資本主義下における労働問題の解決

 

1、労働運動の高まり

 イギリスで産業革命が始まると、労働力が不足したこともあって、子供や婦人までが劣悪な労働条件の下で大量に雇われた。とくに炭鉱や鉱山はもっとも危険で条件の悪い働き場所であった。当時の大人は16時間ないし18時間労働が一般的であり、子供ですら14〜16時間も働かされた。

 日本の工場労働者・都市の貧民の生活を生々しく記録したものとしては次の2冊が有名である。

書名 著者名 内容
『日本の下層社会』
1899
横山源之介  日給賃金は大抵10時間25銭ないし30銭。しかし普通は夜業をし13時間ないし16時間働き1日50銭〜60銭を稼ぐ。そうしなければ家族数人食べていけな かったからである。「工場労働者一般夜業を喜び、常に労働時間の長きを取るもの多き、また故ありというべし。」と書かれている。
『女工哀史』(1925) 細井和喜蔵  女工300万人の生活記録。紡績工場には何らかの名目でゴロツキが雇ってあり、女工がサボタージュをすると、ドスなどを抜いて威嚇した旨の記述がある。「哀史が出たからもう死んでもいい」といった著者は、その1ヵ月後、急病でこの世を去った。

 産業革命によって社会全体の生産力は数千倍にも数万倍にもなったはずなのに、労働者の生活は一向に改善されず、貧しいままに据え置かれた。そうしたなかでしだいに労働運動が高まり、社会主義思想が広まっていった。

労働運動の展開

1833年 イギリスで工場法制定
1837年〜48年 チャーチスト運動。イギリスで労働者が選挙権を求める運動を展開。
1848年 共産党宣言』(マルクスとエンゲルス)発表。社会主義実現のために労働者階級の団結の必要性を説いた。その結果、資本家に対する労働者の階級闘争が世界各地で展開されるようになった。
1871年 労働組合法を制定
1886年  1886年5月1日、アメリカの各労働団体が8時間労働を要求してストライキを決行した。運動の中心となったシカゴでは労働者と警官隊が衝突。多数の死傷者が出た。また、首謀者として逮捕された5人が死刑になった。

 その3年後の1889年に開かれた第二インターナショナル・パリ大会で、この闘争を記念して5月1日を労働者の祭典の日とすることを決定した(メーデーの起源 )

1906年 労働党を結成
1924年 第一次世界大戦後、初めての労働党内閣(マクドナルド内閣)が誕生

 

 

 

2、労働組合の原理

 会社の使用者(=経営者)と労働者は、対等の関係ではない。力関係は、圧倒的に使用者が強い。したがって、もし労働者が個人的に「賃金を上げてください」と言えば、彼は間違いなく「クビ」になる。では、どうするか。


(1)団結する

 第一に考えだされた闘争方針が、労働者が「団結」をすることである。労働者が労働組合を作って団結をし、会社側と賃上げの「団体交渉」をする。そして要求が通らなければ、ストライキ(「団体行動」)を決行する。会社側はストライキによる損害を回避するために、やむなく賃上げ要求を受け入れ両者の妥協がはかられる。
 こうして、労働者の地位改善のためには、団結権・団体交渉権・団体行動権の労働三権が欠かせない権利であることが認識されるようになった。

 もちろん、労働組合活動は使用者側からすればうっとおしい。したがって、陰に陽に労働組合に対する弾圧が行なわれた。スタインベックの『怒りの葡萄』や小林多喜二の『蟹工船』には、そのあたりがリアルに描写されている。
 とくに小林多喜二は左翼文学を書いたために、警察によって虐殺されたほどである。虐殺されたあと小林多喜二の母は、「もうちょっと月給上げて腹いっぱい食べれるように望むことが、そんなに悪いことなのか」と述べている。


(2)労働運動の合法化

 労働者の権利を担保するために、第二に考えだされたのが法律を作って労働運動を合法化することである。そのためには労働者が選挙権を獲得し、自分たちの代表者を国会に送り込んで、自分たちに都合のよい法律を 作らなければならない。そして、労働三権や労働三法を確立する。

 そのためには大前提として、労働者の選挙権が不可欠である。こうして19世紀に労働者による選挙権獲得運動が世界各地で展開された。チャーチスト運動(1837年〜1848年)はその代表例である。

 こうした一連の労働運動の結果、ようやく労働三権(団結権・団体交渉権・団体行動権)や、労働三法(労働基準法、労働組合法、労働関係調整法)といった、各種の労働保護立法が成立した のである。ちなみに日本で、労働三権が確立したのは第二次世界大戦後のことである(憲法28条)。


