調整的正義とは?

 

 私たちは日常生活の中で、「そんなの不公平だ」「おかしい」と感じることがある。「不公平だ」とか「おかしい」という感覚は、別の表現で言えば正義が行 なわれていないということでもある。ではいったい正義とは何なのか。

 アリストテレスは「正義」には「配分的正義」と「調整的正義」の二つがあると主張した。正義にはこの二種類があると自覚するだけでもアリストテレスを学ぶ価値がある。

 

 「配分的正義」とは、文字どおり、財産や名誉をどう配分するのが正義にかなっているかを問題にする。アリストテレスは各人の有する能力や業績に応じた比例的分配が正義であるとする。

 たとえば能力や努力に応じて異なる報酬を認めるべきであると考えるのは配分的正義にかなっている。

 これに対して「調整的正義」とは、その名の通り、社会に生じた不正や歪みを調整することである。犯罪により不当な利益をあげた場合、その利益はそもそも不正なのだから調整されなければならない。

 裁判官 が一方から過多としての利得を奪い、刑罰を加え、損害賠償を命じるのは調整的正義の典型例である。それゆえ、調整的正義は「矯正的正義」ともいわれる。

 現代の社会では所得の不平等は、基本的に才能の差、生まれた環境の差、運・不運など、本人の責任ではない部分が大きい。それが政府による累進課税を正当化する根拠となっている。そう考えるなら、累進課税は調整的正義ととらえることができる。
 

慶応大学法学部 萩原能久教授は次のように説明してる。
 「矯正的正義とは、
法の前で平等とされる市民の間に現実に存在する不均等を矯正する調整の正義であり、不均等なものでも均等に扱う正義である」。

(以下引用)
 「この二種類の正義のうちで配分的正義が正義論の原形式となったことはいうまでもありません。法の前での平等は、配分的正義が公的な形ですでに存在している、つまり配分的正義の結果不平等が生じてしまうからこそ必要になるからです。だからこそ「矯正」なのです。(中略)  

たとえば選挙権を思い起こしてみてください。かつてはわが国でも1925年の男子普通選挙制度ができる以前の選挙権には一定額以上の税金を納めていることが要件となる制限選挙制度がとられていました。

政治参加の資格を納税や財産、教育に応じて異なる配分をするのが正義である、という主張は確かに配分的正義にはかなっているかもしれませんが、今日では通用しないでしょう。それには矯正的正義を適用するのが正しいとの通念があります。」

 

 

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