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Web評論誌「コーラ」
06号(2008/12/15)

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■ぼくはこの人が大好きなんだ
 
(……)大好きな人の前でひょうきんな子供がよくやるように、私は得意の歌を歌い、踊りを披露し、知っているかぎりの話題をおしゃべりした。もう五月も末だったが、自分の誕生日が近いこともあって、私はささやかな武者人形のコレクションを仕舞わないでそのまま飾っておいてもらっていた。大切な秘密を打ち明けるような気持ちで、私は網野さんをその人形の飾ってある奥座敷に、そっと案内した。
「見てください、きれいでしょう」
「ほお、馬に乗ったこの武将は誰なの」
「知らないの。八幡太郎義家という人だよ。ぼくはこの人が大好きなんだ
「ほお、どうして」
「よくわからないけれど、この人を見ていると、胸がドキドキするの。この人の話を知っているなら聞かせて」
[太字は引用者による]
 
 むろん、「網野さん」は知っていた。そして「ぼく」に八幡太郎義家の悲劇的な物語をしてくれた──五歳の誕生日を迎えようとしていた「ぼく」とは、幼い日の中沢新一であり、そして「網野さん」とは、「ぼく」の父の妹である叔母と結婚したばかりの若い歴史学者、網野善彦である。「なによりも自由で、いっさいの強制のない、愛情のこもった関係」のそれがはじまりだったと、四十数年後、網野の死に際して中沢は記す。
 
 この魅力的なやりとりを私に電話口で読んで聞かせてくれたのは、友人の平野さんである。聞きながら、「ほおー」と私は感心していた。すでに大好きな人の前であるかのようにふるまっている子供は、大切な秘密(同性への愛である)を相手に共有させ、相手から知識を引き出すことでいっそうそれを濃やかなものにしようとしている。わずかこれだけの間に、なんと深いフレーズのかずかずがちりばめられていることか。
 むろん、私が感心したのは、こうした例を見逃さない平野さんにである。
 
「これが女の子だったら、この話は成り立たない」
と平野さんは言うのだった。
「ずいぶんませた子だと思われるだけでしょう」
 
 なるほど、その女の子が、男の子と同様、「きれいな武将」への未分化のあこがれ――同一化と対象愛を二つながらに具えた――を抱いていたとしても、すでに男の目には「小さな女」としか映らない彼女に〈男〉への同一化は阻まれており、ヘテロセクシュアルの〈女〉が〈男〉に胸をときめかせていると不当にも断じられてしまうわけか。
 これは別に、会話をかわしている「ぼく」と「叔父さん」が意識的に〈女〉を排除しているというわけではない。構造的にそうなのだ。
 
 イヴ・コゾフスキー・セジウィックは、しばしば誤解されているように「ホモセクシュアル」と「ホモソーシャル」を峻別してみせたわけではない。セジウィックの著書“Between Men”のサブタイトルは“English Literature and Male Homosocial Desire”であり、歴史学や社会科学の用語であって同性からなる社会を意味する「ホモソーシャル」に、あえて「欲望」という語を接続させ、homosocial desireというオクシモロンにしたのだと彼女は述べている。つまり、通俗的な理解とは逆に、「ホモソーシャル」なものに(ホモフォビアに抗して)「ホモセクシュアル」なものを読み込むことこそ、セジウィックの方法であるのだ。
 
 「叔父さん」と「ぼく」の、武者人形という憧憬[しょうけい]の対象を介した――それは「ぼく」の成長につれて、やがて学問という彼らの共通の関心事へ、互いに語り合い、刺戟し合い、長いこと男性の専有物だったホモソーシャルな知的共同体の豊かさを、かつて八幡太郎義家の物語を共有したようにわかちあい、知的な生産物を通して認め合うことへと昇華されてゆくだろう――関係性は、ホモソーシャルなものがホモエロティックなものに裏打ちされていることの好例と言えよう(エロティシズムに基づかない薫陶など何になろうと、確かタルホも言っていた)。彼らの関係が明示的に「ホモセクシュアル」だと言うのではない。そうである必要さえありはしない(むろん、そうであったとてかまわないが)。
 
