「外部性」を過剰に押し付けられるという仕方によって、実際にはより大きな統合の平面のなかにとりこまれて生や死を迎えることになると考えられるからである。
 非理性的とみなされる他者を排除するような公共空間の論理と、そこから排除されたたんなる事物とみなされる身体(「屍体」)の外部性を強調するような論理とは、この意味で一種の共犯関係を結んでいるとも考えられる。両者は、人々を、偶然へと開かれた実践の断念、生の基礎的な条件を自ら改変して非暴力的・反差別的な社会を作っていくことの不可能性への諦念のなかに閉じこめようとする傾向において、共犯的なのである(注19)。
 だから、この根源的な暴力に抗するにあたっても、言われるべきことは、なによりまず、「排除するな(差別するな)」という命令であり、同じ意味になるが、排除されつつある人々をあらゆる意味において「生きさせよ」と命じられねばならない。
 人々の生存を肯定し、排除を行わせないことは、すべての人にとっての生と混交の可能性を守り、真の偶然の力を奪回するという、普遍的な意義を持つことでもある。排除されるもの(それは同時に各人に内在する要素でもある)を暴力から守ることは、すべての人の生の解放を保証する絶対的な条件なのだ。
 偶然の肯定は、そのことを土台としてしかありえない。非暴力的・反差別的な現実の構築という行為から切り離された「偶然」(生の解放)は、すべて虚妄にすぎないのである。
 
7 偶然と和解
 さて、『精神現象学』において語られる記号の生成、自然との隔たりとしての文化の構築の過程が、共同体の形成という政治的なテーマと深く結びついていることを、先に述べた。このこととの関わりで、これまで論じてきたことの要点を簡単にまとめてみたい。
 共同体の形成、つまり人間の生の基礎的な条件である社会的構築の次元を問題にしたことは、思想史におけるヘーゲルの意義の大きさ(無論、マルクスによって継承された)を示す最大のことだろう。そのことはカントとの対比において、とくに意味をもつ。
 カントの哲学は、近代的な個人における倫理や実践の重要性を唱えたという点で、社会思想の面でも大きな意義があったと思う。だがそこには、自らの生の物質的な条件を現実に構築し変えていくというベクトルは欠けていた。これは、彼の思想に「自然史」的なものの萌芽がみられることと関連しているだろう。
 それに比して、ヘーゲル及び弁証法的思想の決定的な意義は、共同体の形成過程の論理化という形で、生を規定する物質的な条件(ここで、物質という語の意味を最大限にとるとして)をテーマに据えたということだ。それは、この基礎的な条件が、人々にとって変更可能なものであるという考えを可能にする。
 ぼくがここで論じてきたことは、そういうヘーゲル的な思想が内包する意義を、「偶然」概念とそのすり替えという角度において捉えようとする試みだった。つまり、この思想が人々の実践を力づけるものとして働いているのであれば、そこでは偶然というものの力が否認されることなく働いていると考えられる。だが、ヘーゲルの思想が抑圧と支配の装置として機能しているなら、そこに登場しているのは先取りされた「偶然」という記号にすぎないのである。そこに、ヘーゲルの思想のもつ両義的な性格をみることが出来るだろう。
 なぜそのようなことをここで論じる必要があったかというと、実践や変革を力づけるものとしてのヘーゲル・弁証法的思想の意義の忘却と、逆に抑圧装置としてのヘーゲル・弁証法的思想の流行という、いっけん矛盾する状況が、日本のみならず80年代以後の世界的な思想の流れを特徴づけるものだと思われたからである(そのことの大きな原因は、無論ヘーゲルの思想自体にあるわけだが)。
 いずれにせよそれは、物質的な条件の変革と構築という意味での(ヘーゲルが切り開き、マルクスに継承された)社会的実践という課題が、思想のフロントラインから消される傾向にあった時代だと、総括できそうだ。
