気が付くと、私は、真っ暗な空間に、転がされて居ました。
両足と手首を縄で巻かれ、床に捨てられて居たのです。
暗くて何も観えません。
此処は・・・一体、何処でしょう?

頭上から、ザッ、ザッ、と、規則正しく、集団の歩く音が聴こえます。
辺りを見回すと、狭い事だけが、かろうじて解る。
どうやら此処は、人独りがようやく入れるような、独房のようでした。
其れが理解出来たのは、頭上から振る足音と、僅かな光のお蔭でした。


「ううっ。
何故、私は、牢屋に居るの・・・。
・・・ハッ!
あれは、私の槍?」


僅かに浮かび上がる、鉄格子の向こう側に、<一本の槍>が在りました。
ですが、私が普段から愛用をしている、ローラント製のスピアでは無いようです。
其れは、紅くて、ゴツゴツした形の、巨大な槍でした。
リーチが長く、使いこなすには、よほどの身長がなくては、振るえそうに在りません。
槍先も重く『突く』と言うよりは『屠る』為の武器のよう。
鉄格子の向こう側で、ゴツゴツした切先が、人体を抉る為に煌めいて居る。

岩牢と、紅き槍を浮かび上がらせる光は、月光でしょうか。
小さな窓から差し込む青白い光が、辺りを照らして居ました。


「くっ・・・。
何とか、窓から、外の様子が見えるでしょうか・・・」


身体だけをくねらせ、這いながら、私は岩牢の窓をよじ登ります。
時々、ガッと岩が身体に当たり、肌から血が流れます。


「もう少し・・・。
後、もう少しで、届きます・・・っ」


やがて、ようやく、目だけが窓に届く。
其の時、私の目が捕らえたのは、<巨大な湖>でした。
其れも<青白く光る湖>です。
しかも、湖岸には、ザッと規則正しく、足並みを揃えた集団が在る。
湖の傍で、団結し、集合する軍隊が、岩牢の窓から、僅かに観えたのでした。
其の時、ガシャンと音がして、鉄格子の向こう側から、よく知った声が落ちて来る。


「・・・離してッ。
もう、離して頂戴ッ。
三下の癖に、気安く王女様に触らないでよねっ!
此の黒ずくめ!」

(・・・アンジェラ!)


振り向くと、其処には、私と同じように捕まった、アンジェラが居たのです。
ボロボロの姿になったアンジェラが、三下さんに捕まって居たのでした。
昼間はあんなに綺麗だったドレスが、今は膝上までビリビリと裂かれて居ます。
腕を覆っていた、純白の手袋も無い。
靴も履いておらず、アンジェラの素足も、岩肌に裂かれてズタズタでした。


「全く、抵抗ばっかりしやがって・・・。
これから親分に逢うって言うのによう。
生足までさらして、恥ずかしくないのか、アルテナの王女の癖に」

「あんなに長いドレスを引きずって、ヒールまで履いて、どうやって逃げるのよっ!
アンタらなんかに、大人しく捕まる、アンジェラ様じゃないのよ。
今すぐ、お母様に逢わせなさい!
あ、い、痛い!」

「どうやら、王女サマには、捕虜の自覚が無えようだなあ?
もっと痛い目に合いたいのかあ?
親分が紳士だから、怪我をさせるなと言われているだけで、お前等は、俺達の家畜同然なんだ。
エサはエサらしく、慰みモノになりたいかい。
俺様が、もっとドレスを裂いてやってもイイんだぜえ・・・?」


三下さんがダガーを光らせ、アンジェラの足に刃を這わせました。
ビッとダガーが跳ねると、ドレスの裾がもっと飛びます。
それでもう、アンジェラの腰の辺りまでしか、布が無くなってしまう。
男は、怪我さえ負わせなければ、アンジェラに何をしてもいいと、本気で想って居る___。


「・・・三下さん、止めて下さい!
アンジェラも、もう止めて!
此れ以上逆らうと、取り返しのつかない事になってしまいますっ」

「リース、構やしないわよ!
どうせ、こんな下っ端には、何も出来やしないんだから。
・・・私は知っているもの。
貴方達の親分さんは、紳士だけど、冷酷でしょう。
命令に逆らって、捕虜に乱暴をする部下など、要らない人よ」

「お前だけが、親分から特別扱いだからと言って、いい気になるなよ。
アルテナの王女。
其処の、ローラントの王女もだ。
もう、大人しく出ろ」


グッと、ひるんだ様子の男が、牢の鍵を開けます。
そして、立て掛けてあった<紅き槍>を、重そうに持ち上げました。
男に連行され、私とアンジェラは、牢を出ます。
牢の中は岩壁ばかりだったのに、牢を出た途端、白亜の壁がずっと続いて居ました。
___<光の神殿>と同じ内装です。