 平野さんは、『ぼくの叔父さん』に加え、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(1937年初版)を読むよう私にすすめた。一つには、後者もまた甥と叔父(こちらは母の弟)の登場する、息子に「立派な男になってもらいたい」と望んだ亡父の遺志を継ぐ者である若い「叔父さん」に、しかし、父権的な威圧感や押しつけがましさなど微塵も感じさせない、つまりは「自由で強制のない」やり方で、教え、導かれつつ、日々成長してゆく少年の物語であるからだが、もう一つ、平野さんは、岩波文庫版の丸山眞男による解説をぜひ読めと言うのだった。
 
■君たち、男の子
 
   二冊の本を読み終えた私は、しばらく前に読んだ高田里惠子の『グロテスクな教養』が、『君たちはどう生きるか』を参照していたことを遅まきながら思い出した。
 
 『赤頭巾ちゃん気をつけて』1969年)の著者、庄司薫が丸山眞男と師弟関係にあったことを『グロテスクな教養』で私ははじめて知ったのだが、高田によれば、この庄司薫の処女作に出てくる、主人公薫くんの「下の兄貴」は、『君たちはどう生きるか』の主人公“コペル君”の叔父さんに相当し、そして薫くんは、「東大法学部卒の高等遊民」である「下の兄貴」からもらった「『いまや全共闘学生の目の敵にされ、左右から批判されている、東大時代の恩師・大山先生(丸山眞男のこと)』の『ガリ版ずりの思想史の講義プリント』に『相当にまいってしまって夢中で読んだ』り、『兄貴が友人同士で回覧しているノートの雑文をのぞいたり』」しているのだという(昔、私もこの小説──高田里惠子に言わせると「これを小説と思ってはいけない、これは教養論なのだ」──は読んだはずだが、どうもピンとこなかったという印象しか残っていない)。
 ちなみに、『君たちはどう生きるか』では、講義プリントならぬ「おじさんのNote」が時折り挿入されて、コペル君と読者は、そこで叔父さんの意見をじかに聞けるという仕組みである。
 
 すっかり忘れてしまっていたが、『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、大学紛争の影響で東大入試がなかった年の五月に、すでに発表されていたのだった。「その年の一月に、全共闘運動の一つの頂点となる東大安田講堂攻防戦があり、ついに東大入試の中止が決定された。こうして何となく宙吊りになってしまった東大受験生たる日比谷高校三年生『薫くん』が過ごす二月のある一日が、ここに描かれている。都立日比谷高校は、当時、東大合格者第一位の学校で、二百名近い合格者を出していた」そうである。
 「日比谷高校には『女の子』もいたはずなのだが、『女の子は数も男の三分の一で、それに他を落ちて『日比谷に回されちゃったの』なんていう可愛い足弱さんがいっぱいいるってな、ちょっとした西部劇の雰囲気なんだ』そうだ」。
 
 高田里惠子の示すように、旧制高校以来の教養主義の衰退を決定づけたのが大学紛争であり、都立高校への学校群制度導入の時期とほぼ並行するのであるならば(薫くんは間違いなく学校群以前に入学しているし、庄司薫はそれより十三年長、つまり、彼自身は主人公と同じ名を名乗ってはいてもむしろ「兄貴‐叔父さん」の年齢であり、「大山先生」に学んだ“教養”ある世代なのだ)、この小説の内容をアクチュアルなわが事として読んだと生徒(当然男の子であろう)が書いていたという話を、高校の図書館にあったニューズレターか何かに教師が載せているのを見て、自分はそんな学校(東大を目指す男の子の学校)に入っていたのかと一驚した私にもまんざら無縁なわけではないのだが(ちなみに私の行っていた学校では女子の定員は男子の四分の一、倫理・社会の先生は教科書などはなから無視して「思想史の講義」をしていた)、それは別の話として、『グロテスクな教養』は最終章で女子の場合を扱うが、それがホモソーシャリティから排除された者にとっての「教養」の意味ではなく、「お育ちの良さをあらわす」ものである「女性の教養」、「『男探し』という女の一大使命と女の教養とは切りはなせない」という「命題」をめぐるものであったのには少々はぐらかされたような気がしたが、実際、高田も指摘するように『君たちはどう生きるか』は「男の子いかに生くべきか」(『赤頭巾ちゃん……』初版の惹句だという)を問うており(反復される「男らしく」という言葉にもそれは明らかだ)、「君たち」に原理的に「女の子」は含まれない??はずである。しかし、吉野の本は、ここで奇妙な綻びを見せる。
 
