硝子が煌めき、横なぶりの雪のように、結晶が弾け飛んでゆく。
光の礫が、肌に僅かにでも触れたのなら、鮮血が飛んだだろう。
けれども粒子は掠る事無く散ってゆく。
吹きすさぶ、硝子の嵐の向こう側に、目指す孤島は見えて居た。
___『硝子の砂漠』
其れは、マナの女神が示した最北の地だ。
孤島の影が、ほの暗い海原に、竜がとぐろを巻いたように横たわる。
「デュランしゃんっ!
ようやくみえまちた・・・わぶ!」
シャルロットの、柔らかなブロンドが乱れてゆき、大きな瞳を覆ってゆく。
おかげでワタワタ髪を引っ掴み、手がフラミーから離れ、また飛ばされそうになるシャルロット。
ジタバタして居る童女を、俺は、グイッと腕で掴みつつ、フラミーの白い毛並みに落としてゆく。
「ぎょえっ、もう、なんつうらんぼーなあっ!
はなのおとめは、もっとていちょーにあつかわんかい!
この、ダサおとこ!」
「お前は、高度三千メートルの空から、遥か彼方の海原に落ちたいか?
自称花の乙女のちんちくりん」
「デュランしゃんなんか・・・。
クラスチェンジしたって、ただしろいだけでえええちー!」
そして、シャルロットの「でえええちー!」が、雪とガラスの合間に何度も響いた。
アルテナ領に入った時から、ずっと降り続いて居た横なぶりの雪。
雪は、北上し、島に近づくほど硝子に変わって行ったのだ。
其れでも肌を切る事が無かったのは、聖獣フラミーの加護が在る為だ。
聖獣の背を降りた瞬間に、加護の護りは失われ、硝子の雪に触れたのなら___。
俺達は、瞬く間に切り裂かれてゆく事だろう。
「うわあああん・・・。
ただでさえ、これからいたそーなめにあっちまいそうなのにイ。
デュランしゃんが、いまからいじめる。
おのれ、びしょうじょのげぼくのくせに。
しかも、ひとりだけ、あの【クラスチェンジ】・・・ふこうへいな」
「言っておくが、抜け駆けとかじゃねえよ、ありゃ、間違い無く試練だった。
やらんで済むのなら・・・。
其の方がいい」
___【クラスチェンジ】。
其れは、ウェンデルから旅立つ時に、光の神殿で聴かされて居た、秘密の儀式だ。
かつて、大魔術師・グランクロワの手によって、封印されたと言う。
儀礼を通過した者が、手にする力の大きさに、賢者が危険視をした儀式・・・。
今の俺達は、フラミーの背中に乗りながら、ファ・ディールの海原を眺めて居る。
何処までも続く海原には【忘却の島】を中心に、大陸や、大きな湖や、各地の小島が点在した。
フォルセナ、アルテナ、ローラント、ナバール・・・そして、ウェンデル。
更に、妖精王の治める『ランプの森』と、獣人王の支配する『月夜の森』が在る。
俺達が、聖獣フラミーで飛んで居るのは、空と地上の合間、つまり、空の中だった。
白い雲の途切れ目から、眼下の海原を見下ろした瞬間に、【聖域の扉】が存在する【忘却の島】が垣間見える。
そして、各地で【マナエネルギー】が解放された【マナストーン】が在る個所も、高い視点からはよく見えた。
其の時、俺は、気が付いた。
【聖域の扉】の大きさが、最初に開いた時よりも、ずっと小さくなって居る___?
「・・・【マナストーン】から【忘却の島】に集まる【マナ】が少なくなってるな」
マナストーンが存在して居る個所から、聖域の扉に集まって居た、膨大なマナのエネルギー。
更に【精霊】の8大元素の力が結集して開かれて居た、空中要塞さえ入る、巨大な七色の扉。
世界の中心に在る【聖域の扉】が、閉じてゆく様子がよく観える。
「やはり、閉じてゆきますね。
あんまりグズグズして居ると、【聖域の扉】が閉じてしまい、【マナの木】が枯れてしまいますよ」
其の時、隣のシャルロットが、まるでオッサンかの如く、ダラリとフラミーに寝そべった。
腰のあたりをポリポリ掻く姿が、正に中年オヤジのようだった。
「え、えげつない!
