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Web評論誌「コーラ」
11号(2010/08/15)

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 1977年から1998年まで、20年数ヶ月の間、細々と存続した会社がある。
 奇妙な名称で「株式会社ダン」という。友人が経営していた会社だ。
 その会社は、労働争議──組合潰しの計画倒産──組合による職場バリケード占拠五年──組合自主経営……という経過の中で設立された。
 ダン? 何度も社名の由来を訊ねたが答えてもらえなかった。
 社長(元委員長)は大学時代の友人で、争議中も現場を訪ね、会社設立当初は現場管理の仕事を手伝った。
 会社が軌道に乗ってからは、ぼくにとっていわば大切な受注先であり続けた。そんな関係もあって、近江八幡・西の湖(琵琶湖の外湖)の水郷巡りや伊吹山への社員(組合員)さんの一日旅行に、女房連れで参加したりもした。そこには、彼の奥さんも来ていた。
 その会社は、20年間余の素人経営の果てに、客先倒産による売掛金未回収・受取手形不渡り・阪神大震災、他にもいろいろ要素はあっただろうが、数億の負債を抱えて破産した。
 当事者には「死者を鞭打つ」ようで申し訳ないが、根本原因は経営者の無知・無謀・無計画だと思う。
 当初14名だった社員数も最後には確か4名だったと記憶している。20年を駆け抜けたと言うより、20年に躓き転び泥道から抜けられなかった、と言うべきか?
 部外者のぼくは、設立当初、漢字で「だん」と読める字を列挙したりしてその意味を探った。
 弾・段・談・断・暖・団・壇・檀・騨・男・旦・灘・椴……う〜ん、解らない。
 「社名の謎」の「解」をとうとう聞き出せないまま、1998年彼らの会社は破産を迎えたのだった。
 
 2007年、大阪ミナミの雑踏の中で、専務(元書記長)にバッタリ出会った。
 現在、一人事務所で細々と設計の仕事をしていること、自分には技術があるので何とか食っているが、委員長はどこでどうしているのか気がかりだ、けれど自分も奴も簡単にはくたばりゃせんよ……。
 そんな雑談の中にも、元書記長と元委員長の関係──対立を超えた信頼──が見えてホッとした。
 久しぶりに、又しても社名の由来を訊いたが、彼はニヤリと笑って「見果てぬ夢や」と言った。
 「ん?」と聞き返すと、
 「委員長のこだわりや。パルタイやないんやという表現かな?」
と訳の解らない言葉を言い終わると、彼は、「又な」と後姿のまま手を振って、地下鉄への階段を足早に降りて行った。
 心なしか服装と後姿には、年齢と「平穏には行っていないかも」と思わせる空気が漂っていた。
 「社名の謎」のことは、それっきり忘れていた。ぼくにも、日常があり労働がある。
 時々やって来る年齢不相応な激務と、気を抜くとポッカリとスケジュールが空いてしまう、明日を約束されない出稼ぎ者・準日雇いの「暇」(?)がある。自分たちの仕事確保で精一杯だ。
 
 先日、「コーラ」10号掲載コラムの「複数主義云々」の文にあった同じ画像を見た。
 レーニン死後、首相の座に就き、後にスターリンに粛清されたルイコフの甥:ミハエル・シャトロフ氏が、ロシア10月革命での『革命政権に於ける一党独裁体制の起源』を探っている。シャトロフ氏が脚本を書いたという映画 『7月6日』 も紹介されていた。
 左派エスエル(一時、連立を組んだ経過もある)と、議会勢力四分の一の共産党との議会内外の攻防から武力衝突に至る政争。
 1918年7月6日の左派エスエル蜂起によるクレムリンの陥落寸前まで行った決定的衝突と、その後の左派エスエルの解体・消滅……。そこに起源があるのか? そんな論だった。
 ふと、「党」ということを思い、元書記長から聞いた「パルタイやないんや」という言葉を思い出した。
 パルタイ−英語のParty−ドイツ語でPartei−「党」。
 そうか、「だん」は「パルタイやないんや」を示す言葉だよ、と彼はヒントを示したのではなかったか?。
 
 書店で慣れない「独和辞書」と「和独辞書」を、書棚にへばり付き立読みして調べた。
 ドイツ語でPartei−「党」「結社」。「党」は「唯一の革命党」を自称することをもってこそ「党」なのだ。
 その周辺の社会科学用語で、反対語と言うより似て非なる語を探した。
 あった。Bundだ。Bund──絆──結合──「同盟」「連盟」「団」。第一次大戦でのドイツ敗北から「ワイマール共和国」成立に至る時期の、
カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルクらの組織名は「Sparutakusu Bund」(和訳:スパルタクス団)だったと、忘れかけた記憶が蘇える。
 そうか……、「だん」は「団」なのだ。『株式会社「団」』なのだ。
 ドイツ語Bundに元々「複数主義」という意味が含まれているかどうかは全く知らない。要は「団」だ。
 彼らの社名に秘められた意味は、『我らは党ではない、団である』だったのか……。
 学生っぽい単なる言葉遊戯だと、ぼくは決して嘲笑いはしない。言葉に込めた想いが解るから……。
 昔、会社設立間もないバリケードを訪ねた時、宿泊部屋に使われた資材倉庫の壁に、『見果てぬ夢。党ならざる者たちによる大規模叛乱と自治』と、スローガンとも落書きとも思える学生のような大きな文字が躍っていた。あれは、委員長が書いたのだろうか……?
 そのバリケード空間は当然革命ではないけれど、委員長らのこだわり? それは、大げさに言えば、『革命政権における複数主義の可能性』のことではなかったか?
 
