新しい人権

 

 現代社会の急激な変化にともない、憲法制定当時には予想されなかったような問題が発生している。その結果、環境権、プライバシーの権利、知る権利、自己決定権など、「新しい人権」を確立すること が要請されるようになった。憲法に直接明記されていないこれらの権利をどのように確立するのか。新しい人権が自由権、社会権についで、第三の人権となるのか。新しい人権の現状について考えてみる。

 

1、環境権 (憲法13条または25条)

 一般に環境権とは、 「健康で快適な環境の回復・保全を求める権利」と定義されるが、具体的には日照権、静穏権、眺望権などをさす。憲法にはもちろん、これらを保障する条文はない。憲法に明記されていないこれらの権利をどうやって保障するか。
 根拠の一つは憲法第13条(幸福追求権)であり、もう一つは憲法第25条(生存権)である。13条、25条いずれも根拠となりうる。環境権を争った事件で注目されたのは大阪空港公害訴訟である。

大阪空港公害訴訟

事実と争点  大阪空港に離着陸する飛行機の騒音に苦しむ住民が、人格権と環境権を根拠に国を相手に午後9時以降翌朝7時までの夜間飛行の差し止めと損害賠償を求めた。
最高裁の判決  1981年、最高裁は過去の損害賠償を認めたものの、環境権そのものについては認めなかった

 環境権はなお形成過程の人権である。

(注)人格権
人格権とは、人の生命、身体、健康、精神、自由、氏名、名誉、肖像、信用、貞操、プライバシーなど、各人の本質に関わる利益の総体である。これらは私法上の権利として民法710条で認められている。もし人格権が侵害された場合は、不法行為として損害賠償責任が生じる

(注)憲法13条はドラえもんのポケット(浦部法穂)
 
憲法13条は「幸福追求権」と呼ばれる。したがって、13条を根拠にすればどういう主張でも「それは幸福追求を脅かす」として正当化できる可能性がある。 具体的には、環境権、プライバシーの権利、日照権、静謐権、眺望権、平和的生存権、などが13条から導き出される。いわば13条はドラえもんのポケットみたいなものである。 裁判所は、13条を根拠に新しい人権を認めると際限なく広がるとして、その扱いについては慎重な態度を取っている。

 

 

2、プライバシーの権利(憲法13条)

 プライバシーの権利とは「そっとしておいてもらう権利」(the right to be let alone)として、アメリカの判例で発展してきたものである。プライバシーの権利は、古くから私法上の権利として人格権の一部と考えられ保護されてきた。

 しかし、近年、社会の情報化が急速に進展したことにともない、プライバシーの権利は独自の発展をとげ、 「自己に関する情報をコントロールする権利」ととらえられるようになった。そのきっかけとなったのが小説「宴のあと」事件であった。

宴の後事件

事実と争点  作家三島由紀夫が、東京都知事選で敗れたY氏と料亭の女将をモデルに描いた作品がプライバシーの権利を侵すとして争われた事件。
東京地裁判決  東京地裁は1964年に行なった判決で、日本で初めて憲法13条に基づくプライバシーの権利を認め、それが侵されたときは民法709条による損害賠償請求ができるとした。

 その後も、警察官がデモの参加者の容貌を写真撮影した事件 や、区長が弁護士に対して個人の前科および犯罪経歴を報告した事件などは、いずれも憲法13条にプライバシーの権利を実質的に認めたものであるとして、プライバシーの権利は 、憲法13条を根拠とする憲法上の権利として確立した。
 

 また、プライバシーを巡る最近の訴訟としては『石に泳ぐ魚』事件がある。

『石に泳ぐ魚』事件

事実と争点  作家 柳美里(ゆう みり)が描いたモデル小説が、モデルとされた女性のプライバシーを侵すとして訴訟になった。
最高裁判決  2002年、最高裁は同小説が人格権侵害に当たるとして、出版差し止めと被告に130万円の損害賠償の支払いを命じた。


