資本主義の発展と弊害

 

 
200年間の大きな流れ
 今わたしたちが生きている社会(=資本主義社会)は、約200年あまり前に出来上がった。その後さまざまな失敗を繰り返しながら、少しずつ改良を重ねて今日にいたっている。だから、現代という社会を考えるとき、常に過去200年の歴史のなかで考える癖をつけてほしい。「木を見る前に 森を見よ」、という言葉がある。とりあえず、過去200年の大雑把な歴史を徹底的に頭にたたき込んでほしい。できるだけ単純化して、まずは大きな流れを理解することだ。そうすれば、あらゆる場面でその知識を応用できることに気がつくはずだ。

 下図を見ていただきたい。この中に過去200年 の社会の流れのエッセンスがつまっている。極 端に言えば、「政治・経済」の教科書一冊分がこの図一つで表現されているといってもよい。ポイントは三つある。第一が「A,スミスの自由放任政策」、第二が自由放任政策の結果生み出された「資本主義の弊害」、第三がその弊害を克服するために採られた「ケインズ政策」と「マル クスの社会主義」の三つである。(下図の出典 第一学習社 『政治・経済』教科書)

スミスの「小さな政府」
 まず、スミスの説明から始めよう。スミスが生きたのは、人々が絶対王政を倒して自由になり、産業革命を推進している真っ最中であった。
 人間にはお金持ちになりたい、豊かな消費生活をしたい、幸せになりたいという「利己心」がある。普通、 利己的な人間は尊敬されない。ところがスミスはこれを肯定した。経済活動に限って言えば、この利己心こそが経済活動のエネルギーであり、経済を発展させる原動力だというのだ。もし利己心を否定すればたちまち経済活動は停滞する(その典型が20世紀の社会主義であった)。しかも好都合なことに、 みんなが勝手ばらばらに行動しても、世の中全体としてはある種の調和状態が実現すると説く。「市場メ カニズム」がすべてを調整してくれるからだ。こ こでは政府は邪魔者だとされる。

 スミスによれば、政府は道路や橋、警察、消防、国防など、最低限のことさえやっておればよいという(=夜警国家)。あとはすべて市場が解決してくれる。もし市場でうまくいかないことがあれば、政府が市場に余計な干渉をしているからであり、自由放任(レッセ ・フェール)こそが最良の政策だとスミスは主張 したのだ。 人々は、政府の干渉から解放されて、安心て生産活動にいそしむことができるようになり、資本主義が発展した。
 諸君はスミスなんて200年以上も前に「死んだ人」だと思っているかもしれない。とんでもない誤解だ。 現在日本行なわれている規制緩和や競争促進政策は、すべてスミスの思想 への先祖返りの政策である。スミスの思想は今も生きているのだ。

 

資本主義の弊害
 スミスは、要するに「資本主義は大変すぐれた システムであるから、放っておいてもうまくゆく」と、楽観的に考えた。ところが、その後の 現実はそうはならなかった。資本主義が欠陥だらけであることがやがて明らかになったのだ。言うまでもなく資本主義は自由競争が原則だ。弱肉強食の世界といっていい。100メートルを「ヨーイ、 ドン」で一斉に競争すれば、必ず勝者と敗者が出 る。すべてを市場にまかせた結果、貧富の差が拡大し、「恐慌」、「失業」、「労働問題」といった社会問題が次々に生じてしまった。さあどうする。

 

ケインズの「大きな政府」
 資本主義の欠点を取り除くためは資本主義そのものを倒さなければならないのだろうか。ケインズはそう考えなかった。「 市場」の足りないところを政府が積極的に介入し 補ってやれば、資本主義はまだまだ有効であると考えた。彼は1930年代の世界恐慌の際に、 「恐慌は有効需要の不足によって起きる」として、政府が積極的に公共事業を行なうことを提唱した。 ケインズは、スミスの「小さな政府」をひっくり返し、「大きな政府」が必要だと主張したのだ。
 ケインズの登場によって政府は非常に重要な役割を担うこととなった。戦後、多くの国でケインズの修正資本主義が採用され、資本主義諸国から恐慌が消えた。ケインズはそれまでの経済学の常識を打ち破り、経済学に新しい地平を切り開いたのだ。
 政府の役割の増大は、政治の世界にも大きな影響を与えた。第一次大戦と第二次大戦の間に、生存権を中核とする新しい憲法が登場し、それがケインズの「大きな政府」論と結びついたのだ。 ケインズの「大きな政府」論は、戦後の「福祉国家」に途をひらくものでもあった。19世紀の「 国家からの自由」に対して、20世紀には「国家による自由」が政府の重要な役割の一つに追加された。その結果、第二次大戦後、福祉国家の概念が定着し、市民生活は安定した。
 しかし、1990年のバブル崩壊後、拡大する財政赤字などの反省から、大きな政府を見直す動きが始まった。2001年に成立した小泉内閣は構造改革の必要性を説き、「民間で出来ることは民間に」というキャッチフレーズのもと、再びアダム・スミスへの先祖帰りの政策を展開した。

 

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