 この小説(いえ、教養論!)では主人公のコペル君自身、「大きな銀行の重役だったお父さんがなくなったのち(……)召使の数もへらして、お母さんとコペル君の外には、ばあやと女中が一人、すべてで四人の暮しになりました」という、総中流意識で生きてきた戦後育ちを鼻白ませずにはおかないアッパー・クラスに属する子であるが、同級生にはその上を行く本物のブルジョワ、水谷君もいて、その姉「かつ子さん」は重要な役をつとめるが、にもかかわらず高田里恵子は彼女に言及していない――たぶん、「女の子いかに生くべきか」という問い直しに応えて登場させるにはあまりにも絵空事的な存在に思えたのだろう。なにしろ「かつ子さん」は高等女学校から女子大学へという、当時の女性に許されたものとしては最高級の教育を受けられるエリートであるし、それだけならともかく、「キリッとした顔立」で声も美しく、「女の癖に、コペル君たちと同じように、ズボンをはいて」おり、それだけならともかく、「いわゆる万能選手で」「バスケットボールでは級の選手、ヴォレーボールでは学校の代表選手、ランニングは混合リレーの短距離を受け持っていましたし、高跳と幅跳びはレコードホルダーです」というスーパーウーマンで、それだけならともかく、「一番熱心なのは跳躍で、実は、この次のオリムピックに、日本の婦人代表選手になってやろうという希望をもって」おり、もっているだけならともかく、「それで、お父さんもかつ子さんのために、庭の芝生のはずれに、立派な助走路のついた正式の跳躍競技場をつくってくれました。メートル尺を記した白塗りのポールも本物なら、跳び越えるバーも正式のもので、神宮競技場とちっとも変わらないんだからたいしたものです」というのだから、もう、たいしたものだとしかいいようがないではないか。
 
 「かつ子さん」の本領は、しかし次のようなところにある。彼女はナポレオンに心酔して、弟とその友人たちという年下の男子を相手に、ズボンのポケットに手をつっこみながらナポレオンの英雄性を熱く語り、コペル君にもその情熱を感染させてしまうのだが(それを知った叔父さんは、早速ナポレオンの偉大さについてのNoteを書くことになる)、彼女自身、「男らしさ」にあこがれ、自分がナポレオンになりたいと思っていることが言葉の端々にうかがえる(ついでに言えば、『君たちは……』において「男らしい男」と「立派な人間」は同義である。女の子用に別の美徳(あるいは別の教養)が用意されているわけではない)。「ああ、あたし、一生に一度でもいいわ、身を切られるような思いをして、この精神を味わってみたい! どんなに、すばらしいでしょう!」

  「姉さんはね、自分がナポレオンになったつもりなんだよ。
  と、水谷君は小声でいいました。コペル君は目を丸くしました。
 
   コペル君、驚くことはない。当然のことではないか。八幡太郎義家の人形に胸をどきどきさせる男の子同様、ナポレオンにあこがれるとはナポレオンのようになりたいと思うことであり、それはそう思う者が少女であろうとなんら変わるところはない。それとも君は、ナポレオンの妻だの愛人だのになりたいと思うだろうか。目下宣伝中の映画で言えば、『レッドクリフ』の主要キャラ四人がまるで同等であるかに並んでいようと、誰が小喬になどなりたいものか。
 
■なにをいうかこのなまいきな小娘が
 
 『グロテスクな教養』の著者には一顧をだに与えられない「かつ子さん」に過剰な反応を見せているのが、ほかならぬ『君たちはどう生きるか』の解説者、丸山眞男である。もともとは吉野源三郎が亡くなった際の追悼文だという、初読時を回想しての文章の中で、丸山眞男が「かつ子さん」を評する言葉はこうである。
 