 コンピュータが大きな役割をはたす情報化時代を迎えて、個人情報は われわれの知らない世界をどんどん一人歩きしはじめている。 たとえばインターネットで本を注文すれば、注文者の氏名年令住所をはじめ、その本の内容から購入者の思想傾向まで推定できてしまう。それらの情報を収拾し加工すれば、それこそクリック一つで、ある家庭の家族構成学歴、年収、趣味、乗っている車の種類まで、簡単に取り出すことも可能になる。

 2005年個人情報保護法が試行された。

個人情報保護法(2005年施行)

対象  国および5000人以上の個人情報を持つ民間企業
主な内容 ・利用目的の通知
・不正取得に対しては利用停止・情報の消去を求めることができる。

 しかし、「自己に関する情報をコントロールできる権利」の保障はまだまだ十分とはいえない。現在、名簿業者の間では、氏名・年齢・性別・住所・電話番号の基本5項目の情報が、一人あたり60銭〜1円20銭で取り引きされていると噂されている 。また、通信傍受法(1999年)や住民基本台帳ネットワークシステム(2002年) 、個人一人ひとりに番号をつけるマイナンバー法(2016年実施予定)も、一歩運用の仕方を誤れば、個人情報の大量漏洩につながりかねない。個人情報をいかに保護するかは、情報化社会の新たな課題である。

 

 

3、知る権利 (憲法21条)

 民主主義は、国民が自由に思想を形成し、自らの意思を自由に表明することによって初めてうまく機能する。しかし、そのためには国民が、社会の現状や問題点に関する情報を正確に知っていることが前提になる。

 これまでの伝統的な考え方では、表現の自由が保障されれば、その効果として当然に、全ての情報が国民の前に明らかになるということが期待されていた。しかし、現実はそうではない。政治・経済・社会情報のほとんどは国家によって集中的に管理され、しかもその情報が重要であればあるほど秘密にされることが多い。

 こうした状況の中で、国民が政府のもつ情報の公開を求める権利として登場したのが「知る権利」である。知る権利は、一般に表現の自由(憲法21条)の受手の自由としてとらえられている。すなわち、表現の自由は、単に表現の送り手の自由のみならず、表現の受け手の自由も含むと解されるのである。

 1999年に情報公開法が成立した(2001年春施行) 。これによって、情報公開請求権は具体的権利として確立した。

(コラム)アクセス権

 国民の知る権利が、新聞・放送といったマス・メディアに向けられた場合、これを「アクセス権」と呼ぶ。巨大なマス・メディアが発達した今日、われわれが受け取る情報はマス・メディアが取捨選択した情報に限られる。こうしたマス・メディアの報道に対する「国民の側の抗議概念」(浦部法穂『入門憲法ゼミナール』)として登場してきたのがアクセス権である。
 具体的には、新聞紙上等で自己の意見の発表の場(=反論の場)を提供することを求める権利という意味で使われることが多い。しかし、これは問題が多く判例でもまだ認められていない。

 

 

4.自己決定権(憲法13条)

 末期がんの患者は、自分の死を自分で決めることが認められるべきである。このような考え方を死の自己決定権という。医者は1日でも長く患者を生かそうとする。しかし、意識が混濁し、激しい痛みにたえながら生かされることが、はたして人間らしい尊厳のある生き方と言えるのか。そうしたことから、尊厳死を認めようという動きが広まっている。

 アメリカで次のような事例があった。
「Mさん(女性、29歳)は結婚式を挙げて間もなく、脳に悪性腫瘍が見つかった。治療法もなく、激しい痛みに悩まされ、余命半年を告げられた。そこで、これ以上苦しむ前に自ら死ぬことを決め、尊厳死を認めるオレゴン州に夫と引っ越した。彼女はその後、2階の寝室で、好きな音楽を流しながら、夫や母たちに見守られながら、薬物を飲んでな尊厳死を遂げた」(2014年11月)。アメリカでは5つの州で尊厳死が認められている。

 日本国内では、回復の見込みがなくなった人の死期を、医師が薬などで早めることを「安楽死」とし、患者の意思を尊重して延命治療をやめる「尊厳死」と区別している。日本では安楽死または尊厳死を認める法律はない。薬物を投与したり人工呼吸器を外したりして死期を早めた医師は殺人罪に問われる。

 

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