寓話 南 英世 作 (2004年8月2日記)
第1話 東アジアの片隅にフーヤン国という人口1億人の国がありました。フーヤン国の人々は、みんな働き者でした。それで、世界がびっくりするような豊かな国を築きあげていました。 そのフーヤン国に、戸数が100戸しかない小さい島がありました。島には産業らしい産業はありません。若い人はみんな都会に出ていってしまい、住んでいるのはお年寄りばかりです。病院へ行くには、1日1往復しかない定期船で、島の向かいにある町まで行かなければなりません。
お正月のある日、一人のおじいさんが餅をのどに詰まらせてしまいました。島には医者がいません。以前は小さな診療所があったのですが、数年前に閉鎖され、そのままになっています。それで、急いで船を出して病院に運んだのですが、かわいそうに、おじいさんは亡くなってしまいました。
ところが島にはお金がありません。橋を作るには100億円かかるのだそうです。国会議員さんにお願いをしてみました。新聞記事を見た議員さんは、さっそく国に掛け合ってくれました。国の回答は、「もし、建設費の1割を地元が負担してくれたら作ってあげましょう」というものでした。 しかし、それでも1戸あたり100万円です。年金で暮らすお年寄りに、そんなお金はありません。結局、交渉の結果、一戸あたり10万円、島全体で1000万円を出すことで橋を架けてもらうことになりました。国が費用の99.9パーセントを出してくれることになったのです。橋が架かると、人々は安心して暮らすことができるようになりました。橋が12月に完成したことから、島の人々はこの橋を「サンタクロース橋」と名付けました。
第2話 橋が架かって便利になると、今度はリゾートホテルを建てる話が持ち上がりました。村には産業が何もありません。しかし、島にはすばらしい自然が残されています。掘れば温泉も出そうです 。ちょうどタイミングがよいことに、その年にはリゾート法という法律ができて、国は全国各地にリゾート基地を建設する計画を進めていました。 またまた国会議員さんにお願いにあがりました。県会議員さんも積極的に動いてくれました。議員さんたちは、国や県に一生懸命掛け合ってくれました。そして、県と地元の業者を説得し、2000億円の費用を半分ずつ出し合うという条件で、立派なホテルを建ててくれました。いわゆる第三セクター方式とよばれるやり方です。県が費用の半分を負担するので、銀行も「これなら倒産の心配はないだろう」と、喜んでお金を融資してくれました。 本格的なリゾートホテルが完成すると、島にはたくさんの観光客が訪れるようになりました。小さな島はにぎわいはじめました。ホテルやおみやげ屋ができて、働き口が多くなり、若者も島に帰ってきました。島にやって来る人たちのために、やがて、ゴルフ場やヨットハーバーもできました。島は、一躍、大リゾート基地として発展しはじめました。
第3話 観光客が増え始めると、今度は飛行場を作ろうという話になりました。都会からこの島まで、電車だと7時間もかかります。これではとても不便です。飛行場を作るには500億円かかります。またまた議員さんにお願いにあがりました。ところが、今度はどういうわけか話がうまく進みません。不景気で国に税金が入ってこなくなったからだというのです。国のサイフはもう空っぽでした。 でも、長い間、国にお願いをすることに馴れてしまった島の人たちは、飛行場をあきらめきれません。飛行場を作ってほしいと要求をしているのは、この島の人たちだけではありません。全国から来ています。「もしこの島に飛行場を作らなかったとしても、きっと、どこかよその地域に作るはずだ。」「そうだ、そうだ。よそに持って行かれる前に、自分たちのところへ予算を分捕ってこないと損だ」。島の人たちは口々にそう訴えました。 しかし、国はなかなか「ウン」とはいいません。「予算がない」の一点張りです。議員さんも必死に役所の担当者に訴えます。ここで頑張っておかないと、次の選挙で落選するかも知れません。何回も足を運んで、国の担当者に強引にねじ込みました。「せっかく過疎の島がここまで発展してきたのに、島を見殺しにする気か」。「首都圏から客を呼ぶには、どうしても飛行場がいるんだよ。たったの500億円くらい何とかならないのか」。「不景気のときに公共事業をやれば、景気回復に役に立つじゃないか」。最後は半ば脅しです。
それまでガマンしながらじっと聞いていた国のお役人は、ついに大声で怒鳴り返しました。
やがて、飛行場は完成しました。
第4話
こうした公共事業が、実は、この島だけではなく全国でおこなわれたため、政府の借金はしだいに膨らんでいきました。やがて借金は100兆円に達しました。借金が膨らむと、テレビや新聞のニュースでも取りあげられるようになりました。
借金は毎年、確実にふくらみ続けていきました。去年は10兆円、今年は15兆円・・・・借金はついに300兆円に膨らみました。
