役者である<堕ちた聖者>。
そして<もう一人の聖者>が、雨の中に佇んで居る。
土砂降りの雨が、舞台の檀上へと叩きつけられ、シャルロットの前髪が、滴の重みで額へとへばり付いた。

聖剣の切先が揺れる。
よく出来た、偽物の小道具が、行き場を見失い、ぐらついて居る。
シャルロットの、見開かれた瞳、其れも揺れる。
何時までそうしていただろう。
フイに、雨が途切れた時、シャルロットの横顔に微笑が戻った。


「フ。
いたしかたがありまちぇん。
どうやら、ギャグのせんすが、あんたがたとは、おりあわぬようでち。
けんど、いまなら、すべったって、ダサダサなだけでちっ!
しっぽまいてかえるなら、いまでちよっ?!」


けれども、堕ちた聖者『達』は、シャルロットが、無理をして作った余裕を見ても、微笑むだけだ。
ニッコリと、極上の笑みを浮かべる。
俺には其の目が綺麗で、けれども冷た過ぎて、一瞬、誰の微笑みなのかが、全く解らなかった。


「・・・どうして・・・」


俺も、行き場のを見失った武器を掲げたまま、力無く問うしかなくなる。
気が付けば、舞台だけじゃない。
客席にも、其の先にも、漆黒のローブを纏った男達が、犇めいて居たからだ。
もう、行動を制限された賓客達。
其の周囲には、あからじめ、計画して居たとしか、想えないほどに。
容赦の無い包囲網が敷かれて居た。

俺が配置していたはずのフォルセナ兵は、すでにのされている。
貴賓席の周囲は、特に、精鋭ばかりを選んで居た。
にも関わらず、視線をずらせば、広場中が、黒ずくめの男達により、掌握をされて居た。

此れだけの数が、一体、何処から?

ジリッ、と追い詰められる俺は、シャルロットを後ろに庇う。
苦し紛れの行動だが、今の俺には、此れ以上、どうする事も出来なかった。
けれども、シャルロットは、もう、俺に庇われるばかりの、幼い子供では無いのか。
精一杯、虚勢だとしても、抵抗の姿勢を示して居た。


「あんたがた、こんなことをして、ただですむとおもってんでちか!
ここは、ウェンデルでち!
きっと、いまごろは、おじいちゃんが、うごいてまちよ。
かくごしんしゃい!」

「光の司祭には、もう抵抗をする力が無いのだよ、シャルロット。
其れも<今の君>でも解るはずだよ。
状況が何よりの証拠だと」

「・・・そ、そんな・・・・」


他の奴になら、何を言われようと、構わない。
しかし、<彼>の言葉は、余りに決定的だった。
シャルロットにとっても、そして、俺にとっても。
何故なら、兵の配置の計画段階から、祭事の全てに関わり、決定を下して居たのは・・・。
もう、光の司祭では無く___。


「どうしてでちか・・・。
______ヒースッ!」


光る稲妻。
走る閃光が、青年の横顔を照らした。
アイス・ブルーの髪は、雨に濡れても、柔らかさを失わない。
横嬲りの滴、其の只中でさえ、絹の法衣が、晴れた空に浮かぶ白い雲のように、真っ白だった。

井出達は、気高い神官のままの、ヒースさん。
それなのに、ヒースさんは、何処か歪んだ微笑を浮かべ<堕ちた聖者>の<役者>に向かって、耳打ちをした。
役者は軽く頷くと、手を翳す。
天に翳された指先を合図に、黒のローブを纏った集団が、一斉に動いた。

リチャのおっちゃんが、リースが、遠くの方で、連れ去られていくのが見えた。
そして、何故だろう。
賓客の集団へ、幾ら目を凝らしても・・・。
アンジェラが居ない!

俺は、一瞬、思考が停止をしてしまう。
今更どう足掻こうが、後の祭りだと。
それでも、状況は、俺が見極めねばならなかった。
まだ、ヒースさんに捕まっては居ない、俺が。
・・・額に汗が滲む。
俺は、冷静を装い、打ち合わせの続きのように、ヒースさんに問い掛けた。


「・・・どういう事ですか、ヒースさん。
説明をお願いします」


ヒースさんは、クスッと、可愛い子供を垣間見たように、俺を見て嗤った。
そして、教師が、生徒を注意するような口調で、俺を窘めたんだ。


「今になって、其れを聞いても、もう意味が無いだろう、デュラン君。
もちろん、君は納得をしないね。
けれども、結果は見た通りだ。
フォルセナの英雄王から、ローラントの王女に至るまで、今夜、私の手に落ちたのだ。
これまで、疑いもせず、ずっと協力をしてくれた君には、感謝をして居る」

「ごたくはいいです。
こんな事になった理由を、俺は聞いて居る。
場合に依っては、俺は、貴方の敵になる」

「生憎、私は君に、最初から、理解を期待しては居ない。
けれども、無駄な抵抗は、止して欲しいと願って居るよ。
特に、隣のシャルロットは、次の光の司祭で、私としても身内の情が在る。
此処で下手に暴れられて、傷を付けたくは無い。
解るね?
デュラン君、君には、聖都に敷かれた警備網の、全てが終わった事だけは、理解が及ぶだろう。
私にとっては、其れで十分だ。
___さあ、シャルロットを、こちらに渡してはくれまいか」

「・・・!」


___一歩。


紳士的に踏み出す、ヒースさんの姿に、シャルロットが怯えて引いた。
それでも、少女は、グッと留まる。
小道具の聖剣を構え、ヒースさんを睨んだ。
それでも、声は甘えたままだ。
幼い頃からの、兄弟子を想うままだった。


