法の支配

 

1.絶対王政と議会の抵抗

 国家権力の恐ろしさ・横暴が最初に問題になったのが絶対王政の時期の国王の権力である。国王の発する命令が即「法」となり、執行される。もし反対すれば、逮捕される。
 こうした国王の持つ権力の中でも、お金持ち(=貴族)をもっとも困らせたのは「税金」である。税金とは、国家権力が人々の懐に手をつっこみ、お金を強制的に取り上げる行為である。そもそも議会とは、国王の無茶な課税と不当な逮捕に抵抗したのが、 その起源である(1265年、シモン=ド=モンフォール議会)。

 では、国王の横暴を抑えるにはどうしたらよいのであろうか。一番普通に考えられるのは、国王を交代させることである。場合によっては、殺してでも交替させる。しかし、実はこの方法は根本的な解決にはならない。国王の首をすげ替えても、あとを継いだ国王がもっと悪い国王だったらどうするのか。

 したがって、より根本的には、議会が法を作ってその法を国王に守らせることを考えるほかない。こうして生まれた最初の法がマグナ=カルタ(1215年)である。  実際イギリスでは、約400年間国王はマグナ=カルタを守ってきたのである。

 ところが、絶対王政になって、国王が王権神授説を唱え、マグナ=カルタを無視するようになって から話がややこしくなってきた。暴れる(=濫用される)国家権力をどうコントロールするか。これが政治学の最大の課題なのである。
 現在,権力の濫用を防ぐ方法としては,次の1〜4の方法がある。

 

 (1)法の支配
 国王の権力を制限する第一の方法は、国王を法に従わせることである。これを国王という「人の支配」に対して、「法の支配」という。もし、議会が作った法で国王の手足を縛ってしまえば、国王はまず悪いことができない。マグナ=カルタや権利章典(1689)はいわば、国王を縛り付ける縄の役割をはたした先駆的な法典である。そして、それがまとまった形で成文化されたのが、憲法である。

 今日、各国には憲法があるが、実に多くの人が、「憲法を守らなければならないのは国民である」と誤解しているのには驚くばかりである。憲法の歴史を見れば明らかなように、憲法のメッセージは国家権力に向けられたものであって、国民に向けられたものではない。

「憲法とは人民を入れておく檻ではなく、政府を入れておく檻である」

 といわれるのはこのためである。そもそも憲法とは何かというこの本質をまずしっかりと頭に入れておきたい。

 

 (2)国民主権
 権力の濫用を防ぐ第2の方法は、主権を国民が持つことである。つまり、政治の最終的な決定権を国民(有権者)が持つことである。国民一人ひとりが政治の主人公として憲法を制定し、その国民が作った憲法(民定憲法)を最高法規として、国王をはじめもろもろの国家権力をその支配下におくことによって、初めて国民の安全が保障される

 その意味では、明治憲法は最高権力者たる天皇が定め(欽定憲法)、国民に与えたという形をとるので、憲法の本来の趣旨からすれば憲法と呼べるような代物ではない。そ うした欠陥があったからこそ、第二次大戦における軍部の暴走を止めることができなかったといえる。

 ところで、新聞には、よく政治家の汚職や犯罪行為が報道されている。その場合、マスコミの多くは犯罪を犯した政治家だけを一方的に批判する傾向にある。しかし、マスコミのそのような態度は正しいのであろうか。 確かに政治家の行為は批判されて然るべきである。しかし、政治家だけが悪いのか。その政治家を選んだ有権者に責任はないのか。
 
かつて、選挙運動期間中に猥褻行為をしたという女性の訴えがあったにもかかわらず、そういう人を大阪府知事に選んでしまった有権者に責任がない、というのは余りに無責任ではないか。また、贈収賄事件で起訴されているにもかかわらず 衆議院議員にトップ当選をさせてしまう有権者に責任が全くないというのも、余りにも無責任ではないか。
 大衆民主主義と衆愚政治は紙一重である。民主主義の下では、人々の民主主義に対する理解の程度に応じた政治しか行なわれないのだ。

 

 (3)権力分立(抑制と均衡)
 権力の濫用を防ぐ第3の方法は、権力を国王に独占させておくのではなく、司法・行政・立法のようにいくつかに分割しておくことである。そして、それぞれの権力を互いに睨み合わせておけば、一つの権力が暴走する事態を防ぐことができる。この仕組みを考えたのが、モンテスキューの『法の精神』(1748年)である。 フランス人権宣言第16条には次のように書かれている。
 「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものではない」。

