戦争回避のための工夫 (勢力均衡と集団安全保障) 1、国際政治の二つの考え方 国際政治には大きく分けて「現実主義」と「理想主義」という二つの考え方がある 現実主義 国家間の利害対立を解決する最終的方法は、相手をねじ伏せるだけの力をもつことであるとして、権力政治を容認する考え方である。この考え方は、19世紀までの支配的考え方であった。 今日でこそ戦争はよくないこととされているが、実は19世紀までは戦争は悪いこととは考えられていなかった。なぜなら、飛行機も戦車もない時代だったから、戦争といっても軍人が戦場で戦い、一般市民が巻き添えになることは少なかったからである。 ドイツの軍人クラウゼビッツは、「戦争は政治の延長」であると述べ(『戦争論』1832年)、戦争は国家として当然の権利であると主張している。このような考え方が支配的な時代にあっては、自国を守る方法は軍事同盟を結び、容易には攻め込まれない状況を作っておくことであり、この政策は勢力均衡政策と呼ばれた。 理想主義 しかし、力がすべてを解決するというのでは、あまりに高くつくし、むなしい。また、第一次世界大戦が未曾有の被害をもたらしたことも あって、その後、平和を求める学問として「国際関係論」が成立した。この新しい学問は、先の現実主義に対して理想主義と呼ばれる。 これは世界的な組織の下で国際的なルール(=国際法)を作り、そのルールをみんなで守ることにより戦争を回避しようとするものである。国際連盟や国際連合はこのような考え方から生み出されてきたものであり、その背後にある原理は集団安全保障体制と呼ばれるものである。 国際法の父グロチウス もともと、「国際法を作って、それをみんなで守りましょう」と最初に提唱したのは、グロチウスであった。彼は『戦争と平和の法』(1625年)の中で、戦争のときでも守るべき法があると主張し、その後、「国際法の父」と呼ばれるようになった。また、世界政府を作って平和を実現すべきであるとする考え方は、カントの『永久平和のために』(1795年)などにも見られた。こうした一連の思想のうえに、第一次世界大戦後、国際関係論という新しい学問分野が成立したのである。 今日、政治家の多くは現実主義の立場に立ち、学者の多くは(もちろん例外も少なくないが)理想主義の立場をとる傾向が見られる。ユネスコ憲章の前文に 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心のなかに平和のとりでを築かなければならない。とあるのは、典型的な理想主義の立場にったったものといえる。 医者は目の前の病人は助けられるかもしれないが、戦争で死んでいく何千万人もの人間の命は救えない。しかし、外交や国際政治にたずさわる者にとって、それは不可能なことではない。 2、勢力均衡政策 勢力均衡政策は、現実主義の立場に立つ典型的な政策である。もし、自分の国独自で安全保障が十分ではないと判断した場合、他国と同盟を結んで軍事力を強化し、攻め込まれないようにする。これがこの政策の原理である。すなわち、常に周囲の敵国と力のバランスを保つことで、お互いに攻撃しにくい状況を作るのである。この典型的な例は、第一次世界大戦における三国協商と三国同盟の対立に見られる。 第一次世界大戦は、次の三つの対立軸によって引き起こされた。 第一次世界大戦の原因 @ 英独の対立 覇権国イギリスの植民地政策(3C政策)に対して、ドイツが3B政策でもって挑戦し、英独の関係が悪化した。 A 独仏の対立 隣国同士は仲良くできない典型例である。1870年の晋仏戦争でフランスは敗れ、ナポレオン3世がセダンで捕虜になったほか、50億フランの賠償を負わされた。このため、フランスは機会があればドイツに復讐をしようと虎視眈眈と狙っていた。また、独仏はモロッコなどの植民地をめぐっても対立を深めていた。第一次大戦は、フランスにとって絶好の復讐の機会となった。 B 独露の対立 もともとユーゴスラビアは「南スラブ人の国」の意味であり、伝統的にロシアの支配下にあった。