(3)不当労働行為

 今日の社会では、労働組合活動は正当な活動として正々堂々と行なうことができる。たとえストライキによって会社側に損害を与えたとしても、刑事免責(体で払う罰の免除)や民事免責(お金出払う罰の免除)が認められている。

 しかし、使用者の中には労働組合に対する正しい理解をせず、今だに労働組合活動を弾圧する「不当労働行為」を行なうものがあとを絶たない。たとえば、

・組合活動を理由に昇進を後らせる
・組合活動を理由に単身赴任を強いる
・労働組合に加入しないことや脱退することを雇用条件とする(黄犬契約
・労働組合を作ることを妨害する

 などがよくある手口である。中には暴力団を使って脅したり暴力行為に及ぶこともある。もちろん、これらは違法行為であるから、裁判所に訴えて勝訴判決を勝ち取ることができる。
 

(4)ショップ制
  ところで、もし労働組合に加入したために不利益をこうむる恐れがあるなら、だれも労働組合に入らなくなってしまう。そこで、労働組合の機能を維持するために、労使間で結ばれる協定をショップという。ショップ制には次の3種類がある。

ユニオン・ショップ  日本の大企業などでは、入社したらかならず労働組合に入らなければならないユニオン・ショップ制をとっているところが多い。企業ごとに労働組合が組織されるため、交渉力が弱い。
オープン・ショップ  一方、日本の公務員は給与・労働条件等で一定の保障が担保されているため、労働組合に入っても入らなくてもよいオープン・ショップ制をとっている。
クローズド・ショップ  欧米の労働組合は日本と違って、職業別組合である。たとえば航空会社の場合、パイロット、通信士、スチュワーデスなど、職種別にさまざまな組合が作られている。したがって、所属する会社が違っても、職種が同じ人は同じ組合に所属する

 もし会社を変わる場合、同じ職種であるかぎり同じ組合に属したままいることができる。企業は、採用にあたっては組合員しか採用できない制度(=クローズド・ショップ制)をとっていることも多い。

 職業別組合制度のもとでは、たとえば航空会社のどこか一つの組合がストライキをすると飛行機を飛ばせなくなるため、会社との交渉力が強い。

 

 

 

3、日本の労働組合
 日本の労働組合の特徴は、終身雇用制を背景に「企業別組合」であるという点にある。労働組合が各企業単位で組織され、それらの労働組合が集まって全国 中央組織(=ナショナルセンター)を形成する。

 現在、代表的なナショナルセンターとして、連合、全労協、全労連、の3つの大きな組織がある。本来、労働組合は一本化して全国組織を作れば、いちばん強力なはずである。それにもかかわらず分裂している。なぜか。実は、その背後に労働組合に対する根本的な考え方の違いがある。その違いを理解しておくことは大切である。

労働組合運動に関する考え方の違い

連合  1989年発足 組合員671万人  「資本家と労働組合は基本的には対立しない」と考える。

つまり、使用者も労働者も会社という同じ船に乗り合わせているのであり、会社が儲かれば賃金も配当も上げることができるが、会社が倒産すればともに路頭に迷うことになる。したがって、労働組合もストライキなどせずに、使用者側と仲良くし、お互いに会社を盛りたてましょう、という基本的スタンスをとる。

 労使協調を基本とするから、この立場の労働組合は会社側から歓迎される。そして、連合に属する労働組合の幹部は、やがてその能力を買われて、企業の重役などに昇進していく出世コースと なっている。

 大企業の労働組合や、自治労、日教組が加入。政治的には民主党を支持している。

全労連  1989年発足 組合員58万人  資本家と労働者は対立するとし、この基本的関係は19世紀も現在も変わっていないと考える。

なぜなら、たとえば1年間の利益を一定とすれば、労働者の賃金を引き上げれば資本家にまわせる配当は少なくなるし、逆に賃金を低く押さえれば、資本家の配当はふえるからである。

 このような考え方から、全労連系の労働組合は、ストライキなど伝統的な階級闘争を今も継承している。政治的には全労連は日本共産党を支持している。 全労連自治労連、全日本教職員組合(全教)、国公労連などの公務員組合が多い。

全労協 1989年発足 組合員11万人  連合と全労連のほぼ中間のスタンスを取る。全労連ほど純粋に共産主義的な立場にも賛成できないし、かといって、連合のように労使協調を唱えることにも抵抗がある。そんな感じである。かつての社会党左派(向坂逸郎の社会主義協会)の流れを汲む。

 

 

4、今日の労働問題

(1)長い労働時間
 
私が勤務する学校のあるクラスで、保護者が夕方何時ごろに帰宅するかを聞いたところ、次のような結果を得た(パートを含む)。

 親が帰宅する時間(M高校での例)

