指導教諭という仕事
私が高校教師になったのは31歳の時だった。大学の助手、民間のシンクタンク研究員をへて、3つ目の職業でようやく自分の生きる道を探り当てた。最初は期限付き講師で、教えた科目は「社会」ではなく 、なんと「英語」だった。 希望に胸を膨らませて、生まれて初めて立った教壇。しかし、高校現場は予想だにしない荒れた世界だった。私語を交わす生徒、立ち歩く生徒、先生に暴言を吐く生徒、時には暴力行為に及ぶ生徒
も・・・。 「先生、俺ら英語知らんでも生きていける」 授業がうまくいかなくて悩んでいた私は、ある日その先生に相談に行った。「南さん、よかったら僕の授業を見に来ませんか」。地獄に仏だった。 以来、33年が過ぎた。もうすぐ団塊の世代の教員が大量に退職し、新人の先生が大量に入ってくる。 64歳になった今、今度はわれわれがそのノウハウを伝える番である。 もちろん、私自身たいした授業ができているわけではない。しかし、たとえ恥をさらすことになろうとも、少しでも盗み取ってもらえるものがあるなら本望である。若い教師もベテランの教師も、生徒にとっては1回限りの授業である。 手術を する時、オペの経験が少ない若い医者だからといって、手術の失敗が許されるわけではない。教育も同じである。「プロの教師である」ということは決して生やさしいことではない。
活動状況 主な活動内容は以下のとおりである。・「初任者研修」での示範授業や指導・助言 ・10年経験者研修」での示範授業や指導・助言 ・フォローアップ研修受講者の授業実践に対する指導・助言 ・教育センターでの初任者の教育相談 ・校内における公開授業への指導・助言 ・中学校に出前出張授業・巡回教育相談 ・大学などと連携し支援活動
授業見学 校内の公開授業週間 では、教科を超えてさまざまな先生方の授業を見せていただく。そのため、空き時間がほとんどなくなり、地獄のような過密スケジュールとなる。 私は授業見学をするときは、いつも教室の前(=黒板の横)に陣取り、生徒の表情を中心に観察する。先生の言葉がどれだけ生徒の心に届いているか。教室の前から一人一人の生徒の表情を見ていればそれが手に取るように分かる。 真剣に身を乗り出して聞いている人、目が死んでいる人、中にはコックリコックリ居眠りをする人も(笑)・・・。理想を言えば、40人の生徒が目をランランと輝かせて聞いてくれる授業を展開することだが、毎回毎回そのような授業をするのはなかなか難しい。 40人の生徒の目が一斉にこちらを向き、一心不乱に耳を傾けてくれるとき、 あるいは、生徒が知らないことを初めて知って、教室のあちこちから「すげぇー」という感嘆の言葉があがる とき、教師はこの上ない快感と充実感を味わう。 たとえ専門外の教科であっても、生徒の表情を見ていればその授業がいい授業かどうかはすぐ分かる。いい授業を求めて、今日も模索が続く。「授業に頂上なし」。
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