***
 ここで、これまで偶然をめぐって論じてきた事柄を、このヘーゲルの思想と弁証法に特有な政治的問題系に接続させる道を少しだけ探ってみよう。それは、ヘーゲルが展開するキリスト教的な「和解」の概念に関わるものである。
『精神現象学』全編のなかでももっとも美しく豊かな文章のひとつではないかと思うのだが、「D 精神」のなかの「七 宗教」と題された章、そのなかのギリシャ悲劇を論じた部分のなかでヘーゲルは次のように書いている。
意識が行為に移ると、この対立は現われてくる。つまり、意識は、顕われた知に従って行為するときには、その知がいつわりであることを経験し、内容の上から実体の一方の属性に身を委ねるときには、他方を損い、そのため他方が自分に反抗する権利を認めることになる。意識は、知の神に従うときには、むしろ顕われていないものをつかむことになる、そして知の本性が曖昧であることは意識にもわかっており、それに対する警告も存在していたにちがいないのに、知に信頼をよせた結果、その償いをすることになる。巫女の狂乱、魔女の非人間的な姿、樹や鳥や夢などの声、これらは、真実の現われる姿ではなく、知がいつわりで思慮なく、個別的で偶然であることを、警告するしるしである。あるいは同じことであるが、意識によって損われる反対の威力は、家族のおきてであるにしろ、国家のおきてであるにしろ、言表されたおきて、一般に妥当する権利として現存している。それなのに意識は自分自身の知に従い、顕われたものを自分自身に対し、隠してしまったのである。だが内容と意識が相対して現われてくる威力の真実は、両方が等しく正しいため、行為の結果対立することになると、等しく不正になるという結果〔クレオンとアンティゴネの対立〕を生むことになる。行為が動いて、二つの威力と自己意識的な性格とが互いに没落するとき、両方の統一が実証されるわけである。対立するものが互いに和解するのは、死んで下界のレーテ〔忘却〕〔『アンティゴネ』『コロノスのオイディポス』〕の河にいることである。――言いかえれば赦されて上界のレーテ〔『オレステイア』〕にいることである。が、赦されるといっても、行為がなされたのだから、意識は負い目を解かれたのではなく、犯した罪を解かれたのである。つまり和解とは償いをえて心が安らうことなのである。両方はともに忘れられるのである。つまり、実体という二つの威力、二つの個人性の、また善悪という抽象的思想の威力の、現実と行為は消えたのである。なぜならば、両者のいずれもが本質ではなく、本質であるのは、全体が自己自身に安らうことであり、運命が動かずに統一されていることであるからである。(注20)
 この文章の前半では、自らの「曖昧さ」・不充分さを自覚して不安を感じていながら(「警告」を受けていながら)、知に信頼をよせ続けた結果、その償いをしなければならない羽目に陥る「意識」の愚かさが述べられている。といってもヘーゲルは、この意識の知が不充分であるのは、それが「いつわりで思慮なく、個別的で偶然である」からだと言っているのだから、ここで批判されているのはまだ十分に概念化されていない段階の知であるとは言える。つまり、もっと科学的・客観的な発達をとげればこの不充分さは克服されるかに思えるかもしれないが、じつはヘーゲルの思想においては、知のこうした曖昧さ・不充分さ、偶然性と無意識に対する不安の感情は、消えることのない根本的な要素だという印象を受ける。 
 この偶然性や無意識に対する不安の感情こそが、ヘーゲルの弁証法の、またその統合(和解)の理論の原動力だとも思えるのだ。ヘーゲルの思想と弁証法的思考がもつこの要素は、あらためて言うが、きわめて重要なものだと思う。
 偶然性への直観は、それが不安に満ちたものである限りは、理性や意識の暴走に歯止めをかける、かけがえのない「声」でありつづける。ほとんどそれだけが、歴史が、裸形の人間やあらゆる弱きものたちの歴史であることを保証するだろう。
