鬼火を化け物かと思い、私は、グッと槍を握りました。
けれども、よく目を凝らすと、鬼火では無くて、松明の群れだと解ります。
黄金色の列柱が立ち並ぶ回廊の奥へと、炎の群れは、消えて行きました。

私は、とっさに繁みに身を隠し、群れを凝視して・・・。
鬼火の正体が、軍隊だと気付き、戦慄を覚えました。

彼らは、みな一様に、頭にターバンを巻いた姿です。
肌の色は茶褐色で、全員がダガーを携帯して居ました。
一様に、松明を掲げて、行進をして居る。
あの姿は、間違い無く・・・。


(ナバール兵ッ!
何故此処に・・・ッ?)


ザッと、規則正しく足音を響かせ、回廊の奥へと消えていく、ナバール兵ども。
彼らは、皆、まるで心が此処に無く、幽霊のようです。
けれども、例え幽霊の軍隊だとしても、今見つかれば、私一人では、とても太刀打ち出来ません。

私は、身を屈めて、じっと隊列が行き過ぎるのを、繁みの奥で待ちました。
其の時、繁みの向こう側に、一際松明が多くなり、人数の固められた個所が見えました。
私は、もっと彼らをよく見ようと、目を凝らして・・・。
そして___。


(・・・!
あれは、聖剣___!)


一際背の高い、長い銀髪の男が、巨大に膨れ上がった聖剣を、手にして居るのが見えました。
聖剣の姿形は、今や、変わり果て、まるで臓器のような剣です。
血管のような管が刀に纏わりつき、赤黒く腫れ、腫瘍が呼吸をするように、波打っていました。
けれども、どんなに見た目が変わっても。
あれは、聖剣だと。
フェアリーの宿主である私には、すぐに判ったのでした。

そして、汚れた聖剣を、誇らしげに携えた、銀髪の男。
其の後ろを、まるで、腹心の部下で在るかのように・・・。


(!!)


___<黒いローブを纏ったホークアイ>が付き従って居る___。


(そんな・・・。
一体どうして・・・?!)


やがて、私の目前を、ホークアイとナバール兵、そして、聖剣を携えた男は、通り過ぎて行きました。
蔦が絡まり、朽ちた黄金色の壁の群れの向こう側へと、松明達は消えてゆきます。
規則正しい兵士達の足音も、古代遺跡の奥へと、吸い込まれて行きます。
軍隊が、完全に、闇夜の奥へと消えて行くのを見届けてから・・・。
私は、へたっと、地面に座り込んでしまいました。
今見た光景が、私には、現実とは思えません。


(嘘です・・・。
ホークアイが、敵の手に落ちるなんて___ありえない)


私は、ゴシゴシと、もう一度目を擦りました。
それから、もう一度目を開けて、繁みの向こうを見つめますが・・・。
___見えるのは、闇ばかり___。




■ Intolerance




今、リンと虫の音が木霊して、ザッと風が巻き上がります。
後には、何も動かない廃墟だけが、月明かりの中で、浮かび上がるばかりでした。
私は、もう一度、誰も居ない事を確かめてから、槍を掴み、立ち上がります。
そして、ナバール軍が消えた方向を凝視しました。
今すぐ追えば、確実に、追いつくでしょう。
私は、どうしても、今見たモノを、確かめなくてはなりませんでした。

一瞬、垣間見えたホークアイ。

でも、あの姿は。
夕方と違い過ぎる___。


(漆黒と、血のような紅の装備だなんて。
本当にホークアイだったのかしら)


もしかしたら、ペダンでだけ手に入る、特別な武具を身に着けて居るのでしょうか。
でも、装備を手に入れただけの話には、とても見えなかった。
あのホークアイが、何十というナバール兵に囲まれて、謎の男に付き従ってるなんて。
そして___。


(あれが・・・聖剣?)


