本質を教える

 

1.10年後、20年後に残るメッセージを!

  良い授業というのは、骨太のメッセージを持っている。たとえ10年たとうと20年たとうと、忘れようにも忘れられない強烈なメッセージを持っている。

 たとえば、40年近く前に私が金沢大学で受けた憲法の講義がそうだった。教えてくださったのは野中俊彦先生である。

「自由な社会とは、国家権力に反対することができる社会のことである」

映画館で、火事だー、と叫ぶ自由はない」

「1票の格差が2倍を超えたら違憲とすべきである」

 などは、今も高校の授業でそのまま使わせてもらっている。

  また、私が教員免許を取るために学んだ慶応大学の村井実先生の「教育学」の授業も忘れることができない。一言で言えば

人間は良くなろうとしている存在である。

 ということを教わった。どんな人間も善人の面と悪人の面の両方を持っている。
日頃やんちゃなことばかりしている人間も、本当は「良くなろうとしているのだ」という先生のメッセージは、当時、非常に新鮮に映った。

「人間は良くなろうとしている」というこの言葉は、その後の私の教員生活の哲学になった。

 

 

 

2.幹だけを教えれば十分!

 私自身、今まで生徒としてたくさんのことを教わった。もちろん、そのほとんどは忘れてしまった。しかし、忘れようにも忘れられない骨太のメッセージはあるものだ。

 高校は、2〜3年で役に立たなくなるような些末なことを教える場ではない。たとえ20年たとうが50年たとうが、もっと言えば1000年たとうが変わらない幹となる部分を教えるべきである。

 しかし、教育現場を見ていると、どうも枝葉ばかり教える教員が増えているように思えてならない。私自身も覚えがあるのだが、専門科目以外を教えるときにはどうしても細かくなりがちである。

 何が幹で何が枝葉か自分でも分からないからだ。そういう状況で授業をするものだから、当然、授業は「誰からも文句を言われないように」「もれなく」「全部を教える」ことになる。

「私は全部教えましたよ。あとは、覚えない皆さんが悪いのですからネ」というわけである。

 しかし、こうした教え方は間違いである。全部を教え込もうとすると、たいていの生徒は嘔吐し、その学問が嫌いになってしまう。嫌いにしてしまったのでは失敗である。

    その学問を好きにさせ、「もっと知りたいなー」と思わせることが大切

なのである。したがって、幹だけを教えればじゅうぶんである。枝葉など自分で勉強させればよい。幹が太ければ太いほど、生徒は自分でたくさんの枝葉を付けることができる。

問題は、教員が幹となる本質的部分をつかんでいるかどうかである

 

 

3.私が教えたいのは4つだけ

 1年間の現代社会(政経分野)の授業を通して、実にたくさんのことを生徒に教える。しかし、その中で私が本当に生徒に教えたいのは、次の4つだけである。

(1)憲法とは何か

(2)集団安全保障の考え方

(3)有効需要の原理

(4)比較生産費説

 国内政治・国際政治、国内経済・国際経済から各一つずつである。「これだけのことさえ分かれば世の中のことが分かる」と生徒には言っている。

 それにしても、最近のセンター試験はひどいですね。高校生に理解させなければならない本質的部分を出し尽くしたせいか、どうでもいい些末な時事問題のオンパレード。これでは高校教育をゆがめてしまいます。

入試問題を無視することはできませんが、それに振り回されないように我々現場の教員がしっかりしなければならないと思います。

 

 

 

4.専門書を読む

 一般に、「これがこの分野における本質的部分だ」と思える幹の部分は、10年20年にわたって膨大な専門書を読まないとなかなかわからない。現代社会(あるいは政治経済)を教える場合は、少なくとも次の4つの学部の基本書となるものは読んでおいて欲しい。

(1)法学部

(2)経済学部

(3)国際関係学部

(4)社会学部

 こうやってみてくると、高校の教員であるということは大変な商売である。しかし、自分のペースで、楽しみながらできる商売でもあることを考えれば、恵まれた職業だと思う。

 

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