レーニン死後に首相になり、後にスターリンに粛清されるルイコフの甥ミハエル・シャトロフ氏の『社会主義(革命)に於ける一党独裁体制の起源』研究の紹介と、10月革命直後、左派エスエルと共産党との抗争を描いた映画『7月6日』の紹介だ。革命議会の臨場感に圧倒され、レーニン、左派エスエルの女性党首スピルドーノワの弁舌に息を呑んだ。共産党との連立政権を組んだ経過もある左派エスエル。議会勢力四分の一の共産党。議会内の攻防から双方武装の戦闘、左派エスエルの敗北・消滅。
詳しくは承知していないので、論評は学者に譲るとして、ぼくは逆に、『社会主義(革命)に於ける複数主義の可能性』という、誰もが(?)持ち続けている課題を、学生気分で考え込んでしまった。
考え込んだというのは、こういうことだ。
過日(3月28日)京都円山公園での、「在特会」なる排外主義・ネオナチ的団体への抗議・反撃の意志を込めた、『民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう』集会とデモに参加した。
日の丸を背負ったコスプレ軍服姿で登場して、各交差点で聞くに耐えない差別・排外主義言辞を大声で投げつける「在特会」の若者。「日本人の誇りを棄てるな」とか「恥を知れ!」と叫んでいる。
出口のない構造不況下、倒錯した怒りが少数者・異邦人に向かう……、繰り返されてきた構図だ。何が「誇り」であり、何が「恥」なのかを「知る機会を奪われた」若者の言動が悲しい。
デモの帰り、学生時代の仲間と呑んだ。
その席で何故か、プロレタリア独裁・搾取・疎外・強制力・暴力装置……一部、20世紀の死語(ぼく的には?)も登場。
何とも学生っぽい議論に花が咲いたのだが、
目指すべき社会について
@出版・放送・言論・表現の自由。自由な選挙による議会制度(単独政党制の排除)。
A市場経済と「市場の失敗」に対応する公共部門と、公的規制。
B権力から自立した、労働運動・市民運動の保障。
C社会保障・社会福祉・セイフティネット。
(熊沢誠、1993年「社会新報ブックレット」から剽窃)
を言いかけたところ、すぐさま
「まさに今日我々が対峙してきた団体の『表現の自由』も例外なく承認するのか?」
「あのような自称『市民運動(?)』を強制排除しないのか?」
「旧体制へ戻ろうとする自称労働運動も登場するだろうが、どうする?」
と返された。弱いところを突かれて困った。
学生期・労働運動・争議・職場バリケード占拠・自主経営……その都度「負け続けて」来た。
そして、「負け続けることをやめた時が本当の敗北だ」という金時鐘さんの言葉に支えられてか、「負け続けることをやめ」ようを思い留まり(?)、ようやく生きている。
けれど、その日々からぼくなりに掴んだ@〜Cは、ぼくなりの仮到達だ。
「お前はいつまでも『夢見る夢子ちゃん』やなぁ〜。人々の善意を前提にするのは勝手だが、悪意やその組織的暴力を考慮していない『論』には、説得力おまへんヨ!」
う〜ん……。
周りに、意外なほど「原理主義」(?)が生きていることに驚いた。それぞれの時間に育まれた思想が、もしその道中の「体験」や「現実の政治」や「運動」に晒されておらず、つまり、「現在」と「これまで」の自身とは無縁に、過去の「教条」として持ち出されているのなら、聞く必要もない。
だが、決してそうではないようだ。みな「ひと通り」見聞きし身に刻まれたことあった上で言っているのだ。
20世紀の社会主義国が、ほぼ例外なく「一党独裁」「自由選挙による議会の不在」「労働運動や市民運動の不承認(あっても完全統制下での)」によって運営されて来たのは事実だ。そのミニチュア構図も、それぞれの「左翼体験」(?)で痛く知ってもいよう。
次の機会にヒントを貰おう。
粛清と収容所、暴力と強制移住、人間と人の創意の圧殺……なぜそうなるのか? を、
その問いを回避しては成るはずのない、何と命名しようがいいのだが「在り得べき」人の社会を、その構想を……。
たぶん、いま関わる行動や考え自体の中にも、自身の日々の「労働」「生活」その運営思想の中にも、それは含まれていなければならないと思うからだ。
戦術・方便としての複数主義ではなく、本源的な複数主義は無効なのか? いや可能なのか? 永遠のテーマか? 仏教に行く人の気持ちが解るときがある。
全く次元は違うが、小沢の党と、鳩山・仙石・菅らの政府。議会。
陳情の幹事長室一元化、事務次官答弁廃止、議員立法の忌避、他諸々。
実は、レーニン・スターリン・ヒトラー、みな遭遇した「政策実現の効率」と、党と政府の課題みたいな……そう見えないこともない。
で、そう考えると、チャーチルの「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたあらゆる政治制度を除けば。」という逆説は実に意味深い。上手いこと言うねえ〜。
もちろんチャーチル風民主主義の信奉者ではありません、念のため。
★プロフィール★橋本康介(はしもと・こうすけ)1947年、兵庫県生まれ。1970年、関西大学社会学部除籍。1977年、労働争議の末、勤務会社倒産。5年間社屋バリケード占拠の中、仲間と自主管理企業設立。1998年、20年余の経営を経て、同企業及び個人、自己破産。2002年、『祭りの笛』出版(文芸社)。フリーター生活開始。2006年、『祭りの海峡』出版(アットワークス)。現在、東京単身出稼ぎ業務中。 ブログ「たそがれの品川宿」
Web評論誌「コーラ」10号(2010.04.15)
コラム「コーヒー・ブレイク」その4:『社会主義(革命)に於ける複数主義の可能性』への見果てぬ……(橋本康介)
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