加計学園問題 (2017年5月28日)


 
 愛媛県今治市に獣医学部を作る計画が問題となっている。というのも、事業主体である岡山理科大学を運営する学校法人「加計(かけ)学園」の理事長加計孝太郎氏と安倍晋三首相が長年友人関係にあったことから、この計画をめぐって、官邸から圧力があり「特別な便宜がはかられたのではないか」という疑いが浮上しているのである。はたして早期開学を促す政府から省庁への圧力があったのか。52年ぶりとなる獣医学部の新設をめぐる問題を考える。


1.獣医医師という仕事

 現在、獣医師を養成する機関は全国に16大学あり定員は930名しかない。医師の定員約9000人、歯科医の定員約2500人などと比べて非常に少ない。ちなみに歯科医院はコンビニの数より多い。 獣医師になりたい人はいっぱいいる。しかし、大学の定員は少ない。そのため入試は医学部並みに難しい。


 ( 産経新聞 2017年5月25日)


 一方、大学卒業後の主な就職先は犬猫病院が39%、公務員(鳥インフルエンザなどの伝染病予防にかかわる)が24%、その他、などとなっている。現在、全国で計約3万9千人の獣医師が活躍している。

ただし、入試が難しい割には、医師と比べて給料は低い。そのあたりの事は以前書いた。

    獣医師という仕事




2.「総理のご意向」文書

 岡山理科大学が今治市に獣医学部を作る計画を初めて打ち出したのは2007年、鳩山由紀夫内閣のときである。2007年から2014年にかけて、今治市と加計学園は15回にわたって獣医学部の新設を提案している。

しかし、結果は文科省がすべて却下している。理由は、「数の上で獣医師は足りている」というものであった。獣医師はすでに供給過剰気味であり、日本獣医師会が反対したことも大きい。

 計画が急展開し始めたのは2016年以降である。安倍内閣は2016年1月に今治市を国家戦略特区に指定し、さらに2017年1月に特区での獣医学部の新設を認めたのである。

なぜ異例のスピードで新設が認められたのか。その調査の過程で、2016年9月から10月にかけて文科省で「総理のご意向」という文書が作成されていたことが明らかになり、内閣府官邸から圧力があったのではないかという疑いがもたれるようになった。

この文書について、政権側は「指示したこと」はないと否定し、文科省も「該当する文書の存在は確認できなかった」と発表している。官房長官に至っては「怪文書ではないか」という始末である。

しかし、内閣府が文科省に対して「官邸の最高レベルが言っている」という文書に、日時及び対応した人物名まで記載されていることや、前文科省事務次官の前川喜平氏が、「この文書は確実に存在した」と証言し、要請があれば国会の証人喚問にも応じるとまで述べていることなどから、常識的には「ご意向文書は存在した」と考えるほうが自然だろう。



3.問題は認可した根拠

 戦後、日本の政治は官僚が大きな役割を果たしてきた。これを「官主導」から「政治主導」に変えようと創設されたのが「内閣府」である(2001年)。内閣府はその後、権限が強化され、スタッフも14000人近くまで増えている。

とくに内閣府の中に内閣人事局を設置し、首相の意向を反映した人事をおこなうようになってからは、官僚は自由な発言ができなくなったといわれる。そうした風潮の中で、獣医学部の新設について「官邸の最高レベルが言っている」とトップダウンを示唆する文書が出てきたのである。

官僚としては上からの指示に従うしかない。逆らえば左遷させられる。誰だって自分がかわいい。キャリア官僚といえども、選挙で選ばれた政権の使用人でしかない。

 もちろん、「行政の長」が「行政機関」に対してその指導力を発揮することは批判されるべきことではない。問題は、獣医学部の設置を認可した根拠である。

もし、四国に獣医学部が一つもなく、万が一鳥インフルエンザなどの問題が発生した場合に対応できないから、設置を認めたというならば、それなりの合理性はある。また地盤沈下が著しい四国経済を活性化させるためだというなら、それも一理ある。

ただしその場合も獣医学部のない県や、地盤沈下が著しい地方都市はほかにもたくさんあるから、説得力としては弱い。
もし、首相の長年の友人だから設置を認可したとするならば、言語道断である。権力の私物化であり、許されるべきことではない。

一方、今回、今治市が16.88ヘクタールの土地(約37億円相当)を建設用地として無償譲渡したほか、96億円の建設費を補助することも伝えられているが、このことに問題はなかったのか。国有地の払い下げについて民間事業者に利便を図るという意味では、今回の件は「第二の森友疑惑」ともいえる。

 法の支配という言葉がある。政治権力は定められたルールに基づいて行使されるべきであり、間違っても、首相と「思想が似通っているから」とか、首相と「仲が良いから」といった理由で特別扱いされることがあってはならない。李下に冠を正さず。政府は、国民の疑問に誠実に答える必要がある。

 国会の議論を見ていて時々苛立ちを覚える。質問に対して答えをはぐらかし、まともに答えない場面が多すぎる。「言語明瞭、意味不明」の論戦のために私たちは税金を払っているのではない。リンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」といったが、いまの日本の政治は、いったい誰のための政治を行なっているのだろうか、と疑問に思うことがある。


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