この恐ろしきもの「国家権力」

 

 権力とは、他者をその意志に反して従わせることができる力である。そのような権力は、近代においては国家が独占している。たとえばスピード違反で捕まれば、罰金を払わされるし、成績が悪ければ留年をさせられる。また、裁判で死刑が確定すれば、泣こうがわめこうが死刑が執行される。

 わいせつ訴訟で敗訴した横山 元大阪府知事が、女子大生に
 知事の権力、力はどれくらいのものですか
と聞かれて、次のように答えている。
 「わしの部下は何人いると思う?まず警察やろ。警察はすべてわしの支配下や。それから、教職員やろ。まあ、公務員全部、わしの力で何でもできる」。
 知事はその地域における大統領といってもよいほどの権力を与えられる。その気になれば、権力を使って「何でもできる」。しかし、もしその権力が間違って使われると、とんでもないことになる。

 権力は、本来国民の利害を調整し、国民を幸福にするために使われるべきものである。実際、私たちの日常生活において、権力が国民のために使われることのほうが普通であり、皆さんは「権力が恐い存在である」といってもピンとこないかもしれない。現代はそれほど幸せな時代ともいえる。しかし、歴史をひもとけば、権力が間違って使われた例は少なくない

           国家権力が間違って使われた有名な事例

小林多喜二 『蟹工船』という左翼文学作品を書いたために警察に逮捕され、拷問を受け殺された。
スターリン 自分に反対する人々を約600万人粛清した。
ポルポト カンボジアで理想社会をつくろうとする余り、約120万人を虐殺した。
ヒトラー 当時ヨーロッパに住んでいたユダヤ人1100万人の半数余りにあたる約600万人のユダヤ人を殺した。


 政治学の第一歩は、「国家権力」が非常に恐い存在であることを認識することである。このことの理解なくして政治学はありえない。歴史上、権力の恐さが最初に問題にされたのは、絶対王政期の国王による横暴であった。

 

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