30年、40年の月日がこうして流れていきました。 政府の借金はこの間に雪だるま式に膨らみ、いつのまにか借金総額は700兆円という途方もない金額になっていました。フーヤン国全体の1年間の生産額が500兆円ですから、それ以上です。このまま借金が増えれば、とんでもないことになるかもしれません。 しかし、フーヤン国の人々は、なおも事態の深刻さに気がつきません。というよりも、人々は、そのことについてはなるべく考えないようにしていました。人間は本当に怖くなったら目をつむります。見たくないものを拒絶するすべを心得ています。 漠然とした不安を感じることはあっても、結果があまりにも怖いので、意識的に考えないようにするのです。毎日、テレビで野球を観戦し、カラオケボックスに通い、楽しく笑い飛ばして、その日1日を楽しく過ごすことばかりを考えていました。 政府も、国民の目をこうした問題からそらそうと、様々な方法を考えました。ジーンズ首相(休日にはいつもジーンズをはいていたのでこう呼ばれていた)が、戦争の準備を始めたのも、そのうちの一つでした。フーヤン国は、第二次世界大戦後、戦争を放棄した平和国家として知られていました。 しかし、財政悪化によって国民の不安が高まり、その矛先が政府批判に向けられてはたまりません。もし、国民の目を外に向けることができれば、こうした批判をかわすことができます。そこで首相は憲法を改正し、軍隊を海外に派遣することができるようにしようと思い立ったのです。 国内政治の失敗を隠すために、国民の目を海外に向けるという手法は、もっとも古典的な手法の一つです。しかし、フーヤン国の人々は、政府のそうしたもくろみに、全く無関心です。 相変わらず人々は、ひいきの野球チームが勝ったとか、サッカーチームが負けたとか、芸能人の誰それが結婚したとか離婚したとか、電車の中でも職場でも、そんな話題ばかりに夢中になっていました。 財政赤字という下り坂の向こうに何があるのか。フーヤン国の人々はいつかそのことが明らかになるとしても、それはもっともっと先のことだろうとか、 そのころには自分はもう死んでいないだろうとか、そのうち政府が何とか解決してくれるだろうとか、根拠もなくそう思い、誰も真剣に受け止めようとしませんでした。実際、30年も40年も、そうやって何とかやってきたのです。 人々の生活は相変わらず平穏であり、今日・明日に国が破産するような様子も見受けられません。 一部の人が訴えているような「財政危機」といった難しい話も、「狼が来た」という寓話と同じで、何回も聞かされているうちに誰も信じなくなってしまいました。そうしているうちに、事態はしだいに深刻になっていき、予算の半分を借金に頼る有様になってしまいました。
第5話 このころ、国の借金はすでに900兆円を超え、1000兆円に迫ろうとしていました。はたしてフーヤン国は、いくらまでの借金に耐えることができるのか。ここまで借金がかさむと、1年間に払わなければならない利息だけでも、たいへんな金額です。その上、元本も返済しなければなりません。 「政府に貸したお金は、本当に返ってくるのだろうか?」「借金がこんなに増えたのでは、返してくれないのではないか」。政府にお金を貸している人が心配をし始めました。一度、こういう心配をし始めると、もう止まりません。「これからは、政府にお金を貸すことはやめよう」。そう考える人がしだいに増えてきました。 お金を貸してくれる人が少なくなってくると、政府には困ったことが起きます。高い利息を払わないと、誰もお金を貸してくれなくなるのです。実際、利息はじわじわと上昇しはじめました。利息が高くなるのは、「危険な兆候」です。利息は日に日に高くなり、もはや一刻の猶予もならなくなってきました。 このまま放置すれば、最悪の場合、高い利息を提示しても、予定の金額を借りることができなくなる恐れがあります。そうなれば財政破綻はすぐ目の前です。その前に何とかしなければなりません。「早急に手を打たないことには、本当に国の財政が破綻してしまう」そう感じたジーンズ首相は、経済の専門家を集めて早急に対策を考えるように指示しました。 専門家の意見は明快でした。国の財政赤字を止めるには、2つの方法しかありません。ひとつは、支出を減らすことです。もうひとつは、収入を増やすことです。
ところが、お年寄りが多いフーヤン国では、社会保障費を減らそうとすると国民が反対します。だから、社会保障費を削ることは容易ではありません。
