社会契約説の意義

 

 国家がどのようにできたか。歴史的事実としては、おそらく血縁、民族、宗教、文化などによって裏付けられた共同体が、やがて国家に発展したものと考えられる。

 ところが社会契約説はそうは考えない。国家というものを自分達の身の安全を守るために人工的に作ったというフィクションをでっち上げるのである。つまり、国家のない自然状態では自分の命や財産は守られない。だから、人々は自分の安全や財産を守ってもらうために、国家の設立に暗黙の合意(=社会契約)をしたと考えるの である。

 これまで、授業で社会契約説の意義を教えるとき、つぎの3つを強調してきた。

@国家観の転換
 国家は人々の暗黙の社会契約により国民を守るために作られた。つまり、国家は「つくりもの」である。 したがって、国家の目的は、メンバーの共通の利益を配慮することである。

A国民主権の確立
 国家のルールすなわち法律は自分たちが作り(国民主権)、そのルールに自分たちが従う。つまり、自分たちが支配者であり被支配者であるという構造を樹立した。

B法の支配
 国家権力を国民のコントロール下においた。

 授業ではこの程度にとどめるが、実は別の意義を指摘することもできる。歴史的事実としての国家は血縁・民族・宗教・文化などを背景に形成された 。しかし、社会契約説では、国家というものを血縁・民族・宗教などからきっぱり切り離し、民族や宗教の上に国家をおいたのだ。

 国家を宗教の上位においたことにより、どんな宗教を信じるかは個々人の自由となった。この意義はどんなに強調してもしすぎることはない。

 最近、日本ではまた国家を民族・宗教と結びつけ、民族共同体、宗教共同体に引き戻そうとする動きがある。伝統への回帰というと聞こえは良いが、これからはいやおうなく国際化が進み、多民族・多宗教共存時代 を受け入れざるを得ない。そうしたことを考えるとき、伝統への復帰が好ましいかどうかは慎重に考える必要がある。

 

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