 労働組合という社会組織、争議という叛乱空間なればこそ、その論法が一時は通用したのかもしれない。
 だが、彼らの時間を考えてみると、叛乱の間は「団」でよくとも、統治(と言えば元委員長が怒るのなら経営・執行と呼び替えよう)には「団」では立ち行くまい。直接政治ならば一層そうだ。
 「党」が一党独裁への「凍路」だと言えば、「団」はいわば無政府気分の「暖床」だと返って来よう。
 その止揚の「無理」をどうする?
 そこは、その設問こそは、いわば叛乱と自治の彼岸を考える者のスタート地点だ。
 
 思い出すと、元委員長と元書記長は犬猿の仲と言われていた。
 そちら方面に詳しくないぼくでも、ことごとに食い違う両者の政治思想(?)を傍で聞かされ、混乱したことがある。心と思想を寄せる組織も違うとのことだった。
 絆だ結合だと言ったところで、根本(何が根本かが難しいが)が食い違えばそれも成り立ちはしない。
 けれど、元委員長・元書記長・組合構成員は、例えば「職場バリケード占拠」や「労組による自主経営」という具体的方針では一致していたようだ。犬猿と言っても、それが無ければ「団」する前提が成立しまい。
 犬と猿がいわば「自立」していないことには、互いの尊重も無い。
 「複数主義」と言うなら、個々の自立と、どこまでを、そして何を前提とするのか? が問題なのだ。
 支援組織が組合員に呼びかけて「党」的勉強会を開始した時、元委員長は敢えて阻止しようとはしなかったと聞いている。ドロ試合は嫌だったのだろうし、元委員長にはすでに「党」はなかったのだから。
 今、彼らは噛み締めているだろう、単なる組合とはいえ曲りなりに限定版「複数主義」を実践(?)できた時間の天与の「幸い」を、その「価値」を……、そこに、政治や社会変革を構想する者にとっての、貴重なヒントがあったはずだと……。
 
 
 会社設立から33年、会社破産からでも12年。今日明日の食いぶちに汲々としたドタバタ自主経営の現実下では、何を構想するにしても確かに「見果てぬ夢」だっただろう。
 近江八幡・西の湖、水郷巡り屋形船の席で連れて来た子供を抱えながら、群生する葦の間を通り抜けて来るそよ風に、気持ちよさそうに吹かれていた彼の奥さんにも、そして古い友人にも、学生のような想いを込めた「社名の謎」は、当時も今も恥ずかしくて言えてはいないだろう。
 彼らの会社の破産時に、借入保証人だった奥さんも同時に破産したと風の便りに聞いた。
 もういっしょに暮らしていないかもしれない……。奥さんには「社名の謎」を伝えたいと思う。
 学生期に、ある「党」に随伴しやがて「脱藩」。その「党」が特異な経過を辿ったことをぼくも知っている。
 ただ間違いなく、75年に思うところあって某社に入社、元書記長・元組合員に出会い組合結成。
 最初に書いた通り77年会社破産、職場バリケード占拠、自主経営、98年自己破産に至ったのだ。
 当事者では書けない彼らの20年を、代わってぼくが書いてみようかとふと思うが止めておこう。
 
 どこかで、元委員長に再会できるだろうか……? まだ『見果てぬ夢』を見ているだろうか?
 会って、ぼくが辿り着いた「社名の謎」の「解」について語れば、黙って苦笑するだろうか?
 『株式会社「団」』、その名に込めた意味は生きているし不滅だ、と言ってやれば泣くだろうか?
 「簡単にはくたばりゃせんよ」……、そうであって欲しい。
 『革命に於ける複数主義の可能性』『党ならざるものによる大規模叛乱と自治、その可能性』。それは学生の青い論争でも、彼らの破綻した「争議──自主経営」の話でも、遠い過去の革命談義でもなく、21世紀の、現在・過去・未来への考察であり続ける事柄なのだから……。
 
 
60年安保BUNDの声:
『党は叛乱の憤死か、叛乱の技術的転落かへの分解に抗し、両者の弁証法的相剋によく耐えるものとして党なのである。党はたしかに背理である。だが、この背理は党の宿命である。党はまさしく叛乱の生であり死である。』(『叛乱論』長崎浩)
BUND書記長:島成郎が語った『安保を潰すか、BUNDが潰れるか』とは、「党」の存在論的背離・思想的限界点で発せられた矛盾の言葉であった。その意味は深く永遠のテーマだ。
 

★プロフィール★
橋本康介(はしもと・こうすけ)1947年、兵庫県生まれ。1970年、関西大学社会学部除籍。1977年、労働争議の末、勤務会社倒産。5年間社屋バリケード占拠の中、仲間と自主管理企業設立。1998年、20年余の経営を経て、同企業及び個人、自己破産。2002年、『祭りの笛』出版(文芸社)。フリーター生活開始。2006年、『祭りの海峡』出版(アットワークス)。現在、東京単身出稼ぎ業務中。ブログ「たそがれの品川宿

Web評論誌「コーラ」10号(2010.08.15)
コラム「コーヒー・ブレイク」その5:33年目に解けた 「社名の謎」(橋本康介)
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