首相は苦悩した末に、ついにある日、決断をしました。 政府はこれまで5パーセントだった消費税を、一気に28パーセントに値上げする案を国会に出しました。28パーセントに引き上げれば、今後、新たな借金をしなくてすむという専門家の報告があったからです。 予想通り、国会議員は税金の値上げに全員が反対でした。増税に賛成すれば次の選挙で落選することは目に見えています。だから、与党も野党も関係なく、全員、増税に反対したのです。国民ももちろん反対です。消費税は貧乏な人にもお金持ちにも一律に同じ税金がかかるため、結果的に貧乏な人の負担感が重くなるからです。連日、国会の周辺には何万人もの市民が集まり、消費税値上げ反対のデモが繰り返されました。 「不景気のときは借金をしてでも公共事業で景気をよくしろ」。これが今までの経済学の常識とされてきました。たとえ不景気のときに借金をしても、景気が回復したときに返済すれば、借金はチャラになり、何の問題も起こりません。 しかし、「借金を返済するために増税しようとすると、国民は必ず反対する」という肝心なことを忘れていました。たとえ、理屈では正しくても、実際には理屈通りにはいかないことがあるのです。財政赤字はその典型的な例でした。
結局、増税反対の大合唱の中で、四面楚歌となったジーンズ内閣は総退陣させられてしまいました。増税をすると国民が反発して政権がつぶされるのは、いつの時代も同じでした。アメリカがイギリスの植民地から独立しようと立ち上がったのも、フランスに革命が起きてブルボン王朝が倒されたのも、もとをただせば税金の取り方の失敗によるものでした。
第6話 フーヤン国の財政はもはや危機的状況でした。借金残高はついに1000兆円を超えてしまいました。いまや、国債を発行しても、政府にお金を貸してくれる人はほとんどいなくなりました。そのため財政収入が足りなくなり、公務員の給料すら払えなくなってしまいました。このままでは、公務員が暴動を起こすかも知れません。 新しく就任したイケーメン首相(風貌に上品さが漂うことからこう呼ばれていた)は、新たな決断を迫られました。そして、ある日、思い詰めた表情で閣僚に言いました。「背に腹は代えられない。この際、フーヤン銀行からお金を借りることにしよう」。 フーヤン銀行は、お金を印刷する機械を持っていて、お札の発行が認められている唯一の銀行です。だから、フーヤン銀行にお札をたくさん印刷してもらって、そこからお金を借りればいい。そうすれば、今日・明日はしのぐことができる。 もちろんそれは「いけないこと」だと、首相は知っていました。でも、仕方がなかったのです。フーヤン国の人々は、政府に「たかる」ことばかりを考えていて、政府の財布のことを誰も心配してくれませんでした。しかも、予算の削減や増税にはブーイングの嵐です。政府は悪いことと知りながら、結局、悪に手を染めざるをえなかったのです。こうして政府は、ついに「禁断の実」を食べてしまったのでした。 翌日から、フーヤン銀行の輪転機が、フル稼働でお札を印刷しはじめました。世の中に出回るお札の量が次第に増え始め、数ヶ月後、じわじわとモノの値段が上がりはじめました。インフレが始まったのです。スーパーのチラシに載る食料品の値段が徐々に値上がりするようになりした。お米の値段が上がり、大根の値段が上がり、肉の値段も上がりをはじめました。毎日のように値段が少しずつ上がっていきます。 すると主婦達が敏感に反応しました。少しでも安いうちに買いだめをしておこうと、スーパーに殺到するようになったのです。こうして、一旦、インフレの嵐に火がつくと、瞬く間に広がっていきました。人々がかつて経験したことのないような、激しいインフレが、その後もフーヤン国を襲い続けました。そして、1年ほどの間に、今まで1本100円だった大根が1万円に、一杯300円だった喫茶店のコーヒーが3万円に、1台200万円だった車が2億円もするようになってしまいました。
もちろんその間に給料も上がりました。しかし、物価上昇のスピードにはとても追いつきません。生活は非常に苦しくなっていきました。
「これでは生活ができない!」。
第7話 「なんだ、第二次世界大戦直後の時と同じじゃないか。あの時は、戦後の4年間で物価が240倍になった。そして、政府は戦争をするためにした借金を、暴力的に帳消しにしてしまった。政府のやることはいつも一緒だ。政府なんか信用するモンじゃない」一人の老人がつぶやきました。 この老人は、学生時代に経済学を勉強したことがありました。そして、最近の国の借金の仕方が異常であることに不安を抱いて、近い将来インフレが襲ってくるかもしれないと予想していたのです。それで、世間が「デフレだ、デフレだ」と叫んでいたころに、密かに自分の財産の一部を、「ドル預金」や「株式投資」や「金」に変えて、インフレに備えていたのです。大正解でした。 インフレが始まると、財産を銀行預金や郵便貯金などでもっていると価値が一気に低下してしまいます。一方、株や金はインフレのときに大きく値上がりすることが、過去の経験からわかっています。だから、財産を貯金ではなく、こうした値上がりしそうなものに換えておくとよいのです。
