一體私は衣服反物に対して、単に色合ひが好いとか柄が粋だといふ以外に、もつと深く鋭い愛着心を持つてゐた。女物に限らず、凡べて美しい絹物を見たり、触れたりする時は、何となく顫ひ附きたくなつて、丁度戀人の肌の色を眺めるやうな快感の高潮に達することが屡々であつた。殊に私の大好きなお召や縮緬を、世間憚らず、恣に着飾ることの出来る女の境涯を、嫉ましく思ふことさへあつた。
「一も二もなく其れを買ふ気になり、ついでに友禅の長襦袢や、黒縮緬の羽織までも取りそろへ」、「襟足から手頸まで白く塗つて、銀杏返しの鬘の上にお高祖頭巾を冠り、思ひ切つて往来の夜道へ紛れ込んで見た」主人公について、谷川は次のように言う。「男は、みずからを女と仮構することによって、「練りお白粉」や「長襦袢、半襟、腰巻、それからチュッチュと鳴る紅絹裏の袂」が与えてくれるところの「普通の女の皮膚が味はふと同等の触感」を享受しようとする。女の肌を眼差し、あるいはそれに触れようというのではない。自分の肌を女の肌と想定する屈折した意識のもとで、外からのではなく内からの皮膚感覚に身を委ねようというのである。」
これはもう、「亡き母の薔薇の刺繍のついている毛の下穿きをはくと、体の中に甘いやさしさが広がって、自分も母のように心細やかに感じました。おばがもったいないといって着なかったピスタチオ豆の色の緑の絹のブラウスが裸の肌に触れると(...)」と述懐するパムクの「咄し家」の世界ではないか。
『金色の死』を作者が嫌ったことについて谷川は、もともと「ひたすら女性の美を、その肌の白さを称揚し続けた」谷崎は、『金色の死』に関しては《「男性美は女性美に劣る」との抜きがたい信念のために、何か中途半端な、不徹底な、不自然な作品にしてしまったとの思いにとらわれたのではなかったろうか》、「男性美の存立を描くことそれ自体の不可能をみずからの気質において悟らされたからではあるまいか」と述べる。そして、「三島由紀夫と谷崎潤一郎の二人の作家を、ナルシシズムとマゾヒズムという精神分析的概念であげつらうことは避けようと思う。[...]二つの概念を単純に対立させることに、さほど意味があるとは思えない」と言う。
三島と谷崎の差異は、前者が肉体をトポスとする自己作品化の美学を自己の死によってまっとうしようとしたのに対して、後者が、白い紙に文字を置いていく作家としての作業と、刺青師のように女の白い肌に図柄を浮き出させる行為に固執し続けることを重ね合わせて、あくまでも男を製作者、女を作品として自立させていく道を選んだことにある。二人の作家の「肉体」というトポスにおける交叉と差異を、そのように見ることができるのではないだろうか。
これは何とも凡庸で空疎な比喩としか言いようがなくて、別にナルシシズムもマゾヒズムも使いたくないのなら使わなくてもいいけれど、同性愛と異性愛という概念をどうして使わなかったのかは説明しておいてほしかった。むろん、それらを「単純に対立させ」たところで意味はないが。
「解説」に三島は次のように書いている。
「芸術は先づ自己の肉体を美にする事より始まる」から、岡村君は機械体操に熱中しかつその美貌を磨き立てるのであるが、同時に岡村君は男であるから、その官能の命ずるところ、美的対象として女を求め、「人間の肉体に於て、男性美は女性美に劣る」といふ結論に達せざるをえない。もし岡村君がゲエテのやうに、「純粋に生物学的見地から見れば、男性美は女性美にまさる」と言つてゐるのならともかく、官能的享受がすべての美の客観的(!)基準だと信ずる岡本君は、女性美の優越性を認めざるをえない。そのとき、なぜ「自己の肉体を美にする事」が必要なのか、そこに撞着が起るのである。
三島を念頭において必要な修正を加えるならば、彼の場合、「その官能の命ずるところ、美的対象として男を求め、「人間の肉体に於て、女性美は男性美に劣る」といふ結論に達せざるをえない。官能的享受がすべての美の客観的基準だとすれば、三島は「男性美の優越性を認めざるをえ」ず、それゆえ「自己の肉体を美にする事」が必要だったということになろう。谷川の議論が不得要領なのは、両性具有が男の特権であることと、同一化のシステムを見誤っているからだ。『秘密』という短篇をもう少し細かく見てみよう。『秘密』は、谷川が要約するような、「男が女装の快楽にうつつを抜かす話」ではないのだから。