帰宅時間

人数

夕方6時まで 14人
 6時〜8時 16人
8時〜10時 8人
10時以降 7人

 日本人は働きすぎだと海外から批判されて久しい。1987年に労働基準法が改正され、週当たりの労働時間が48時間から40時間になった。また、有給休暇も年間6日から10日に増えた。この結果、ようやく年間の総労働時間は 1750時間程度となり、アメリカ並みになった。

 しかし規制緩和・競争原理の導入などで、実際はサービス残業が増えただけで、労働時間が減ったという 指摘もある。有給休暇も、病気などいざというときのために残しておくことが日本の常識となっている。
    

(2)M字カーブ
 第二次大戦後、わが国においても男性本位の価値観が急速に変化し始めた。いまや、6600万人の労働力人口の約4割は女性である。総務省の調査によれば、夫婦の約48%が共働き世帯で、専業主婦世帯の約37%を大きく上回っている。

 しかし、女性の年齢別労働力率(縦軸に女性の就労比率をとり、横軸に年齢層をとる)をグラフにすると、欧米の台形型カーブに比べて、日本の場合20代後半から30代前半にかけて落ち込み、きれいなM字カーブを描く。これは、結婚・出産・育児が大きな理由と考えられる。M字カーブはたいへん恥ずべき現象である。

 1986年に男女雇用機会均等法、1999年4月からは育児・介護休業法が施行された。しかし、仕事を続けたい女性が安心して働ける 環境はまだまだ不十分である。
 
また、女性の社会進出に伴って、家事・育児を夫婦の間でどのように分担しあうかも問題である。家事・育児を分担する気のあまりない男性と、家事・育児を共有してほしい女性との意識の差はなかなか埋まらない。

 

(3)進む組合離れ
 戦後一貫して労働組合の組織率は低下し続け、現在約17.7である(2013年)。働いている人10人のうち8人は何らかの理由によって労働組合に加盟していない

 従業員が100人以下の小企業における労働組合の組織率は3%以下とも言われる。パート労働者、派遣労働者など、組合に入りたくても入れない人も多い。ソ連が崩壊し人々が社会主義に魅力を感じなくなったこと も組合離れの一因となっている。

 

(4)増加する非正規雇用
 国際競争の激化の波を受けて、コスト削減のために正規雇用を減らし、非正規雇用で働く労働者が増えている。現在、非正規雇用で働く人は、パート労働者920万人、派遣労働者2 13万人、フリーターなど1900万人に及ぶ(2013年)。これは全雇用者5200万人の約4割に及ぶ。そのなかには就職氷河期と言われた1990年代に 非正規雇用となり、そこから抜け出せない人もいる。

 明日仕事があるかどうか、いつまでこんな不安定な立場で働くのか、いつまでたっても給料があがらないなど、非正規労働者の不満が蓄積されている。この人たちは将来の生活保護予備軍と言ってもいい。そうなる前に、対策を講じる必要がある。

 

 

5、真の豊かさとは

  もし日本が豊かな国かどうかと聞かれれば、 間違いなく豊かな国である。タンスに入りきらない服、毎日がお祭りのような料理と残飯の山、部屋にあふれる電化製品。一方、地球全体では、今だに約8億人が慢性的な食料不足で苦しんでいる。

 規制緩和と競争原理の強化が進んだ現在、再び労働問題が注目されているピケティは『21世紀の資本』の中で、貧富の差が拡大しているとして、警鐘を鳴らしている。

長い労働時間  日本の企業は「場」による集団であるため、個人の全面参加が求められる。朝の暗いうちから家を出て、夜帰るのは9時・10時ということもめずらしくない。日本の年間総労働時間はようやく 1750時間程度になったものの、サービス残業の存在などを考えると、欧米よりまだまだ年間数百時間は長い。
 過労死するほど働いて、家には寝に帰るだけというのでは「豊かさ」など感じられない。
住宅事情の悪さ  特に都市部の住宅の狭さは、ヨーロッパ諸国から「うさぎ小屋」と酷評されたほどである。隣家のピアノの音がうるさいといって殺人事件が起きたり、お年寄りが寝込んだりすれば寝かせておく部屋もなく、病院に社会的入院をさせざるをえないこともある。

 人生の約半分を過ごす住居がこういう状態では「豊かさ」など感じられるはずもない。「住」という字は「人が主」と書くにもかかわらず、日本で立派な建物は、ホテル・銀行・市役所など、人が住まない場所ばかりである。

(注)以前筆者が住んでいた大阪市内の住宅は、間口約4メートル、奥行20メートルの細長い鰻の寝床のような家であった。プールにしたら2コースくらいはとれそうな間取りである。しかも日当たりは悪く、冬場になると後の高層マンションの影になって1日中全く光が射さない。それでも周囲の14〜5坪の家に較べれば広いほうだとうらやましがられた。

 

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