この作品は、二十歳台の青年だった私に、目からうろこの落ちるような思いをさせたパッセージにみちていた、とはいいながら、そのなかに多少の違和感を覚えさせた箇所や人物もありました。たとえば、人物についていうならば、水谷君のお姉さん――あのおかっぱ髪をしたブルジョワ令嬢の「かつ子さん」の言動は、著者がそれをどのように位置づけているのか、もう一つはっきりしないためもあって、私に、なにをいうかこのなまいきな小娘が、という印象を与えたことは否めません。
 
 読む以前に平野さんから内容をかいつまんで聞いたときには、そうか、丸山眞男にとって理想とは男たちでのみ共有されるべき、女の容喙を許さぬものだったのかと思ったが、実際に読んでみるとこれに続く部分で、丸山は「かつ子さん」を髣髴とさせる島木健作の短篇の登場人物(男に対し居丈高にふるまう女党員)のみならず、「東大の消費組合の部屋あたりにも」いて「出入りする東大生をこういう調子[島木の小説の女党員のような調子]であしら」った「知的な美人――一種「女王」のような存在」といった現実の人物まで引き合いに出し、「島木の小説の女党員よりは、はるかに上質にしろ、「かつ子さん」のような進歩的ブルジョワ娘は必ずしも吉野さんの観念的な作物とばかりはいえないでしょう」と結ぶので、これではいくらなんでも丸山の実生活上のルサンチマンで認識がゆがめられていやしないかと思えてきて、丸山眞男は東大の消費組合だかなにかにいたコミュニストの女に手ひどく振られたんじゃない? 吉野源三郎のほうはきっとこういう「かつ子さん」みたいな女が理想なのよね、リアリティなくても。そのことを普通に冷静に指摘できないほど、知的な美人に酷い目にあったんじゃない、丸山眞男は、と、ロラン・バルトに傾倒したテクスト論者(?)にはふさわしからぬお喋りを平野さん相手に電話でした。
 
 ちなみに、私にこの本を薦めた際の平野さんの丸山に対する批評はただ一言、
 
  丸山眞男のミソジニー炸裂!
 
であった。
 
 ここまで書いたところで、貸してくれる人があって『クィア論叢』創刊号に目を通すことができた。黒岩裕市という人の論文「“homosexuel”の導入とその変容??森鴎外『青年』」に目をひかれた。なぜなら、ここで述べられているホモソーシャリティの概念は、私が先に触れた通俗的な解釈とは無縁な、実に適切なものであったから。“Between Men”を参照ししつつ、彼は次のように説明する。
 
西洋近代社会では、友情や同胞愛といった男性間の社会的絆と男同士の性愛、すなわち、ホモソーシャリティとホモセクシュアリティは強烈なホモフォビアによって分断されている。しかしセジウィックは、古代ギリシアの市民階級における成人男性と少年の「性愛の要素が附加された師弟の絆」であるところのペデラスティを例に出し、男性のホモソーシャリティが必ずしもホモセクシュアリティと分断されているわけではないことを示す(5-6)。
それを踏まえて、撞着語法的な「ホモソーシャルな欲望」が仮定され、「最も肯定されてしかるべき男性のホモソーシャルな絆と、逆に最も非難されてしかるべき同性愛とを比べると、両者には往々にして重要な類似や一致が認められる」ことが強調される(135-137)。ホモセクシュアリティとホモソーシャリティは連続的であるからこそ、異性愛者を自認する男性が自分自身の同性愛の欲望に直面した場合に、自らのアイデンティティが撹乱され、激しい恐怖に襲われるのだ。セジウィックはそうした状態を「ホモセクシュアル・パニック」と命名した。
 