先ほど、『秘密』の語り手の、女の衣裳を触覚的に味わうことで女になるという描写を引いて、パムクの「咄し家」と似ていると言ったけれど、実はこの二人には大きな違いがある。「咄し家」が男から〈女〉として見られ、欲望されることを望んだのに対し、「もう一度幼年時代の隠れん坊のやうな気持を経験して見たさに、わざと人の氣の附かない下町の曖昧なところ」に「身を隠し」、外出するときは変装に正体を紛れさせている「私」は、「芝居の辨天小僧のやうに、かう云ふ姿をして、さまざまの罪を犯したならば、どんなに面白いであろう」と思い、「探偵小説や、犯罪小説の讀者を始終喜ばせる「秘密」「疑惑」の氣分に髣髴とした心持で、私は次第に人通りの多い、六區の公園の方へ歩み運んだ。さうして、殺人とか、強盗とか、何か非情な残忍な悪事を働いた人間のやうに、自分を思ひ込むことが出來た」と語るのだ。そして「常磐座の前へ來た時、突き當りの冩眞屋の玄関の大鏡へ、ぞろぞろ雑沓する群集の中に交つて、立派に女と化け終せた私の姿が映つてゐ」るのを見る。
こつてり塗り附けたお白粉の下に、「男」と云ふ秘密が悉く隠されて、眼つきも口つきも女のやうに動き、女のやうに笑はうとする。(...)私の前後を擦れ違ふ幾人の女の群も、皆私を同類と認めて訝(しまない。さうして其の女達の中には、私の優雅な顏の造りと、古風な衣裳の好みとを、羨ましさうに見てゐる者もある。
ここでは、女装の結果、他の女たちが、自らの優位を確信させてくれる競争相手としてあらわれてくる感覚が語られている。表題の「秘密」が意味するものの少なくとも一つは、女としての外見の下に隠し持つ《「男」と云ふ秘密》であるが、また、秘密を所有していることには、チルチルが回すダイヤモンドさながら、外界を変容させる効果もある。「いつも見馴れて居る公園の夜の騒擾も、「秘密」を持つて居る私の眼には、凡てが新し」く思えるのであり、《「秘密」の帷を一枚隔てて眺める為めに、恐らく平凡な現實が、夢のやうな不思議な色彩を施される。》
種村季弘がそのボードレール論「覗く人――都会詩人の宿命」(『壺中天奇聞』所収)で引いている、「群衆とは、それを透して見る遊民の目に、見慣れた街が幻像のように映ずるヴェールである」というベンヤミンの言葉は、この、夜の遊歩者にもふさわしかろう。「人形町で生れて二十年來永住してゐる東京の町の中に、一度も足を踏み入れた事のないと云ふ通りが、屹度あるに違ひない。いや、思つたより澤山あるに違ひない」と信じる「私」は、紛れもなく、「見なれた町がが幻像となり、故郷であるここが異郷あるいは演劇的空間となる覗き仕掛(の制作者」(種村)の一人なのだ。
深夜、帰宅した「私」は、「地獄極楽の圖を背景にして、けばけばしい長襦袢のまゝ、遊女の如くなよなよと蒲團の上へ腹這つて、例の奇怪な書物のページを夜更くる迄翻すこともあつた」。例の書物とは、「魔術だの、催眠術だの、探偵小説だの、化學だの、解剖學だのゝ奇怪な説話と挿繪に富んでゐる書物」である。「次第に扮装も巧くなり、大擔にもなつて、物好きな聨想を醸させる為めに、匕首だの麻醉薬だのを帶の間へ挟んでは外出した」。しかし「私」は、やがて遅れて東京にやって来て、本当に「探偵小説中の人物」になる、江戸川乱歩描くところのカウンターパートのように、能動的に何かをしようというのではない。剣呑な品物もそれで世界に働きかけるのではない。「私」自身の言うとおり、「犯罪を行はずに、犯罪に附随して居る美しいロマンチツクの匂ひだけを、十分に嗅いで見たかつたのである」。ふたたび種村季弘がボードレール(とある種の都会文学者)について述べるくだりから引くなら、「彼は世界のいたるところにいながら世界といっかな接触しないファントマであり、対象のあらゆる細部を観察しながらそれから絶望的に隔てられている覗き仕掛を覗く少年に似ている。一切を掌中にしながら、一切と接触不能なのである」。このロマネスクでリヴレスクな男は、しかし、思いがけない形で〈現実〉に出会うことになる。
