古事記の世界(上巻)(712年)
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戦前の不幸な体験から、戦後の日本では日本古来の神話を語ることはタブーとされる傾向がみられた。しかし、そういう態度も行き過ぎであると私は考える。神話は神話として大切にし、それを大いに楽しめばよい。ただし、どこまでが神話で、どこからが歴史的事実かを明確に意識する必要がある。 (系図)
(国生みと神生み) イザナギは逃げ帰って禊(みそぎ)をするが、その時 左目を洗ってできたのが天照大神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗 ってできたのが月読の命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗ってできた のが須佐之男命(スサノオノミコト)で、それぞれ高天原、夜の国 、海原の支配をするよう命じられる。
(須佐之男命) そこで 須佐之男は、高天原の姉の天照大神に暇乞い に出掛けるが、そこで大暴れ。田の畔を壊し 溝を埋め、布を織る神殿の屋根に穴を開け、 そこから皮を剥いだ馬の死体を放りこみ、そ のため機織りの女に、「ひ」が体に突き ささり死んでしまう。天照大神は、これを嘆き天岩戸に隠れてしまった。
(天の岩戸伝説) アメノウズメノミ
コトは胸をはだけ、腰に巻いていた布も落ち
るくらい踊ったので、計略は見事成功。天照大神は天岩戸から連れ出され、高天原に再び光が戻ってきた。
(八俣の大蛇) 須佐之男の命は、濃い酒を準備し、それを大蛇に飲まし退治に成功した。この時大蛇の尻尾からでてきたのが、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)である。 めでたくクシナダ姫と結婚した須佐之男の命は、出雲の国に新居をかまた。その6代目の子孫が大国主の命である。
(大国主の命と因幡の白兎) そのため鮫に皮を剥かれて血だらけになった。大国主の命(オオクニヌシノミコト)の兄弟たちから、「海に入って塩水を浴び、風通しのいいところで寝ていれば治る」といわれ、その通りしたら、余計ひどくなった。 そこへ通りがかった大国主の命は蒲の穂をたくさん集めてその上に寝ころべばよいと、正しい治療法を教えた。 (スセリ姫)
ところが、そこでも須佐之男に意地悪をされる。蛇の岩屋や蜂とむかでの岩屋に寝かされ、さらに須佐之男は、草叢に矢を放ちそれを大国主の命に取りにいかせたうえ、草に火を放ち焼き殺そうとしたのである。 九死に一生を得た大国主の命は、地底の国を脱出。二人は出雲に神殿(出雲大)を建てて住んだ。
(ニニギノミコトの天孫降臨) そして、天照大神は自分の孫にあたるニニギノミコトを地上に遣わした。ニニギノミコトは三種の神器(勾玉、鏡、草薙の剣)を授かり、高天原から高千穂(宮崎県日向市)に降り立った。これが有名な天孫降臨伝説である。 ニニギノミコトはそこで立派な宮殿を建て、コノハナサクヤ姫と結婚した。 この二人の間に生まれたのが、海彦と山彦である。
(カムヤマトイワレヒコノミコトの東征) そして、橿原の地で初代天皇として即位した(紀元前660年2月11日)。これが神武天皇であると古事記は記述している。ただし、今のところ神武天皇の存在は歴史的事実としては確認されていない。 |