「其れは、デュランしゃんの物ですよ。
・・・誰が、何と言おうと」
現れたのは、やっぱり、シャルロットだった。
くりくりした大きな目が、俺の事を見上げている。
そして、地に落ちた<女神の騎士>の証を拾い、ついた土を手で払った。
俺は、シャルロットに向かって『・・・そんな訳が無いだろう』と言う言葉を、グッと呑み込む。
5年前に、聖剣を抜いたのは、俺ではない。
けれども、勇者のシャルロットに協力して居たのも、事実ではあった。
言われた通り、ウェンデルに与えられた勲章は・・・俺の物だ。
「簡単に、捨ててしまえる訳が、無いですよ」
俺は___。
其れを解ってはいても、要らないものは、もう要らないと、強く想う。
そして、少女から眼をそらし、剣を手に持つと、湖に向かい、一度だけ素振りをした。
ビュッと、重い音を立て、剣先が弧を描く。
長く使い続けた剣は、俺の手足となり、的確に動いてくれた。
空疎な名誉などより・・・遥かに。
「金ぴかの、勇者バッチなんてな。
大人になれば、無用なモンだ。
そんなに欲しけりゃ、お前にくれてやる。
元々、お前の物なんだから。
・・・胸に飾って置けばいい」
シャルロットは、拾ったバッジを、俯いたまま、随分長い間見つめていた。
俺は、少女の傍で、剣の素振りを繰り返して行く。
剣を振り下ろす度に、ハッと息が上がるのが、心地いい。
このまま、総てを忘れて、剣の動きだけを、ずっと見つめて居たくなるほどに___。
やがて、何百と素振りを続けて、俺は、もう動けなくなる。
其の時、シャルロットが、俺の膝によじ登ってきた。
ふわふわで、もこもこだが、ズッシリした身体に、半分潰されるみたいに、よじ登られる。
成長したシャルロットは、本当に重い。
まるで、巨大なラビみたいだ。
俺が、其の重みに耐えていると、少女は、聖都の勲章を、俺の胸に戻して行った。
陽の光を受けて、黄金色に輝くプレイトの裏側には、マナの木が掘られている。
世界の始まりより在る、大きな樹が、俺の胸の上に、そっと、乗せられて行った。
「・・・それでも、デュランしゃんは、<女神の騎士>ですよ。
シャルロットは、知ってるもん。
デュランしゃんが、マナの女神様の為に、<数多の世界>で<何度も戦って生きた>コト・・・」
「もう、俺には、第三小隊が無いんだぞ。
・・・それに、聖剣の勇者でも無い」
「デュランしゃんが、強くなる為に、成し遂げて来た事を、無かった事になんて・・・出来ないですよ。
デュランしゃんは、デュランしゃんが想うより、もう、ずっと強い。
本当は、もしかしたら、今度こそ<世界を救える>かもしれないくらい」
「・・・?」
___どうしてだろう。
今のシャルロットは、俺の事を、ちっともバカにしない。
いつもみたいに、酷い冗談で、貶したりもしない。
今は、俺自身が、一番、俺自身を、貶めるべきだと想っている。
それなのに、シャルロットが、俺の価値を、俺以上に認めていた。
むしろ、そんな俺に、助けを求めるように、勲章を握ったまま、ずっと項垂れている。
シャルロットの眼は、前髪の影に隠れて、俺からは観えない。
それなのに・・・何故だろう。
俺は、一瞬、泣いていると思った。
「実は、ずっと、デュランしゃんになら、お話してもいいかなって、想ってた事があります。
でも、此の世界にかけられた<呪い>は、とても深くて・・・。
今まで、長い間、どうしても話せませんでした。
深い呪いを解くには、<聖都の秘密>を知らなくてはいけません。
でも、其れには、強さも、覚悟も、居るから」
そして、シャルロットは、大きく息を吸った。
俺と、シャルロットの合間を、張り詰めた空気が横たわって行く。
やがて、俺の勲章から、そっと手を離して行く、シャルロット。
少女が、次に顔を上げた時、其の眼に涙は無かった。
俺は、黙って、シャルロットの言葉を待って居る。
すると、ポツポツと、木の葉の先から、雨粒が落ちるように、シャルロットが、俺に語った。
『出来る事なら、話してみたい、もしも、デュランしゃんに___』