ある晩、「私」は映画館の「貴賓席へ上り込んで」、「奥深いお高祖頭巾の蔭から、場内に溢れて居る人々の顏を見廻した。さうした私の舊式な頭巾の姿を珍しさうに窺いて居る男や、粋な着附けの色合ひを物欲しさうに盗み視てゐる女の多いのを、心ひそかに得意として居た。見物の女のうちで、いでたちの異様な點から、様子の婀娜っぽい點から、乃至器量の點からも、私ほど人の眼に着いた者はないらしかつた。」
このナルシシズム。それが粉微塵になるのは、いつの間にか隣の席に、「総身をお召の空色のマントに包み、くツきりと水のしたたるやうな鮮やかな美貌ばかりを、此れ見よがしに露はにして居る」女が掛けているのに気づいたときだ。
明りがつくと連れの男にひそひそ戯れて居る様子は、傍に居る私を普通の女と蔑んで、別段心にかけて居ないやうであつた。實際其の女の隣りに居ると、私は今まで得意であつた自分の扮装を卑しまない譯には行かなかつた。表情の自由な、如何にも生き生きとした妖女の魅力に気壓されて、技巧を盡した化粧も着附けも、醜く浅ましい化物のやうな氣がした。女らしいと云ふ點からも、美しい器量からも、私は到底彼女の競争者ではなく、月の前の星のやうに果敢なく萎れて了ふのであつた。
この敗北はしかし、次なる勝利の前段階に過ぎない。この美女は行きずりの他人ではなく、「二三年前に上海へ旅行する航海の途中、ふとしたことから汽船の中で暫く関係を結んで居たT女であり」、互いに身許を匿し合ったまま上海に着き、「私は自分に戀ひ憧れてゐる女を好い加減に欺き、こツそり姿をくらまして了つた」、「以来太平洋上の夢の中なる女とばかり思つて居た」女なのである。
「私は美貌を羨む嫉妬の情が、胸の中で次第次第に戀慕の情に變つて行くのを覚えた。女としての競争に敗れた私は、今一度男として彼女を征服して勝ち誇つてやりたい」――そう思った「私」は、明晩同じ席で会おうという走り書きの手紙を女の袂に投げ入れる。そうして戻って着物を脱ぐと、「ぱらりと頭巾の裏から四角に畳にたゝんだ小さい用紙の切れが落ち」る。女は最初から彼だと見抜いており、明晩は、「雷門前でお出で下されまじくや。其処にて當方より差し向けたるお迎ひの車夫が、必ず君を見つけ出して拙宅へ御案内致す可く候。君の御住所を秘し給ふと同様に、妾も今の在り家を御知らせ致さぬ所存にて、車上の君に眼隠しをしてお連れ申すやう取りはからせ候」と、早くも返事をよこしていたのだ。
『秘密』の「私」の女装趣味は前半のみであり、ここに至ってぴたりと止んで、この主題は二度とあらわれない(話題としても)ことをぜひ強調しておかねばならない。手紙に応えて「私」が女の許に至ろうとする、はじめての「晩は素晴らしい大雨であった」。この大雨が素晴らしい。「私はすつかり服装を改めて、對の大島の上にゴム引きの外套を纏ひ、ざぶん、ざぶんと、甲斐絹張りの洋傘に、瀧のごとくたゝきつける雨の中を戸外(へ出た。」小紋を買うくだりで「大柄の女が着たものと見えて、小男の私には寸法も打つてつけであつた」とあるから長身のはずはないのだが、ゴム引きの外套と洋傘で完全防備し、石突は直ぐ天を指し、瀧のごとき雨中に(船腹を打つ波さながらのざぶん、ざぶんが凄い)すっくと立った雄々しい姿、それまでの隠れん坊をしたがっていた子供とは別人のように、「新堀の溝が往來一面に溢れてゐるので、私は足袋を懐へ入れたが、びしょびしょに濡れた素足が家並みのランプに照らされて、ぴかぴか光つて居た」というファリックな生足もあらわな成年男子が仁王立つ。雷門まで行くと人気の絶えた中を俥の赤い提灯が近づいてきて、車夫に約束通り目かくしをされ、「私」は車上の人となる。
しめつぽい匂ひのする幌の上へ、ぱらぱらと雨の注ぐ音がする。疑ひもなく私の隣りには女が一人乗つて居る。お白粉の薫りと暖かい體温が、幌の中へ蒸すやうにこもつて[原文はこもるが漢字]ゐた。〈...〉右へ曲り、左へ折れ、どうかするとLabyrinthの中をうろついて居るやうであつた。(...)