 そして、後半に現れてくる「和解」という言葉。
 繰り返しになるが、ヘーゲルが「和解」という概念を用いて共同体の政治的な形成過程を何とか捉えようとしたことの意義は、われわれにとっても決して小さなものではない。それは、生を規定する物質的な条件を思考のテーマに据えたということであり、この基礎的条件が自分たちの力で変更可能なものだということを、人々が自覚する道を開いたものだからだ。
「和解」をめぐるヘーゲルの思想は、構築への実践と偶然(他者)性の認識を接続させて民衆の解放を志向する弁証法的な思想の始まりとして、それ自体は今でも重要性を失っていないといえる(注21)。
 だが、ここでもやはり「偶然」の中味が問われねばならない。
 つまり、上のヘーゲルの文章に登場してくる、偶然的なもの、意識の統御を逃れるかにみえるもの、それとの「和解」によって「全体が自己自身に安らう」とされている、その偶然の実体とは、和解による統合のために先取りされた(樫山)ものではないのかということである。
 いわばここでは、「偶然」なるものが、自己と制度の同一性を揺るがすような偶然の真の威力を隠蔽しながら「和解」を正当化するためのアリバイのように使われているのではないか。
 ヘーゲルの語る「和解」に対するぼくの疑義は、月並みだがそのようなものである。
 ほんとうの和解というものは、あくまで真の偶然の肯定の上に、言い換えれば、自分たちの生を構成している基礎的・物質的条件への根本的な問い直しの実践のさなかでこそ、なされるべきだろう。
 もう少し具体的に言えば、他者に対する差別や収奪の歴史と構造に向き合い、それをほんとうに変えていこうとする努力のないところに、偶然(他者)との出会いという生の根源的経験はありえず、したがって真の和解(構築の実現)ということもありえないのである。
 ヘーゲルの語る和解の論理は、こうした真の条件にもとづいてはいない。むしろその否認を可能にするものという側面をもっていると思える。
 ここで、先に(4の冒頭部)引用した樫山欽四郎『哲学の問題』の一節に戻るが、そこでは「承認によって先取りされた偶然」という表現がされていた。承認の概念は、ヘーゲルの思想、とくに歴史に関する考えの根幹をなすともいえるものだが、ぼくのこの論考ではまったく触れることが出来なかった。一言だけ述べておくと、上に書いた「真の和解の条件」とは、この「承認」概念をのり越えるということに関係しているのではないかと思う。
 必ずしも「承認」を媒介しない、つまり承認によって先取りされてはいない真の偶然(他者)に向かって開かれているような和解のあり方を探ること。それこそが、現在のぼくたちに課された社会的課題ではないだろうか。
***
 カフカの短篇「狩人グラフス」では、死の国から忘却の河(「レーテ」)を遡ってやってきたかのような男グラフスの出現が、市長たち町の人間を不安に陥れる。
 グラフスは、自分は大昔、ドイツの深い森、シュヴァルツヴァルトで死んだ狩人であると言う。だがまた彼は、自分は「生きていると言えなくもない」とも言う。「三途の川」を渡りそこねて、彼の乗った舟は「この世の水辺をさまよっている」と言うのだ。
 そして、大昔、生きて山で狩りをしていた頃の記憶を冗舌に語る。
 町と山、文化と自然、今と昔、生と死、それらの境界を曖昧にしてしまい、忘却された(それが「和解」の条件だったはずだ)はずの大昔の出来事を語るグラフスの存在は、市長たち町の住人であり公共空間のメンバーである人々を不安にし、動揺させる。
 だがグラフスは結局、これ以上は町にとどまる意志のないことを告げて、市長を安心させるところで、この短い話は終っている。
 
「お気の毒です」
市長が言った。
「お気の毒なことですとも。それはそうと、当リーヴァの町に、このままとどまっておられるのですか」
 「安心しな」
狩人は微笑を浮かべた。皮肉な口調をやわらげるように、市長の膝にそっと手を置いた。
