「・・・君が<私を探して居たシャルロット>?」


優しい兄のままで、尋ねるヒース神官と、彼の言葉を聴くシャルロット。
遂さっきまで、あんなにも、泣き出しそうだったシャルロット。
其れが、今は、指先だけでフレイアを止めて居る。
そして、コクリと頷いた。

其の動きは、とてもゆっくりとして居て、堂々として居る。
数分前までの、慌てふためいた様子は、微塵も感じられなかった。
そんなシャルロットを、満足気に見つめて、ヒースさんは続ける。


「そうか。
ならば、折角逢えたのに、残念だ。
生憎<此の私>は、長い時を旅した為に、記憶が所々曖昧でね。
もう、かつての自分が何者だったか、解らなくなるほどなのだ。
だから<私を探していたシャルロット>。
君の事も、何も知らない」

「ヒースは、ヒースでしょう?
どんな処に居ても」

「もちろん<此の世界の>自分の名前と役割ぐらいは、覚えて居るよ。
君の事もだ、シャルロット。
<表面上の君の存在>自体は、数限りなく見てきた。
<古代呪法>の海でね」


ザッと雨脚が強まる中を、二人の聖者が向き合って居る。
一人は、最高位の神官・ヒース。
もう一人は、次期司祭のシャルロットのはずだ。
だが、俺の前に立っているシャルロットは、本当に<同じシャルロット>なのだろうか?
声も姿も、何も変わらないのに、存在自体が、何処かおかしい。

シャルロットには、たった一人で、召喚獣・フレイアを、止めるような力は無いはずだ。
だというのに、脚を掲げた女神の車輪を、独りで静かに受け止めて居る。
何か、特別な事をしている訳じゃない。
それなのに、確実に、其処に存在してるだけで、シャルロットは、フレイアを止めて居た。


「長い間<闇の力>に晒されたら、誰だって、記憶も、正気も、失います。
そんな基礎も忘れてしまったの?
やっと、私は、貴方に追いついたのに。
・・・深い闇を司る貴方に」

「正気の沙汰でないのは、一体、どちらだろうね。
<光の司祭>よ。
僅かばかりの闇を理解し、時空を超えて、私に追いついても・・・。
お前など、私は知らないのだ。
だというのに、食らいつく執念は、もはや狂気に近い」

(!?
<光の司祭>シャルロット?!)


シャルロットが佇むだけで、止められたフレイアが霧散する。
召喚獣の残骸を、興味も無さそうに、流し目で見つめる少女は、顔と形がシャルロットでも・・・。
俺には、全く別の誰かに見えた。
だけど、声も姿も、やっぱりシャルだ。
其れはまるで、身体だけがシャルロットで、心は別の誰かのようだった。
<中身が別人のシャルロット>は、ようやく俺の存在に気が付いたようだ。
俺の傍へとしゃがみこみ、手を取り、囁く。


「残念です。
どうやら、本当にヒースは、自分が誰だったのか、解らなくなってしまいました。
けれども、私は<此の世界>で、ようやく見つける事が出来ました。
<闇の司祭であるヒース>を。
ですから、私は、次のチャンスを待つ事にします。
こんな状況じゃあ、落ち着いて、昔の記憶を思い出してだなんて、言えませんしね。
其れに、今、ヒースと戦っても・・・。
フッ。
パートナーが、デュランしゃんじゃあね?
其の程度の戦闘能力で、私のヒースに歯向かってもねえ?
ぷぷぷ!
笑えます!
そんでもまあ、おんしは、一応は旅の仲間。
美しい私を庇って、玉砕する程度には、使える男のハズ。
ですから、役に立って居る間は、面倒極まり無いですが、私も協力してやりましょうか。
フォルセナの犬」

「!」


ぺしっ!!と。
何処からともなく現れたハリセンで、<別人シャルロット>が、俺の頭を綺麗にハタいた。
妙な敬語を使いながら、更に『ハーッ』って、危機感も無さげに、首をやれやれと振りながらだ。
遠い目で『おんしは、本当に、雑種犬のようですねえ』とか言う・・・。
其の態度が・・・。
俺は、凄く腹立つンだがッ!?


