自由権から社会権へ

 

 これから教科書1冊分の内容を10分でお話します。人権保障の発達の歴史です。大切なところですから、よーく聞いておいてください。

 

(1)自由権
 そもそも憲法が生まれたのは、絶対王政期の国王による人権侵害を防ぐためでした。憲法によって国王の国家権力を制限し、国民の権利が不当に侵されることのないようにしたわけです。こうして生まれたのが自由権的基本権と呼ばれるもので、これには 次のような3つの権利が含まれていました。

自由権的基本権

精神的自由 思想および良心の自由、信教の自由、表現の自由など
人身の自由 不当に逮捕されない権利など
経済的自由 財産権の保障など

 こうして人々は「国家からの自由」を手に入れました。近代市民は、「自由とは他人を害しないすべてをなしうること」という輝かしい自由を手に入れたわけです。

 国家権力を制限することを目的として作られたこのような憲法を「近代憲法」と呼ぶとすれば、その精神は、A,スミスの「小さな政府」論や「自由放任政策」とも相通じるものでした。どんなことをすれば逮捕され罰せられるか。逆に言えば、それ以外では罰せられることがないわけですから、国民は安心して産業活動にいそしむことができるようになり、資本主義が発達したのです。 下の図は経済の発展を説明するための図ですが、経済も政治も同じ社会の「コインの裏表」です。



(2)社会権
しかし、資本主義が発達するにつれて、また新たな問題が発生するようになりました。貧富の差の拡大・恐慌・失業・労働問題などがそれです。国家権力から余計な干渉を受けないという自由を手にしたのはいいのですが、多くの労働者にとってその自由とは「橋の下に寝る自由」でしかなかったのです。「のたれ死にする自由」や「橋の下に寝る自由」があっても仕方がありません。人々は参政権を要求し、やがて、強 きをくじき弱きを助ける法律を次々に成立させていきました。

 こうして20世紀の憲法は、資本主義によって生じた問題を解決するために、国家が最低限の生活を保障する「社会権」を盛り込んだ憲法が登場するようになりました。1919年のワイマール憲法はその最初のものでした。社会権を含むこのような憲法は「現代憲法」と呼ばれることもあります。 現代憲法は福祉国家を目指すものであり、「大きな政府」論と共通するものがあります。

 
 ところで、現代憲法は二つの側面をもっています。近代憲法は国家は国民生活に介入すべきではないという「不作為」を要求するものでしたが、現代憲法はその反対に、国家は国民生活に介入しなさいという「作為」を要求します。つまり、「介入しろ」という側面と「介入するな」という側面です。
 もし国家が出るべきでないときにしゃしゃり出てきたり、国家が出てこなければならないときに出てこなかったりすると、おかしなことになります。

・バイクに乗るときヘルメットを着用しなければならないのはなぜなのか。
・1日の労働時間を政府が決めるのはなぜか。
・最低賃金を政府が決めるのはなぜか。
・社会保障を政府の責任でやるのはなぜか。
・靖国神社を国営にすることが問題になるのはなぜなのか。

 「小さな政府」であるべきか、それとも「大きな政府」であるべきか。「国家の出番」をめぐる問題は深くて難しい。

 

(3)人権の国際化
 
20世紀前半までの人権保障は、一つの国家のなかにとどまるものでした。ところが、ヒトラーのファシズムが台頭するに及んで、人権保障を全世界に普く広めるべきだという考えが次第に広がってきました。そのきっかけになったのが、F、ルーズベルトの提唱した「四つの自由」です。
 これはその後1948年の世界人権宣言として結実します。ところが世界人権宣言には法的拘束力がなかったので、1966年には法的拘束力を持たせた国際人権規約が成立します。その後も、女子差別撤廃条約(1979年)や子どもの権利条約(1989年)などの人権を守るための条約が成立しています。

国際人権規約(1966年)

A規約 正式には「経済的、社会的および文化的権利に関する国際条約」という。社会権規約ともいう。
B規約 正式には「市民的および政治的権利に関する国際規約」という。自由権規約ともいう。

  

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