サワサワと木の葉が掠れ、シトシトと雨が落ちる。
雨の滴が頬を流れ、冷たい風が肌を刺し、熱く腫れた腕を冷やした。
あれから24時間以上は経ったと思う。
だが本当に一日経ったのかは定かじゃない。
何故なら<マナの聖域>では日は昇らないし、月も沈まない。
頭上を覆う天空には、星々とオーロラだけが在る。
其れは、子供の頃にフォルセナ王立図書館で見つけた、古い本<宇宙>の絵にそっくりだった。
相変わらず、霞のような雨が時々振る以外、天候らしいものが無い。
<聖域>とはよく言ったものだ。
此処には太陽と月の代わりに、光と闇しか無い。
「んあ~っ!
もう、デュランしゃん、うごかないでちょっ。
だぼく、こっせつ、やけどモロモロ。
もうどこからなおせばいーのやら?
せめてうごくな!」
「イテッ!」
俺の隣では、シャルロットが『あーもう』言いながら、ティンクルレインの重ね掛けをして居る。
ヒールライトで随分体力は回復したが、怪我の方は未完治だった。
だからこうして、シャルロットなりに頑張って、治癒を施してくれて居る訳だ。
だが俺は、ジッとしてるのが性分じゃねえ。
「だから、モゾモゾすんなでちよ・・・。
デュランしゃんは、あのまっかに、ハデにまけたヒヨコけんしなんでちよ?
ここはおとなしくせんかっ。
しゃーっ!」
「グエッ!!」
シャルロットは、治してるのか、トドメを刺したのか、よく解らない行動に出た。
首に腕を巻いて張り倒し、腕にだけティンクルレインをかけやがった。
おかげで腕には清涼感が在るが、首には鈍痛が走る。
『・・・この暴力童女め』と思ったが、動く自分も悪いので、もう大人しく倒れて居る事にした。
降りしきる雨と、シャルロットの治癒魔法が心地いい。
後どのくらい倒れていれば、再び歩く事が出来るのだろう・・・。
俺は、雨に打たれながら、ぼんやりとそう思った。
ゴロンと仰向けになると、視界一杯にソラが広がる。
広大な宇宙を覆う様に<マナの木>の枝葉が隅々まで伸びて居る。
サワサワと囁くような木の葉が掠れる音と、霧雨と・・・。
ティンクルレインの音だけが鳴る<マナの聖域>。
今は、巨大な大樹の梺で、静かな時間が流れて行った。
Ⅰ
『私を支えてて___』
そして、静かすぎれば、苦い記憶だけが蘇る。
後悔をしたり、自分を責めたり。
これはもう終わった事だ。
いや、だからこそなのかもしれない。
あの時、アンジェラを守れなかった事が、俺には悔やまれてならなかった。
『デュラン・・・ッ!』
唯ひたすらに、必死に俺に縋ったアンジェラの指先。
王女が離れていく事を、地に伏し見ている事しか出来ない自分。
圧倒的な紅い魔導師の魔法。
たやすく奪われた<聖なる剣>。
掠りもしない俺の剣先。
攫われたアンジェラ___。
此れは、苦い、敗北の味だ。
一体俺は、何度紅蓮の魔導師に負けたらいいのだろう。
出逢う度に嘲笑う様に逃げられる。
戦えば返り討ちだ。
戦士として死ぬ事も叶わない。
そうして生き永らえて、無様に転がって居る。
ようやく俺が<守るべき者>を手に入れた。
その<一番大切な者>を目の前奪われて、それでも俺は生きて居る。
「ち・・・くしょう」
もう、口内に血の味は無い。
シャルロットに治してもらったお蔭で、身体の何処にも痛みは無かったし、体力も戻って居た。
それでも俺は立ち上がる気にはなれなかった。
こんな挫折を、もう一度味わう事になるとは、思いも寄らなかったんだ。