「クソッ、ハリセン童女め!
やいっ、お前は今まで、俺を騙して居たのか。
実は、ホントの二十歳みたいに、喋れたのか。
・・・というか、ホントにシャルロットか」

「んま~!
おんしは、私が二十歳の美女では、シャルロットではないとでも?
中身もちんちくりんでなきゃ、違う奴だとでも?
んん~~~っ?!」

(・・・コ、コイツ!)


グリグリと、聖剣(小道具)の柄で、俺の頬をほじる暴力童女は、やがて、ニッコリと笑った。
そして、俺の手を取ったまま、スーハー、息を吸ったり、吐いたりして居る。
どうやら、深呼吸をして、気合を入れているようだ。
ゴチャゴチャと、やれ『他人を運ぶのは、苦手なんですけど』とか。
『無駄に魔力を消費するから、嫌いなんですけど』だの、散々愚痴を言い倒して居る。
そして『一旦、撤収!』の言葉と共に___。
問答無用で、俺を引きずり込んで居た。







うねる視界が光の渦のようだ。
光の螺旋が、弧を描いて、視界一面が、白一色で揺れて居る。
揺れる空間の向こうで、妖精の纏う、薄衣のようなオーロラが、何度にも重なり、俺達を誘った。
オーロラの彼方に、星の海<宇宙>が観える。

___ソラ。

俺が<宇宙>を初めて知ったのは、幼い日の出来事だ。
絵本で読んだ、誰かの作り話で、<空の向こうに宇宙が在る>なんて、当時の俺は、完璧に嘘だと思って居た。
何故ならば、周囲の大人、皆が信じて居たからだ。
『ファ・ディールは閉じている』と。

まっ平な世界地図以上の、其の先が在るなんて、誰も信じちゃ居なかった。
実際、俺が見つけた本は、子供向けの絵本で、空想の御伽話だったのだ。
それでも、俺が内容を覚えて居たのは、ただ単に『内容が面白かったから』だった。

子供の頃、冗談半分で、ステラおばさんに、初めて宇宙の話をした時、おばさんは、俺に言ったものだ。
『デュラン、作り話を信じちゃ駄目だよ』。
それなのに、宇宙は拡がる。
遥か彼方の星団まで___ハッキリと観える!


(おっ。
またまた、マナの聖域から、フェアリーしゃん達が飛んで居ますねえ~!)

(<またまた>フェアリーが飛んで居る?
・・・!)


其の時、俺のすぐ傍を、紅い鳥の群れが、一斉に羽ばたいて行った。
鳥達は、俺の身体をすり抜けてしまう。
鳥に、実体が無いのか。
それとも、俺達が、本当は、存在をして居ないのか。
鳥の群れは、俺の中を通り抜けて、遥か彼方へと消えて行った。
其のすぐ後を、光の大群が、オーロラの中で、輝きのラインを沢山引きながら、俺達の方へ向かって来る。
あれは・・・フェアリーの群れだ!

フェアリーの大群が、俺のすぐ目前を、ヒュンと過ぎ去る。
確かに<フェアリー>だ。
フェアリーが、何体も、何体も、風を切るように、俺の目前を飛び去って行く。
其の時、内の一匹が、小さな悲鳴をあげながら、風に巻かれて飛び散り、羽が無残に裂かれるのが観えた。
まるで、羽をむしられた、蝶のように。


(はぁはぁ、もう駄目・・・)

(はぁはぁ・・・何を言うの!
もう少しじゃない、頑張って!)

(有難う、でも、残りの力では<人間界>まで持たないよ・・・)

(残りの私の力、貴方に託すわ。
頑張って・・・)
 
(勇者を見つけ、必ず<マナの樹>を救って・・・)


ザアッと、俺の傍を横切るフェアリーの群れは、さながら蟲の大群だった。
其の数は、みるみる内に減ってゆく。
巨大な月を超え、影が遠くへ霞む頃には、もう半分にまで減って居た。
其れが、俺には、観える・・・!


(<フェアリー>という存在は、哀しいですね、デュランしゃん。
<∞のマナの木>の為に、生きて死ぬのだから)

(なあ、シャルロット。
あれは、一体何なんだ?
どうして、あんなに沢山、フェアリーが飛んでるんだ?
フェアリーは、一匹じゃ無かったのか!)

(何って、あの子達は、見たまま<フェアリー>しゃん達ですよ。
其れは知っているでしょう)

(冒険の時、お前の頭の中には、一匹だけだったじゃないか!)