 これだけきちんと書いてもらえば、私などがセジウィック云々と喋々することはないだろうとさえ思えてきた。このようにセジウィックの概念を解説した上で、黒岩は鴎外の『青年』をそれを使って分析している。しかし、最後まで読んでの率直な感想を言えば、実のところそっちは物足りなかった。『青年』においては主人公小泉純一に向ける自分の気持ちを、年上の医学生大村が、一瞬“homosexuel”[仏語、オモセクシュエル]ではないかと感じる(「自分はhomosexuelではない積りだが、尋常の人間にも、心のどこかにそんな萌芽が潜んでゐるのではあるまいかといふことが、一寸頭に浮んだ」)のだが、これについて黒岩は次のように述べる。
 
“homosexuel”とは、19世紀後半の精神医学を経由したものであるため、一見、彼らの〈友情〉が〈科学〉的に再解釈されるように見える。しかしテクストでは、“homosexuel”の方が変容することになる。精神医学において、個人内部の特殊な〈素質〉によって“homosexuel”という〈種族〉に「局所化」された同性愛が、『青年』では「尋常」の人間へと「一般化」されるのだ。さらに“homosexuel”が「同性の愛」と結ばれることで、男同士の〈友情〉は〈愛〉化され、崇高化される。[論文冒頭「要約」より]
 
 上記のような事柄は、なるほど本文で論証されているようである。だが、それが、セジウィックの枠組をたんに日本の小説にあてはめただけではないか、そのため『青年』を利用したにすぎないのではないかという疑いが起こってくるのは、読んでいて面白みが少ないからだ。小説とは、「枠組」では押え込めないノイズで満ち満ちているものだ。小説を論じるならその文章にもノイズが欲しい。過剰さが欲しい。少なくとも驚きが欲しい。分り切ったことばかりで構成されていたのでは物足りない。私は断然『青年』が読みたくなった。読んで、ここで論じられていることがどれだけ妥当であるか確かめたくなった。
 
 幸い、手持ちの「森鴎外集」にそれは入っていた。『赤頭巾ちゃん……』ほど昔にではないが、一度は読んだはずの話である(実際は初見同然だった)。古くて註釈もないから、ルビつきで挿入されるドイツ語が全く解らない。それでも読めるから読んだ。面白い。何よりも、出てくる女たちと主人公との関係が面白い。黒岩論文でも女たちについてはある程度触れられているが、その解釈に異を唱えたい点もいくつか出てきた。
 
 結論として、黒岩は、「『青年』という文学テクストに指摘できる“homosexuel”の変容は、〈科学〉言説に基づいて浸透しつつあった性愛規範を、日本の性欲学に先回りして、問いなおすものであると言えるのではないだろうか」と述べ(「性欲学」がやがて特殊な〈種族〉として「局所化」することになる性愛規範が、『青年』という小説の持つ「ホモエロティックな男同士の〈友情〉の表象」により、あらかじめゆるがされているということだ)、そこに次のような註がつけられている。
 
とはいえ、それが〈霊肉二元論〉に基づいて〈霊〉化された男性同性愛であり、かつ、男性のホモセクシュアリティの崇高化を通じて、女性が〈肉〉へとミソジニスティックに押し込まれる点を見逃すことはできない。
 
 このただし書きは言わずもがなで、やおいがゲイ男性に対する表象暴力になる点を見逃すことはできない、といった例のpolitical correctly(なつもり)の紋切型を思い起こさせもするし、「男性のホモセクシュアリティの崇高化を通じて、女性が〈肉〉へとミソジニスティックに押し込まれる点を見逃すことはできない」とはやおいそのものにそのまま適用できるフレーズかとも見えてくるのだが、それはまた別の話で、ここでは、『青年』に出てくる女たちにもう少し細やかな視線を注いでおきたい。『青年』の女たちはありがちなtype[チイプ]に見えてそれにはおさまりきらない繊細さを持っているので、それに先立つ単純な結論のために、ここで彼女たちがミソジニーの犠牲者として一括りにされてしまうのもつまらない話だと思う。女たちに注目することで、『青年』からはもっといろいろなことが読み取れよう。以下ではそれを試みたい。
 
■なんといふ可哀い目附きをする男だろう
 
 独学でフランス語をマスターして東京に出てきたばかりの、しかし、新品の着物で上から下までキメて「昨夕始めて新橋に着いた田舎者には誰にも見えない」、女たちの目を引く外貌の純一の前にはさまざまな女が現われるが、私が一番面白いと思ったのは三枝茂子である。
 