もちろん、ドルやユーロといった外貨にあらかじめ換えておくのも賢いやり方です。インフレの嵐が収まったところで、再びフーヤン国のお金に戻せば、少なくとも損をすることはありません。 土地を買っておくのもひとつの方法ですが、かつて土地を買って、痛い目にあった人がたくさんいますから、土地が値上がりするかどうかは分かりません。昔から「卵は一つの篭に盛らないこと」という格言があります。もし、篭がひっくり返ったら、卵が全部割れてしまうからです。 また、「財産は3分割しておけ」ともいいます。現金、土地、株式などに分けておくと、どれかで損をしても被害を最小限で食い止めることができます。お金持ちの人は、インフレが始まるずっと前に、財産の一部をドルやユーロ預金など換えて、インフレ対策を終えていたと言われています。
第8話 一旦インフレが起きると、インフレは人々に不公平に襲いかかります。得をする人と損をする人が出るからです。得をする人は、借金を抱えている人です。フーヤン国でいちばん借金を抱えていたのは、政府でした。だから、今回のインフレで、いちばん得をしたのは政府自身でした。なにしろ、1000兆円の借金が、実質的に100分の1になったのです。 反対に損をした人もいます。それは、政府にお金を貸していた人たちでした。政府にお金を貸していたのは、お金にゆとりのある、「お金持ち」だと考えられがちですが、そうではありません。政府にいちばんたくさんお金を貸していたのは、郵便局や銀行です。だから、郵便局や銀行がいちばん損をしました。
とはいっても、郵便局や銀行自体が損をするわけではありません。
実際に損をしたのはこれらの機関にお金を預けていた人たちです。すなわち、フーヤン国の国民自身がいちばん損をしたのです。 ただ一つ違うのは、金持ちはすでにインフレの対策を終えており、ほとんど損害を受けることがなかったのに対して、一般の人は、何も知らないままインフレによって大損害を受けたという点です。経済のことなんか知らなくても生きていけると思っていた人たちが、実は「食い物」にされたのです。
「そんなあ・・・」 考えてみれば、私たちは小さい時に、クリスマスになるとサンタクロースがやってきて、枕元の長靴にプレゼントを入れてくれるのを楽しみにしています。そして、大きくなるとサンタクロースとは、実はお父さんやお母さんであることを知ります。プレゼントを買うお金が、家計の中の同じ財布から出ていることを知るのです。
フーヤン国の人たちは、大きくなってもまだサンタクロースの存在を忘れることができなかったようです。 それは国という名前のサンタクロースでした。 しかし、考えてみれば、国というサンタの袋の中は、もともとは空っぽです。それを税金で一杯にして、みんなで分け合うのです。 ところが、そこで税金の奪い合いが起きてしまいました。国から予算をたくさん地元に持ってくる政治家がいい政治家とされ、住民もそういう政治家を選挙で当選させました。お役人の世界も同じでした。フーヤン国全体のことを考えるよりも、自分の省に少しでも多くの予算を獲得してくる役人がエライとされたのです。だから、お役人も自分の縄張りを守ることばかり考えていました。 その結果、フーヤン国全体のことを考える人が誰もいなくなり、最後は、財政が破綻してしまったのです。全くバカげたことでした。もっと、全体のことを考えるべきでした。でも、民主主義という制度の下ではどうしようもなかったのです。フーヤン国の国民自身が、選挙を通じて、そういう政治を選択してきたのですから。 幸いにして、フーヤン国には表立った民族対立がありませんでした。世界には、予算の配分を巡って民族対立が内戦に発展している国がたくさんあります。それに比べれば、まだ恵まれていたと言えるかも知れません。 フーヤン国のリゾートブームはその後急速に下火になりました。サンタクロース島を訪れる人はめっきり減少し、サンタクロース空港には飛んでくる飛行機もなく 、空港にはペンペン草が生え、年に一度のたこ揚げ大会に使われるだけとなってしまったということです。
むかし、アメリカの偉い大統領が 「政府が国民に何をしてくれるかではなく、国民が政府に何ができるかをたずねよ」(”Ask not , what your country can do for you, Ask what you can do for your country”)と演説していました。
民主主義は、国民の一人ひとりが賢いことを前提に初めてうまく機能します。「政府はサンタクロースじゃなかったんだ」。 「でも、国内政治の不満を、戦争という形で外に向ける前に財政が破綻してくれて、まだよかったのかも知れない。」フーヤン国の人々は、災難が自分たちの国の中だけで終わったことに、ちょっと胸をなで下ろしながら、「さあ、明日からはまた再出発だ」と心に誓うのでした。 ( 終わり )
フーヤン国の人々から学ぶ「10のメッセージ」
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