(・・・。
<アンタしゃんの頭の中の、デュランしゃんの知る世界>では、そうなのでしょう。
けんど、実際には、一匹じゃあ在りません。
本当は、<無限に広がる世界の数だけ>、フェアリーしゃんは飛ぶのですよ)

(<無限に広がる世界>?
何だ、其れは)


口を開いた訳でも無いのに、シャルロットの心が、直接俺の心に響いた。
身体が在るようで、全く感じられない、不思議な感覚だけが、今の俺を支配して居る。
まるで、言葉さえ、感覚の一部のようだ。
時々、自分の身体が、波になったように感じる。
それなのに、次の瞬間には、身体の感覚が蘇る。
光の躍動を繰り返して居た。
其れは、粒子と波になった身体が、何処か遠くへ運ばれるような感覚だ。
今の俺達は、光の流れに身を任せて居る。
其の時、フイに、景色が途切れる。
そして___。

・・・湖!

突如、視界が開けた先に、巨大なアストリア湖の沖合が、眼下へ迫って来た。
俺達は、湖面をを認識した瞬間に、真っ逆さまに落ちてしまったのだ。


「・・・シャルロットッ!」


ガクンと落ちる少女へ、俺は、手を伸ばす。
音を立てて、視界の全てが、今、水飛沫になる。







5時間前
聖都ウェンデル・中央広場



両脇を、黒ずくめの男達に囲まれてから、約半刻。
私は、息を殺して、周囲の様子を伺うばかりでした。
どうも、彼らは、私達に、今すぐ危害を加えるつもりは無さそうです。
けれども、強い害意は、間違い無く感じるのでした。


「・・・リース、大丈夫か?」


すぐ隣で、ケヴィンが、私を気遣ってくれます。
私は、精一杯、笑顔でうなずき、ケヴィンに応えて居ました。


「・・・ええ!
私は平気ですよ、ケヴィン。
けれども、これは一体、どういう事なのでしょうか」


途中までは、何もかもが、毎年と同じのはずでした。
シャルロットが、フェアリーに選ばれ、冒険を経て、聖剣を抜き、やがて、仮面の道士を倒す舞台です。
内容も、演じられる状況も、全く同じだったのです。
沢山の観光客と、地元の信者達、そして、各国からやって来た、王侯貴族達。
彼らに見守られながら、舞台は、仮面の道士を倒す事で、幕を閉じるはずでした。
それなのに、嵐が来てから。
急に、おかしくなった。


「オイラ、見たよ。
あっちの席に居たお客さん達が、雨でも逃げなかったんだ。
そして、一斉に、黒いローブを、着た」

「一般客席のお客さん達が、ですか?」

「うん。
朝早くから、場所取りをしてた人達だ。
だいたい200人くらい居たよ」

「・・・」


と、いう事は、観客を装って、最初から、此の機会を伺って居た・・・?
ケヴィンが言うのだから、見た事自体は、間違いは無いのでしょう。
獣人のケヴィンは、人間より、とても視力が良いのです。
見間違える事はありません。

200人の客の内、四分の一近くが、半刻前に、武器を構えて、私達を脅しました。
其の後、私達に移動を強制した事も、残念ながら、間違いありません。
大半の、黒ずくめ達が持っているのは、小型のダガー。
対して、私達の頭数は、僅か10名にも及ば無い。
しかも、丸腰でした。


「聴いた所で、無駄かもしれないが、一応は聞かせて貰おうか。
我々は何処へ向かって居る?」


ケヴィンの向こう側で、フォルセナ王・リチャードが、しんがりの男に尋ねました。
尋ねられた男は、鼻で笑ってから、短く『光の神殿だ』と答える。
やがて、男の言葉通り、光の神殿が、遠くに見えて来ます。
白亜の建物が、今は、黒雲と嵐の中で、闇に沈んで、巨大な影を背負って居ました。
中に入ると、おかしな事に、人一人居ません。
あんなに沢山居た、各国の護衛部隊が、何処にも居ないのです。


「・・・貴方達っ!
ローラントのアマゾネス達を、一体、どうしたと言うのですっ」


私は、リーダー格の男に尋ねました。
こんな事は・・・絶対に、許される訳がありません!
いつもは肌身離さない槍が、今此処に無い事を、これほど悔やむ事は無いのです。
武器が無ければ、自分の身さえ、守れません。
アマゾネスの皆を、助け出す事も出来ないのです。

