大阪の八百八橋
大阪は、古くは浪速(浪花あるいは難波とも書く)と呼ばれ、江戸時代には天下の台所として栄えました。街には多くの河川や運河が流れる水の都で、それらに架けられた橋は八百八橋と呼ばれ、社会生活や経済活動の基盤になるとともに、街の景観形成の重要な要素になっています。ここでは、大阪都心部の橋について、その歴史などを紹介しています。
  中之島 (堂島川、土佐堀川) に架かる橋
  道頓堀川に架かる橋
  西横堀川に架かる橋
  東横堀川に架かる橋
  木津川に架かる橋
  寝屋川・第2寝屋川に架かる橋
  大川 (旧淀川) に架かる橋
  岩崎運河 (尻無川) に架かる橋
最終改訂:2023−10−30
      大阪の橋風景 〜人が行き交う八百八橋〜
淀屋橋 飛翔橋 難波橋
       
       
       
       
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名 称 摘 要
中之島に架かる橋
「淀川」は、「毛馬水門」の所で「大川」が分岐する。「大川」は大阪市の中心部へと流れていき、天満場のすぐ下流で「堂島川」と「土佐堀川」に分かれ、下流で再び合流するが、この両川に囲まれた地域が「中之島」である。江戸時代には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、その後現在に至るまで大阪の経済、文化、行政の中心地となってきた「中之島」には、現在23の橋が架けられ、人々の活動を支えている。
淀屋橋 土佐堀川に架かる御堂筋の橋 
大江橋 堂島川に架かる御堂筋の橋 
難波橋 土佐堀川と堂島川に架かる堺筋の橋 
天神橋  土佐堀川と堂島川に架かる天神橋筋の橋 
栴檀木橋 土佐堀川に架かる三休橋筋の橋 
水晶橋  堂島川に架かる歩行者専用の橋 
鉾流橋  堂島川に架かり、中之島と西天満を繋ぐ橋  
ばらぞの橋  中之島公園内の橋 
錦橋 土佐堀川に架かる歩行者専用の橋 
肥後橋  土佐堀川に架かる四つ橋筋の橋  
中之島ガーデン
ブリッジ
堂島川に架かる歩行者専用の橋   
渡辺橋 堂島川に架かる四つ橋筋の橋   
筑前橋  土佐堀川に架かる市道筑前橋筋線の橋 
田蓑橋  堂島川に架かる市道筑前橋筋線の橋 
常安橋 土佐堀川に架かるなにわ筋の橋    
玉江橋 堂島川に架かるなにわ筋の橋    
越中橋  土佐堀川に架かる歩行者専用の橋 
土佐堀橋 土佐堀川に架かるあみだ池筋の橋  
堂島大橋  堂島川に架かるあみだ池筋の橋   
湊橋 土佐堀川に架かる新なにわ筋の橋 
上船津橋   堂島川に架かる新なにわ筋の橋   
瑞建蔵橋    土佐堀川に架かる府道29号大阪臨海線の橋
船津橋  堂島川に架かる府道29号大阪臨海線の橋  
道頓堀川に架かる橋
道頓堀川は、東横堀川と木津川を結ぶ延長約2.7kmの堀川である。元和元年(1615)に開削が完成し、周辺には歌舞伎の中座などの芝居小屋が集積し、劇場の街として栄えた。現在,上流部に架かる戎橋の周辺は市内有数の繁華街となっている。川辺に「はとんぼりリバーウォーク」と称する遊歩道が整備されおり、水面に映る美しいネオンの光や、グリコ看板、湊町リバープレイスなどの近代建築を背景とした風景を楽しむことができる。
戎橋  道頓堀川に架かる心斎橋筋・戎橋筋の橋
太左衛門橋  道頓堀川に架かる歩行者専用の橋 
相合橋 道頓堀川に架かる玉屋町筋の橋  
日本橋  道頓堀川に架かる堺筋の橋 
下大和橋 道頓堀川の最も上流に架かる橋  
道頓堀橋  道頓堀川に架かる御堂筋の橋 
新戎橋  道頓堀川に架かり、久左衛門町と九朗右衛門町を繋ぐ橋
大黒橋  道頓堀川に架かり、西心斎橋2丁目と道頓堀2丁目および湊町1丁目を繋ぐ橋 
深里橋  道頓堀川に架かる四つ橋筋(大阪市道南北線)の橋 
浮庭橋  道頓堀川に架かり、南堀江地区と湊町リバープレイスを繋ぐ人道橋
住吉橋  道頓堀川に架かり、南堀江1丁目と幸町1丁目を繋ぐ橋 
西道頓堀橋  道頓堀川に架かるなにわ筋の橋 
幸橋 道頓堀川に架かり、南堀江2丁目と幸町2丁目を繋ぐ橋
幸西橋  道頓堀川に架かるあみだ池筋の橋 
汐見橋  道頓堀川に架かる新なにわ筋の橋 
日吉橋  道頓堀川の最も下流に架かる橋
西横堀川に架かる橋
西横堀川は、土佐堀川の錦橋上流側より分流して南に流れ、道頓堀川の深里橋の少し上流に注ぐ全長約2.5kmの堀川であった。阪神高速道路の建設が進められる中で、昭和39年(1964)から46年(1971)にかけて次々と埋め立てられ、現在は道頓堀川に合流する直前部分数十メートルだけ入江のような形で残っている。
金屋橋  西横堀川の最下流、道頓堀川に合流する直前に架かる橋 
東横堀川に架かる橋
東横堀川は、土佐堀川から分かれて南に流れる全長約3kmの堀川である。上大和橋のすぐ下流で西に折れ曲がるが、その先は道頓堀川となる。豊臣秀吉の命により大坂城の外濠として天正13年(1585)に開削された大阪市で最古の堀川で、最も上流の葭屋橋 から上大和橋まで14の橋が架けられている。川の上には阪神高速1号環状線が通っている。
葭屋橋  東横堀川に架かる土佐堀通の橋 
今橋  東横堀川に架かる今橋通の橋  
高麗橋  東横堀川に架かる高麗橋通の橋  
平野橋  東横堀川に架かり、平野町1丁目と内平野町3丁目を繋ぐ橋
大手橋  東横堀川に架かり、大手通3丁目と淡路町1丁目および瓦町1丁目を繋ぐ橋
本町橋  東横堀川に架かる本町通の橋 
農人橋  東横堀川に架かる中央大通の橋 
久宝寺橋  東横堀川に架かり、材木町と南久宝寺町1丁目を繋ぐ橋 
安堂寺橋 東横堀川に架かり、松屋町と南船場1丁目を繋ぐ橋 
末吉橋  東横堀川に架かる長堀通の橋 
九之助橋  東横堀川に架かる大宝寺通の橋
東堀橋  東堀橋は東横堀川に架かる周防町通の橋 
瓦屋橋 東横堀川に架かり、瓦屋町2丁目と島之内2丁目を繋ぐ橋
上大和橋 東横堀川に架かり、瓦屋町3丁目と島之内2丁目を繋ぐ橋
木津川に架かる橋
木津川は、土佐堀川の最下流部で分かれて南下し、千本松大橋付近から徐々に西へ向きを変えて大阪南港に注ぐ延長8.7kmの河川である。途中、大阪ドーム近くの大正橋で道頓堀川が東から合流するとともに、岩崎運河を西に分け、河口近くで木津川運河を分ける。中・下流域で、両岸を結ぶ無料の渡船8航路が今なお市営で運航されている。   
昭和橋  土佐堀川からの分流点に架かる橋
木津川橋  木津川に架かる本町通の橋 
木津川大橋  木津川に架かる中央大通(計画道路・築港深江線)の橋 
大渉橋  木津川に架かり、立売堀6丁目と本田1丁目を繋ぐ橋
松島橋  木津川に架かり、新町4丁目と本田1丁目を繋ぐ橋
伯楽橋  木津川に架かる長堀通の橋 
千代崎橋  木津川に架かり、南堀江4丁目と千代崎1丁目を繋ぐ橋
大阪ドーム前
歩道橋 
木津川と一般府道大阪八尾線を跨ぐ自転車歩行者専用橋 
大正橋  木津川に架かる千日前通の橋
寝屋川・第2寝屋川に架かる橋
寝屋川は、生駒山系の西麓、交野市星田付近に源を発し、寝屋川市などを通って大阪市内の天満橋のすぐ上流で大川 (旧淀川) に合流する河川である。また、第2寝屋川は八尾市内で恩智川から分かれ、東大阪市を流れて大阪市中央区の大阪城外堀の北側で寝屋川に合流する河川である。ここでは、両河川の下流部に架かるいくつかの橋を取り上げています。
寝屋川橋  寝屋川の最下流に架かる土佐堀通の橋 
京橋 寝屋川橋の上流に架かる大阪城京橋口に通じる橋 
大坂橋  寝屋川と土佐堀通りを跨ぐ歩道橋 
新鴫野橋  第二寝屋川の最下流に架かり、大阪城公園と大阪ビジネスパークを繋ぐ橋
大阪城新橋  新鴫野橋の上流に架かり、大阪城公園と大阪ビジネスパークを繋ぐ橋
 弁天橋 大阪城新橋の上流に架かる玉造筋の橋 
下城見橋  弁天橋の上流に架かり、森之宮2丁目と鴫野西2丁目を繋ぐ橋 
   