「いまはここにいるが、ただそれだけのこと、それ以上のことはできやしない。
小舟には舵がないのでね。死の国の一番下手で吹いている風のまにまに漂っていくだけだ」                        
(注22)
 
 グラフスという「排除される者」が浮かべるこの「微笑」には、いかにもカフカ的なambiguity(両義性・曖昧さ)が感じられる。
 カフカはここで、彼の物語がいつもそうであるように意図せずして、市民たちによる共同体は、かならず偶然という厄介で不安を引き起こすものたちの本質を否認することの上に成り立つのだという真理を、スタティックに、またそれゆえに「皮肉な口調」で語り、そのニュアンスを「微笑」にも込めているのだが、それと同時にその「微笑」からは、この共同体の根拠と閉鎖性とがいかに脆いものであるかということを告げる、友愛の予感を帯びた不気味なメッセージが漂ってくる。
 つまり、グラフスの微笑は、偶然そのものの両義性を表現しているとも読めるのだ。宿命への諦念を形成する権力装置の記号としての「偶然」と、混交と無根拠を予感させ人に実践への道を開きもする偶然の不穏な威力との、両義性を。
 この不穏な威力を恐れるゆえに、権力は、いいかえれば国家や市民各自といったものは、偶然を馴致して管理の具に変えようとしたり、そこからひきおこされた不安な情動とエネルギーを差別や排除の暴力へと転化し、利用しようとする。そのとき、偶然をめぐる抗争が開始されるのである。
 実際、そのような不安に満ちた偶然への予感が、否認しがたい力で不意に到来することが、歴史のなかにはある。「魔女の非人間的な姿、樹や鳥や夢などの声」が、本当に人々を脅かしはじめるのは、その時だ。切実となった「偶然的なもの」の到来の予感のなかで、自己とあらゆる境界の無根拠性についての人々の不安は高まり、やがて、近代化の固有的な過程において市民(国民)社会の底部に押しこめられてきた情動が回帰しつつ滾りはじめるだろう。
 こうしたテーマがクリティカルな形で、日本の社会と「現代思想」の前線にはっきりと立ち現れてくるのは、おおむね1990年代以降、つまり日本全体を経済・政治のグローバル化に由来するポスト・フォーディズムとポスト・国民国家の状況が覆いはじめ、またそれに対応した新たな生の無力化の形態である「管理社会」(ドゥルーズ)へと権力のモデルチェンジが進行していく、そうした時代のさなかにおいてであったと思われる。
 
■注
注1 『理性の不安―カント哲学の生成と構造』(坂部恵著 1976年 勁草書房) p163
注2 同上 p174
注3 『暴力のオントロギー』(今村仁司著 1982年  勁草書房 ) p33
注4 同上 p18〜19
注5 同上 p35
注6 この時期に邦訳が出版されて話題を集めたドゥルーズ=ガタリの著作も、流動的な「力」の自己展開としての資本主義経済を肯定するという部分が、当時の日本では特に好意的に受け入れられたと思う。今村やDGに限らず、日本では、マルクスにせよヘーゲルにせよ、「流動」や「力」の肯定というスピノザ主義的な側面が、特に重視されて解釈される傾向があると思う。そのことは、これらの思想が持つ歴史のなかでの「対立」や「矛盾」や「構築」といった要素を軽視する結果をもたらしてこなかっただろうか?またあるいは、スピノザの思想の受容のされ方自体にも、内外のポスト・マルクス主義的な思想界の状況や、日本のローカルな特性から来る、何らかの傾向があったことを考慮するべきかもしれない。
注7 後に柄谷行人が、『倫理21』で自然史的過程からの脱却と倫理的介入の必要性を唱え、また一方で歴史的考察においては(戦争による)「略奪」や「略取」、それに「贈与」といった事象を、ことごとく「交換」の枠組みに内在するものとして捉えて、「交換」の地平のいわば唯物論的無限性(その外部を想定することが罠に陥ることになるということ)というスピノザ・マルクス的な観点を打ち出したことは、(逆説的だが)構造主義的言説と資本制経済の拡大を是認する「自然史観」的な議論の隆盛とへの対抗という意味で、整合性のある態度だったのではないかと思う。
