沖縄の米軍基地問題

 

1,基地の島「沖縄」

 青い海と美しいサンゴ礁など、豊かな自然に恵まれた沖縄は、日本有数の観光地である。かつては琉球王国が栄え、いまなお独特の文化を残している。沖縄を訪れる観光客は年間約400万人を数える。
 しかし、観光地である沖縄は、同時に米軍の基地の島でもある。1972年、沖縄が日本に返還されたが、米軍基地は撤去されることなく、残されたままだった。そのため、沖縄の人々は日本復帰後も、基地によるさまざまな被害に苦しまねばならなかった。
 現在、日本にある米軍基地の実に約75%が沖縄に集中しており、日本にいる約4万人のアメリカ兵のうち、60%以上が沖縄に駐留している。県下53市町村のうち25市町村に米軍基地があり、米軍基地は沖縄県の面積の約10%、沖縄本島に限ればその約5分の1を占めている。中でも嘉手納町には東アジアで最大の基地があり、町面積の約83%が基地で占められている。基地には嘉手納飛行場があり、その周囲には基地を囲うフェンスが延々と続いている。まさしく「沖縄の中に基地があるのではない。基地の中に沖縄があるのだ」という表現がぴったりである。

 

2,なぜ沖縄にあるのか?

 第二次世界大戦で沖縄は、日本国内で唯一戦場となったところである。1945年4月1日、アメリカ軍55万人が沖縄本島に上陸した。沖縄全島を基地化し、日本本土攻略の足場を築くためである。これに対して旧日本軍は、本土決戦に備えるために時間稼ぎをし、また本土の兵力を温存するために沖縄を「捨て石」にした。
 約2ヵ月間の地上戦で日本人犠牲者は約20万人に達した。この中には一般の県民約94000人が含まれている。これは当時の沖縄県民の4人に1人に相当する。犠牲となった人々 の中には、集団自決に追い込まれたり、避難している壕(ガマ)の中から日本軍によって追い出されたり、泣き叫ぶ赤ん坊を捨ててくるよう日本兵に言われた人もいた。「ひめゆりの塔」は従軍看護婦の女子学生が、米軍のガス弾攻撃で亡くなった地に建てられたもので、沖縄戦の悲劇を象徴している。

 第二次世界大戦後、沖縄はアメリカに占領され、1951年のサンフランシスコ平和条約締結後、アメリカの施政権下に入った。そして、中華人民共和国の成立(1949年)、朝鮮戦争の勃発(1950年)を契機に、沖縄米軍の役割はますます重要なものとなり、共産主義勢力に対抗するアジアの拠点として、基地の拡充・強化がなされた。1972年、沖縄はようやく日本に返還されたものの、ほとんどの米軍基地は残されたままであった。

 

3,基地による生活破壊

 アメリカ軍基地の存在は、地元の人々にどのような影響を与えているのだろうか。利益と被害の両面から考えてみる。

 まず利益の面であるが、第一に基地は地元の人々に職場を提供している。現在約8500人が基地で働いており、500億円余りの賃金が支払われている。第二に、土地を基地に貸している地主に地代収入をもたらしている。現在、基地に用地を提供している地主は約3万1千人いるが、地代として約800億が払われている。そのほか、米軍とその家族が使う約500億円の消費を含めると総額1800億円、沖縄県民所得の約5%が基地経済に依存していることになる。

しかし、一方では基地による被害もまた甚大である。
 第一に軍用機の騒音や墜落事故がある。嘉手納基地や普天間基地のように、ほとんど1日中離着陸がなされるところでは、事態はとくに深刻である。また、米軍の戦闘機やヘリコプターによる事故も少なくない。誤って照明弾を落としたり、燃料補助タンクを落としたり、「沖縄の空は雨ではなく物が降ってくる」といわれるほどである。そのほか、実弾演習によって引き起こされる山林火災の被害もある。

