モラルハザード・シンドローム(2001年3月12日記)

 

 火災保険に入れば、万が一火災にあっても保険でなんとかなると思って、火の用心をおろそかにするかもしれない。同様に、自動車保険に入れば、事故に対する責任感が希薄になり、スピードを出しすぎるかもしれない。モラルハザード(moral hazard)とは、もともとは保険用語で「倫理感の欠如」という意味で使われていた。ところが、今の日本には、保険だけではなく、さまざまな場面でモラルハザードが見られる。

 たとえば、学校の先生の世界。頑張っても頑張らなくても基本的に給料は変わらない。やってもやらなくても大差がなければ、できるだけ手を抜こうという先生が出てきても不思議はない。とくに深刻なモラルハザードが起きているのが大学で といわれる。大学の教員は一度講師に採用されると、よほどのことがないかぎり、論文の本数さえ揃えばほとんど自動的に准教授、教授に昇進していく。そして教授になってしまえば、もうインセンティブはない。あとは、学者としての良心だけがたよりである。

 実はこのほかにも、同じようなモラルハザードが、いま日本のいたるところで生じている。
社会保障が行き届き、医療費が安いからといって病院をサロン代わりに利用するお年寄り。
終身雇用の下で「のほほん」としているサラリーマン。
ながらく護送船団方式で守られてきた金融界。
公共事業に群がり、自らの経営努力を怠ってきた建設業界。
国の補助金をあてにしてロクに使いもしない箱モノを作ってきた地方自治体。

 根本にあるのはみな同じモラルハザードである。いざとなれば、会社がなんとかしてくれる。国がなんとかしてくれる。いつのまにか、みんながそんな気持ちを抱くようになった。しかし、もはやそんな時代は終わった。「国がなんとかしてくれる」のではなく、「国をなんとかする」。そんな発想に転換することが必要な時代に突入している。

 かつて社会契約説は、国家は国民を守るために人々の契約によって設立されたと説いた。その結果、民主主義が確立した。そして、民主主義のもとで国民はサンタクロースにおねだりするように、国家にさまざまな要求をするようになった。政治家もそれを断れば落選するので断れない。しかし、政府はもちろんサンタクロースではない。政府といえども無い袖は振れない。ようやくそのことに気が付いたのが1990年代ではなかったか。

 シンドロームという言葉は「症候群」と訳され、広辞苑には同一の根本的原因から起こる一群の症候、という意味のことが書かれている。人間は飢えと失業の恐怖がなくなったら、一生懸命働かなくなる。ソ連の崩壊は、そのことを教えてくれたのではないか。日本経済の閉塞感を打ち破るには、根本的な病巣であるモラルハザードを除去する必要がある。
                                

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