今夜、私が槍を持たなかったのは、こんな事は起きないと、信じて居たからこそでした。
信頼が裏切られ、平和を簡単に信じた自分が、今は、とても愚かに想えて・・・。
私は泣きたくなりました。

ですが、私の必死の問い掛けにも、男が答える事はありません。
代わりにキセルをくゆらせて、フッと吐き出します。
ローブで見えない顔から、僅かに見える口元だけが、醜く歪んでゆく。


「涙目の、可愛いお嬢さんは、A。
白髪のオッサンと獣人は、Bの部屋だ。
絶対に、一か所に固めるな。
バラして手筈通りにやれ」


男は、僅かに私を垣間見た後、部下に命じて、私達を引き裂きます。
私は、3人の男に脇を固められ、こずかれるように、みなの前に引きずり出されました。
其の時、男が、私の後ろに居る部下に向かって、手で合図を送ります。

___次の瞬間。

ズンッ!、と鈍い音がして、私の足元から、煙が立ち上りました。
床の一か所が・・・。
何か、よく解らない物で、深く抉られて居ます!


「アー、ハイ、よく聞いて。
アンタがたの中には、腕に覚えがあってナア?
丸腰でもやっちまえると、勘違いして居る奴も、在ると思うが。
コイツを見ろ。
此の武器は<精霊弾>と言う。
弾は、小さなガラス玉だが、自然界のエネルギーが、一点に凝縮された代物だ。
此の<精霊弾>を、俺の右手に在る<小型魔砲>へ装着した上で、撃つ。
そうすれば、人体ぐらいは、軽く貫けるんだ。
我々は全員<小型魔砲>を携帯して居る。
だから、人質の皆さんは、どうか、妙な気を起こさずに・・・。
くれぐれも、此の俺に面倒を掛ける事無く、速やかに投降しましょう」


水を打ったような沈黙が、数分の間、続きました。
フロアの様子を、満足気に見渡した男は、また、手だけで合図をします。
其の途端、一人、また一人と、賓客達が、方々へ拘束されて行きました。
私も、こずかれて、無理やり歩かされます。
何処へ向かうのかも、解らないままに。







誰も居なくなった光の神殿は、不気味なほどの静寂に包まれて居ました。
私は、<イルージアの庭>の傍を、通り抜けて行きます。
滝の音と、横嬲りの雨音だけが、無人の回廊に響いて、足音を掻き消して行く。

昼間は、あんなに綺麗だった庭が、今は、嵐に揉まれて、木の葉を散らしてゆきます。
白亜の石畳の上に、枯葉が舞いました。
枯れ果てた葉の群れを踏みしだきながら、私達は、黙々と歩いて居ます。
私を拘束し、連行する男には、目的地が解って居るのでしょう。
歩みに迷いがありません。

其の時、私は、男の腰に携帯された、ダガーを目に留めました。
短剣に刻まれた、模様が見えた瞬間、息を呑む。
其れは、焔の内で重なる、二つの小刀の紋。
ナバールの紋でした。

それで、私は、ようやく気が付きます。
二人組の内の一人は、砂漠地方の出身である、茶褐色の肌色で在る事に。
そして、もう一人は、抜けるように白い肌をして居ます。
まるで、北国の出を想わせる・・・。
彼らは、一体、何者なのでしょう?


「・・・着いたぜ、お嬢サン」


やがて、私は、考えて居たような、とても酷い場所では無くて___。
むしろ、拍子抜けするほど、快適な場所へ連行されました。
其処は、午前中に、ヒースさんから宛がわれて居た、客間でした。

ですが、部屋のドアに、外側から太い閂が掛けられ、一歩も外へ出る事は叶わなくなります。
内側から施錠を確認してから、ナバールの男は、漆黒のローブを取る。
男は、5年前と変わらない、ナバール兵の姿をして居ます。
顔はターバンで隠れたままで、其の手には、あの<小型魔砲>が握られて居ました。

私は、目の端だけで、部屋中を探索する。
しかし、壁に立て掛けて置いたハズの、私の槍が、部屋の何処にも在りません。
自らの武器を奪われた事を確認した時、男が口を開きました。