 第二に、米兵による事故や犯罪も深刻である。復帰以降のこれまでの検挙件数は殺人・婦女暴行などの凶悪犯罪も含め5000件を越えており、地域社会をおびえさせている。しかも、こうした犯罪者の中には、日米地位協定があるために日本で裁かれることもなく、密かに本国に送還されてしまうケースもある。

 第三に、沖縄全体の1割を米軍用地が占めるため、周辺集落間の交通が遮断され、望ましい都市形成や交通網体系の整備の妨げとなっている問題がある。そして町のゾーニングもできないまま無秩序な開発が進み、交通渋滞を引き起こす一因となっている。       

                  

4,アメリカの世界戦略と沖縄

 アメリカにとって沖縄の基地がどのような意味をもつかは、沖縄の地政学的位置を考えれば容易に理解できる。沖縄を中心にアジア全体を見ると、台湾まで640q、ソウルでも1400qしかない。戦闘機なら台湾まで1時間弱、ソウルでも2時間弱の 距離である。もし、作戦可能空域を半径4000qとすると、東南アジア全体、中国、南ロシアまでが含まれてしまうベトナム戦争のとき、アメリカの最大の出撃基地として、沖縄からさかんに爆撃機が飛び立ったことはよく知られている。まさに沖縄は「太平洋の要石」なのである。

 それだけではない。在日米軍を統括しハワイに司令部を置く太平洋軍は、実はインド洋からアフリカ東海岸までニラミをきかしている。現在アメリカは 総兵力140万人のうち26万人の兵力を海外に展開しているが、「アジア10万人体制」(在日米軍4万人、在韓米軍3万7千人)は、最大の受け入れ国ドイツの7万人と並ぶ世界戦略の要なのである。しかも、在韓米軍は、韓国の安全を担保するために身動きがとれず、有事に際して機動的に動けるのは沖縄の海兵隊だけといってもよい。             

                  

5,基地問題の解決をめざして

 1995年、沖縄の小学生がアメリカ軍の兵士に暴行されるという事件が起きた。しかも、アメリカ側が日米地位協定を根拠に、起訴前の身柄引渡しに応じなかったことから、沖縄県民の激しい怒りを呼び、ついには本格的な基地撤去運動にまで発展した。沖縄の軍用基地の99.7%は国が契約をして民間から借り上げ米軍に提供している。残り0.3%は反戦地主の土地であり、 これについては強制使用の手続きの一環として、知事が代理署名をすることになっている。ところが、沖縄県民の基地整理・縮小を要求する声を受けて大田知事は代理署名を拒否し、国との対決姿勢を鮮明に打ち出した。

 この結果、1996年4月、日米は市街地に隣接し飛行機事故の多い普天間飛行場を返還することに合意した。そして、その代替施設として名護市 辺野古の海上にへリポートを建設することで一応決着した が、いまなおもめている。              

 日本やアジアの安全保障という大きな問題を、沖縄の人々にのみシワ寄せする現在のあり方でよいのだろうか? 「学問をやるうえで一番大切なことは、ある問題を「他人ごととして見る」のではなく、「自分のこととして見る」態度である、と いわれる。今、沖縄の基地問題を、自分の問題して取り組む姿勢が求められている。

 そもそも、日本という独立国のなかに外国の軍隊が存在すること自体おかしな話である。もし、米軍基地が必要だというならば、沖縄だけに負担を強いるのではなく、日本人すべてが平等に負担をするのが筋ではないか。自らの安全を他人の犠牲によって図るものであると沖縄の人から批判されても反論は難しい。

 他方、もし、かりに在日米軍は不要だとするならば、日本の安全保障をどのように確保するのか。自衛隊に頼ることになるのか。その場合、「自衛隊は憲法9条に違反する」というのが学界の通説であることを考慮すると、9条を改正することを考えなくて もよいのか。
 冷戦が終わった今日、安保条約を含め、沖縄の基地問題を自分の問題として、あらためて考えてみる必要がある。

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