教員の労働条件の改善を訴える (2017年5月15日)
教員はいくら残業をしても残業手当は出ない。その代わり基本給の4%が給料に上乗せされる。いくら仕事量が増えてもコストはかからないこともあって、教員の時間外労働が半端ないほど増加している。
1.教育現場の実態
先日の報道によると、中学校教員で月80時間以上の残業をしている人の割合が60%を超えているという。中学校教員だけではない。高校の状況も似たようなものだ。80時間というのは過労死ラインの目安といわれる。
なぜ学校の先生はこれほど忙しいのか。教員のおもな仕事を列挙してみよう。
@ 授業とその準備
A 宿題、小テストなどの点検、
B 補習や講習
C 担任業務
D 校務分掌(教務、生活指導、進路指導、企画渉外・総務、生徒会活動、保健、図書室の管理など)
E クラブ活動の付き添い
F 学校行事の打ち合わせ(修学旅行、運動会、文化祭、芸術鑑賞、講演会、遠足、水泳訓練、全校登山、海外からの生徒との交流会、生徒の海外派遣研修、大学見学会、勉強合宿など)
G 学校独自の課題研究指導とその発表
H 生活指導(見回り及び立ち番など)
I 定期考査や模擬試験の作成と採点
J 生徒のカウンセリング
K 保護者との連絡
L 各種研修会、研究会への参加
ざっと思いつくだけでもこれだけある。学校によってはこのほかにもいろいろあるだろう。まあ、数え上げたらきりがない。
また、コンピュータの導入は学校現場を余計忙しくしてしまった感がある。 特に、コンピュータに堪能な人のところに仕事が集中している現実は早急に改善される必要がある。
一方、業務用として日常的に使う大阪府のコンピュータソフト(SSC)も、もっと使いやすいものに入れ替える必要がある。
使いにくいことこのうえない。このことについては以前ホームページで書いたことがある。
SSCに物申す
2.多忙な背景
教員の過重労働の原因は大きく3つある。
第一に、勤務時間の増大がコストの増大と結びつかない点である。つまり、いくら働いてもタダ働きですみ、各自治体は残業代を1円も支払う必要がないという点である。民間企業の場合、残業をさせれば残業代を支払う義務が生じる。だから、なるべく残業を抑えようとする誘因が働く。しかし、教員についてはそうした誘因はまったく働かない。
たしかに残業に代わる措置として、全教員に基本給の4%の手当が上乗せされている。たとえ残業してもしなくても一律4%である。しかし、この金額は1966年の平均残業時間8時間をもとに算定されたものであり、51年も前の話なのだ。
現在は時代が変わった。月80時間以上の残業をする人が半数を超えている。単純に言えば、教員の手当は40%増になってもおかしくはない。経済原則を無視したこうした賃金体系が教員の過重労働を招く最大の要因になっている。
第二に、都市化と核家族化にともない、地域及び家庭の教育力が低下してきたことが挙げられる。その結果、本来家庭で行なわれるべき「しつけ」や「生活習慣の指導」なども、すべて学校が引き受けさせられるようになった。いま、多くの学校では生活指導のために膨大な時間が費やされている。次々に引き起こされる「事件」。先生はその対応に忙殺されている。
第三に、教育界における「競争原理の導入」である。バブル崩壊以降の日本経済を立ち直らせるために、さまざまな分野で競争原理の導入が行なわれた。もちろん教育界も例外ではなかった。その結果、従来の学校行事に加えて、海外からの生徒との交流会、生徒の海外派遣研修、大学見学会、勉強合宿、補習や講習など、教員の負担が大幅に増えている。
しかも、校長は自分の実績を上げるため、今まであるものをそのまな残したうえで新しい行事を立ち上げるから、下で働く教員はたまったものではない。校長も上から査定されるから、行事を精選する勇気を持たないのである。
現在、クラブ付き添いの負担が問題視されている。せっかくの土日の連休も、クラブの付き添いでつぶれる教員は多い。それでいて、1日の日当(教員特殊勤務手当)はたったの3700円である。バカにしているのかといいたくもなるが、教員はおとなしい人が多いから、文句ひとつ言わず生徒のために頑張っている。
3.教育にもっと予算を
上のグラフを見てもわかるように、日本の教育にかける予算は少なすぎる。対GDP比で見た場合、OECD加盟国中の最下位である。日本には資源がない。「ヒト」だけが唯一の資源である。そこに金をつぎ込まないようでは日本の未来はない。
学校は多くを抱えすぎた。外部に出せる業務はどんどん外に出し、学校にしかできない仕事に特化すべきである。ピアノを習おうと思ったら月謝を払って個人レッスンを受けるのに、なぜ学校はクラブ活動を引き受けねばならないのか。旅行は家族で行けばいい。なぜ、学校が修学旅行をしなければならないのか。見直すべき業務はたくさんある。
スクールとは本来「スコレー」(ギリシャ語で暇の意味)であった。教員はもっと暇でなければならない。そして十分に授業準備ができる時間や、生徒と向き合える時間が保障されなければならない。先生が忙しすぎると、被害を受けるのは生徒である。
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