半分アンジェラに救われた形で・・・。
酷い負け方をした。
「クソッ。
これから俺はどうすりゃあいいッ!!」
『グッ』と傍らに生えて居た草を握り、込み上げる嗚咽を押し留める。
紅蓮の魔導師に勝てなかった悔しさと<守るべき者>を守れなかった自分の弱さ。
今は、力の差を生き永らえ、突きつけられた事実がこんなにも痛い。
身体には何処にも傷が無い。
でも心が張り裂けそうで動けない。
もうどうすればいいのか解らない。
だから今、近くにシャルロットが居なくて、本当に良かった、そう思った。
俺が、雨に紛れて、一筋の涙を流した事を___。
誰にも知られずに済んだ。
その時、一輪の花が視界の隅で揺れて居るのが見えた。
風に揺れると、フワリと甘い香りが漂ってゆく。
其れは、何度も嗅いだ、あの花の香りに似ていた。
アンジェラの香りだ。
花はサワサワと風に揺れるたび、俺の頬に触れて行った。
其の度に柔らかい花びらが、幾度も俺の涙をすくってゆく。
此の花は、アンジェラでも何でも無い、唯の野に咲く花だった。
それなのに『アンジェラに叱られた』そんな気がした。
『・・・アンタ、男の子でしょ!』
『助けて・・・』
俺だって。
こうして敗北の記憶が蘇る度に、歯を食いしばって居る。
無様に倒されて、尚まだ燻る闘志を持て余して居る。
そして、今すぐ立ち上がって、追いかけて、追いついて、紅蓮の魔導師から___。
アンジェラ『お前をふんだくりたい』と願って居る。
<聖剣>をお前に返してやりたいと誰よりも想ってるんだ。
そして、俺に、見せて欲しい。
お前の<世界も支配できる力>で、争いの無い世界を創り上げる其の時を。
でも、今の俺じゃあ、助けてやれる力が無いんだ。
『私は<蘇った>のだ。
竜帝様より<闇の力>を頂いて、な・・・』
<闇の力>で蘇った父親、かつての黄金の騎士を目の当たりにして。
今の俺は根こそぎ気力を奪われて居た。
(・・・畜生。
何だってんだ。
そんな<妙な力>で親父が<蘇った>なんて・・・。
俺は信じねえぞ。
信じたくない。
でも・・・)
あれは、紛れもなく『黄金の騎士・ロキ』だった。
全身を覆う漆黒の鎧が昔と違うだけだった。
蒼い目も、固いブラウンの髪も、落ち着いた声も、全てが過去の親父そのままだ。
けれどもそれならば・・・。
12年前の<竜帝大戦>とは、結局の所何だったのか。
俺は、雨に打たれながら、ゆっくりと思い出して居る。
フェアリーに選ばれた『フォルセナの第一王子・リチャード』と、片腕の『黄金の騎士・ロキ』。
かつて、二人が命を掛けて戦い、ロキが犠牲となって、世界を救った戦が在った。
後に世界には平和が戻り、凱旋を果たしたリチャードは、王位を継いで『英雄王』となる。
竜帝を退けた功績を讃えられて得た称号だ。
けれども最終的には『竜帝が生きていた』のなら、大戦は失敗だった事になる。
英雄王リチャードは、12年前にフェアリーに選ばれて居た。
つまり<聖剣の勇者>だったのだ。
にも拘わらず、龍帝は生きて居る。
(?
一体、どうなってやがる?
何故<聖剣>を抜き『一度は倒した』にも関わらず<竜帝が生きて居る>・・・???)
12年前、竜帝と黄金の騎士ロキは、深い谷底に落ちて消えた。
その時竜は死んでおらず、親父の死体も捜索したが発見は出来なかった。
両者は行方不明になり、だからリチャのおっちゃんには、竜にトドメを刺す事が叶わなかった?