そこへ3B政策をかかげてドイツが乗り込んできたため、一気に緊張が高まった。バルカンはまさに「ヨーロッパの火薬庫」と化した。 三国同盟と三国協商による勢力均衡政策 ドイツは、オーストリア、イタリアとともに三国同盟を結成した。これに対して中世以来あれほど仲の悪かったフランスとイギリスはドイツに対抗するため手を結び(英仏協商、1904年)、これにロシアも加わっていわゆる三国協商が完成した。三国同盟と三国協商が対峙する中、1914年6月、サラエボでオーストリアの皇太子がセルビアの青年に暗殺されるという事件が起きた(サラエボ事件)。これがきっかけとなって、連鎖反応が引き起こされ、第一次世界大戦が始まったのである。 (コラム)ドイツとフランス ドイツとフランスは過去100年余りの間に3回の大戦争をした。晋仏戦争、第一次大戦、第二次大戦の3回である。晋仏戦争に敗れたフランスは、その復讐としてヴェルサイユ条約でドイツに立ち上がれないほどの損害賠償を課した。しかし、そのことが今度は逆にドイツの復讐心を呼び起こし、ヒトラーの台頭を招き、第二次大戦に発展した。 ヨーロッパから戦争をなくするためには独仏という大陸の2大国を仲良くさせるしかない。第二次大戦後、欧州統合の動きが活発になり、それが今日のEUの原点となった。 3、勢力均衡政策の欠点 勢力均衡政策は、現実問題として第一次世界大戦を阻止できなかったというばかりではなく、理論的にも重要な欠点をもっていた。なぜなら、自国の軍備を増強すれば、相手国もそれに呼応して軍備を増強するからである。国際政治の根本にあるのは相手国に対する「不信感」である。この不信感が存在するかぎり、一方が軍備拡張をすれば、他方も必ず軍備を拡張する。この結果、無限の軍拡競争が展開されてしまう。したがって、勢力均衡政策は、理論的にも永久平和を実現できない。こうしたことから第一次世界大戦後、「理想主義」の理論が登場したのである。 (問題)無限の軍拡競争を展開すれば、やがてその国はどうなるであろうか。 (答)経済力が疲弊し、やがて国が衰退する。 4、集団安全保障体制 (1)原理 集団安全保障の原理は次の通りである。 まず、世界中のすべての国を一つの国際組織に加盟させ、守るべき共通のルールを定める。そして、もし加盟国の一つがそのルールを破れば、残りの全加盟国が共同で違反国の「制裁」にあたるものとする。そうすれば、すべての加盟国は「制裁」を恐れて、ルールを破ることはしないはずである。このルールの中に「侵略戦争をしてはならない」という一項目を入れておけば、平和は保たれる。これが集団安全保障の基本原理である。 (2)国際連盟 こうした原理のもとに作られたのが国際連盟(1920年)であった。国際連盟は防衛戦争と侵略戦争を区別し、侵略戦争を否定することによって「戦争の違法化」という画期的な理念を実現してみせた。 しかし、問題は違反国が出ないようにするために、違反国が出た場合の制裁をどうするかである。一般的に、法は違反者に対する罰則が厳しいほどよく守られる。したがって、いくら理想的な理念を国際連盟がかかげたとしても、その意志を押し通すのに必要な「力」をもたなければうまく機能しない。実際、国際連盟は次の三つの理由により失敗に終わった。 国際連盟が失敗に終わった理由 @ 大国の不参加 アメリカは当初から不参加。ソ連は1934年加入・1939年除名。ドイツは1926年加盟・1933年10月脱退。日本は1933年3月脱退。イタリアも1937年脱退 A 全会一致の原則 総会も理事会も全会一致の原則を採用したため、決定できないことも多かった。 B 武力制裁の欠如 およそ、いかなる戦争も許されないとする考え方は崇高である。しかし、永久平和を実現するためには、ただ一つの例外を認めないわけにはいかない。それが違反国に対する「制裁」としての戦争である。集団安全保障は、違反国に対する武力制裁を前提として初めて機能しうる制度である。 とくに、武力制裁の欠如は致命的であった。この力を欠いていたうえ、世界の大国が相次いで脱退してしまったのだから、国際連盟が第二次世界大戦を阻止できなかったのは当然の帰結であった。