______『敵を救う覚悟があるなら』
ビュッと、一際強い風が吹いて、少女の法衣を揺らして行った。
俺と、シャルロットの間に、一瞬なのに、長く感じられる、時が流れて行く。
やがて、ゆっくりと、俺から目を離したシャルロットは、湖畔沿いの山脈を、遠く眺める。
視線の先には、滝の洞窟と、そして、光の古代遺跡が在った。
シャルロットは、長い間、アストリア湖と、山際を眺めている。
其処には、灰色の湖面と、ほの暗い山の景色が広がって居た。
対岸に観える、聖都の影が濃い。
其の景色から、ようやく眼をそらし、振り向いたシャルロットが、俺を見つめた。
___そして、静かに、意を決したように、囁く。
『光の古代遺跡と、滝の洞窟に、デュランしゃんにお伝えしたい、秘密があるのです』と。
■
シャルロットに誘われて入った、滝の洞窟の奥に、こんな所が在るとは、知らなかった。
アストリアから、聖都へ続く道は、ずっと、参道だけだと思っていた。
それなのに、至る所に、人一人がようやく通れるような、か細い道が、何本も続いて居る。
其の時、俺の顔に、滝の水飛沫が飛んだ。
ぬぐうと、うっすらと、塩の味がする。
「うへっ、しょっぺ!」
「洞窟の水は、所によっては、塩分が濃いですよ。
うっかり飲まないように、気を付けて下さいね」
「滝の洞窟の水が、塩水?
それが<聖都の秘密>なのか?」
「別に、水質の事は、誰にも隠してません。
強いて言うなら、アッチが秘密」
「?
・・・アッチ?」
シャルロットが指刺した先には、緩やかな、アーチ状の道が、橋のように掛かって居た。
洞窟内を突き抜ける、一番大きな、滝の前の道だ。
俺が、初めて、ウェンデルを目指して通った時には、通り抜けるだけで、精一杯だった道。
其の道を、今になって、下から眺めると、確かに妙な気持ちになった。
橋が、よく出来て居るからだ。
___むしろ『出来過ぎている』と言っていいほどに。
「・・・ま、自然に出来たにしちゃあ、色々と、ご立派過ぎる洞窟ではあるな。
至る所が」
「元々、聖都と、山頂の光の古代遺跡は、地続きで、一つの都だったのですよ。
と言っても、千年前ですケド」
「・・・千。
そりゃまた、随分と大昔だな・・・」
「光の神殿は、大昔は、<マナの神殿>と呼ばれて居たのです。
かつての聖都は、ウィスプだけを崇めて居たのではなくて、女神様と七大精霊を祀る、一大都市だった。
其れが、度重なる戦いを経て、今の形にまで、小さくなったのです。
___世界に、<闇の力>が増大をする度に、荒廃して行ったから」
・・・過去に幾度もあったという、大きな戦いの事を、俺は知らない。
・・・だが、旅の途中で、闇の精霊・シェイドが語った事は、今でも覚えていた。
『かつて、世界大戦が起こり、古の神獣以来、世界が2度目の危機を迎えた時___。
闇の力が増大し、闇のマナストーンだけ、封印が解けてしまったのだ』
「・・・大昔。
人間達は、古代魔法と呼ばれる呪法によって、マナストーンのエネルギーを、平和に使っていました。
けれども、やがて人々は、マナのエネルギーを、奪い合うようになったのです。
闇の魔物達は、此処につけ込み、人々を、戦乱の渦へと巻き込みました。
そして、世界は、滅亡寸前にまで荒廃した・・・」
俺の目前を歩くシャルロットは、淡々と、ファ・ディールの歴史を語る。
俺は、少女の後ろを歩きながら、周囲の景色を観察した。
洞窟の参道は、日頃なら、多くの参拝客が使う道だ。
モンスターが出ないのなら、楽に通り抜けられる。
けれども、シャルロットが選ぶ道は、お世辞にも、歩き易いとは言い難い。
まるで、使われなくなった下水施設でも、歩いているようだ。
・・・実際、泥濘の奥に、時々、黄金色のレンガが観える・・・。
「此処は、光の古代遺跡の、地下部に当たるのです。
光のマナストーンがあったのは、丁度、この真上ですね。
聖都が、此処まで荒廃したのは、戦と、歳月のせいもありますが・・・。
一番の原因は・・・。
実は<掟>なのです」
「<掟>?