長い間、さうして俥に揺られて居た。隣りに並んでゐる女は勿論T女であらうが、黙つて身じろぎもせずに腰かけてゐる。(...)海の上で知り合ひになつた夢のやうな女、大雨の晩の幌の中、夜の都會の秘密、盲目、沈黙――凡べての物が一つになつて、渾然たるミステリーの靄の裡に私を投げ込んで了つて居る。
雨(もはや華々しい水との接触もない)を避けて女と相乗りした俥に閉じ込められた「私」は、最前の勢いはどこへやら、ここではうってかわって触覚と嗅覚だけの受け身の存在となっている。「黙つて身じろぎもせずに腰かけてゐる」のは女ばかりではなく、ここは、目隠しを取り外すことなど思いもよらない、されるがままの、「生まれる前の身じろぎ」(カフカ)の世界なのだ。やがて女が、「私」の「固く結んだ」唇を分け、「巻煙草」を押し込んで火をつける。「海の上で知り合ひになつた夢のやうな女」――といっても、そんなことが本当にあったのだろうか。船内で女と知り合って夢中にさせただの、自分に恋い焦がれる女を置いて姿を消しただの、どこかの海の上で起こったそんな一人前の密事は、文字通り地に足のつかない作り話ではなかろうか。雨音も幌に遮断されて弱くしか聞こえないそこで、外界の騒擾を逃れて〈内部〉に隠遁した彼は、口唇期に退行して匂いと味に耽溺しながら夢を見続けているのではあるまいか。母のように世話を焼いてくれる夢の女にさらわれてゆく夢を。
その夜から、「私」は毎夜迎えの俥に乗り、目かくしされて女の家に連れて行かれ、帰りはまた同じように雷門まで送られるようになる。やがて「私」はその道筋を知りたくてたまらなくなり、ついにある晩、車上で、「一寸でも好いから、この眼かくしを取ってくれ」と言う。
「いけません、いけません」
と、女は慌てゝ、私の両手をしツかり抑えて。その上へ顏を押しあてた。
「何卒(そんな我が儘を云はないで下さい。此処の往来はあたしの秘密です。此の秘密を知られゝばあたしはあなたに捨てられるかもしれません。」
「どうして私に捨てられるのだ。」
「さうなれば、あたしはもう『夢の中の女』ではありません。あなたは私を戀して居るよりも、夢の中の女を戀して居るのです。」
それでもとうとう目かくしを取らせた「私」の目に映ったのは――
美しく晴れ渡つた空の地色は、妙に黒ずんで星が一面にきらきらと輝き、白い霞のやうな天の川が果てから果てへ流れてゐる。狭い道路の両側には商店が軒を並べて、燈火の光が賑やかに町を照らし出してゐた。
夢の外部に見るものもまた夢であり、道の続くかぎり夜空の果てまで夢の光が照らしている。「不思議な事には、可なり繁華な大通りであるらしいのに、私は其れが何處の街であるか、さつぱり見當が附かなかつた。俥はどんどん其の通りを走つて、やがて一二町の先の突き當りの正面に、精美堂と大きく書いた印形屋の看板が見え」てくる。これは、物語の最初の方で子供の頃の思い出として語られる、父に連れて行かれた深川の八幡様の境内の裏手に、思いがけない「川や渡し場が見えて、其の先に廣い地面が果てしもなく續いてゐる謎のような光景」が、「夢の中で屡々出逢ふことのある世界の如く思はれた」ことと直接つながるものだ。「私は其の時まで、たびたび八幡様へお参りをしたが、未だ嘗て境内の裏手がどんなになつてゐるか考へて見たことはなかつた。いつも正面の鳥居の方から社殿を拝むだけで、恐らくパノラマの繪のやうに、表ばかりで裏のない、行き止まりの景色のやうに自然に考へていたのであらう」とかえりみる「私」は、「だんだん大人になつて(...)東京市中は隈なく歩いたやうであるが、いまだに子供の時分経験したやうな不思議な別世界へ、ハタリと行き逢ふことがたびたびあつた」と語っているのだ。
賑やかな商店の多い小路で突きあたりに印形屋の看板の見える街、―――どう考へて見ても、私は今迄通つたことのない往来の一つに違ひないと思つた。子供時代に経験したやうな謎の世界の感じに、再び私は誘(はれた。
