憲法の教え方
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高校生に憲法を教えると、みんな決まって驚いた顔をする。なぜなら、小学校・中学校での教え方と全く違うからである。そして、
2.絶対王政 国家権力が恐ろしい存在であることが歴史的に初めて認識されるようになったのは、絶対王政の頃である。そこで、 先生「もし、あなたが王様であったら、どんなことがしたいか」と尋ね、好き勝手なことを答えさせる。 生徒「税金を値上げして、1000室もあるような豪華な宮殿を造り、立派な庭園と、金のお風呂を作り、「ぴちゃぴちゃ」毎日お風呂にはいる。私のやり方に反対するものは直ちに逮捕して、死刑にする」。 などという答えが出ればしめたものである。そこで生徒に尋ねる。 先生「みなさんが、そういう国王の下で生活しているとしたら、どうするか?」(さあ、ここからが授業のポイントです。) 生徒「国王を殺して、別の国王に代わってもらう!」(虫も殺さぬ顔をしてすごいことを言う) 先生「では改めて聞きます。もし、新しい国王がもっと悪い人だったらどうする?」 ここでチャールズ1世を処刑し、チャールズ2世が即位した話をしてもよい。
生徒 「・・・・・・」
国王が悪いことをできないようにするにはどうしたらいいか。ここで時間をたっぷり使って考えさせることが大切である。いきなり答えをいってはありがたみがない。考えて考えて考えさせて、のどがカラカラになった状態で「水」を与えると効果的である。生徒から正解が出れば、もちろん激賞する。 先生、「正解はルールを作り、国王に守ってもらうようにすることです」。「そのルールを憲法と言い、最初のものがマグナ=カルタ(1215年)です。国王は、国民が作った憲法を守っている限り悪いことができません。こうして絶対王政の国王の権力を制限するために憲法が誕生したのです。これを「人の支配」に対して「法の支配」と言います。
ここまで下準備をして、そこで本題に切り込む。 ここで、多くの場合生徒に衝撃が走る。小さい頃から憲法14条で「差別はだめですよ。みなさん憲法を守りましょうね」と教えられ、憲法を国民に守らせるために条文を無理矢理暗記させられてきたと生徒は思っているからである。 絶対王政から憲法が誕生した背景から明らかなように、憲法を守らなければならないのは国民ではなく、国家権力である。しかし、まだこの段階で正解できる生徒は半分くらいしかいない。クラスの半分くらいは、やっぱり「憲法を守らなければならないのは国民だ」と答える。そこで、だめ押しをする。 先生 「日本国憲法99条を見てください。」
権力は一度間違って使われると、多くの人を不幸に陥れ、時には何百万人の命を奪うこともできます。だから、そういうことが起きないように、権力に携わる人間は憲法を守りなさいよと書いてあるのです。 そこで次のように板書する。
問1 憲法19条【思想及び良心の自由】「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」 1)この文章の主語を答えよ。
しかし、近代憲法がもともと、生来の人権を保障するために、国家権力の制限・限界を示そうとするものであったことを考えると、国民の義務規定の強調は、本来の趣旨には馴染まないと考えることができる。したがって、上に述べた3つの義務規定も「立法による義務の設定の予告という程度の意味を持つにとどまっている」(『憲法T・U』野中俊彦ほか、有斐閣)と見ることができる。 また、憲法第15条C、第18条、第28条なども、、憲法を私人間に直接適用するのではなく、民法90条の公序良俗規定などを媒介にして、憲法の人権規定を間接的に適用する「間接適用説」が通説となっている。
なお憲法を私人間に適用できるかどうかについて、たとえば、2007年度のセンター試験『現代社会』追試問題で次のような出題があった。 近代憲法は、歴史的に見れば、国家権力を制限するためにつくられたものであり、「私人」、例えば、民間企業などの私的組織・団体や個人を直接に拘束することを念頭に置いていない。これが近代憲法の原則の一つである。しかし、そのような原則を徹底すると、問題が生じる場合もある。 しかし、それでは、たとえ私人相互間であっても尊重されるべき個人の権利・利益を、大きな社会的権力を有する私人が侵害するという事態を放置することになりかねない。また、弱者の権利・利益を保護する法律を議会が制定していなかったり、制定していたとしても、その内容が不十分であったりすることもある。そのような場合に、弱者を救済することができないということになると、憲法が掲げる個人の尊重という精神が失われることにもなる。
そこで、国家権力による人権侵害だけでなく、私人の間で生じた権利・利益の侵害についても、場合によっては、憲法に人権規定を何らかの形で適用していこうとする見解が唱えられるようになり、日本の裁判でも、実際に憲法の人権保障の理念を反映させるような解決がおこなわれてきた。
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