ですが、窓が有りません。
何処まで歩いても壁ばかりで、今が昼なのか夜なのかも解らない。
捕まってから、どのくらいの時間が経ったのか、皆目見当も付きませんでした。


「アンジェラ。
此処は本当に<光の神殿>でしょうか。
外が全く観えませんね」

「私達が居るのは、神殿の地下階よ。
そりゃあ、外なんか無いデショ」

「ええっ?
光の神殿に地下が在ったなんて・・・。
私は、一度も見た事がありませんよっ?」

「用事の無いトコは誰も行かないし、ウェンデルだって、部外者には見せないでしょう。
私だって、聖都には何度も来て居るけれど、地下へ来たのは此れが初めてよ。
奴らに捕まってから、随分と階段を下った気がするわ。
多分、アルテナ城の最上階へ登るくらいには、下ったと思うけれど」


そんなに広大な空間が、聖都の地下に在るなんて、とても信じられません。
けれども、観てしまった以上、此れが事実なのでしょう。
其れに、今は観えないだけで、確かに『外』は在った。
岩牢の隙間から、何処までも広がる地底の空間と、青白く光る湖が、僅かに観えた・・・。


「ホラッ、ついたぜ、お姫サンがたよッ!」

「!」


其の時、三下さんに、ドンと背中を押され、私達は、再び何処かへ押し込められました。
閉じ込められた場所は、とても小さな部屋でした。
真四角の部屋の、白い大理石の壁に、<大きな柱時計>が在る以外、壁には何も無い。
中央には、真っ白のテーブルクロスが拡がり、活けられた花の周囲には、食事の用意が在りました。
焼き立てのクロワッサン、カリカリのベーコン、採れたてのフルーツが、テーブルに乗って居ます。
わあ、聖都の名産品『ウィル・オ・ウィスプのビスケット』までっ!


「とっても美味しそうですね、アンジェラ!」

「さて、朝食も、頂けるのなら、頂きましょうか」

(・・・朝食も?)


其の時、アンジェラに言われて、ようやく私は、今が何時なのかを考えました。
壁の柱時計は『7時』を指して居る。
という事は、捕まってから、半日以上が経って居て、今は『朝の七時』と言う事になります。

アンジェラは、ボロボロのドレス姿のまま、ドカッと椅子に座りました。
アンジェラが足を組む度に、短いドレスの裾が、はだけてしまう・・・。
私は、目のやり場に困り、思わず顔を背けました。
だって、本当に、際どいラインだからです。


「あのう、アンジェラ。
中身は、もっと、大事にした方がいいと思いますよ?」

「はあ?
中身って何よ、リース」

「う!
いえ、何でもありませんっ」


それでいて、食事を始めたアンジェラの手さばきは、とても優雅でした。
小さいフルーツの皮さえ、ナイフとフォークで?けるのです。
そして、昨日もディナーを食べたように、此の場に慣れて居る。
其の時、ドアがパタンと開いて、ハーブの香りが漂いました。

ああ、とってもいい匂い!
お花の香りが部屋一杯に広がって、小さく歓声を上げてしまうほどです・・・!
全く持って、此処が敵地で在る事を、忘れてしまうほどの、おもてなし。
素敵過ぎます。
ですが、アンジェラの空気は、冷たいまま変わりません。
淡々と食事を食べ『彼』の言葉にも動じませんでした。


「朝の食事は楽しんで頂けて居るだろうか?
可愛いお姫様達」

「!」


其処には、銀のトレイにハーブティを乗せた、ヒースさんが佇んで居たのでした。


「親分さんと、後ろに在る<妙な武器>さえなければ、とても美味しいわ」

「気に入って頂けたようで、光栄だ。
けれども、君の意見は変わらないのだね、アンジェラ王女。
条件さえ飲んでくれたら、岩牢では無く、もっと良い部屋にも移れるし、食事も良いものに出来るが」

「お生憎様ネ。
こう見えても私は、飢えにも、貧しさにも、慣れて居るの。
亡命生活に耐えた王女を、舐めんじゃないわよ。
ヒースさん、貴方に協力は出来ない」

「断れる立場では無い事を、理解しているはずなのに、随分と強気な事だ。
これまで、ヴァルダの病を治していた<力>が何なのか、君には判ってるのだろう?
アルテナの魔法体系で、女王の病は癒せない。
聖都の治療が無ければ、病に伏した女王の寿命は、持って、後3か月だ」

「・・・卑怯者!
竜族が、お母様にかけた呪いを利用して、私達を脅すだなんて。
お母様に手を出したら、許さない!
ヒースさん、貴方はまだ『堕ちた聖者』だったのね・・・」


ダンッと、叩きつけられるように置かれた、ナイフとフォーク。
アンジェラの、これまでは優雅だった手元が、激しくなる。
___アンジェラは、追い詰められて居ました。

其の時、ヒースさんが、私に向かって振り向きます。
お茶を差し出す姿は、どう見ても、いつものヒースさんでした。
まるで、皆の優しいお兄さんみたいです。
それなのに・・・。