「子供時代に経験したやうな謎の世界の感じ」――再び見出した幼年時と、成年の力とを、今や二つながらに具える「私」は、「一體此處は何處なのだか私にはまるで判らない。私はお前の生活に就いては三年前の太平洋の波の上の事ばかりしか知らないのだ。私はお前に誘惑されて、何だか遠い海の向うの、幻の國へ伴れて來られたやうに思はれる」と言うと、女は「しみじみと悲しい聲で」答えて、「後生だからいつまでもさういふ気持でいて下さい。幻の國に住む、夢の中の女だと思つて居て下さい」と涙を流す。
字面の上では夢の中の女ではないと主張しているが、ここで女が言っているのは「あたしはあなたの夢の中の女です」より他のことではない。ここに〈他者〉はおらず、科白もすべて夢見る人の中で発せられ、それを他人の声のように聞く、完全な一人二役である(しかし谷崎はそれを夢としては書かなかった)。「往来」を見てはいけないという禁忌も、男が自ら課して、自ら破るものである。当然ながら、男はそれを破ることになる。
「私」がついに「精美堂」の看板とそこに至る通りを見つけたとき、それはもはや、その向うにまだ見ぬ世界が広がる魅力的な書割ではなかった。
散々私を悩ました精美堂の看板の前に立つて、私は暫く彳んで居た。燦爛とした星の空を戴いて夢のやうな神秘な空気に蔽はれながら、赤い燈火を湛へて居る夜の趣きとは全く異なり、秋の日にかんかん照り附けられて乾涸びて居る貧相な家並を見ると、何だか一時にがつかりして興が覚めて了つた。
さらにその先へと進み、Labyrinthを行きつ戻りつしたあげく、男はついに女の家をつきとめる。(小路の)「中へ這入つて行くと右側の二三軒目の、見事な洗ひ出しの板塀に圍まれた二階の欄干から、松の葉越しに女は死人のやうな顏をして、じつと此方を見おろして居た」。まるで彼の来ることを知って、待っていたかのように――むろん、女にはわかっていたのだ。男の顔もさぞや死人のようであったに違いない。女はそこで、ミノタウロスのように、あるいはむしろスフィンクスのように彼を待ち受けていたのである。
四 「男」と云ふ秘密
もしも『秘密』が、夢想家が〈現実〉に――夜の夢の女ではなく、昼の現の女に――直面し、虚の世界が一挙に色褪せた結果、女を捨てるという話であったなら、前半の女装の部分は不要であったろう。
女は何者だったのか。「芳野と云ふその界隈での物持の後家」という種明かしは、次元の違う話で答えになっていない。
最初の雨の晩に戻ってみよう。人力車の胎内に庇護されての旅の終りにどことも分からぬ家の中で見出した女は、いや、目かくしのまま「私」が放置された座敷に入ってきた女は、「無言の壗、人魚のやうに體を崩して擦り拠りつゝ、私の膝の上へ仰向きに上半身を靠(せかけて、さうして両腕を私の項(に廻して白羽二重の結び目をはらりと解いた」。
「よく来て下さいましたね。」
かう云ひながら、女は座敷の中央の四角な紫檀の机へ身を靠(せかけて、白い両腕を二匹の生き物のやうに、だらりと卓上に這はせた。(強調引用者)
「昨夜と恐ろしく趣が變つてゐるのに、私はまづ驚かされて」、「こんな事を[身分を知られないよう毎日身なりを変えると]云ふ女の素振りは、思つたよりもしとやかに打ち萎れて居」り、「もう今度こそは私を棄てないで下さいまし。身分も境遇も判らない、夢のやうな女だと思つて、いつまでもお附き合ひなさつて下さいまし」と語る一語一句が「遠い國の歌のしらべのやうに、哀韻を含んで私の胸に響」いた。
「昨夜のやうな、派手な勝氣な悧發な女が、どうしてかう云ふ憂鬱な、殊勝な姿を見せることが出來るのであらう。さながら萬事を打ち捨てゝ、私の前に魂を投げ出してゐるやうであつた。」そう「私」はいぶかしむが、理由は明らかであろう。かつて「私」が三味線堀で見つけた小紋縮緬は「古着屋の店にだらりと生々しく下つて居」て 、夜毎の冒険から寺へ戻った「私」は、「疲れた體の衣裳も解かず、毛氈の上へぐつたり嫌らしく寝崩れ」たり、「遊女の如くなよなよと蒲團の上へ腹這つ」たりしていたのだが、今ではそうした男らしからぬ動作や姿態はすべて、人魚のような、蛇のような女が代行してくれることになったのだ。「萬事を打ち捨てゝ、私の前に魂を投げ出してゐる」女とは、「私」の受動性――一人前の男であれば放棄せねばならぬもの――の外在化であり、さればこそ「派手な勝氣な悧發な女」も「憂鬱な、殊勝な姿」も、「私」の欲望の関数として自在に「私」の前に現われる。
