戦後補償問題

 

1.戦後補償と戦時賠償の違い

戦時賠償  戦勝国が敗戦国にその戦費や損害を償うために要求する金品である。いわば戦勝国が敗戦国から得る「戦利品」みたいなものである。
戦後補償  戦争の加害国が戦争被害者「個人」に対して支払うもので、戦時賠償とは性質をまったく異にする。

 

2.日本政府の戦後補償に対する考え方

 補償問題について1951年のサンフランシスコ平和条約の取り決めは次のようなものであった。

サンフランシスコ平和条約第14条  日本は損害賠償の支払い義務があるが、支払い能力が十分ではないとして、結局14条で連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。」とし、すべての賠償請求権を放棄させた。
 連合国がこのような寛大な処置をとった背景には、第一次世界大戦後のドイツに対する苛酷な賠償請求が、ドイツ経済を崩壊させ、ヒトラー台頭の一因となったという反省がある。また、1949年の中華人民共和国の建国や、1950年の朝鮮戦争の勃発など冷戦が激化する中で、すべての交戦国に賠償請求権を放棄させることにより、日本を自陣営に取り込みたいとするアメリカ側の狙いもあった。

 結局、講和会議後、日本が賠償協定を結んだのは、フィリピン、ビルマ、インドネシア、南ベトナムの4ヵ国だけであり、 他の国々は戦後賠償を放棄したのである。また、交戦国ではない韓国とは、日本が経済協力をする代わりに韓国が請求権を放棄することで決着した (日韓基本条約 1965年)。現在 この問題に決着が付いていないのは、平和条約が結ばれていない北朝鮮だけであるというのが政府の基本的立場である。

 以上のことから、日本政府はサンフランシスコ平和条約および、その他の2国間条約で補償問題はすでに解決済みであるとする。韓国との間でも、1965年の日韓条約ですでに経済協力という形で賠償を済ませており、もし被害者が当時韓国政府から受け取った補償額が少ないというなら、それは韓国政府に請求すべきで、補償問題は韓国の国内問題であるとする。

 

3.いま、なぜ戦後補償か?
 ところが、1991年、韓国の金学順らが第二次世界大戦中に日本軍に強制的に従軍慰安婦にされたことを名乗り出ると、その後、元従軍慰安婦 だったと主張する人々が次々に日本政府に謝罪と戦後補償(=個人補償)を求める裁判を展開しはじめた。
  そのほか1990年代には、中国や朝鮮半島から日本に強制的に連行され、炭坑・軍需工場・土木建設現場などで賃金もほとんど払われずに酷使された人々が、その補償を求めて日本政府にあいついで訴訟を起こした。一度決着したはずの補償問題が、戦後半世紀もたって再燃してきたのである。

 長い間の沈黙を破って、あえて今になって訴えを起こした理由とはいったい何だったのか。残された人生も少なくなり、事実を「歴史に埋もれさせたくない」という気持ちや「悔しさ」が彼女らを突き動かしたのかもしれない。

  (注)従軍慰安婦とされた女性ははっきりしないが、全部で8万人とも20万人といわれる。また、強制的に連行され苛酷な労働条件下で働かされた人々は、中国人だけで約4万人、朝鮮人については、約70万人が朝鮮半島から日本やサハリンに移動させられたという資料が残っている。         


                           戦後補償裁判の代表的事例

訴訟名(提訴日)   事件の概要   判決内容                     
韓国人BC級戦犯 国家補償等請求訴訟(91、11、12)

韓国人の元捕虜監視員が、捕虜虐待の罪で戦犯に問われたとに対し日本政府にその補償を請求       

原告敗訴。「諸外国も法律ができて初めて戦後補償が実施された」。「何をどのように保障するかは立法府の裁量」として請求を退けた。(最高裁判決)

関釜裁判 (92、12、25)

釜山の元従軍慰安婦らが、だまされて慰安所につれてこられ、暴力的に犯されて慰安とされたことへの謝罪と補償を請求                

一審で下関地裁は国の法的責任を認め、国の立法不作為(必要な法律を作らないこと)に対して、元慰安婦に各30万円の賠償を命じた。しかし、控訴審(2001、3、29 広島高裁)では逆転敗訴となった。

在日韓国人元従軍・慰安婦謝罪・補償請求訴訟(93、4、5)

在日の元慰安婦宋神道が、だまされて中国大陸につれていかれ、7年間慰安婦にされたとして国に謝罪と補償を請求        

「日本軍は慰安所の設置、管理に直接関与した」と原告の訴えを認めたが、法理論としては、国際法は「国家間の権利義務を定めたもの」で個人には請求権はないとした。また国内法(民法)による請求 については除斥期間(注 1)を理由に棄却。(東京高裁)  