「ヒースさん、貴方が『親分さん』だったと言うのですか」

「其の呼び方は、幾度も断ったのだが。
残念ながら、私が親分だ」

「な、なんて似合わない通り名に!
あ、いえ、ではなくて、何故、貴方がこのような事を・・・?」

「そう、事を急かなくても良いだろう、リース王女。
私は、君達にとって、とても良い話を持って来たのだからね。
さて、今朝のお茶は、どれが良いかな?
ラヴェンダー、リンデン、アップル。
皆、今朝、私の畑で採れたばかりで、とても美味しいよ。
私はリンデンを頂こう」

「じゃあ、私はアップルを頂こうかしら。
リースはラベンダーでいいよね?」

「はあ、有難うございます・・・。
じゃなくて、あの、之は一対!?」


暗い岩牢から一転して、突然始まった朝食会に、私は驚いてしまいました。
其れに、私の両手は縛られたままなのに、お茶なんて、飲める訳がありません。
すると、拘束されたままの腕に気づいたヒースさんが、ニコッと微笑みました。
そして、優しく縄を解いてくれました。

サラッと流れる、ヒースさんの綺麗な髪___。
透明で奥行きの在る、大きな瞳___。
仁徳を持つ、聖職者の表情。
縄を解いてくれて居る間、ヒースさんの綺麗な顔が、とても近くなる。
それなのに、ヒースさんが事件の中心に居るなんて、私には、まだ信じられませんでした。

ハラリと縄が解けた時、ヒースさんが、ガラスのティーカップを、私に渡してくれました。
其れは、キラキラと輝く、クリスタルで出来たカップでした。
こんなに綺麗な素材は、ローラントでも、観た事がありません。


「ね。
とても綺麗な硝子だろう?」


其の時、ヒースさんが、蒸気の向こうで、もっと深く微笑みました。
其の眼は、私を、そして、全ての人々を、心から慈しむような眼差しです。
ハーブの香りに包まれ、聖職者の微笑を浮かべたまま、ヒースさんは続けました。


「其れは、過去の文明がもたらした、最新にして最古の素材、クリスタルのカップだよ。
こんな風に、硝子を研磨する事も、形を作るのも、今のファ・ディールでは、とても難しいね。
皮肉なものだ。
<現在の我々には使えない技術>が、太古のファ・ディールには、存在をして居るのだから」

「クリスタルガラスが・・・<最新の技術>ですか?」

「そうだよ、リース姫。
私は、君が、技術を求めて居る事を知っている。
ローラント王国が誇る<風の城壁>を、ナバールの為に使う志は、私もとても素晴らしいと思う。
だが<風の城壁>は、ローラント王家が持つ、秘宝の宝石を翳さなければ、決して起動をしないだろう。
仕組みも解らず、国内から反発もある君に、城壁の技術を使って、ナバールを援助する事は、極めて困難だ。
だから、君が、我々に協力をしてくれるのならば・・・。
<風の城壁>の秘密を、私が君に教えてあげよう。
<過去の文明を使う事の出来る唯一の一族>である、君に」

「リース!
そんな、卑怯者の言う事なんか、絶対に聴いちゃダメよッ!
きっと、嘘ばかりだわ!
コイツの言う事に、根拠なんか、何処にも無いんだからッ!」

「我々の物的証拠の多さを、侮って貰っては困るよ、アンジェラ姫。
ウェンデルは、アルテナより、遥かに長い歴史を持つ都市だ。
貴国の千年など、芥子粒のような物。
文献の量も、遺跡の数も、ウェンデルは、アルテナを遥かに上回る。
・・・違うだろうか」

「そっ、それは・・・」


___クスッと。


優しく微笑むヒースさんが、クリスタルのティーカップを、テーブルに置きました。
そうすると、部屋中に、ふんわりと、ハーブの香りが広がります。
ヒースさんは、ゆっくりと優雅に、部屋の隅まで歩きました。
処には、<大きな柱時計>と<紅き槍>が、立て掛けて在る。
槍に指を滑らせながら、ヒースさんは続けます。


「これからの君達に必要なのは<国を護る力>では無いのかな?」


其の時、ヒースさんが<紅き槍>を、ヒュッと凪ぎました。
其の途端、グニャリと視界が黒く歪んだような・・・そんな気がしました。
私は目を擦ります。
そして、もう一度、朝食の用意された部屋を見渡す。
けれども、もう何も、動く気配は在りませんでした。
今のは一体、何でしょう?
まるで、空間全体が歪んだような・・・。


「私の言葉が理解出来ないのなら、君達は、君達自身で、答を得ねばならないね。
特に・・・アンジェラ姫」


其の時、ヒースさんが、アンジェラの傍を通り抜けました。
一瞬、二人の目が合う___。


「次期理の女王、アンジェラ姫。
私は、君の答を待って居るのだよ。
だから、もう一度<行っておいで>」


ヒースさんの言葉に、アンジェラの瞳が曇ります。
そして、ヒースさんが、柱時計に触れた瞬間。
突如、壁の柱時計が<黒の鏡>になったのでした。