お高祖頭巾のうちに女の手紙を見つけたとき、「私」はこう語っていた。
私は此の手紙を讀んで行くうちに、「自分がいつの間にか探偵小説中の人物となり終せて居るのを感じた。不思議な好奇心と恐怖とが、頭の中で渦を巻いた。女が自分の性癖を呑み込んで居て、わざとこんな真似をするのかとも思はれた。
「女が自分の性癖を呑み込んで居て」――むろん、呑み込んでいるにきまっている、この女は「私」の中から生まれてきた夢の女、「私」が縮緬をまとい、お白粉を塗っての扮装にまさる、「私」の〈夢〉の具現化なのだから。袂に女への文を投げ込めば向うも返事を襟元に差し入れてくれ、「私」が住所を教えたくないのに対応して、女も家の場所を明かしたがらず、実際に女の家へ行ってみれば、「昨夜と恐ろしく趣が變つてゐ」る女は、「あなたは、今夜あたしがこんな風をしてゐるのは可笑しいと思つていらツしやるんでせう。人に身分を知らせないやうにするには、かうやつて毎日身なりを換へるより外に仕方がありませんから」と、「成る可く人目にかからぬやうに毎晩服装を取り換へて公園の雑沓の中を潜つて歩い」ていた彼の変装趣味にそっくりの言いわけをするのだから、やはりこの女は彼の鏡像なのだ。
雨に閉ざされ温気に包まれた幌の中からもはや遠く、人魚や蛇の生きられない干上がった世界で、女は、「二階の欄干から、松の葉越しに」「死人のやうな顏をして、じつと此方を見おろしてゐた」。
「別人を装うても訝しまれぬくらゐ、その容貌は夜の感じと異つて居た。」
この〈女〉は男である。「私」が女装するのも夜だけであった。自分の扮装よりも完全な夢の女を手に入れて、「私」は女に化けるのをやめた。「秘密」とは、この〈女〉もまた男であるという秘密であった。生物学的に男であるというのではない。だが、迷宮の中心には鏡が仕掛けられているのであり、それに映った「別人のように見える」女は、「秘密を發かれた悔恨、失意の情が見る見る色に表はれて、やがて静かに障子の蔭へ隠れて了つた」。
自らも失意の情をありありと浮かべていたであろう「私」が出会わなければならなかった〈現実〉とは、長の年月、逢いつづけていた女が、彼の「夢の女」とは別の自立した〈他者〉であることではなかった。かつては女装にうつつを抜かした「私」が発見したのは、自らに認められない受動性を女に担わせているのだという、〈現実〉すなわち男たちの秘密であった。
男とは制度的に、受動性を禁じられ、自らの受動性を〈女〉として外在化するしかない存在である。“異性愛者”の谷崎には、この図式が無理なく当てはまる。三島の場合、「岡村君」に具現されるべき「男性美」が、「女性美を模倣したるもの」であっては受け入れ難かったにちがいない。とはいえ、この女性(美)優位は見せかけにすぎない(女性性を持つ男性が美しいというのは、男のみが両性具有的でありうるということだ)。「東も西もアラーのもの」である以上、あくまで主導権は男が握っている。マゾヒスト谷崎しかりである。男がいなければ〈女〉が存在しないのは自明のことだ。「藝者とも令嬢とも判断のつき兼ねる」、「堅儀の細君ではないらしい」、「始終一人の男から他の男へと、胡蝶のやうに飛んで歩く種類の女」であるT女あるいは「芳野の後家」も、所詮男につきあって娼婦のまねごとをしただけだった。
三島は『金色の死』に何を見ていたのだろう。《「金色の死」の、美の理想郷の描写に入ると、とたんにこの小説は時代的制約にとらはれたものとなる。(...)ロオマも支那も、世紀末も密教美術もおかまひなしの東西混淆は、当時の知識人の夢の混乱と様式の混乱を忠実にあらはし、ひいては、統一的様式を失つた日本文化の醜さを露呈する》と彼は書くのだが、たとえば三島邸にしたとて、「金色の死」の規模と馬鹿らしさには及びもつかぬものの、文化的混淆については似たようなものではなかったか。
「僕は君の來るのを遠くから眺めて居た。彼処の柱に倚りかかつて―――。」
彼はかう云つて、隔たつた山の一角の、白亜の洋館の廊下(を指しました。