香港軍票請求訴訟(93、8、13) 

日本が香港を占領した際、香港ドルを日本軍の軍票と交換させた。軍票とは一時的に発行される通貨

国際条約(ハーグ陸戦法規)は被害者個人の請求権を認めていない。損害を補償するかどうかは立法政策の問題。(東京地裁)  

 
姜富中訴訟(93、8、26)   

在日韓国人の元軍人姜富中が、戦争が終わると一方的に日本国籍を奪われ、援護法に基づく年金が受けられなかったとして提訴 (注2)            

1審2審とも原告の訴えを棄却。「援護法立法当時(1952年)、在日韓国人に対する戦後補償は日本と韓国の平和条約に基づいてなされる予定」であったので、国籍条項は違法ではない。しかし、違憲の疑いもあるとして国に是正を求めた。(大阪高裁)   

劉連仁訴訟(96、3、25)

中国から強制連行され、劣悪な労働条件のために逃走し、北海道の山野で13年間過ごした劉連仁が国に損害賠償を求めて提訴  

除斥期間の規定について「本件は正義、公平の理念に著しく反する」として適用を制限し、注目された。原告の請求通り2千万円の支払いを命じた。(東京地裁)               

西松強制労働訴訟(98、1、16)

 強制連行と苛酷な労働に対して、西松建設に謝罪と損害賠償を請求 

除斥期間が適用され、原告敗訴(広島地裁)          

(注1) 除斥期間とは不法行為の時から20年経過した場合、損害賠償請求権が消滅するという民法第724条の規定。                                                                                                                                              

(注2)日本の戦後補償は、援護法や旧軍人遺族恩給など国家補償という形で行なわれてきたが、援護法には国籍条項が設けられており、かつて「日本人」だった旧植民地出身者には適用されない。

 

 

4.法的根拠と時間の壁

 この裁判の最大の課題は、法的根拠を何に求めるかという問題である。現在、主張されているのは、

  1,ハーグ陸戦条約第3条に定める「人道に対する罪」
  2,国内法による「民法上の不法行為」(民法第709条)

の2点である。           
 しかし、1の国際法については、個人は国際法の権利主体とはならない(=個人は国際法を根拠に訴えることはできない)ということは国際的な常識である。
 また、2の民法の適用についても、たとえ不法行為があったとしても、20年以上経過した場合は損害賠償請求権が消滅するという規定(これを除斥期間という)があり、原告らの請求はすでに消滅しているという判決が1審段階ではほぼ定着している。   
 結局、裁判所は「原告には同情を禁じえない」としつつも、補償するには新たな立法措置が必要であり、それは立法府の裁量の問題であるとする。

 一方、日本政府は、事実関係そのものについてはほとんど争う構えを見せず、法的根拠づけに関する法律論争を展開することによって、賠償責任がないと主張してきた。そして判例も、 ほとんどがこの流れに沿った判決である。

 もちろん以上に述べたような結論と正反対の判例がないわけではない。1998年4月、山口地方裁判所下関支部で出された関釜裁判(かんぷさいばん)の判決では、原告請求の法的根拠を既存の法律ではなく、「条理」すなわち「正義および公平の原理」に求め、国には賠償立法を行なう義務があったにもかかわらず、これを長年放置し賠償せずにいたのは違法であるとして立法不作為(必要な法律を作らなかったこと)による国家賠償責任を認めた事例もある。

 

 

4,解決には新たな立法措置しかない

 こうした戦後補償問題は日本固有の問題ではない。ドイツでは、ナチスが行なったユダヤ人の迫害などに対して戦後新たな法律を作り、年金という形でこれまですでに6兆円近くを支払っている。しかも日本と違って、そのほとんどが個人に対する補償である。
 これに対
して日本政府が行なってきたことは、1995年に民間団体「女性のためのアジア平和国民基金」を創設し、元従軍慰安婦だった人々にお詫びの印として一人あたり200万円を首相の謝罪の手紙といっしょに届けるというものであっ た。これまでに300人近くがこの償い金を受け取ったが、中には受け取りを拒否している人もいる。
 2000年4月、民主党は従軍慰安婦被害者への賠償を求める法案を国会に提出した。全部で11条からなり、それには「謝罪の意を表し」、「金銭の支給を含む」としている(第3条)。また、そのために必要な「法制上の措置」も講じるとしている(第8条)。しかし、法案は廃案に終わった。
 結局、戦後補償問題を現在の法律で正面突破することは困難で、解決には新たな立法措置しかないと考えられる。
  

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