頼むから、フラミー上でオッサン化は止めてくれ。
可愛く生んでくれた両親に、申し訳が無いとはと思わんのかっ」
「ふ~んだです!
クラスチェンジをした所で、まだまだひよこ剣士のおんしになど、オッサン言われたかあ無いですね!
それより前を観やがれです」
「はあ?
前?
でえっ!!」
其の時、雲の途切れ目から、突如、絶壁が迫り来る。
Ⅶ
結局、壁にぶち当たる事は無く、フラミーが、無事に俺達を下したのは、砂漠の最北端に当たる場所だった。
切り立った崖と、凍り付いた海原に、高い絶壁が何処までも続いて居る。
崖の地層の最下層に当たる部分には、巨大な横穴が開いており、深い闇を湛えながら、島の地下まで続いて居た。
隣の童女はさっきから、何だかヤケに偉そうだ。
やれ「はよせんかい、ガキ男」だの「漢なら、潔く前を向け!」だのと・・・。
短い脚で、俺のケツを叩くかの如く、しんがりポジションから、激を飛ばし続けて居た。
「クソッ、このっ、オッサン童女があ!
ちょっとは真っ暗で怖いわ勇者様とか、護って下さいナイト様とか、可愛げは見せられないのかよ?
少しは弱みが在るほうが、護りがいがあってなあ、男は嬉しく思うんだ」
「小僧な上に、実に前時代的ですねえ、デュランしゃあ~ん?
今時女子に、ソイツは無い無い、在り得ない。
ホラホラそれより【精霊】出さんかい。
炎が無いと、前が見えずに進めんでしょ」
「精霊出して、俺に炎を創れってか。
決められた、魔法の術ならともかくだ、『直接出す』とか高度な事・・・。
俺は剣士なんだから、出来るワケが無いだろう。
精霊に、雑用させろなんてムリ言うな」
「アンタしゃん、一応【女神のナイト】でしょ?
精霊達は、ちゃんと協力してくれますよ」
「一応」が、凄く強調されてるのは気のせいか。
仕方なく、俺は歯ぎしり、心でテキトーな呪文を唱えて見て、サラマンダーに炎創りを頼んで見た。
すると、瞬時に火竜が浮かび上がり、見事な炎を創り出す。
「!
出来た・・・な」
サラマンダーが創ってくれた松明は、途切れる事の無い炎を燃やし続けてくれて居た。
シャルロットの言う通り、俺が【女神の騎士】になって以来、かなり協力的で居るらしい。
以前のように、苦心をして、呪文を唱える必要が全く無い。
俺が、唯心で願うだけで【マナ】の力が集まって、【直接精霊の力が使える】ようになって居た。
其の時、俺は、サラマンダーの炎で鈍く光る、洞穴の壁の表面に、怪物の爪痕を見つけて居た。
爪痕は、一見すると岩の凹凸だが、よく見て居ると、抉られた跡だと解って来る。
しかも、怪物の爪痕の周囲には、食い散らかされたバジリスクが、無数に転がりまくって居た。
「ひゅう。
コイツは『竜』の爪痕です。
昔、ヒースが言ってました、竜は滅茶苦茶でかくて超残忍な生き物だと。
かつ超頭のイイ生命なのですよ。
一族の長で在る竜帝は、もう千年間も生きて居る。
【人間より遥かに高い力】を備えた怪物です」
「・・・とにかく強い怪物か。
しかし【人間より遥かに高い力】とは、一体どういうものなんだ。
竜帝が、人には太刀打ち出来ないほど強いと言う事か?」
「そりゃあ強いですけれど、闇雲に、唯強い訳じゃあ無いですよ。
千年も生きたご老体は【マナ】に精通してるのです。
今、サラッとデュランしゃんが使った能力が、竜帝にも在る訳です。
そんなこたあ人間には出来ません。
今のファ・ディールで、精霊に雑用を押し付けられるのは、まあデュランしゃんぐらいでしょう」
「確かに高度な魔術だが、精霊から、直接力を引き出すのは、アンジェラにも出来るだろう。
人間離れはしてねえだろ」
「それはねえ【アンジェラしゃんだから出来る】のです・・・。
自然界の力を直接操れるほど、【マナ】を使う事が出来るのは、人間技では無いですよ。
いつか、デュランしゃんにも、分かります。
【人間では無い】意味が・・・」
(?)