大川 (旧淀川) に架かる橋
「淀川」は、「毛馬水門」の所で「大川」が分岐する。「大川」は大阪市の中心部へと流れていき、天満場のすぐ下流で「堂島川」と「土佐堀川」に分かれ、下流で再び合流して安治川と名を変え大阪湾に注いでいる。ここでは「毛馬水門」から「堂島川」と「土佐堀川」に分かれるまでの流域に架かる橋を取り上げています。
天満橋  大川(旧淀川)に架かる天満橋筋の橋
 川崎橋 大川(旧淀川)に架かり、都島区片町1丁目と北区天満1丁目を繋ぐ橋 
桜宮橋・
新桜宮橋 
大川(旧淀川)に架かる国道1号線の橋
源八橋 大川(旧淀川)に架かり、北区天満橋1丁目と都島区中野町1丁目を繋ぐ橋  
都島橋  大川(旧淀川)に架かる大阪市道大阪環状線の橋
飛翔橋 大川(旧淀川)に架かり、北区長柄東1丁目と都島区善源寺町1丁目を繋ぐ歩行者専用橋 
毛馬橋  大川(旧淀川)に架かる城北公園通の橋 
岩崎運河 (尻無川)に架かる橋
岩崎運河は尻無川と木津川を結ぶ運河で、岩松橋と岩崎橋の2つの橋が架けられている。岩崎運河は、尻無川上流の川幅が狭く大型船の航行が不便であったため、木津川と繋ぐために大正9年(1920)に開削された長さ560メートルの運河である。大阪市西区と大正区の境界にあり、西区側の近くに大阪ドームがある。
現在は岩崎運河も含めて尻無川と呼ばれているようである。
岩松橋   岩崎運河 (尻無川) の東端に架かる大阪府道173号線の橋
岩崎橋   岩崎運河 (尻無川) に架かる市道難波境川線の橋
   
   
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