しかし、史上では、リチャード王子は間違い無く、竜を倒した事になって居る。
事実、竜が消えた後の世界は平和のままに時が流れた。
<マナの女神>の威光は変わらずに<ファ・ディール>を照らして居たのだ。
其の意味では<12年前の勇者>は<竜に勝利をして居た>と言えるだろう。
そして現在の俺達は、フェアリーから『聖剣を抜けば<マナの女神>が何でも願いを叶えてくれる』と聞かされて居る。
おそらく12年前も、英雄王は同じ<聖剣の勇者>だったのだから、条件は同じのはずだ。
フェアリーに選ばれ、聖剣を抜いたリチャード王子の願いは、女神に叶えられたはずだった。
しかし、それならば、竜帝が生きて居るはずは無い。
此の世界では『<聖剣>を抜けば<マナの女神>が何でも願いを叶えてくれる』___。
ああ、もう、俺には訳が解らない。
それでも確実に解る事が一つ在る。
其れは『弱い俺にはどうしようもない』冷酷な事実だった。
例え<マナの聖域>から出たとしても<空中要塞>には飛べない。
フラミーで飛べたとしても、弱いままでは紅蓮の魔導師には叶わない。
俺ではアンジェラを救えない。
___<聖剣>が消えてしまう。
俺は、何もかも諦めかけて、頭上のソラを眺め続けた。
冷たい雨は、まだ無慈悲に身体を打ち続ける。
其の時、もう一度風が舞って、傍らの野の花が揺れた。
花が揺れる度にアンジェラの香りがする。
俺は・・・。
「守れなくて・・・ごめん・・・な」
花に触れ、無様に謝った。
一体此の醜態の、何が<女神の騎士>だろう。
今更俺が生きて<マナの聖域>から戻っても、待って居るのは独り歩きした評判だけだ。
それも結局、使命が果たされる事も無く、俺は勇者を守れなかった『敗北の騎士』だった。
コレでどのツラ下げて故郷に帰れると言うのだろう。
ならば、もう、俺だけは・・・。
此処で朽ち果ててもいいかもしれない。
死んで、何もかもを投げ出してもいいと思った。
___其の時だ。
『私は<マナの女神の幻>。
女神の騎士よ。
フェアリーは<闇の力を持つ者>の手で、最北の地・竜の巣へと攫われてしまいました。
どうか、フェアリーを助け出して下さい』
(・・・!)
突然、俺の頭の中に、フェアリーの声に似た、鈴のような音色が響いたのだ。
自らを<幻>と名乗る女神が目前に現れた。
幻は、確かによく知る<マナの女神>の姿をして居た。
フォルセナ城の礼拝堂、ウェンデルの大聖堂、野道の途中や岩場の陰。
世界中に立つ女神像の姿と同じ姿をして居たのだ。
もしも<マナの女神>が生きていて、血が通って居たのなら、こんな姿なのだろう。
素直にそう思えるほど、目前に現れた幻影は<女神>だった。
なのに・・・<幻>?
俺は一瞬訝しむ。
一方で、女神の幻は、俺を無視して話を続けた。
『マナが失われ<マナの木>は間もなく枯れ果ててしまいます。
私もそれと同時に消える定め。
もう私にはどうする事も出来ません。
最後に貴方がたに【風の太鼓】を授けましょう。
聖剣の勇者アンジェラ、女神の騎士デュラン、そして、シャルロット___。
貴方がたに、マナの加護があらんことを』
「おい、ちょっと待てよ!
<闇の力を持つ者>って誰だよ?!
それに<聖剣>を抜いたら、望みが何でも叶うんじゃなかったのか?
アンタ女神様なんだろ、教えてくれ!」
だが、フイと。
<マナの女神>は一瞬で、雪みたいに溶けて消えた。
あまりにもあっけなく。
まるで元から<存在などしなかった幻>で在るかのように。
世界を創った<マナの女神>が、たった一言『消える定め』と言うだけで・・・。
本当に、溶けて消えた。
そして、女神が消えた跡には【風の太鼓】だけが残されたんだ。
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