串団子を恐れるな!

 

 1.ある研修会の席上で

 教員になりたての頃、教育委員会主催の研修の場で、倫理専門のある指導主事の方が次のように言われた。「倫理の授業では、年間に10人くらいの思想家を教えれば十分だ。」 また、世界史専門のある指導主事は、

「串団子を恐れるな!」

 と助言された。
要するに、あれもこれも全部教える必要はない。徹底した教材の精選が必要だということを強調したかったのだろう。当時、教科書は一通り全部教えなければならないと思っていた私には、衝撃的な言葉だった。

 

2.二通りの方法

 教育の仕方には二通りある。

一つは、注入主義とよばれ、あれもこれも全部徹底的に教え込まないと生徒は理解できないとする考え方である。

 

もう一つは、人間は本来、心の中に「善さ」を持っているのだから、これを引き出すのが教育の仕事だという考え方である。(ここではルソー・モデルとよぶことにする)


 こうした違いは、人間をどうとらえるかの違いによる。
注入主義は、人間は基本的に悪い心を持ち、それに負けてしまう傾向があるから、人間の悪い面を正すのが教育だと考える。いわゆる「叱る教育」である。

 学校の生活指導はこうした指導方針に近いといってよいだろう。また、小テストを繰り返し、知識を詰め込む教育も、結局は人間は放っておいたら勉強しないものだとうことを大前提にしている。
 

 一方、ルソー・モデルは、人間は基本的には良い心を持っているのであり、その良さを伸ばすのが教育だと考える。だから、「ほめる教育」を基本とする。

 人間には悪い心と良い心がある。古来、性悪説(荀子)と性善説(孟子)の対立が有名であるが、もちろん実際の教育に当たっては悪い面を早めに克服し、いい面を伸ばすようにすることは言うまでもない。

 教員を観察していると、その先生が基本的にどちらの立場で教えているかが見えてきておもしろい。

 

3.私の理想

 私はどちらかというと、ルソー・モデルに近い人間観で授業をしている。徹底して教材を精選し、本質的部分だけを教えるようにしている。時には本質的すぎて、教科書に書いてない背後にある考え方だけを教えて終わることもある。

 要は、生徒が「おもしろい」と感じてくれて、自分で勉強してくれるようになればそれでいいのである。そのためには、教えすぎて嫌いにさせては何にもならない。

一番おいしいところを少しだけ食べさせ、その科目を好きにさせる。「だまし」と言えなくもないが、教育の要諦とはそうしたものだろう。

 これまでたくさんの研修を受けてきたが、そのほとんどは記憶に残っていない。しかし、「串団子を恐れるな」と言う言葉だけは脳みそにぐさっと突き刺さって、今も忘れることができない。

 

 

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