立派な都を、わざわざ荒廃させるような決まりが、ウェンデルには存ったのか?」
「千年前、かろうじて生き残った者達は、同じ過ちを繰り返さないよう、古代魔法を、禁断の呪文とし・・・。
数々の技術を、封印をすると決めました。
___其れが、聖都の<掟>です」
其の時、シャルロットの歩みが、ピタリと止まる。
少女の指先が、無言のまま、岩にしか見えない場所を、ガサガサと漁っていた。
土塗れになった頬を、泥だらけの腕で拭うから、シャルロットの白い頬が、どんどん汚れて行く。
同時に、岩を見つめる少女の瞳が、ふと曇って行った。
「其の掟を破り、禁断の古文書の研究へ、最初に手を染めたのが・・・ヒースのパパでした。
歳月に任せて、風化するだけの書庫を任されていたベルガーにとって、都の禁を侵す事は、容易かった。
やがて、掟を破り続けたベルガーの行動は、都で虐げられていた人々に、支持されて行きます。
其れが・・・あの内乱になったのです」
(___<仮面の道士との戦い>だな)
今、シャルロットの指が、何かを探り当てたように、岩間で止まる。
そして、岩の一か所を、グッと押し込めるような仕草をした。
すると、突然、岩と岩の間に、光沢のある、白い壁が現れたのだ。
決して、自然に出来るハズは無い・・・。
___どう見ても、人工物の壁が。
(・・・!)
其の壁に、シャルロットが指を滑らせると、赤い光が楔型を描き、指の主へと、問いかけるような音を放つ。
ヴンッという、鈍い音と共に、俺には読む事の出来ない、妙な言葉の羅列が、壁の中に浮かび上がった。
同時に、透明な音が響き、白い壁全体が、音も無く、卍型に開いて行く。
其処にも、一面の、白い空間が広がって居た。
俺は、開いた口が、塞がらなかった。
___そんな、バカな___。
「これが・・・光の古代遺跡・・・だってのか?」
「そうですよ、デュランしゃん。
千年前に封じられた、高度な文明が、地下には在るのです。
そして、もしも<掟>に従うなら、地下を知る事が出来るのは、世界で二人だけになる。
一人目は、私のおじいちゃんである、光の司祭です。
そして、もう一人は・・・。
<この世界では>空席の・・・。
・・・闇の司祭のみ」
ヒョウッと、冷たい風が、シャルロットの、淡いブロンドを揺らして行った。
少女の、大きな瞳が、何処か冷たく揺れている。
今のシャルロットは、幼い仕草をしたかと想えば、時折、フイに、底の知れない眼を見せた。
・・・俺は・・・。
今、ずっと疑問に想っていた事を、初めて口にする。
「・・・なあ、シャルロット。
じゃあ、お前は、一体<何>なんだ。
本来、誰も知らないはずの、地下の文明を知る・・・お前は」
___瞬きを繰り返す、シャルロットの大きな瞳___。
其処には、戸惑いを隠せない、俺自身が映って居る。
泥まみれの法衣を着たシャルロットは、俺の姿を瞳に映したまま、哀しそうに笑った。
まるで、聴いてはならない事を、聴いてしまったように。
やがて、いつも通りの、無邪気な微笑を浮かべたシャルロット。
童女の仕草に戻ったシャルロットが、白い床へ、足を踏み出す。
同時に、機械音を立てながら、床全体が、滑るように動き出した。
動く床などという、信じられない光景を見せつけられ、俺は、一瞬、動けなってしまう。
其の時、シャルロットが、俺に向かって、其の手を差し出したんだ。
___まるで、俺を、遠くへ導くように。

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