規制緩和の経済学

 

 

1、なぜ規制緩和か?

 これまでの日本の政治経済は、官主導のもとで「原則禁止・例外許可」で動いてきた。これを「原則自由、問題がある場合のみ禁止」というアメリカ型に修正しようというのが規制緩和論である。1980年代から徐々に始まった規制緩和の背景には、 次のような理由がある。

 第一の理由は、「大きな政府」が行き詰まり、「小さな政府」を実現するために規制緩和が必要であったことがあげられる。
とくにオイルショックに際してケインズ政策が行き詰まり、それに乗じてフリードマンらのマネタリストが台頭した頃から、しだいに「大きな政府」を批判する声が高まった。

 1980年代にはレーガン大統領が「小さな政府」の実現をはかった。また、イギリスは1986年にサッチャー首相が証券制度の大改革(いわゆるビッグバン)を実施し、「小さな政府」を指向し始めた。

 第二の理由は、国際競争が激化し、規制緩和が必要になったことがあげられる。 
アメリカ・イギリスが「小さな政府」を指向し、大きな成果をあげていた頃、日本では相変わらず官僚主導による「大きな政府」が幅をきかせていた。官僚は1万件を越える許認可権をもち、それをテコに民間企業に大きな影響力をもっていた。金融機関の護送船団方式やコメの輸入制限に象徴されるように、日本社会全体が国の規制で競争を制限することで仲良くやってきたのである。

 ところが、その島国・日本にも国際化の波が押し寄せてきた。規制緩和によって競争力をつけた外国企業が日本に進出あるいは輸出攻勢をかけてきた。突然厳しい国際競争のなかに立たされ、競争力のない企業は市場から退場することを迫られた。日本企業が生き延びる方策はただ一つ。日本も規制緩和を導入し、競争力をつけることしかない。こうして規制緩和の大合唱が始まった。1996年11月、橋本内閣は日本版ビッグバン(=金融大改革)に着手した。

  2001年、小泉内閣は「改革なくして成長なし」「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」のキャッチフレーズの下に、公共事業削減、郵政民営化財政投融資改革地方への税源委譲、などの政策を次々に打ち出した。
 

 

2、規制緩和の具体例

1,金融自由化
 これまで日本の金融機関は護送船団方式と呼ばれる方法で、政府によって手厚く守られてきた。しかし、国際化の進展とともに、ビッグバンで鍛えられたアメリカの金融機関との競争が激しさを増すと、日本の金融機関は苦況に立たされた。国際競争に勝ち抜くためには、日本も金融の自由化に踏み切らざるをえなくなった。1980年代に入り、まず金利の自由化が行なわれ、さらに1996年の金融ビッグバンにより業務範囲の自由化が一気に進んだ。また、金融機関の再編が 急速に進み、3大メガバンクに統合されたのをはじめ、金融持ち株会社も解禁された。
 

,コメの自由化
 1993年12月、ウルグアイラウンドでコメの部分開放が決まった。また、1999年4月1日からはコメの関税化が実施され、関税さえ払えば誰でも輸入できるようになった。現在 、関税 率は778%(1s当たり341円)と非常に高い。しかし、今後、関税を引き下げれば、外国から安いコメがドンと入ってくるものと思われる。 なお、関税とは別に、現在もミニマムアクセス米として、日本は関税なしで年間77万トンの輸入義務がある

 

,大店法の廃止
 1974年、中小小売商を保護するため、大規模小売店舗法が施行された。これにより百貨店・スーパーなどの大型店の新設、閉店時刻・休業日数などを事前調整することが定められた。しかし、日米構造協議で、大店法が大型ディスカウント店の出店などを妨げているというアメリカからの圧力があり、店舗面積や閉店時刻がしだいに緩和された。

 その後、大店法は2000年6月1日、大店立地法となり大型店の出店が大幅に自由化された。イーオン、アウトレット店、トイザラスなどが郊外に相次いで出店し、地元商店街はシャッター通りと化した。

 

4,株式売買委託手数料の自由化
 1999年10月、株式売買委託手数料の完全自由化が実施された。証券会社間の手数料引き下げ競争が展開され、インターネットを用いた取引では、自由化前の10分の1になっているケースもある。

 

,航空料金の自由化
 2000年に航空法が改正され、航空各社はダイヤや路線、運賃設定などを原則として自由に決定できるようになった。これにより、格安航空会社(LCC)の参入が相次いだ。

 

,保険料の自由化
 1998年7月から、自動車保険や火災保険などの損害保険の保険料率が自由化された。

 

,酒類の販売
 1989年、酒販売免許制度が改正され、その後スーパーやコンビにでも売れるようになり新規参入が増加した

 

8,医薬品のカテゴリーの見直し
 今までリポビタンDなどのドリンク剤は薬局・薬店でしか販売ができなかったが、1999年の薬事法改正により医薬部外品となり、コンビになどでも販売が可能になった。この結果、その市場規模は1700億円(98年度)から約2000億円(99年度)に拡大したと推定される。

 

9,教育における自由化
 教育の自由化は、高校の学区廃止、再編成などにも見られる。

 

10,法曹人口の拡大
 規制を緩和すれば、 様々なトラブルが増加し、裁判が急増することが予想される。政府はこれに備えて、新たに法科大学院(ロースクール)を作り、法曹人口の拡大を図った。

 


3、規制緩和の光と影

規制緩和のもたらす功罪にはどのようなものがあるのだろうか。

(規制緩和のもたらす光の部分)

 @企業間の競争が激化し価格が低下し、サービスが向上する。その結果、消費者が恩恵を受ける。

 A規制緩和により新たなビジネスチャンスが生まれる結果、日本経済が活性化する。

 B個人の努力が報酬となって報われる社会が到来する。

(コラム)
成果主義の導入例

 日興証券では、総合職1700人の給与体系を一新したという。新入社員もベテラン社員も月給は一律30万円。その代わり、本人のあげた成果をボーナスで反映させる。成果が芳しくなければ加算額は0円(年収=360万円)。しかし、大きな成果をあげれば、最高400%、金額にして1440万円が基本給に加算される(年収=1800万円)。成果に応じて年収に大きな差がつく。

 それにつけても、「哀れ」なのは中高年の人たちである。若い頃は会社に大きく貢献したにもかかわらず年功序列型賃金の安月給でこき使われ、ようやくそれ相応の年齢になったと思ったら、新入社員と同じ扱いにされる。社員のやる気を引き出すためとはいえ、踏んだり蹴ったりである。

 

(規制緩和のもたらす影の部分)

 一方、規制緩和がもたらす次のような負の部分も見過ごせない。

 @貧富の差が拡大する。競争の激化によって終身雇用や年功序列型賃金制が崩壊し、その一方で起業によって莫大な富を築く者が出現する。

 A競争が激化する結果非正規雇用の増大がぞうだいする。

 Bそのほか、競争の激化にともなう激しいコスト削減競争が展開される結果、技術の低下や安全性に問題が起きないかが心配される。実際問題として、ここ数年、家電製品や自動車、タイヤ 、などの欠陥商品が急増していることが社会問題になりはじめている。また、JR西日本の尼崎事故や、運転手の過労による痛ましいバス事故なども、競争の激化による顧客の奪い合いが招いた事故といえる。

 

 規制緩和は、決してバラ色の世界ではない。競争の激化による「資本の本質=むごたらしさ」はすでに19世紀に証明されたところである。

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