 茂子は、例の「自分は“homosexuel”でない積りだが(……)といふことが、一寸頭に浮んだ」と木村の心中が語られたすぐあとに現われる。これに先立って、純一と木村は数ページにわたって議論をしている。ルソオ、ニイチェ、ワイニンゲル、マアテルランク、ショペンハウエルといった名前がちりばめられたこうした箇所を、たぶん私は前回読んだ時は飛ばしてしまったのだろう。とはいえ、少々飛ばしたところで、また議論の中身が解らずとも、議論そのものが古くなっていたとしても問題はそうあるまい。重要なのは、「これまでになく打明けて、盛んな議論を」した末に、大村が黙り込み、「純一も黙って考へ込んだ。併しそれと同時に尊敬してゐる大村との隔てが、遽かに無くなつたやうな気がしたので、純一は嬉しさに思わず微笑んだ」という地点に至ることなのだから。そして二十行ばかり先で、二人は「言ひ合せたやうに同時に微笑んだ」とある。これは、若さを失うとか死とかの話が出て、「二人はまだ老いだの死だのといふことを際限もなく遠いもののやうに思つてゐる」ので笑ったのである。章があらたまっても、二人は「食事をしまつて茶を飲みながら、隔てのない青年同士が、友情の楽しさを緘黙の中に味はつてゐた」と描写される。大村が便所に立った隙に、純一は『青い鳥』の原書にはさんでいた藝者おちゃらの名刺を袂に隠す。
 
 実は純一は、しばらく旅行に出るので「告別の心持で」訪ねてきたという大村に(そう聞いた純一は「心から友情に感激」する)、卓上の『青い鳥』を手に取られ、おちゃらの名刺を見られるのが「心苦しい」ので、自分から本を取り上げて議論をしかけたのである。黒岩が「〈肉〉の要素が大きい」女たちとの「関係と大村との絆は交わらないように描かれる」と述べている通りで、「単なる口実であったはずの議論がおちゃらの名刺を凌駕し、彼らの〈友情〉は深められることになる」。戻ってきた木村はそろそろおいとましようかと言うが、純一は引きとめる。
 
  「旅行の準備でもあるのですか。」
  「何があるものか。」
  「そんなら、まあ、好いぢゃありませんか」
  「君も寂しがる性だね」と言って(後略)
 
 「彼らの間のミソジニーとエロティシズム」が「頂点に達する」と黒岩が言う、大村の発言はこの直後である。
 
「寂しがらない奴は、神経の鈍い奴か、さうでなければ、神経をぼかして世を渡つてゐる奴だ。酒。骨牌。女。Haschisch.」
二人は顔を見合せて笑つた。
 
 「女性はアルコール、賭博、麻薬と一括りにされ」(黒岩)ているとは確かにその通りなのだが、ここで二人が、再び「顔を見合せて笑つて」いることに注目したい。一括りにされたものによる慰安を「官能的受容で精神をぼかし」てしまう「精神的自殺」と見なす純一は、「神経の異様に興奮したり、異様に抑圧せられたりして、體をどうしたら好いか分らないやうなこともある。さう云ふ時はどうしたら好いだらう」と問う。これに大村が応えるうちに、数十行先でまた、
 
  二人は又顔を見合せて笑った。
 
が来る。
 
 それに続く段落はこうである。
 
 純一の笑ふ顔を見る度に、なんと云ふ可哀い目附きをする男だらうと、大村は思ふ。それと同時に、此時ふと同性の愛といふことが頭に浮んだ。人の心には底の知れない暗黒の塊がある。不断一段自分より上のものにばかり交るのを喜んでいる自分が、ふいと此の青年に逢つてから、餘所の交りを疎んじてここへばかり来る。不断講釈めいた談話を尤も嫌つて、さう云ふ談話の聞き手を求めることは屑[いさぎよし]としない自分が、この青年のためには饒舌して倦むことを知らない。自分は“homosexuel”ではない積りだが、尋常の人間にも、心のどこかにそんな萌芽が潜んでゐるのではあるまいかといふことが、一寸頭に浮んだ。
 