「彼処の柱に倚りかかつて―――」と言ったのはむろん「岡村君」であって三島ではなく、三島の白亜の洋館の門とベランダの間はそこまで遠くなかったろうが、また、岡村君のやうに「羅馬時代のゆるやかな白い外袍(を身に纏ひ、足には草履(を穿いて」客を出迎えはしなかったろうが、しかし、西武百貨店であつらえたミリタリー・ルックとこのトーガが全く別のものというわけではないことは承知していただろうし、矢を射込まれた聖セバスチャンに扮することと、「金色の死」に至る十日間、衣裳をとっかえひっかえして「不思議な風俗で私に接し」た岡村君の扮装――「彼は此の頃の露西亜の舞踏劇に用ひられるレオン、バクストの衣裳を好んで、或は薔薇の精に扮し、或は半羊神(に扮し、しまひには服装を換へるだけでは飽き足らずなつて、SCHEHERAZADE(の踊に出てくる土人に変じて體中を眞黒に染めたりしました」――が異ならないこともわかっていただろう。「僕は何時でも自分の姿は繪になつて居ると信じて居る」と「豪語して居」た「岡村君」同様、彼もまたそう信じて好んで被写体になり、また、舞台で奴隷に扮して力瘤を見せたり、やくざや軍人や侍や剥製になった姿をフィルムに残したりしたのではなかったか。
岡村君の最期を三島は、「つひに諸人の鑽仰のうちに「金色の死」を遂げて、生と芸術の一致を成就するのである」と書いていた。未読の人にはさっぱりわかるまいから、以下にその部分を引く。
十日目の晩には多勢の美男美女を撰りすぐり、羅漢菩薩の姿をさせたり、悪鬼羅刹の装ひをさせたり、揚句の果に自分は満身に金箔を塗布して如来の尊容を現じ、其の壗酒を呷って躍り狂ひました。
徹夜の宴に疲れ抜いて、殿堂の廊下や柱や長椅子にしどけなく酔ひ倒れたまゝ、明くる日の明け方まで何も知らずに睡り通した一同の者は、やがて目を醒ますと部屋の中央の卓子の上に、金色の壗氷の如く冷めたくなつて居る岡村君の死骸を発見したのです。彼の邸に雇つてあつた醫師の説明によると、金箔のために體中の毛孔を塞がれて死んだのであらうと云ふ事でした。
菩薩も羅漢も悪鬼も羅刹も、皆金色の死體の下に跪いて涙を流しました。其の光景は其のまゝ一幅の大涅槃像を形作って、彼は死んでも猶肉体を捧げて自己の藝術のために努力するかと訝しまれました。
このファルス、このナンセンス、この無意味な死を、三島はうらやんだに違いない。来るべき自己の死が、結局のところこれと本質的には違わない見世物であることを、生と芸術の一致を成就させたとそのとき世人が鑽仰してくれるとは限らぬことを、賢明な三島は承知していたに違いない。金箔も軍服もつまりはコスプレである。
谷崎自身は上の事件を指して、「歓楽の絶頂に達した瞬間に彼が突然死んで了つた事柄」と語り手に言わせており、あるいはこれは文字通りに取るべきなのかもしれない。というのは、「(...)その外にまだ、牛乳、葡萄酒、ペパアミントなどを湛へた小さな浴槽が三つ四つあつて、其處にも人魚が遊んで居ます。最後に私達は、人間の肉體を以て一杯に埋まつて居る「地獄の池」の前に出ました」とか、「其處には生ける人間を以て構成されたあらゆる藝術がありました。此の宮殿の女王と言はれる一婦人が、錦繍の帷の奥に、四人の男を肉柱とした寝臺に横たはつて居る有様をも見せられました」とか語られる酒池肉林(?)のテーマパークは、「私はもう、此れ以上の事を書き續ける勇氣がありません」と語り手も言うように、それ以上書いたら当時としては検閲に引っかかるようなものだったのかもしれなくて、「多勢」の「美男美女」が「殿堂の廊下や柱や長椅子にしどけなく酔ひ倒れたまゝ」眠っていたのは、映画『地獄に堕ちた勇者ども』の、折り重なる裸体をやがて朱(に染めることになる男たちのようなオージーの果ての姿(☆10)で、「金色の死」はプレイ中の事故だったかもしれないからである。文士で昆虫採集の好きなのが珍しい蝶を追ううち、崖から足を滑らせて転落死するということもあると吉田健一も言っている(「三島氏のこと」)。
『金色の死』は次のように結ばれる。
紀文や奈良茂のように無意味な豪遊を試みてさへ、後世に大盡の名を歌はれるのですから、彼の名前は尚更不朽に傳はらねばなりません、しかし世間の人々は、彼のやうな生涯を送つた人を、果して藝術家として評價してくれるでせうか?