 

 (4)基本的人権の尊重  
 「法による統治」、「国民主権」、「権力分立」の三つの条件を満たしておれば、これで国民の人権保障は万全か?
  実は、それでも万全ではない。国家権力はなおしぶとく悪を為しうるのである。たとえばヒトラーの出現がいい例である。ヒトラーはワイマール憲法というすばらしい憲法の下で、政権を獲得し独裁権を 築いていった。そして、議会主権の名の下に、議会が基本的人権を侵す権力として登場し、600万人というユダヤ人の命を奪った。

 では、第二のヒトラーの出現を防ぐにはどうすればよいか。そのためには、

憲法を改正しても、基本的人権を侵すような憲法改正はそれ自体無効である

ことを憲法にうたっておくことが必要である。議会政治では、少数派は多数派に絶対にかなわない。もし多数派の決定を無条件に認めてしまうことが許されるなら、少数派の人権は守られない。そこでいくら正当な手続きを経て憲法改正をしても、「悪法は法にあらず」と定めておくのである。
 日本国憲法11条に、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」としているのはそのような趣旨である。一ヶ所だけでは不安なのか、97条にも同じ表現がある。

 

 

2.社会契約説

 以上述べた(1)(2)(3)(4)のような民主主義の基本原理を生み出す元になったのがホッブズ、ロック、ルソーによって展開された社会契約説である。これらの理論は、市民革命を支える理論となったばかりではなく、今日の民主主義思想確立のために大きな貢献をした。
 社会契約説とは、簡単に言えば

 国家とは人々の合意(契約)によって作られた

 とする理論である。
 もちろん、社会契約説はフィクションである。現実に存在した国家は、力のあるものが征服して国家を作ったのかもしれない。しかし作り話であるからといってバカにしてはいけない。その作り話が今日の民主主義の原理となり,現実の政治を動かしている

(1)ホッブズ
 ホッブズは『リバイアサン』(1651)の中で、自然状態にあっては「万人の万人に対する闘争」になってしまい、各人の自然権(生命・自由)は守られないとし、そこで人々は社会契約を結んで国家を作ったと考えた。もちろんここでいう契約とはフィクションであり、実際に契約書にサインをすることではない。実際の国家は力のあるものが征服して作った、というのが歴史的事実であろう。しかし、 フィクションとはいえ、自然状態では自分の命すら守られないから人々は国家を作り、国家が各人を守るという国家設立のプロセスを明らかにしたことは、ホッブズの新しい発見であり功績である
 ただ残念なことに、ホッブズは結果的には絶対王政を擁護してしまい、1660年の王政復古を許してしまった。
 

(2)ロック
 ホッブズの持つこうした欠点を修正し、王権神授説による君主主権から国民主権へとベクトルの方向を180度転換したのはJ、ロックである。彼はホッブズのフレームワークを踏襲し、自然状態では各人の自然権(生命・自由・財産)は不完全にしか守られないとして、人々は社会契約によって国家を設立したと考えた。政府の権力は、国民の自然権を守るために人々から信託されたものであり、政府の目的は国民の自然権を守ることであるとした。そして、もし政府がこの目的に反した場合は、国民には抵抗権・革命権があると主張した。
 権力が神から授けられたことを否定し、権力が国民から信託されたものであるとしたことは、ロックの大きな功績
である。

 ロックの思想は名誉革命(1688)を正当化するためにかかれたものであったが、その後のアメリカ独立宣言(1776)や、現在の日本国憲法前文の「信託」という言葉のなかにもその影響が見られる。


(3)ルソー

 しかし、残念なことにロックの思想にも限界があった。ロックの「国民」の概念は、ブルジョアのみを含むものであり、社会の下層の人々が排除されていた。ロックの政治思想はいわば「金持ちの、金持ちによる、金持ちのための」代議政治であり、当時の有権者比率は約3%にすぎなかった。

 ロックのもつこのような限界を打ち破り、社会の底辺からの真の国民主権を樹立したのが、ルソーである。ルソーは、国民全体の利益を追求する「一般意志」は代行されないとして、ロックの代議政治を否定し、直接民主制を主張した。

 ルソーの直接民主制の思想は、その後のフランス革命の理論的支えとなったばかりではなく、今日の日本の憲法改正の際の国民投票や、最高裁判所裁判官の国民審査などにも生かされている。

 

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