南北問題
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1.第三世界の台頭 その発端となったのが、バンドン会議(=アジア・アフリカ会議)であった。1955年、周恩来、スカルノ、ネルーらのよびかけで、アジア、アフリカの29ヵ国の首脳がインドネシアのバンドンに集まり、反帝・反植民地主義、平和共存などをうたった「平和十原則」を採択した。この会議は植民地時代の終わりを世界に告げたという意味で画期的意義をもつ。 「平和十原則」に集約された「バンドン精神」は、アフリカの未独立国に多大の影響を与えた。翌1956年にはスーダン、チュニジア、モロッコが独立。ついで翌1957年にはゴールド・コーストが独立してガーナとなり、さらに翌58年のギニアが独立した。また、1960年にはカメルーン、トーゴなど アフリカで合計17ヵ国がつぎつぎと独立し、1960年は「アフリカの年」と呼ばれた。 一方、1961年、チトー・ユーゴスラビア大統領らの呼びかけで、第1回非同盟諸国首脳会議がベオグラードで開かれた(参加25ヵ国)。席上、非同盟諸国とは
次のような国々であるとされた。
2、先進国に対する経済的要求 また、1964には第1回国連貿易開発会議(UNCTAD)が設立され、先進国による援助(GNP1%)や特恵関税などを先進国に求めた。第三世界はその後も、1973年には石油を戦略として用い先進国をふるえ上がらせ(石油ショック)、翌1974年には「新国際経済秩序(NIEO)樹立宣言」を採択した。 資源ナショナリズム
貧困はとくにサハラ砂漠以南のアフリカに多く見られる。彼らにとって、「主権国家」とは貧困者の「収容所」の別名にほかならない。政治的には独立しても、経済的には独立できていない。彼らのような、いわば「宇宙船地球号の船底生活者」を救いあげる方法はないのだろうか。 世界には先進国がいっぱいある。また、中国やNIES(新興工業経済地域)のように、工業化に成功した事例もたくさんある。そうした事例を研究すれば、発展途上国から中進国へtake off(離陸)するのはそんなに難しくないような気もする。しかし、実際にはなかなかうまくいかない。一般に、発展途上国が貧困から抜け出せない原因として、次のような要因があげられる。 第一に、モノを作るための資本が圧倒的に不足している。モノを生産するには工場や機械設備のほか、道路、港湾、鉄道、電力、通信といったインフラストラクチャーが必要である。多くの国ではこうしたインフラを供給するための資金を国内では賄いきれない。外国資本を呼び込むことが必要である。 中国では改革開放政策を通じて、外資の導入に積極的に取り組み経済発展に成功した。しかし、アフリカ諸国ではいまだに内戦が絶えず、外国企業が入っていきにくい状況が見られる。 第二に、発展途上国の多くは、植民地時代から一次産品に依存するモノカルチャー経済から脱却できずにいる。一般的に一次産品の価格は安く、また不安定であることが多く、これが貧困から脱出できない原因の一つになっている。 第三に、基礎教育の不足をあげることができる。発展途上国では教育施設が十分ではなく、また、あったとしても貧しいがゆえに子どもを学校にやることができない家庭がたくさんある。そのため、高い技術を習得できず、経済発展に結びつかない。 そのほか、乳幼児死亡率(生まれてから5歳までに死亡する割合)が高いこと、不十分な医療施設、高い人口増加率など、さまざまな要因が発展途上国のtake
offを阻害している。南北問題解消のためには、政治問題、人口問題、教育問題、医療など問題が複雑にからんでおり、貧困の再生産の状況が続いている。
現在、さまざまな機関が、発展途上国に対して資本や技術の援助をしている。そのなかでも特に大きな役割を果たしているのが、各国政府の行なっているODA(政府開発援助)である。 日本のODAは開発途上国に対して直接援助(二国間援助)をしているほか、国際機関にもお金を出すことで発展途上国を支援しており(多国間援助)、その実施機関になっているのがJICA(国際協力機構)である 発展途上国を支援する国際機関としては、第二次世界大戦後IBRD(世界銀行)が設立されたのに続いて、1960年にはIDA(第二世界銀行)、1961年にはOECD(経済開発機構)の下部機関であるDAC(開発援助委員会)が設立された。また、アジア開発銀行やアフリカ開発銀行などのほか、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)も途上国支援のための機関である。 このほか、国連児童基金(UNICEF)や国連開発計画(UNDP)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連食糧計画(WFP)や国連食糧農業機関(FAO)など、国連の機関も発展途上国を支援している。日本はこうした国際機関に対してODA予算を使って応援してきた。詳細は外務省のホームページから見ることができる。 一方、二国間援助には贈与と政府貸付があります。贈与は無償資金協力や技術協力など、いずれも無償で行なわれる。逆に政府貸付は円借款とも呼ばれ、将来、途上国が返済しなければならない。しかし、政府貸し付けをしても、相手国が返済できない場合は債務免除をすることもある。 日本のODAは第二次世界大戦に対する戦後補償の意味あいから出発したが、現在では国際貢献のみならず、資源確保や国家安全保障戦略として位置づけられている。 インドネシアが受け取り国のトップであるのは、もちろん石油確保が狙いである。中国や韓国へのODAは、戦後補償の意味合いが強いといっていい。アジアへの援助が多いのは、インフラ整備等の援助を行なうことによって、日本企業が進出しやすいようにする目的もある。最近では、中東やアフリカ諸国への援助も増えている。 日本の援助額は1991年から2000年まで10年連続して世界一だったが、その後、2001年のアメリカ同時多発テロ以降、アメリカは「貧困がテロの温床になる」として積極的にODAを増額し、世界一の援助国となっている。一方、日本は長期にわたる景気低迷のためODAは減額され、現在は世界第5位に後退しています。それでも2014年のODA総額は約92億ドルで、これは国民一人あたり年間約1万円を負担していることになる。 このように日本は世界有数の援助国であるが、それにもかかわらず日本のODAに関しては次のような批判がある。 第一に,経済規模に対して援助額が少なすぎるという批判である。国の経済規模に対してどの程度の援助を求められているかを示す指標として対GNI比率があります。GNI(国民総所得)とは、かつて使われていたGNPと金額的には同じである。1964年の第1回国連貿易開発会議(UNCTAD)で発展途上国は先進国に対して「GNPの1%の経済援助をせよ」と要求したが、その後、1970年に国連はGNPの0.7%を目標とすることを決めている。現在の日本の援助額はGNIの0.19%である(2014年)。 第二に、日本のODAは 贈与比率が低いという批判である。最近その比率はだいぶ改善されて贈与の割合が大きくなってきたが、それでも贈与を中心とする欧米の援助と比較すると、まだ贈与比率が低いことは事実である。
ただ、援助と借款のどちらがいいかは議論がある。援助は返済しなくてもいい分負担はないが、一度援助に頼ってしまうとそこから抜け出せなくなる可能性もある。援助の目的が発展途上国の自立を促すことにあるとすれば、むしろ、借款のほうが望ましいという考え方もある。 第三に、日本の援助がダム、発電所、道路、鉄道、港湾、空港などの経済インフラにかたより、援助が本当に貧しい層に届いていないという批判である。 2015年、政府はODAをさらに進化させるために、従来のODA大綱に代わって、新たに開発協力大綱を定めた。これは従来の国際貢献に加えて、「国益の確保に貢献する」ことを明確に打ち出した点に特徴がある。財政赤字に苦しむ日本であるが、ODAは軍事力に代わる国際貢献の有力な手段であるという原点を忘れてはならない。
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