注8 今村のような解釈は、一方で、マルクスやヘーゲルの思想の解釈についての同時代の世界的な文脈のなかにも位置づけることが出来るだろう。へーゲルについては今村自身示唆しているように、それはコジェーブやその弟子たちによる読解に、特によく示されているものではないかと思う。「闘争」を重視するヘーゲル観を提示して、バタイユをはじめとする戦後フランスの思想家たちに、またフクヤマのような人にも強い影響を与え、今村にも少なくとも強い関心を抱かせたらしいコジェーブが、来日時に日本の社会や伝統に「動物化」した社会のひとつの究極的なモデルを見出し、そのことが東浩紀に代表される90年代以後の「日本的ポストモダン」の論者たちにおおむね肯定的に受け取られたことは、「闘争」「暴力」を肯定・受容する態度と、「ポストモダン」的な態度との同根性という観点からも、よく考え直されるべき事柄だと思う。
注9 『精神現象学』(G.W.F.ヘーゲル 樫山欽四郎訳 1997年 平凡社) 下巻 p29
注10 同上 p30〜31
注11 先の脚注で述べたコジェーブとの関連も考えると、それはむしろ端的に「自然主義的」と呼ぶべきものかもしれない。ただ、かつて中村光夫も『風俗小説論』のなかで指摘したように、日本における自然主義の受容には、シニカルな反構築性という面で際立ったものがあると思う。また他方、「自然史」という言葉をめぐっては、ベンヤミンやアドルノの思想との関連も、当然考えられねばならないだろう。今後の課題としたい。
注12  前掲 ヘーゲル『精神現象学』 上巻 p284〜286
注13 「竪坑とピラミッド」で、デリダはこのヘーゲル的な記号が、じつは記号の形式性に対するヘーゲルの直観によってとりつかれていることを示して、意味や概念による支配を揺るがそうとしたわけだが。
注14  『哲学の課題』(樫山欽四郎著 2004年 講談社学術文庫) p276〜277
注15 その代表的な人は、もちろんフクヤマだが、資本制経済の野放図な拡大という現状を正当化するために、弁証法を歴史決定論的な論理としてのみ使用するイデオローグ達の存在は、今の日本にもあまた見られるだろう。
注16 『墨子』(浅野裕一著 1998年 講談社学術文庫 ) 第十一章 非命上篇
注17 前掲 ヘーゲル『精神現象学』上巻  p317
注18 実際、今村の主著『排除の構造』のなかでも最も示唆に富む箇所は、排除される対象が選ばれる際の偶然性・恣意性や、排除される者が強いられる「変身」の暴力性に関わる記述だと思う。この点は、いずれ別個に検討したい。
注19 ぼくはここでかりに、「ハーバーマスとアガンベンの共犯性」という言葉で、この事態をイメージしようとしたが、この両者の基底にはやはりアーレントの存在を(無論、両義的にではあるが)見出すべきかもしれない。
注20 前掲 ヘーゲル『精神現象学』 下巻 p331〜332
注21 この意味でぼくは、たとえばウルリッヒ・べックの「サブ政治」論のようなカント主義的(世界公民的)な議論に対しては、それが歴史性・固有性や責任主体に関する次元の重要さを隠蔽することに加担するものではないかという疑念をもっている。
注22 『カフカ短篇集』(池内紀編訳 1987年 岩波文庫) p115
 

★プロフィール★
岡田有生(おかだ・ありお) 1962年生まれ。男性、独身、親と同居。プロフィールに書くようなこともなく現在に至る。ブログ:Arisanのノート

Web評論誌「コーラ」16号(2012.04.15)
<現代思想を再考する>第3回:グラフスの微笑――宿命と偶然(記号と埋葬2)(岡田有生)
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