人類初のこの実験は、見事に失敗してしまった のだ。 (3)国際連合 1945年、サンフランシスコ会議で国連憲章が採択され、原加盟国51ヵ国で国際連合が成立した。国連は、総会、事務局、安全保障理事会、経済社会理事会、国際司法裁判所、信託統治理事会の6つの組織からなる。このうち、信託統治理事会は信託統治そのものが消滅したため機能は停止している。 国連の主な組織 総会 1国1票による多数決制をとる。1960年代以降、発展途上国が相次いで独立をとげ、国連に加盟したことから、総会は発展途上国の発言力が強い。1964年のUNCTAD、1974年のNIEOの樹立宣言などはその成果である。 総会はそのほか、世界人権宣言(1948年)や国際人権規約(1966年)の採択など、人権保障の国際化にも貢献している。また、国連軍縮特別総会(1978年)の開催やCTBT(包括的核実験禁止条約、1996年)を成立させるなど、軍縮にも成果をあげている。 安全保障理事会 5常任理事国と10非常任理事国から構成され、世界の平和と安全について加盟国全体に代わって決定する権限を与えられている。その決定には全加盟国が従う義務がある。もし、従わない場合には武力制裁をすることも認められており、国際連盟の失敗が生かされている しかし、こうしたシステムにも欠点がないわけではない。 第一に、正式な国連軍がまだ成立していない。 第二に、5大国が拒否権を乱発すれば、安保理事会は機能麻痺に陥ってしまう。 第三に、もしアメリカやロシア・中国などの大国が国際法に違反したとしても(たとえば侵略行為)、だれもこれらの国々を制裁できない。 とりわけ第三番目の欠点は深刻である。第二次世界大戦後、これまでにアメリカも旧ソ連も中国も侵略行為を行なってきたという事実がある。しかし、それにもかかわらず制裁を受けることはなかった。国連によって制裁を受けるのは「イラク」のような小国だけという「法の下の不平等」がまかり通るとすれば、それは正義に反するというべきだろう。しかし、だれもその矛盾を指摘しないのは不思議というほかない。 こうした欠点はあるものの、それでも国連はないよりはマシである。我々は国連に過剰期待をしがちだが、国連がその能力を100%発揮するためには、個々の国々が自分たちのもつ「武力を行使するという権力」を放棄し、これを国連に譲り渡すことが必要である。国連がそういう「力」を持たないかぎり、永久平和は実現しない。国際司法裁判所がうまく機能しないのも、判決を実現する「力」がないからである。 国連は世界政府ではない。主権国家の集まりである。だからこそ「国連は人類を天国に連れていく機関ではなく、地獄に落ちるのをふせぐ機関である」(国連第2代目事務総長ハマーショルドのことば)といわれるのである。 国連が成立したあとも、世界で100を越す大規模な紛争が生じ、2000万人以上の命が失われた。21世紀、人類は戦争のない社会を実現できるのであろうか。それは、今の「国家」とか「国益」とかいった概念を根本から問い直さないかぎり不可能なように思われる。 (コラム)パックス・アメリカーナ 「平和」な状態とはどういう状態のことを言うのであろうか。さしあたり、「戦争のない状態」と定義する。しかし、「戦争がない状態」にも二通りある。 一つは、みんなが対等の関係にあって、なお戦争がない状態である。 もう一つは、コワーイお兄ちゃんが仕切っていて、恐れをなしてだれも反抗できず、みんな息を潜めているために戦争にいたらない状態である。現在、大戦争が起きないのは、アメリカがコワーイお兄ちゃん役を引き受けて世界を仕切っているからである。これをパックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)という。 どんぐりの背比べで戦争が絶えない状況と、一国の力が突出していて見かけ上の平和がもたらされる社会。どちらも理想とは言えないが、後者のほうがまだマシか 講義ノートの目次に戻る トップメニューに戻る |