しかし世間の人々は、彼のやうな死に方をした人を、果して藝術家として評價してくれるでせうか?
「男性美は女性美に優る」との抜きがたい信念のために、三島にとって「岡村君」はあくまで「アポロのような美青年」でなければならなかったのだろう。「不思議に美しく妖艶」で「肌膚はいつも真白」、現代日本の男の服装は非芸術的だと主張して、水白粉も縮緬の肌触りをも愛する(金箔を塗るのもその延長であろう)「岡村君」を三島は無視して、谷崎は一度きり男性的な「自己の美的な死」を描き、その後、この作品を否定することで「自己が美しいものとなることを断念」し、「『金色の死』の芸術論の大切な前提を断念」したと主張しなければならなかったのだろう。
だが、むろん、三島は受動性を自分に許していたのである。異性愛の男のようにそれを他者化してはいなかったからだ。〈女〉と見られることは絶対に嫌だった――幼年時代にはよしや天勝に扮装したことがあろうとも、長じてからは筋肉で身体を鎧うのが彼の扮装だった。鎧の下が〈女〉では、嫌いなジャンヌ・ダルクになってしまうではないか。
それでも、男が女になりうること、もともと女であり女でしかない存在とは違って両性具有でありうることを、彼は証明して見せねばならなかった。最後には自分が「傷つく少年」であることを、鍛えられた筋肉の被傷性(を、〈女〉とは男であることを、天下に示してみせねば止まなかったのだ。
註
☆2 「松岡正剛の千夜千冊」
☆3“Murder in Miniature: A sixteenth-century detective story explores the soul of Turkey”by John Updike
☆4 英語からの拙訳のため、不備はお許しいただきたい。『紅』の日本語訳からこのパラグラフがそっくり落ちている件はブログで触れた。
☆5 アップダイクはサルタンの宝物殿の細密画の描写(“名人オスマン”視点)についてボルヘスの『アレフ』を引き合いに出しているが、私見では『アレフ』の語り手が地下室の階段で見つける「アレフ」の描写を思わせるのは、死んだエニシテが高みから自らの葬列を眺めつつ、「全てを同時」に見るくだり(邦訳353-354)である。パムクがあれを「アレフ」を意識せずに書いたなどということは――共通の起源があるいはあるとしても――ありそうにない。
☆6 作中人物が自らを作り物だと明言し、書かれているものを信じるなと自己言及する幕切れである。
☆7 アップダイクは次のように書評を結んでいる[引用文含め拙訳]。《血の色です、と「紅」は誇らしげに言う。「私がページを彩るとき、それは世界に「在れ!」と命じるようなものです。見えない者は否定するでしょうが、実際、私はいたるところにいるのです。」世界の名前は、言いかえれば「紅」なのである》しかし、アップダイクには「紅」が見えているのだろうか。
☆10 三島はこの映画にオマージュを捧げているが、そのことを含めブログ記事「萌えの人・松田修」に少々記した。あわせてお読みいただければ幸いである。
★プロフィール★鈴木薫(すずき・かおる)平野智子さんからは、本文で述べたことに加え、宝野アリカについての教示、弥生美術館タダ券恵贈の上同行、『わたしの名は紅』貸与、「谷崎潤一郎vs三島由紀夫――『金色の死』をめぐって」の章にざっと目を通したのみでの的確な批評、草稿へのアドヴァイス等、有形無形の恩恵を受けました。「東も西もアラーのもの」とは「東も西も男のもの」の意味で、つまり「男も女も男のもの」なのだと電話で言われたときにはちょっとぞくぞくしました。彼女なしでは本稿はこのような形を取らなかったことでしょう。記して感謝します。/その平野さんと、トールキン・サイトを開設しました。サイト名は「アルダの歩き方」
http://atanatari.exblog.jp/ 目下、アルダに降り立ったヴァラールのように(洞窟を掘っているドワーフだと本人は言うのですが)平野さんが基礎作りをしている――幸い、メルコールに邪魔される心配はありません――段階ですが、近いうち私も書くつもりです。
Web評論誌「コーラ」11号(2010.08.15)
「新・映画館の日々」第10回:男と云ふ「秘密」――パムク、華宵、谷崎、三島(鈴木 薫)
Copyright(c) SOUGETUSYOBOU 2010 All Rights Reserved.