其の時、聖都の少女は、蒼い瞳をフと伏せた。
其の一瞬、妖精の透明感がフワりと舞い、憂いを帯びた眼差しに、秘めた想いが籠められる。
何故だろう。
此れ以上、此の話題を続けてはならないような、そんな空気が流れて居た。
俺は唯、自由に【マナ】を使えるようになった手を、じっと見つめるだけだった。
其の後の道のり自体は楽だった。
女神の加護は、ダテなモンじゃあ無いらしい。
クラスチェンジをした俺は、長時間歩いても、重いもんを抱えても、前ほど疲れはしなかった。
特に【光の精霊・ウィル・オ・ウィスプ】の加護は絶大だ。
オートでヒールライトが掛かり続け、体力の回復が異常に早く、少し休めばまた歩ける。
けれども其の道のりが、唯、誘われて居ただけだと言う事に___。
今になって、気、づ、い、ち、ま、う。
其れは、俺の足が、此れまでの岩とは全く異なる『磨き上げられた石』を踏みしめた瞬間だ。
見上げると、美しい楕円状に繰り抜かれた天蓋に、虚空を突くソラが在る。
円の奥には、星の海が存在した。
余りにも、荘厳なソラが、俺の前には拡がり出す。
深い闇を湛えた夜空から、硝子で出来た粉雪が、辺り一面に降り注ぐ。
澄んだ気が、北極星の光を受け止めて、クリスタルの吹雪を照らして居る。
夜空の光で、此の空間全体が、円形ホウルと理解出来た。
輝く黒曜石の床が、巨大な弧を描き、鈍く、深く、輝く場___。
「・・・!」
其の時、光る円の縁奥に横たわる、深い暗闇の奥底で、紅い瞳が幾つも集まって、蠢いてるのが見えちまう。
眼で追うだけで、其の数、二十は超えて居る・・・!
俺は、隣の童女を、とっさに腕で庇って居た。
突如として、十騎以上の竜に囲まれて、更に、ホウル全体を覆うほどの巨体が唸りを上げ、俺達の前に聳え立って居た。
一匹の、巨大な竜。
小さきヒトなど、一瞬で踏み潰す、竜の長、竜帝が降臨する。
竜帝の背に乗って居るのは、奴だった。
夜風にはためく、深紅のローブが、星の光に照らされて、ビロウドのように輝いた。
男の瞳は侮蔑で歪んで居る。
そして、降臨した竜の直下には___。
「・・・父、さん!」
変わらない、優しい微笑を浮かべながら、竜の背からふわりと降りた、かつての黄金の騎士が在る。
漆黒の騎士は、暗黒の剣(つるぎ)を、舞い手のように美しく、正しく構えて立って居た。
___其れは【聖剣】、だ。
けれども【聖なる剣】の姿形は今、変わり果ててしまって居た。
刃が巨大に膨れ上がり、血管のような管が纏わり付き、赤黒く、腫れて居た。
ドクンドクンと脈を打ち、荒い呼吸を繰り返す、醜悪な生命体。
それなのに、父さんが振るうと、剣筋が、輝きながら残像を残してゆく。
父さんの動きには、何処にも無駄が存在しない。
鞘から抜き出す其の時も、刃を翳す一瞬も、所作は、完成されたフォルセナ騎士のものだった。
「本当に、お前が『黄金の騎士・ロキ』なのか・・・?