聖剣が、あんなに、黒く染まって居るなんて。


「・・・リース!」


其の時、ふわりとフェアリーが、私の額から飛び出ました。
フェアリーも、困惑した表情を抑え切れません。


「・・・おかしいわ。
此処に来てから、ずっと感じていた、闇の神獣の気配が、もう無いの・・・。
其れなのに、聖剣から、闇の神獣の気配を感じたよ。
・・・。
あ、しまった!」

「!?
どうしたのですか、フェアリー?」

「ああ、どうしよう!
これは罠よ!
敵は、私達に神獣を倒させて、ずっと力を吸収して居たの・・・!
きっと、最後の神獣<ゼーブルファー>は、自分達で倒したのね。
だから、聖剣が、あんなに穢れてしまったのだわ。
しかも、彼らは、神獣の<最終形態の力>を手に入れた事になる・・・!」

「・・・そんな!
それじゃあ、私達、みすみす敵を強くしてしまったと言うの?」


立ち上がる私の傍に、ふわりと身体を寄せるフェアリー。
小さな妖精は、狼狽をしながら、それでも、間違いなく聖剣だと語りました。
であれば、尚の事、見過ごす訳には参りません。
邪悪な者達が、女神様の聖剣を、あんなに汚して使おうと言うのです。
しかも、中には、ホークアイらしい人影も在った。

私は、松明の群れを追い、フェアリーと共に、古代遺跡の奥に踏み込みました。
彼らが消えたのは、幻惑のジャングルです。
ペダンの枯れた水路、立ち並ぶ列柱、物見の塔。
廃墟の群像を横目にしながら、私は、遠くの松明からも、目を離しません。


「?
一体、何でしょう。
・・・鏡の数が増えて居る?」


周囲から消えてゆく、ペダンの遺跡。
反比例するように、森の中には、黒い鏡が増えて行きます。
ペダンに着いた時から、樹海の木々に、規則的にぶら下がって居た、黒い鏡。
鏡の数が、松明を負えば追うほど、増えてゆくのです。

さっき見た時は、30程度だった、炎。
___今は、倍の数が在る。


「・・・フェアリー!
どう言う事でしょう?
ナバール軍が、何故・・・。
こんな僻地に潜伏をッ?」

「・・・ねえ、リース。
聴いて、ビックリしないで欲しいのだけど・・・。
あれは、本当にナバール軍なのかしら。
彼らには、まるで、生きた者の気配を感じない。
なんだか<死者が復活した>ような・・・。
私には、そんな風に感じられるの」

「・・・<死者が復活>?」


私は、訝しく思います。
けれども、フェアリーは、怯えながらも、気丈な姿勢は崩さず、そう言い切りました。
嘘を言って居るようには見えません。
けれども、余りの言葉に、私は息を呑みます。
では、あの松明の群れが、みんな幽霊?
にしては、実体が在る。
足だって、ちゃんと生えていて、地面に立って居ますよ___。

其の時、私の脳裏に、ナバール兵とよく似たモノの、記憶が蘇りました。
それは、ローラントを奪還した後、誤って乗った幽霊船での、ホークアイの姿でした。


『おい、どうしたんだよ、みんな、待ってくれよ!
ぬぁんじゃいこりゃあ!!
死にたくねえっ。
まだ死にたくねえよっ。
おい、何とかしてくれないか、フェアリー!』

『ウルサイわねえ、ホークアイ。
それは、死んだわけじゃないわよ!
落ち着いて!
・・・これは。
さっきの人に、呪いを移されたのね』


幽霊船の船長室で、マタローという方に呪いを移され、幽霊になってしまった、ホークアイ。
あの時のホークアイは、実体があったのに、不安定で、朧げな身体をして居ました。


「ねえ、フェアリー。
幽霊船での出来事を覚えていますか。
ナバール兵達は、幽霊船に、ちょっとだけ、気配が似ていませんか・・・?」

「うん。
言われてみれば、凄く似てるよ、リース。
でも、幽霊船より、もっと大きな呪いだよ。
術式が複雑だもの。
う~ん、唯でさえ、此の辺りは時空が捻じれ居て、私にはお手上げなのに。
あれは、もっと、そうね・・・。
まるで<古代呪法>みたいだわ」