「実は、俺とアンタは初見じゃないんぜ、『リース様』。
ナバールじゃあ、遠目からだが、俺の方からは、よく拝ませて貰って居た。
ま、『リース様』と言えば、ナバールの商売派にとっちゃ、マナの女神様みたいなモンだ。
無償で、何から何まで、世話をしてくれるからな。
頭から、お嬢サンを拝んでる連中も多い。
近頃じゃあ、ホークアイが、其の筆頭かね。
アイツのは、単なる女好きもあるがね」

「クッ。
貴方がたは、私達を、一体どうしようと言うのです!
貴方が、私を知っているですって?
私は、貴方の事など、何も知りませんっ」

「ククク、もう忘れたかナア?
俺達は、近くで何度も、顔を合わせた事があるんだゼ?
ああ、ケド、解ら無くても無理はねえよ。
最後に、お嬢サンと俺が、マトモに顔を合わせたのは、5年も前の、火炎の谷だからな」


・・・5年前。
・・・火炎の谷?


訝しく思いながら、記憶を探る私を、男は、フと鼻で嗤いました。
そして、懐から、煙管を取り出します。
『吸ってもいいか』と聞くように、管を持ち上げる、私と面識は無いはずの、男。
私は顔を顰めましたが、男は構いません。
火打ち石を使い、慣れた手つきで煙を飲み込み、そして、吐き出しました。


「・・・マナストーンの生贄は、石一つにつき、一人でも良かった。
そして、体内にマナの多い奴が、生贄向きだったんだよ、お嬢サン。
だから、俺は運が良ったのさ。
いや、ある意味では、ツキが無かったのかもしれないな。
ジェシカお嬢さんの身代わりに、まずは、資質のある弟が、生贄に捧げられちまった。
俺は、弟の次に、オダブツになるハズだったんだ。
其れが、こうして生き永らえてる訳だから。
早い話が、俺は、死に損ないなのサ。
当時は、他所の国サンも、マナストーンの解放にゃ、躍起だったしな。
結局、俺の身体は、使われる事も無く、枯れ果てた砂漠に、取り残されたって訳だ。
弟のベンだけを、見殺しにしてナア___」

(・・・!)


ターバンのせいもある。
でも、それだけじゃない。
人相が、すっかり変わって居たから、私は全く気が付く事が出来ませんでした。
顔から布を取り去った男が、5年前にエリオットを攫った、ナバール兵の一人。
ビルだった事に!


「・・・おのれ!
憎き誘拐犯どもめ。
何故、お前達は、未だにこんな事をするのですか。
イザベラは、もう、マナ聖域で死んだはずです!
ならば、ナバールは、誰にも操られてなど居ないはず・・・。
それなのに何故!」

「あのなあ、お嬢サン?
お嬢サンは、イザベラが居たから、昔のナバールが、ローラントを襲ったとでも言うのかい?
そうじゃない。
俺達は『水が無い』から、隣国を襲ったんだ。
イザベラは、皆を扇動しながら、戦という形で、ナバールの問題を、解決しようとしたに過ぎんよ」


ビルは、フッと、煙を吐きました。
今、丸腰の私と、<小型魔砲>を構えたビルの間に、煙が靡いて行きます。
ヤニの不快な匂いが鼻孔を突き、私は顔を顰めました。
ニヤニヤ笑いながら、舐めるような視線を隠す事も無く、ビルは続けます。


「実質、ウチの頭をやってる、ホークアイはなア。
何故か、昔から、血を観る事を嫌う奴だった。
盗賊団時代から、荒事は好かないタチで『ナバール盗賊団は、決して人殺しはせん!』ってナ。
イーグル様とつるんでは、息巻くような奴だったよ。
だが、ナバールの本来の首領である、フレイムカーン様のやり方は違う。
フレイムカーン様は、歴代の首領と同じように、先を読んで、もっと大胆に動ける御方だ。
弱腰のホークアイとは、全く違う。
例え、年老い、治らぬ病を得たとしても。
今でも、ナバールの首領は、フレイムカーン様なのだ」

「・・・ビル。
お前は、一体、何が言いたいのですか?」

「・・・ようは。
ナバールには、まだ<牙>が必要だと・・・是非とも解って欲しいのサ。
ナアッ?!
ローラントの、女神サンッ、よッ・・・!」

「!!」


其の時、ビルが、<小型魔砲>を投げ捨てました。
煙管が宙を舞い、灰が飛んで、私の目を潰します。
眼球に痛みが走り、思わず目を閉じてしまう・・・!