死んだはずじゃあなかったのか・・・!」
「息子よ、私は【一度死んで居る】。
けれども黄泉の国より【蘇った】のだ」
ロキは、スッと、暗黒剣と化した【マナの剣】を構えて居た。
【マナの剣】の切先が、闇の輝きに染まってゆく。
美しい黒が煌いて、剣にゆっくり宿って行った。
艶やかな刃、銀色の輝き、其の総てが、深い夜のような、剣(つるぎ)の輝きだ。
美しい黒の煌めきが、深く、闇へと魅入らせた。
「デュランよ、お前もフォルセナ騎士ならば、此の美しさが解るだろう。
常に決闘に身を投じ、戦いの中で己を磨き上げて来た、深い闇の信念を、肌で感じ取れるだろう。
此の【闇の力】を持つ、竜の帝は絶大だ。
彼らは【死すら超えてゆき】千年の変わらぬ命を可能にする。
【闇の力】こそがヒトを【永遠】に至らせる、不滅の根源足り得るのだ。
不死は【闇の力】を嫌う【マナの女神】には出来ぬ業。
けれども、此れ以上の魅力、此れ以上の願望は、此の世界に在りはしない。
デュランよ、今こそ共に【マナの木】を枯らし【永遠】を得よう。
そして、母・シモーヌと、もう一度現世で巡り逢おう」
ロキは、腕(かいな)を大きく開いて行った。
父さんの蒼い眼が、慈愛に満ちて、揺れて居た。
父さんは、俺を、心の底から待ち望んでくれて居た。
「愛しい我が子、シモーヌとの愛の証。
息子よ、次の生こそは、私は家族を愛し抜こう。
永遠に、変わらぬ自我を保ちながら、愛しい者と生きてゆこう・・・」
「・・・デュランッ!
行っちゃダメッ!!」
其の時、俺の頭上から、透明な妖精の声がホウル全体に、波紋を広げ、響いてゆく。
見上げると、竜の巨体が、吸い込まれそうなソラに向かい、高く高く、聳えて居た。
其の尖塔ようなの背中には、アンジェラを抱いた、紅蓮の魔導師が立ち塞がる。
アンジェラの額から、輝きながら現れた妖精は、急降下をしてロキの剣を払ってゆく。
乾いた音と、聖なる剣が、割れるように跳ねて居た。
「フフフ、貴様がフェアリーか!
逢いたかったよ【女神の子】・・・!」
ロキは、妖精と対峙をして、静かに深く吠えてゆく。
暗黒剣と化して居る、聖なる剣を突き上げて、其の頂きに、黒き力を集めながら、神への憤怒を翻した。
「デュランよ、お前は其のフェアリーが、単なる女神の使いだとでも?
嗚呼、確かに美しい存在だ。
其の妖精に導かれ、古の時代より、幾人もの英雄を得た【マナの女神】!
だが、お前に疑問は無いのだろうか?
憤怒は存在しないのか。
何故【マナの女神】の元に在りながら、ファ・ディールには、虐げられる者達が、常に生まれ続けるのかと。
お前は、マナの女神が創りたもうた此の世界こそ、狂って居るとは思わぬか。
何故、フォルセナ王が12年前に救ったはずのファ・ディールは、今また滅びの危機に在るのだろう。
聖剣の勇者が救ったはずの、女神の御世は、僅か十二年足らずを持ち、其の終わりを告げて居る。
此の史実から、ヒトが学ば無いのは何故だろう?
どうして【マナの女神】が未熟である事を、未だに悟らないで居るのだろう?
デュランよ、共に世界を変えてゆこう。
私と共に生きてゆこう。
今すぐ止めよ【女神の騎士】で在る事を・・・。
___デュラン!!」
______ヒュッ。
ロキが、剣を、凪いでゆく。
円形ホウルがゆっくりと、其の浮上を開始した。
岩場から音も無く、滑る様に、ホウルは上る。
舞台の周囲を、幾何学模様のラインが、光る鎖の如くに覆いゆく。
透明な黒曜石の床下には、ビッシリと【光る管】が詰まってる。
光を放ち、脈打つラインが、ソラの光で透けて観える。
円形ホウルが、妖精の囁きのような、透明な音色を響かせながら、静かに動き始めて居た。
俺は、頭上に広がる、ソラを観る。
何故だろう。
遥か彼方の光の礫まで、礫が渦を巻き、集結して行く景色まで、ハッキリと【観えて居る】!
「竜と同じ【マナ】の力を得た者よ。
硝子の砂漠に没した【古代遺跡】で、ファ・ディールの歴史を観るがいい。
そうして千年繰り返された、女神の罪を知るがいい!」
音楽が、鳴って居た。
透明な音の波が弾けて居た。
やがて、頭上のソラが光を帯び、透明な球体の内に在る、星屑が流れゆく。
鳴りやまぬ拍手のように、竜達が翼を広げゆく。
俺の傍に、寄り添う様に、竜の王が舞い降りる。
艶やかな鱗の連なりが、寄せては返す、潮騒にも似た、深い呼吸を繰した。
「観ヨ【人ヲ超エシ者】」
そして、俺は、世界を観た。

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