「・・・!
<古代呪法>・・・」


フェアリーの言葉を聞いた瞬間。
また、別の記憶が、私の心を過ります。
其れは、ローラント城の風の制御室で、美獣が囁いた言葉でした。
槍を振る事も、突く事も出来なくなるほどの、圧倒的な支配力。
身体を操られて、息も止まりそうになった記憶。
あの時、美獣はこう言いました。


『フフフ・・・!
私は<古代呪法>を使う者。
槍など子供の玩具にも劣る・・・』


「!
では、ジェシカさんの<死の首輪>と同じ・・・。
じゃあ、ナバール兵どもは、マナの女神様にしか解けない、凄い呪いなのですね、フェアリー。
アアッ、どうすればいいの。
マナの剣も、あんなになってしまって。
しかも<古代呪法>だなんて。
・・・私には、勝ち目など」

「駄目だよ、リース。
諦めちゃ駄目・・・。
今、リースが諦めてしまったら、世界は本当にオシマイだよ!
もっと自分を信じて。
リースは<マナの剣>を抜いたじゃない。
実は<マナの剣>は、剣自体が力を持って居るワケではないの。
___大事なのは<剣を抜いた時の心>だったのよ」


(剣を抜いた時の・・・心?)


______心って、一体、何でしょう。


本当の<聖剣の力>とは___。


真実は解らないままに、今の私とフェアリーは、唯ひたすらに走るしかありません。
私達は、松明の群れを追いながら、密林の繁みを駆け抜けます。
やがて、ナバール兵の群れが、川の浅瀬を川上に向かって登って行きました。
・・・私達も続きます。

此処には、樹木の間から零れ落ちる月光しか、頼りがありません。
にも関わらず、苔むす岩と水飛沫は、私に容赦がありません。
岩間に指をかけるのも、足を踏み込むのも、酷く拒むかのようです。
まるで、此の先は<生きた人間は立ち入れない>と告げるかのよう。


「・・・っ。
でも、後少しっ。
後少しで追い付きます・・・っ」


やがて、遠くに滝の音がした時、松明の群れも、フイに消えました。
私は、水と、苔と、泥で、ぐちゃぐちゃになりながら、最後の岩肌を、水流に逆らって、上り切ります。
其の先には、月光に照らされ、磨き上げられた、黒い鏡面のような、円形の泉が在りました。


「ホークアイ・・・ッ!」


___何処までも広がる黒い鏡面へと。


私は、彼の名を、呼びました。
見間違いだったと思いたい。
けれども、余りにもよく似ていた、人影の名を。

今や、松明の群れは何処にも無く、ホークらしい姿も、聖剣を持った男の姿も有りません。
此処では、遠くで流れ落ちる、滝の音が木霊すだけ。
月明かりに輝く、波紋が広がるだけの、静かな泉が在るばかりでした。
私は、上がる息を堪え、フェアリーに問いただします。


「はあっ・・・、フェアリー!
ホークアイの気配はしますか?
聖剣は?
彼らは、何処に消えてしまったの?」

「・・・。
ちょっと待ってね」


フェアリーは、しばらく考え込んだ後、ふいに、泉の上空へと飛び去りました。
遠くの滝の方まで、キラキラ輝く妖精の光が、飛んで迫ってゆきます。
暫くすると、フェアリーは、滝から引き返し、私の傍まで戻って来ました。
そして、青い顔をして・・・小さな声で、囁いたのです。


「リース、ああ、私も信じられない・・・。
でも、此処の景色は・・・。
全てが<幻>だよ!」

「・・・!
此の景色が、全部・・・幻?」


フェアリーに言われて、私は周囲を見渡します。
そして、実際に、茂る草木に手で触れ、泉に足を踏み入れました。
葉の表面は、ザラついて冷たく、水は、人肌のような温かさです。
なのに、総て、幻・・・?
私には、納得が出来ませんでした。
其の時です。
満月の光を浴びながら、忘れもしない、深くて甘い、纏わりつくような声がしたのは。


「お前達に<ソレ>は理解出来ない」


___と。