「ヒース、いったい、どうしてなんでちか?
ヒースは、ごねんまえに、おじいちゃんを、びょうきからたすけてくれたでしょう?
そして、めがみさまに、みもこころも、すくわれたはずでちた!
なのに、なぜ!」

「私は、説明をしても<今の君>では、全てを理解は出来ないと想う。
けれども、私は、君と約束をしただろう?
『もう、何処にも行かないよ』と。
可愛い、私のシャルロット。
これからも、ずっと一緒に居ようね。
だから、こちらへおいで?
私のお願いだ」


小首をかしげたヒースさんは、まるで、本当の兄のようだ。
年上のヒースさんが、年下のシャルロットを、優しく諫めて居る。
だが、シャルロットは、精一杯、ヒースさんの腕に縋り付かないように、耐えて居た。
帽子に刻まれた、二頭のユニコーン。
聖都の紋章に、そっと指を絡ませてから、聖剣を___。
ヒースさんに向かって掲げて居た。


「・・・いや・・・。
ぜったいに、それだけはいやでち。
たとえ、ヒースの、おねがいでも。
ヒースが、みんなを、こんなふうにして、いいわけがないよ。
それぐらいは、ちっちゃいシャルロットでも、わかるでちよ。
それに・・・。
さいしょに、せかいのみんなで、はなそうっていったのは、ヒースでちっ!
なのにこんな!」

「______何もかも、最初から」



『此の為だったと言ったら?』



次の瞬間、黒の波動が、ヒース神官を覆った。
グニャリと視界が揺れ、風圧と共に、空間全体を歪めるような、漆黒の波が俺達を襲う。
俺は、シャルロットを突き飛ばし、転がりながら剣を構えた。

・・・今のは、一体、何だ?
・・・景色全体が歪んだ?

俺は、もう小道具では無く、腰の真剣を翳す。
俺の態度を見て、納得したように笑う、ヒース神官。
目の端でヒースさんを追いながら、俺は、まだ転がったままの、シャルロットを掴んだ。
シャルロットの耳元で、次の動きを囁く。


「シャルロット。
今から、お前だけでも、逃げるんだ。
それから、ホークアイを探せ。
俺は、アイツなら、やすやすと捕まってるとは思えない。
牢屋に捕まろうが、逃げちまえる奴だからな。
行って、此の事態を伝えるんだ!」

「・・・そんな!
デュランしゃんだけで、ヒースにかなうわけがないでちよっ?」

「あのなあ、どう見ても、トコトン叶う相手じゃねえんだよ。
周りを観ろ。
お前が居ようが、居まいが、捕まって終わりだ。
俺達の相手は、ヒースさんだけじゃ無い。
シャルロット、お前は、たった二人だけで、あの黒づくめの集団を、どうにか出来ると思うのか。
途中までは、俺が防ぐ。
チャンスは、俺が作る。
其処からは、お前が独りで走るんだ。
俺の事は、心配すんな。
後で、ホークアイに、リースのついでにでも、助けて貰うさ。
だから・・・。
行けッ!」


俺は、理由も解らないまま、もう、剣を振るい始めるしか無くなった。
『5年前から、この為だった』ヒースさんの言葉が、繰り返し、俺の脳裏で回る。
状況が、俺に留まる事を許さ無い。

ヒースさんの放つ、ヨルムンガンドが牙を向き、俺の腱を狙う。
ウェンデルの高官の、涼やかな微笑が、5年間の記憶と重なる。
次の瞬間、間合いを取ったヒースさんの手から、風圧が弾けた。
円を描き、熱を帯びたエネルギーの塊が、何発も乱射されて行く。
エネルギーは、乱れて不規則で、でたらめな動きをするようで、意思を持つ命のようだ。
盾で防ぎ、剣で払っても。
羽虫のように付きまとう。


「・・・何故だ、ヒースさん!
貴方は、俺達を、ずっと利用していたのか?
一体、何の為に!」

「言っただろう、デュラン君。
私は、君に、理解を期待しない。
君は、愚かではない。
だが、浅い。
今の君に、深く熟慮する事が出来るかな?
そして、其の必要が、在るのだろうか?」

「・・・ンな事を、俺は聞いてねえ。
フォルセナ王と、皆を離せッ!
離せぬなら、訳を問う。
俺には、其れだけだッ!!」

「クスッ。
だから、君は、理解など・・・しなくても良いのだ。
可愛い<女神の騎士>よ」


ヒースさんの言葉と共に、視界一面が、フレイアの車輪になる。
唸る女神の輪が俺に迫る。
俺を巻き込み、離さず、押しつぶすために高速回転し、躱す隙などは与え無い。
とっさの反射のみで、圧を防ぐ、騎士の盾。
其れだけでは、ひたすら潰す為だけに、繰り出される力技を、押し返す事しか・・・出来ないっ!
盾が、余りの圧に、軋みを上げた。


「何故だ、ヒースさん!」


もう、俺の問い掛けに、神官は、眉一つ動かさない。
『君には問う資格が無いのだ』
そう告げるように、幼子を見守るような微笑が、俺に向けられる。
次の瞬間、盾が割れた。
女神の車輪が、すぐ其処に迫る。


「・・・!」


だが、来るはずだった衝撃。
其れは、何時までも、来なかった。
うっすらと瞼を開いた俺の視界に、割れた盾の破片が見える。
破片と破片の合間に、スッと立つ足が、二本伸びて居た。
か細い足は、召喚獣の圧を受けて居る。
それなのに、微動だにして居ない。

___シャルロット。

黄金の髪をなびかせながら、唯独りの少女が、俺を庇って居たから。