「・・・く・・・あっ!」


下腹の激痛と共に、私の視界が、ゆっくりと濁ってゆく。
クラリと脳の奥が震えて・・・。
視界の総てが、白亜の床へと、落ちて行ったのでした。







リース様・・・。
リース王女様・・・。


霞む視界の、何処か遠くの方で、誰かが私を呼ぶ声がしました。
振り向くと、其処には、ガルラのお婆様と、ライザが居ました。
私は、ガルラのお婆様に、一度も逢った事がありません。
私が生まれた時には、もう、亡くなっておられたからです。

だから、此れは、夢なのです。
其れだけは、霞んだ世界と、痛みの中で、ハッキリと解る。
肖像画でしか、お逢いした事の無い、ガルラのお婆様。
お母様とそっくりの、まっすぐのブロンドが、風に揺れて、とてもお綺麗でした。
そんなお婆様の手を引いて、ライザがやって来ます。

私より、5つも年上の、ライザ。
ですが、其の姿は、まだ子供のようでした。
気が付くと、夢の中では、私の姿も少女のままでした。
ですから、私の姿も、二人の姿も、夢の中の幻のはずでした。
それなのに___。


『さあ、棒術の稽古を致しましょう。
リース様』


幻のライザは、私に、棒術の稽古をつける。
其れは、まるで、現実の出来事のように、リアルな情景です。
幼い頃のライザは、私に宛がわれた従者であり、槍の稽古係でした。
其の役割のままに、幻のライザが、私へ向かって、棒を振るい始める。
そして、私を、諫めました。


『ナバールに対して、そのような、弱気な態度で居てはなりません、リース様。
一国の王女が弱腰で居て、国が守れると思われますか?』


そう、疑問の数々を、叩きつける。


『風の城壁の資料を、探し出すのは結構です。
けれども、何故、資料をナバールに渡すのです?
我々に、其の必要は在りません』


キンッ!と乾いた音がして、私の棒が、ライザの棒に弾かれました。
棒は、転がりながら、ローラント城の高台から、海に向かって、ゆっくりと落ちて行く。
今、波音が一際大きくなり、風が___。
風が泣いて居ます___。


『どうやらリース様も、ガルラ様と同じ過ちを、繰り返したいようですね。
当時のガルラ様も、とても情け深い方でした。
けれども、其の優しさが、19年前の悲劇を生んだのです。
ガルラ様も、砂漠地方との国交を回復させたかった。
其れ故に、一瞬の判断を誤ったのです。
其の優しさが、オウルビーグスの艦隊に、おめおめと足元をすくわれる、原因となったのです!』

『いいえ、ライザ・・・。
其れは違うっ!』


私は、泣き止まない風の中で、素手のまま、ライザの棒を受け止めます。
年上のライザは強い。
だけど、私だって、負けません。
城の男の子も負かす事が出来るほど、棒術だって、出来るのです!
だから、絶対に、負けません!


『ライザ、気が付いて下さい!
争いの原因は、もっと、他に在る事に。
唯、彼らの生まれた場所が、人が生きて行くのには、厳し過ぎただけ。
水が無い。
其れが原因なの!
だから、お願いです。
現実に、眼を開いて下さい。
・・・ライザ!』


ですが、次の瞬間、私は、掴んだ棒ごと、バランスを崩して行きました。
ライザが棒を捨てたからです。
ライザは、一気に、喉元まで詰め寄る。
そして、瞬時に消えます。
身を低く屈め、脚を掛ける!


『・・・あっ!』


倒れ込んだ、私の目の奥に、深い藍色の空が広がる。
波音が大きくうねり、風が巻き上がりました。
目の端で、ガルラのお婆様の、ブロンドが揺れます。
脚をかけられ、倒れ込んだ、私の下腹が、とても痛い。
涙が零れそうになるほど、胸が苦しい・・・。
其の時、遠くから、アマゾネス達が駆けつける、足音が響きました。


『ライザ!
お前は、リース王女様に、何と言う事を・・・っ』


パアンッと言う、乾いた音。
そして、ライザのお母様が、ライザの身体を、激しく叩く音が・・・。
痛む腹の奥と、青空へ響き、やがて、遠のいてゆきました。