 黒岩は、大村の発言を受けて二人が顔を見合せ微笑むという「ミソジニーとエロティシズム」の「頂点」を「発端として、その時までの彼らの〈友情〉とは異質なものに思われる“homosexuel”という言葉が大村を過ぎる」として、今私が引いたのとまったく同じ箇所を引くのだが、それは本当に「異質」だろうか。気の合う相手と話をはずませ繰り返し微笑みかわすうち(まして、この直前には、もてあました體をどうしたら好いでせう、なんて話をしてるんだし)、そのような認識が心をかすめ過ぎるのは、ごく〈自然〉なことではなかろうか。
 
 「こうして“homosexuel”という言葉が引き合いに出されているため、ここでは一見、イヴ・コゾフスキー・セジウィックが提唱する「ホモセクシュアル・パニック」が展開されているかのように読める」と黒岩は言うのだが……読めないって。控えめに言って、大村は自分の感情を少しも不快とは思っていない。あたりまえじゃないか、可哀い目附きの青年に懐かれているんだもの。セジウィックの言っていることは、コンテクストを無視してどこへでもあてはめられるものじゃないし、“homosexuel”概念も万能じゃない。
 
 デイヴィッド・ハルプリンによれば、古典期アテナイ人はアキレウスとパトロクロスのどちらが攻めでどちらが受けかが非常に気になったが、『イーリアス』成立時のギリシア人はそういうカテゴリーで男同士のエロティシズムを捉えていなかった。ましてや、現在理解されている意味での「同性愛者」が、歴史を通して地球上のあらゆる場所に存在していたわけではありえないという。過去の人々をどう見るかというその見方は、実は現代人の自己認識にかかわっている。だから、1911年に日本で書かれた小説に“homosexuel”という言葉が出てきたって、その語が心をかすめた者が「ホモセクシュアル・パニック」に陥っているなんて軽々に判断してはいけない。たとえその書き手が、西洋近代医学を学んできた軍医総監殿だったとしても。もっとも黒岩は、本当にそうだろうかと言って、ひっくり返すために書いているんだけど。先行研究に「『セジウィックの指摘を踏まえつつ、「ホモソーシャル体制下では、女を介さない男同士関係は、危険で成算のない男同士の所有の争い』にしかならないため、『西洋近代医学のオーラを纏って原語そのままに引用される』“homosexuel”という語は、『テロの脅迫のよう』に木村や純一に届くだろうと論じられている」んだって。
 
 だからさー、そんな魔法の言葉じゃないんだってば、“homosexuel”っつーのは。
 
参考文献
中沢新一『ぼくの叔父さん 網野善彦』(集英社新書)
Eve Kosofsky Sedgwick "Between Men: English Literature and Male Homosocial Desire" (Colombia University Press)
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)
高田里惠子『グロテスクな教養』(ちくま文庫)
黒岩裕市「“homosexuel”の導入とその変容――森鴎外『青年』」『論叢クィア』第1号(クィア学会)
『現代文豪名作全集6 森鴎外集』(河出書房)
デイヴィッド・M・ハルプリン『同性愛の百年間――ギリシア的愛について』(法政大学出版局)
 

★プロフィール★
鈴木薫(すずき・かおる)加藤泰の映画の話を書くつもりが、うちつづく偶然の出会いが思いがけないものをイモヅル式に引き出して(リゾーム状に生成、でもいいですけど)しまいました。どこから? 私の頭の中からでないことだけは確かです、外部と接続することによってのみ表層的に作動しますので。まだまだズルズルしていて終りませんが、とりあえずは『論叢クィア』を貸してくれたSさん、それから『青年』(ちっとも古びていない小説です)を読む機会を与えてくれた(にはとどまりませんが)黒岩さんに感謝いたします。そしてもちろん、平野さんと電話で接続されていなければ書き出すことさえできなかったでしょう。

Web評論誌「コーラ」06号(2008.12.15)
「新・映画館の日々」第6回:〈ホモソーシャルな欲望〉再考(1)(鈴木 薫)
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